2-1 攻勢
第二章 激闘
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ありえない、とローガンが呟くのをファルスははっきり聞いたが、ファルスはといえばまだ冷静だった。
「鉦を打て。それと、第六軍に早馬を出せ。五騎だ」
「しかし、隊長」
「時間はないぞ! 急げ!」
そう言い残して、ファルスはすぐに自分の直下の二十名を集めた。
魔物が押し寄せてくる。
そうとしか表現できなかった。今までにない大群が、東の峰のある方から斜面を駆け下りてくる。最初、遠くから見たこともあって土砂崩れかと思った。
しかし違う。地面が動いているように見えるほど、密集した魔物の群れが雪崩れ込んできているのだ。
どう見てもその数を剣聖騎士団だけで受け止めるのは不可能だ。
つい前日の夕方、激烈な地震とともに爆発音が轟いた。何が起こったかと見れば、山脈の一角から火が吹き出し、それが山を焼いているのが日が暮れた後も闇の中で確認できた。それから灰が降り始めたのだが、それほどの量ではなかった。
あの爆発が魔物と関係があるかは不明だが、何か繋がりはありそうだった。
現実に意識を戻させるように鉦が激しく打ち鳴らされる。撤退だ。撤退がうまくいけば、状況も少しは見えるだろう。
ファルスとその部下の二十名は殿だが、実際、どれほどの意味があるかはわからなかった。正確ではないが、魔物の数は数百に及ぶ。十倍の敵を止めるなど、現実的ではない。
地鳴りのような音が聞こえてくる。それと耳障りな鳴き声の合唱。
くそったれめ、と思わずファルスは吐き捨てていた。
後方に布陣する第六軍は三〇〇〇名だという話だった。そのさらに後方に本隊がある。こちらは二万を超えている。総数ではまだソダリア王国軍が有利だが、現状はそれを有利とは思わせない。
急がなくては、魔物の群れは剣聖騎士団予備隊を粉砕した勢いのままに、第六軍の三〇〇〇に直撃し、それを崩壊させてしまう。もしかしたらそのままさらに突進し、二万に突っ込むこともありうる。
魔物の爪牙に宿る毒に関して、ファルスは注意を向けすぎている自分にやっと思い至った。
毒などこうなっては最重要ではない。
問題は魔物の数とその性質だった。これまではせいぜい数十だった。それがいくつもあったとはいえ、数十を数十として粉砕してきた。だが今は、その十倍が一斉に押し寄せてきている。しかも、魔物はどうやら恐怖を感じない。ひたすら人間を殺しにくる。怯むことも、躊躇うこともない。
第六軍の三〇〇〇が突破されても、本隊の二万が粉砕されることはないはずだ。だが、これが最初で最後という保証はない。
甘い見通しは捨てるべきだった。
今はなんとか、第六軍に万全の態勢を作らせ、魔物の攻勢を押し留めるしかない。
それにしても、とファルスは部下二十名に陣形を組ませながら、周囲を見た。
赤の隊はどこにいる?
魔物の群れが見えてきた。広がっているし、総数は不明。
「構え」
ファルスは低い声で言う。部下たちがこの絶望的状況でも冷静に、魔力を練り上げていく。
「放て」
同時に火炎、雷撃が迸る。
瞬間で魔物の群れに直撃、数体を吹き飛ばすが、全体から見れば些細なものだ。
「構え」
恐怖を押さえ込み、ファルスは指示を出す。
「放て」
再び魔法が魔物に襲いかかる。
想像通り魔物の勢いが止まることはない。仲間が消し炭になり、弾け飛んだとしても奴らは恐怖など感じないのだ。
ファルスはそれでも部下に指示を出し続けた。魔物の鳴き声と地面を蹴立てる音のせいで、叫ぶような声になっている。
「剣を抜け!」
最後の段階が来た。白兵戦だが、魔物の総数は未だ計り知れない。
部下たちとともに剣を抜いたとき、それが起こった。
業火の津波が魔物の群れに襲いかかり、ファルス隊の目の前を焼き払っていく。後には消し炭しか残らなかった。
そこを騎馬隊が駆けていく。
赤の隊だった。
カスミーユと赤の隊の旗手がファルスの前で馬を止める。
「ファルス! 撤退しなさい! 殿は赤の隊が引き受ける!」
「後を任せます!」
ファルスはかすれた声で応じ、部下たちに撤退を指示した。
剣聖騎士団予備隊の陣地はすでに人気がなく、幕舎がいくつも置き去りにされていた。最低限のものしか持ち出す余地はないのだ。もちろん、今もそんな余地などない。ファルス隊と赤の隊が撃ち漏らした魔物がすでに陣地に踊り込んでいる。
抜き身の剣を下げたまま、ファルスは部下と駆けた。
魔物は片っ端から切り倒した。
生き延びなくてはいけない。
まだ終わらせるわけにはいかない。
(続く)




