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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
115/155

1-12 名乗り

        ◆


 これは参ったことになった、とアルカディオは思っていた。

 他人事のように感じるが、まるで他人事ではない。

 周りを見るとルーカスは渋面を作り、アールはにやにやと笑い、リコは深刻な顔をしている。ターシャは落ち着いて見えるが、サバーナは怯えていた。サリースリーはキョトンとしている。

「えっと」

 一歩、前に進み出て、アルカディオは相手の顔役らしい人物に声をかけた。

「この通り、たいしたものは持っていないのですが」

 それだけの言葉で、周囲に剣呑な空気が広がる。

 場所は街道の真っ只中で、今、アルカディオたちは数十人の人々に取り囲まれているのだった。

 どうしてそうなったのかはわからない。街道を進んでいたのが、見知らぬ男に呼び止められた。話をしたのはルーカスだったが、不意に男がルーカスを突き飛ばそうとしたのだが、これがいけなかった。

 ルーカスは最低限の動作で男をいなしたのだが、相手はそんなことをされるとは予想していないし、もちろん、身構えてもおらず、見事に転倒した。

 あとはあっという間だった。

 男の仲間なのか知り合いなのかわからないものが口々に何かを叫びながら、アルカディオたちを何重にも取り囲んでしまったのである。

 だから、アルカディオが顔役と見ている三十代くらいの男性も、実際には通りすがりかもしれなかった。

「どこへ向かうつもりだ。戦場へ行くのなら、いらんものもあるだろうよ」

 男の突き放す言葉に、誰からともなく賛同の声が上がる。

「銀を置いていけばいいのですか」

 揺さぶるつもりで口にしてみたが、まったく想定外の人物が揺さぶられてしまった。

 アルカディオ様! とルーカスが声を漏らす。甘い態度を見せれば徹底的に奪われる、と思っているのだろう。しかしアルカディオとしては、破砕剣以外の全てを失ってもいいとは思っている。服も食料も、具足も、剣聖騎士団と合流すればどうとでもなる。

 人々が口々に何かを唱和し始めたかと思うと、「よこせ」と繰り返している。実に奇妙、珍妙な光景だが、誰もが魔物の出現で混乱しているのだろう。ここでアルカディオたちから奪略したとしても、ここにいる数十人で分け合えば、些細なものしか残らないのだ。

 参ったな、本当に。

 アルカディオはどうやり過ごそうか考えたが、妙案は浮かばなかった。

 ただ、もっと決断力のある人物がそばにいた。

 ルーカスだ。彼はこれ見よがしに、ゆっくりと剣を抜いて見せた。これには取り囲む群衆が声を漏らし、一斉に距離を取った。取ったが、逃げ出そうとはしない。一人なら押しつぶせる、もみ潰せるという算段なのか、それとも周りが逃げないから逃げなかったのか。

 ともかく、ルーカスが剣を抜いたことで、事態がより悪化した。

 剣を収めてください、とアルカディオは言おうとしたが、それより先に最初の小石が飛んできた。

 音を立てて、次々と石が降ってくる。周りにいる者たちが足元に転がる石を手当たり次第に投げているのだ。街道が整備されているせいで、本当に小さい石しかないが、危険ではある。

「ルーカスさん! 剣を引いてください」

 投石の中でアルカディオが言っても、ルーカスは剣を引こうとせず、逆に声を張り上げた。

「この方が、どのような方か、存じ上げないだろう! この方は魔物を討つためにここまでこられたのだぞ!」

 しかし返事は惨憺たるものだった。

「どうせ傭兵だろう! 魔物を狩って稼ぐんだ!」

「そんな子供に何ができる!」

「俺たちの街は魔物に襲われて、もうおしまいなんだ!」

 全く会話になっていない、意思疎通が成立していなかった。

「どうするおつもりですか」

 リコがすぐそばまで来て、囁いた。ルーカスは「やめよ! 無礼であるぞ!」などと叫んでいて、リコの動きには気づいていない。

「少し、真実を明かさなくてはいけないかもしれません」

 アルカディオの返答を予想していたのだろう、「では、お早く」とだけリコは応じた。

 アルカディオはゆっくりと進み出て、ルーカスに並んだ。

 そして背中に背負っている剣の柄に手を置いた。

 まさか二人で切り掛かってくるのかと思ったらしい人の輪が、さらに広がる。

「私の名前はアルカディオと言います」

 アルカディオはできるだけ丁寧に、全員に届くように言った。

「聖剣の持ち主、剣聖の一人です」

 投石が、止んだ。

 騒めきの中から、声が聞こえる。剣聖がこんなところにいるわけがない、しかし行方不明の剣聖がいたはずだ、こんな小勢でいるだろうか、そんなやりとりがそここで起こったようだった。

 一度、深呼吸してから、アルカディオは言った。

「今から、真実をお見せします」

 静かに、アルカディオは破砕剣を抜いた。

 この剣を抜く機会は、まだほとんどない。しかし重さ、重心はしっくりと馴染む。

 鞘から抜き放たれた破砕剣を一度、天にかざす。

 この時には群衆からどよめきが起きた。何も知らないものにも、何かを感じさせるものがあるのだ。 

 手の中で剣を回転させ、逆手に持ちかえる。

 心気を研ぎ澄ませる。

 破砕剣を中心に激しい力が渦巻くのをアルカディオは感じた。

 切っ先を一息に、地面に突き立てた。

 一瞬の出来事だった。

 地面に亀裂が入ったのである。

 それはとても、普通の剣、普通の技でできることではなかった。

 あまりの精神的衝撃に群衆が言葉を失い、まるで時間が停止したようにさえ思えた。

 誰も何も言わず、お互いを見ている。小さくサリースリーがあくびをして、アールが「手品の一種ですかね」と漏らした以外、無言のままだった。

「信じてもらえますか」

 アルカディオは周りにいる人々の考えがまとまるのを待って、そう問いかけてみた。

 返事はなかった。

 なかったが、誰かが手を叩いた。それが最初の反応であり、拍手は重なり、やがて「剣聖、万歳!」という声さえも飛び始めた。

 その中で顔役の男が進み出てくると、アルカディオの前で膝をついて頭を下げた。

「ご無礼をお許しください。今は、自分の愚かさが恥ずかしいばかりです」

 いいえ、とアルカディオも膝を折って視線の位置を合わせた。

「魔物に住む場所を奪われたこと、私には想像もつかないものと推察します。どうかこのまま、安全なところへ避難してください。旅の無事を祈っています」

 一層深く頭を下げた男は立ち上がると、周りのものに声を張り上げた。

 あっという間に群衆は南へ去って行き、アルカディオたちはそれが見えなくなるまでその場に留まった。

「あの……」

 ターシャとサバーナが揃ってアルカディオの前にやってくると、恐縮した様子で、膝を折った。

「剣聖様とはつゆ知らず、ご無礼をいたしました」

 二人が声を揃えるのに「気にする必要はありません」とアルカディオは即座に答えた。

「最初から説明できればよかったのですが、僕自身、剣聖という立場にまだ、その、不慣れで」

 これにはターシャもサバーナも返事を返せなかった。剣聖という立場に不慣れ、などということを口にする存在など、希少動物のようなものだった。

「ともかく」

 アルカディオは言葉を続けた。妙な空気になったせいもある。

「僕はあなたたちを個人的な、その、友人として扱うわけですから、お二人もそうしてください。アールさんやリコさんもそうです。ルーカスさんもそうですが。ですよね?」

 ええ、まあ、と煮え切らない様子でルーカスが答える。ルーカスとしては黒の隊の一員であり、アルカディオの友人というよりは、部下という立場に徹しようとする雰囲気が常にある。アルカディオとしては堅苦しいようにしか見えないが、ルーカスはそちらの方が落ち着くようだった。

 先を急ぐとしましょうか、とアルカディオは全員を促した。

 アルカディオは自分の行動を、歩きながら振り返っていた。

 自分は剣聖を名乗ってしまった。

 こうなってはもう、剣聖として生きるしかない。

 心のどこかで、自分は剣聖にふさわしくない、と思ってはいたのだ。それが、群衆を落ち着かせるために剣を抜いて見せ、剣聖を名乗った。

 これからはもう、言い訳は許されず、逃げ場もない。

 剣聖というものと、正面から向き合う時が来たのだ。

 まさにこの日の夕方、特別なことが起こった。

 それまでになかったほどの激しい地震の後、既に闇に飲まれようとしていた東部山脈の一角が、明るく輝いた。その赤い光は山肌の一部を赤く染め、燃えているようにアルカディオたちには見えた。

 やがて灰のようなものが降り始め、アルカディオたちはこの日ばかりは建物の中で夜を明かした。

 翌朝には、周囲はうっすらと白くなっていたが、すでに灰は降っていない。

 だが、朝日の中でも、山脈の一部は赤々と光を放っていた。




(続く)

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