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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
114/155

1-11 剣聖にしかできないこと

     ◆


 連中はやる気がないのかしらね。

 辛辣なカスミーユの言葉に、思わずファルスは口元を歪めていた。

「すみません、俺の無茶のせいです」

「あなたを責めていない。勘違いしないで」

 カスミーユは取りつく島もない。

 剣聖騎士団の兵力は、日々刻々と磨耗していた。

 最大の問題は負傷者の扱いで、魔物の爪や牙にかけられると正体不明の毒が体に回り、容易には回復しない。治療に関しては高位の錬金術士で組織されている緑の隊が当たるが、全員が体力の限界まで働いていても、追いつかない。中には怪我人を治療している最中に失神する者さえいた。

 ファルスとしても、剣聖騎士団予備隊に付属している輜重隊の護衛を減らし、ついには輜重隊のものにさえも剣を持たせて戦場へ立たせていた。そうしなければ戦線を維持できなくなりつつある。現在の戦場で魔物の襲撃を受け止めていられるのは、カスミーユの赤の隊、騎馬隊の威力だった。

 しかし、それさえも事態の悪化には歯止めをかけられないでいる。

 すでに戦場は東部全域に広がり、各地で避難民の保護を目的として活動している第五軍に被害が出始め、さらに避難民にも犠牲者が続出している。民の第五軍に対する評価も悪化し、もめ事も絶えない。

 それ以上に、剣聖騎士団が直面している魔物の性質の変化が、最大の懸念である。

 魔物の群れの規模が大きくなっている。五十体が一塊で押してくることが増えた。これは予備隊だけでは退けられず、赤の隊が駆けつけて横撃することでかろうじて押し返している。負傷者が出るので、回を重ねるごとに予備隊の力は削られていく。

 カスミーユがファルスの元へ来たのもそのことを指摘するためで、カスミーユは第六軍に戦闘への積極的な関与を求めている。ファルスも同じ思いだが、第六軍と剣聖騎士団は関係が悪い。そして現状では、第六軍は剣聖騎士団予備隊と連携が取れていない。

 先の第六軍の軍団長であるツタリは更迭され、どこかへ去った、だが、新しい軍団長のショウギはファルスを認めながらも、決して言いなりにはならなかった。

 ショウギの意見は、剣聖騎士団は先頭に立って戦い、第六軍はそれを補助する、というものである。戦場の実際とはかけ離れた意見だった。このままでは剣聖騎士団は早晩、魔物の攻勢の前に解体され、第六軍が戦闘の主役になるだろう。それがショウギの目論見なのか、ファルスには判断がつかなかった。

「連中がやりたいと思える状況を作るべきかしらね、従騎士殿」

「では、剣聖騎士団はどこかへ逃げますか? 剣聖様」

 カスミーユとファルスがにらみ合い、肩を落としたところへ、ローガンがやってきた。赤の隊の斥候が東からの魔物の侵攻を偵察しているので、とりあえずは余裕がある時期だった。予備隊が態勢を整える間の間隙で、ローガンはたった今まで隊の配置を確認していたのだった。

「ファルス殿、例の件はもう話されましたか?」

 いきなりのローガンの言葉に、まだ問題があるのか、という顔でカスミーユがファルスを見る。ファルスは首を振ってから、唸るように言った。

「兵站が不安定すぎる。兵站というか、つまりは食事に困っているんです、カスミーユ様」

「赤の隊は困っていない」

「予備隊の兵站は万全ではありません。構築から間がないもので、備蓄する余地がなかったのです」

「買えばいいじゃない。銀なら剣聖府に十分にある」

「どこから買えばいいのです? 南ですか、北ですか、それとも中央か、西ですか」

 ここに至って、カスミーユもファルスが言いたいことを察した。

「つまり、売ってくれないし、商品がないし、買ったところで運べない、と言いたいのね?」

「あることにはあるのでしょう。確かにどこの商人も売り渋っています。値を釣り上げたいのかもしれない。こちらの財力を甘く見ている奴らから買い上げるのは望むところですが、買ったところでここまで運ぶ業者がいない。自前の輜重隊は貧弱で、役に立ちません」

「全てが後手後手ということね。第六軍はなんて言っている? 彼らの兵站は予備隊よりはるかに優れているはずよ。食料の備蓄も十分なはずだけど」

 剣聖の正論に、予備隊隊長はため息を吐いた。

「第六軍の兵站はうちよりはマシでしょうね、炊事の煙が連中の陣地の方角にはよく見えます。しかし例のごとく、軍団長以下の高級将校たちは予備隊に恵んでくれるようではない。ただ、どうも恵みたくても恵んでやれない、それが本当のところらしい」

 これにはカスミーユが目をわずかに大きくした。

「本当のところ、というのは? まさか連中も補給が滞っていると?」

「ソダリア王国は元々、平穏な時代にありましたからね。乱世の経験は自然と薄れていき、物資の備蓄は少しずつ削減されていたそうです。それでも十分なはずでしたが、ここへ来て軍団を丸ごとひとつ、戦場へ出した上で、それが長期に及ぶのは想定外だった」

「誰がその話をあなたに吹き込んだわけ? それが気になるわ」

「吹き込んだわけではありませんよ、忠告という奴です。言ったのはカテリーナ殿です。白の隊の指揮官の」

 なるほど、とカスミーユが何かを思案するように顎に手をやり、わずかに顔を俯けた。

 カスミーユも白の隊の情報収集能力には疑いを持っていない。仲間の実際を探るのはやや常軌を逸しているが、現状を見る限り、全体を見ておく必要があった。

「徴発はできないわ」

 そのカスミーユの言葉に、ファルスは即座に頷いた。

「民が混乱するのが最も良くない展開でしょうね。一応、ハイネベルグ侯爵に、剣聖府の名で中央か西部から物資を融通してもらうように書状を送りました。侯爵は王都への帰路で、早馬が追いついたとしてもすぐに実際の行動が始まるとは思えません。動いたとしても、時間がかかる。それまでをどう凌ぐかがとりあえずの課題になります」

「ここで議論しても意味はないわ。節約して、いざという時はあなたが第六軍の軍団長、ショウギとかいう男に頭を下げなさい。泣き落としでもなんでもして、食料をもらうのよ。でないとみんなが飢えてしまうわ」

 ガラじゃないんだけどなぁ、と言いたいのを我慢して、努力します、とファルスは真面目な顔で答えた。滑稽だが、滑稽さがなければやっていられないのがファルスの本音である。

 カスミーユが隊に戻ろうとし、ローガンがファルスにまた別の報告をしようとした時、駆け寄ってくるものがいた。緑の隊のもので、緑色のローブを羽織っているが血相を変えている。何か良くないことが起こったか、とファルスは身構えたが、伝えられた内容は想定外だった。

 イダサが倒れた、というのだ。

「何故だ? 何があった?」

 その場で話を聞くことなどしなかった。陣地の中でイダサが過ごす幕舎へとファルスは駆け出している。緑の隊のものは、実験の最中でした、と答えたが、断片的すぎてファルスには理解できなかった。

 カスミーユとローガンを引き離して、一人でイダサのいる幕舎に飛び込んだファルスは、立ち込める異臭に思わず口元を覆っていた。腐臭としか言えないものが満ち満ちている。

 その中央で、イダサが一人で座っている。手には聖剣、生死剣があり、鞘から抜かれているのが見えた。

 その刃が光を放ち、光はイダサを包み込んでいる。

 倒れた、と聞いているが、イダサはゆっくりと顔を上げ、ファルスを見た。

 無事、ではない。死人のような顔をしている。それに生死剣を抜いて力を発揮しているということは、その力を行使しているのだ。

 生死剣による圧倒的な治癒力の励起。

 イダサはあるいは、生死の狭間で際どく聖剣を行使したのかもしれない。

 歩み寄りながら、ファルスは周囲を見た。地面のそこここが黒く染まっている。

「何をしていた、イダサ」

 堅い言葉で問いかける友人に、イダサは力なく笑った。

「魔物に負わされた傷の治療法を探っていた」

「どうやって?」

「回収した魔物の爪で、自分を傷つけたんだ」

「バカなことを!」

 ついファルスはイダサの着物の襟元を掴んで、彼の体を引きずり上げていた。イダサの体は重かった。力が入っていないのだ。そのことにファルスは驚き、瞬間的に冷静になった。そっとイダサを地面に戻し、手を離した。

「イダサ、無茶はするな。お前がいなくなると、みんなが困る」

 みんな、か。イダサが笑みを見せるのに、ファルスは鋭い視線を返した。

「みんなではないな。世界が困るんだ。魔物どもに対抗するのに、お前は必要だ」

「僕は剣聖だ。この世には剣聖にしかできないこともある」

 静かな声だったが、ファルスは頬を張られたような思いだった。

 ファルスは剣聖ではない。ただの指揮官として、部下と共に戦場に立つしかない。

 しかし、イダサやカスミーユは違う。もっと別のものを背負い、ファルスには想像もつかない使命を帯びている。他の誰にもできないことをできる、という立場が二人にはのし掛かっているのだと、ファルスは初めて想像が及んだ。

 幕舎にカスミーユ、そしてローガンが入ってきた。二人は無言でファルスたちを見た。

 ファルスも、イダサも何も言わない。

 ただぼんやりと聖剣の放つ光が、幕舎の中を照らしている。

「イダサ、無理はしないでくれ」ファルスはやっと言葉にした。それまでよりも弱く、懇願するような口調になった。「俺の頼みを聞いてくれるか」

 分かっていると剣聖は頷いた。

「無駄に死ぬつもりはない。今日のことは事故だ。次はもっとうまくやる」

 頼む、と繰り返してファルスは足早に幕舎を出た。

 外に出て、真上に見える太陽を見上げた。

 問題は山積している。そして解決する兆候は少しも見えない。むしろ日に日に悪くなっていく。明日になったら好転する、などという展開はありえないだろう。

 誰か、手を貸してくれ。

 思わずファルスはそう口走りそうになった。

 誰も手を貸してくれない、助けてくれないとわかってはいても、そう口にしたかった。

 言葉の代わりに息を吐き出し、遅れて幕舎を出てきたローガンに振り返った。

 できることをやるしかない。

 わずかでも、ささやかでも、やるしかなかった。




(続く)

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