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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
113/155

1-10 名も知らぬ街

      ◆


 アルカディオたちは日が暮れる前に街道から少し間道に入ったところにある街に入っていた。

 しかし静まり返っており、人気は少ない。

 宿を取れるかとリコとターシャが様子を見に行き、アールは勝手に「様子を見てきましょう、アルカディオ様」と離れていった。ルーカスはアルカディオのそばにいるが、それはサバーナが気になるからかもしれない。

「魔物がここにも出たのでしょう」サバーナが暗い声で言う。「どこの町もこんな有様です。小さいところでは完全な無人になってしまった場所もあります」

 アルカディオは答えることができなかった。ゆっくりと通りを進む彼らの目に、無造作に積み上げられたものが見えたからだ。遺体そのものではないが、それは明らかに遺体を燃やした痕跡だった。誰がしたのかは知る術がないが、遺体を放置できなかったか、疫病を恐れたと推測できる。

 じっとそれを見てから、アルカディオは目をそらした。

 自分がもっと早く大陸に来ていれば、というのは考えすぎだとアルカディオにもわかる。アルカディオや仲間たちがもっと早くこの場に来ても、十人にも満たない数で一つの街を守れたとは思えない。ここには千人程度は人々がいたはずで、一人の死者も出さずに事態を収拾できるわけがない。

 それでも自分は剣聖だ、とアルカディオは思う。

 剣聖とは、ただの剣の使い手ではないだろう。技の使い手でもない。その剣、その技で何かを守るのが剣聖のはずなのだ。

 まだアルカディオは誰も守っていない。救ってもいない。

 気が逸るのを感じながら、意識して呼吸をすることでアルカディオは冷静さを取り戻そうとした。

 そこへリコとターシャが揃って戻ってきた。二人ともが浮かない顔をしている。

「旅籠のようなものがありますが、無人でした。表の戸が閉められています」

「どこかの民家でも借りるべきじゃないかね」

 リコに続いてターシャが言った言葉を肯定しようとした時、アールが軽い足取りで戻ってきた。

「俺たちを泊めてもいいという場所を見つけたが、二人はどうだったね」

 思わぬアールの言葉に、全員が彼に視線を注ぐ。アールは狼狽えることもなく、おどけたように肩を上下させた。「馬鹿正直に旅籠を当たるのは愚策というもの。こんな状態で旅籠を経営するのは馬鹿者でしょうよ」

 アールの正論に、ターシャは、かもね、と言いたげな顔をして、リコは珍しく笑っている。

「アール殿は慣れておられる。それで、どこに泊まれるというのです」

「俺のような男の根城さ。酒場だよ」

 酒場、とルーカスが低い声を漏らし、他のものはそれぞれの顔つきで考えているようだった。例外はサリースリーで、彼女は普段通りのまま、まだ周囲に視線を巡らせている。

「酒場で休ませてもらいましょう」

 結局、アルカディオの鶴の一声で決定された。アールが先導し、酒場にはすぐに辿り着いたがやはり人気はない。そこへずんずんとアールが入っていってしまうので、他の面々は後を追うしかない。ただ、さりげなくルーカスがアルカディオに近づいて「用心しておいてください」と耳打ちした。

 何に、とはアルカディオは訊き返さなかった。アルカディオは酒場というものをそれほど知らないが、ガラの悪い連中がいると相場が決まっている。魔物の襲撃があっても居座っていれば、だが。

 酒場の建物に入ると、すでに日が暮れかかっていることもあり、最低限の明かりだけでほとんど空間を見渡せない。ただ、人はいるようだ。

「いらっしゃい」

 しわがれた声が奥からすると、明かりの範囲の中に老婆が現れた。サバーナが反射的に短く悲鳴を上げたが、他のものはそこまで臆病ではなく、むしろ老婆がこんなところにいることに怪訝な思いを抱いていた。

 進み出たアールが銀を差し出しながら「七人分の宿賃だ」と言った。老婆は何度か頷き、好きなところで寝るといい、と答えている。好きなところで、という表現が何を示すのか、アルカディオは改めて空間を確認した。

 元は広い部屋にテーブルを並べていたようだが、今はがらんとしている。もちろん、寝台があったりはしない。

「じゃ、寝るとしよう。食事はあの婆さんに任せてあるから、明日の朝は楽しみにしておきましょうや」

 アールが言うなり床に寝転がるのに、リコがため息を吐く。そしてターシャに目配せすると「羽織るものでもどこかで調達します」と足早に酒場を出て行った。

 この状況が気にくわないらしいルーカスはアールを睨みつけているが、アールは床に寝そべったまま肘をついて、そのルーカスを余裕たっぷりに眺めている。それはサバーナが落ち着かない様子で「部下と連絡を取りたいのですが」と言い出すまで続いた。

「当てがあるのですか?」

 無意味な視線による攻撃を諦めたルーカスの問いかけに、サバーナは「連絡場所はあるのですが」と応じた。アルカディオはとっさに「手伝えると思います」と答えていた。それにもルーカスが否定的な視線を向けてくるが、アルカディオは「すぐ戻ります」と一人で表へ出た。

 通りに出ると、すでに周囲は暗くなりつつある。街だというのに明かりはほとんど灯っていない。リコとターシャの姿もなかった。

「白の隊の方、そばにいますね」

 ひっそりと言葉にする。

 反応はない。

 いや、不意に背後に人の気配が立ち上がった。

 振り返ったアルカディオの前には、見知らぬ青年が立っていた。彼は目礼程度に頭を下げる。

「ご用でしょうか」

「ええ」アルカディオはやや驚いていたが、平静を装った。「実は、仲間に加わった人を助けて欲しいのです」

「あの商人の男のことですか」

 どうやら状況は把握しているらしい。

「そうです。穀物を商っているそうで、もしかしたら、僕たちに有利かもしれません」

「我々は何をしたらよろしいでしょうか」

 話が早いじゃないか、とアルカディオは思った。白の隊がアルカディオの本来の目的、白の隊の意図とは関係ないような頼みごとを聞いてくれるか、半信半疑だったのだ。

「サバーナというのがその男性の名前なのですが、彼の部下を見つけ出して、サバーナさんとの繋がりを修復してください。もしかしたらサバーナさんは死んだと思われているかもしれません」

「では、アルカディオ様、私をサバーナ殿に引き合わせてください。すぐに動こうと思います」

「よろしくお願いします」

 こうしてアルカディオはこの名前も知らない青年をサバーナと対面させた。ルーカスとアールが見守る前で、サバーナは名乗りもしない青年に、連絡場所を教え、なおかつ部下らしい名前を挙げてここへ来る様に伝えて欲しいと口にした。

 青年はじっと話を聞き、最後にはそれまでは見せなかった人懐っこい笑顔で「承知しました」と頷くと、一礼して酒場を出て行った。あの笑顔は作り物だろうが、白の隊のものの素性というものが気になるアルカディオだった。

「うまくいくでしょうか」

 不安が隠せないサバーナの言葉に、気にしない方がいいさ、とアールが軽い調子で応じる。

「うまくいくときは全てがうまくいく。ダメなときは全てがダメだ。そういうものだと思わないかね、サバーナ殿」

「そこまで突き放せればいいのですが……」

 アールの軽口では、サバーナの不安は解消されないようだった。

 それから布団をどこからかリコとターシャが運んできて、それで全員が久しぶりにゆっくりと休むことができた。と言っても、夜に魔物の襲撃があるかもしれず、交代で見張りについた。アルカディオもそれに含まれている。サリースリーもだ。

 アルカディオは大陸に渡ってから、サリースリーが言葉少ななことが気になっていた。ちょうど見張りを引き継ぐ相手がサリースリーだったので、思い切ってそのことを問いかけてみた。

「大陸が、何故か懐かしくてならなくてな」

 自分でも不思議そうに、サリースリーは答えた。視線はやはりアルカディオではなく、壁の方へ向けられている。まるで壁ではない何かが見えているような眼差しだった。

「懐かしいって、それは、記憶が刺激されているってことかな」

「かもしれんな。不思議なものだ。お前もそうではないか、アルカディオ」

 どうだろう、と答えたが、アルカディオには自覚はなかった。

 ベッテンコードの技が自分に刻まれているのはわかる。おそらくそれは記憶に連結している部分もあるだろう。だが、何かがひっかかるようではない。懐かしさというものも感じない。まったくの新鮮な、初めての体験がこれまでは続いている。

「私のことは気にするでない、アルカディオよ。お前には役目があるだろう」

 そう言って布団に潜り込むサリースリーに、アルカディオは返す言葉がなかった。

 役目がある、というのはわかる。

 しかしその役目とは、いったい、どういうものだろう。

 アルカディオは見張りを終えて眠り、すぐに夜が明けた。起きた時には、すでにうまそうな匂いが漂っていた。見ればアール以外の全員がすでに起床している。バツが悪い思いをしながらアルカディオが身を起こすと、例の老婆が巨大な鍋を運んできた。器も全員に配られる。

「これで我慢していただきたい」

 老婆はそんなことを言ったが、鍋の中で煮えている粥は、久しぶりのまともな食事だった。

 めいめいに礼を言って食べ始めるとあっという間に鍋は空になった。アルカディオが指摘しなければ、眠りこけているアールの分はなくなっていただろう。アールがここを見つけたのだからちゃんと料理を残しておかなくては、と口にした時、ルーカスとリコが珍しく似たような表情になった。

 アールが起き出した時にはすでに周囲は明るかったが、それはアールを待っていたわけではなく、サバーナの部下が来るのを待っていたのだ。アルカディオはここに繋ぎのものを残して先に進むか、サバーナ自身が残るか、どちらにするか問いかけるつもりだった。

 ただ、酒場に例の青年が戻ってくると、続けて一人の中年男性が飛び込んできた。

 その姿を見て、文字通りサバーナが飛び上がった。入ってきた男性も声を上げ、サバーナに飛びついていく。二人は固く抱擁し、お互いの無事を喜びあうと、すぐに仕事の話を始めた。

 どうやらサバーナは各地の蔵に収めてある穀物や移動中の荷を、いつでも動かせるように指示を出したようだ。さらに連絡を密にするために連絡網の構築も指示していた。

 すっと、白の隊の青年がアルカディオのそばに来た。

「連絡網はこちらで補助します」

「ありがとうございます。僕のわがままを聞いていただけて、感謝しかありません」

「カテリーナ殿が興味を示しています」

 カテリーナという女性が今の白の隊の実質的指揮官だとアルカディオも聞いている。しかし顔を見たことはなかった。どこにいるかもしれない。それを言ったら、白の隊が総勢で何名で、どこで何をしているかだって把握していないのだった。

 青年はサバーナとその部下の元へ移動し、打ち合わせを始めた。

 結局、サバーナはアルカディオたちとともに東部の戦場へ向かうことになり、その日の昼前には街を離れた。

 東からやってくるものは引きも切らない。ほとんどがいつでも移動できるように野宿しているようだ。また、用心棒、傭兵のようなものも増えた。人相が悪く、いかにもな武装をしているのでそうと知れる。その点ではアルカディオたちは中途半端な姿をしていることになる。

 ともかく、先へ進むことだった。




(続く)

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