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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
111/155

1-8 商機と誤算

        ◆


 その男は部下を叱咤していた。

「とにかく買え! 買ってしまえ! 銀があるうちはな! いや、ツケにしてもいいから買え!」

 部下が駈け去っていくのを見ながら商人サバーナは溜息を吐き、街道にずらりと並んで一向に動かない人の列を眺めた。

 サバーナはソダリア王国東部の各地で商売をしていた。主に取り扱うのは穀物で、安く買い付け、高く売りつける、非常に単純で品のない商売をすることで商人たちの間では冷たい目で見られることもあった。

 剣聖騎士団が東部へ派遣されると聞いた時、サバーナは、商機の匂いを感じ取った。魔物が出るという噂もあり、その点ではまさか魔物に穀物を売ることはできないだろうから、より利益を得られる側を選ぶという選択をする必要がなく、決断は簡単だった。

 各地で穀物を買い占めるのに、サバーナは他の商人より一歩、先んじていた。しかも割高な値段で百姓たちから買い取っていた。百姓たちも東部に見切りをつけるものは、大胆に蓄えていた穀物を放出したので、サバーナの元には予定を上回る穀物が溜め込まれていった。

 しかし、穀物をまさか東部にある町々の蔵に置いておくことはできない。魔物に襲撃されれば容易に回収できず、もしかしたら失われるかもしれない。サバーナは自前の運送会社を総動員して、集めた穀物を東部から中部、南部へ避難させた。

 運送会社はサバーナが力を入れ始めた商売だったが、まだ大手には遠く及ばない力しかなかった。

 もしサバーナが臆病だったら、ここで少しずつ穀物を移動させるか、別の業者に助力を乞うただろう。

 しかしサバーナは違った。

 東部から逃げるに当たって仕事を失うものを次々と雇い上げ、運送会社に取り込んだ。本来的には荷馬車を使うので御者としての技能があるものがよかったが、サバーナはなりふり構わなかった。

 力があるものには穀物を入れた麻袋を担いで運ばせた。一人や二人ではない。最終的には数百人がこのサバーナによる穀物輸送に関係することになる。

 仕組みは簡単だった。彼らは雇い主のサバーナの直下の部下から、荷物と路銀を渡される。目的地が設定され、最低限の期限が切られる。あとはどの道を通ってもいいし、期限までに到着すればいい。早く到着したものには褒賞が与えられ、余った路銀もそのまま与えられた。

 こうして東部のそこここで、屈強な男たちが麻袋を担いで駆け回る様子が見られる事態になる。

 全てを差配しているサバーナは、しかし得意満面とはいかなかった。

 サバーナはこれが商機だと見た。

 しかし時間が経つごとに、商売などしている場合ではない、とも思えてきた。

 街道には民が溢れ、そこにいるものは家も土地も捨てて逃げているのである。彼らを見れば、金儲けなど無理だった。

 民のために何ができるか。

 そのことが徐々にサバーナの頭を支配していった。

 大量の穀物が手元にある。これを民に配ることはできる。しかし今ではないだろう。この混乱が終わり、東部地方が再び解放されたなら、その時にこそ必要になる。土地を再び耕し、実りを得るまでの間、百姓が食べることになるものがサバーナの手元にある穀物になるだろう。

 ただ、そんな光景が現実になるには、魔物を駆逐しなければいけない。

 サバーナは銭を動かすことはできた。荷を動かすこともできる。

 しかし剣は振れない。年齢はすでに五十になろうとしており、武術の経験などなかった。幼い頃から親には文字と算術を教え込まれ、遊びで棒を振ったのさえはるか昔だ。今は走ることにも苦痛を感じる。

 魔物を駆逐するには、サバーナは軍を応援するしかない。

 その発想が行動に至らないのは、街道を進みながら折に触れて目撃した、第五軍の兵士たちの様子だった。彼らはただ突っ立って、民が道を行くのを見ている。彼らは見守っているつもりかもしれないが、サバーナにはそうは見えなかった。

 自分が支援するのなら、実際に魔物を戦う部隊にしたい。

 第六軍が東部で陣を組んで魔物の主力を迎撃しているという噂は聞いていた。しかし、実際のところをサバーナは知らない。第六軍との接点を探ってはいるが、部下からの情報にはいい返事はなかった。

 どうしたものか。

 ただ穀物をかき集めて保管するのは、無駄ではないのか。

 サバーナがこの堂々巡りを続けている時、すぐそばで悲鳴が上がった。

 同時に、人のそれではない奇声が響き渡る。

「魔物だ! 魔物が出たぞ!」

 誰かが叫んだ。街道に並ぶ人たちが一斉に動き出す。前に後ろに、右に左に、人々がもみ合い、それも短いことで、街道から外れて人が逃げていく。馬が嘶き、竿立ちになっているのも見えたし、荷車が横転するのも見えた。

 サバーナは部下に「荷を守れ! 先へ行け!」と叫んだ。部下の数人は勝手に逃げたようだが、残ったものが荷馬車を動かし始め、一緒に行動している荷車を押し、曳き始めた。サバーナ自身もそれに続いて走る。

 くそ、くそ、と口の中で罵ったが、背後からは悲鳴が途絶えることはない。

 兵士どもは何をしているのか。何故、魔物を自由にさせる。剣で切り掛かって倒せ。それが仕事だろう。

 やがてサバーナは息が切れ、荷車と引き離された。

 一人になってしまう、という思いがサバーナの中で膨れ上がった。しかし、待ってくれ、とは言葉にしないで、ぐっと歯を噛み締めた。

 こんな商人一人より、荷の方が大事だ。

 それでもサバーナは走り続けた。死ぬ気はない。死にたくはない。

 すぐ背後で大きな悲鳴と鈍い音が重なる。

 後ろは見なかった。

 サバーナは息が上がっても、足を動かし続けた。

 つまずいても、つまずいても、先へ進んだ。



(続く)

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