1-10 昔話
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朝食の後、クロエスは僕と一緒に館を出た。
僕の手には水筒と食事らしいサンドイッチと果物が詰められた籠がある。サンドイッチは朝の残りのパンに、幾種類かの具が挟まれているもので、新鮮な野菜にハム、チーズなど豪華な内容だった。匂いからして美味しそうだ。
自分が不死と教えられるという理解を超えた状況でも、食欲というものが消えないのは不思議だ。
「ちょっと僕の話をしよう」
ゆっくりと館の裏手から山道を進みながら、先を歩くクロエスが話し始めた。
山道と言っても、石畳が所々に覗いているのだから、不自然というか不思議に思える。人が頻繁に行き来するようではないけれど、今は土に埋まっているだけで実際にはしっかりした道なのかもしれない。
「昔、王都にいる一人の錬金術師が、人造生命に最も近い錬金術師、と称されていた。その錬金術師はまだ若く、意欲に燃え、情熱は空気を焦がすほどで、寝る間も惜しめば食事をする時間も惜しんで、生命について研究を深めていた」
クロエスは振り返ることなく、歩を進め、淡々と言葉を紡ぐ。
「彼は一人の人造人間を生み出した。女性タイプで、年齢は少女の頃合いだ。既存の思考回路に改良を重ねて、感情に限りなく近いものを与えてもいた。声は出せないが、感情が覗く表情らしいものはあった。それを彼は堂々と学会で発表した。賞賛するもの、援助を申し出るものもいたけど、批判的なものもいた。人造人間になぜ感情を与えたか、と詰問された時、その錬金術師は丁寧に答えたものだ。「人に感情が与えられたのと同じ理由です」とね」
小さく、クロエスが笑った。
何かを哀れむような、突き放すような、表現しづらい声の漏れ方だった。
少なくとも、昼の日差しが差し込む森の中には不釣り合いなほど、薄暗い声の調子だった。
「その錬金術師はさらに研究を重ねた。いずれは錬金術師組合の頂点に立つとか、いや、王国議会の議員になるんだとか、世間の見方はさまざまだったけど、少なくとも成功者の道をまっすぐに走っていたはずだった」
すっと日差しを遮るようにクロエスが手で庇を作る。
「光が射せば、必然、影ができる。彼はその影に飲み込まれた」
風が吹き抜け、梢が揺れる。周囲を大勢の聴衆が取り囲んでいるような錯覚があった。草いきれは、どこか人いきれを連想させる。僕はそんなに大勢の人に会ったことなんてないのに。
「ある時、警察が錬金術師を拘束した。警察は人造人間の密売の嫌疑、および、生命倫理に関して王国法に違反している、という逮捕令状を持っていた。抵抗する間もなく、彼は手錠をかけられ、警察署に移送された。取り調べの中でわかってきたことは、どうやら彼が作った人造人間が愛玩用に密売されているということだったが、もちろん、その錬金術師は何も知らないし、そもそも製造方法の一部は未公開だった。錬金術師は考えたよ。必死に考えた。このまま警察と議論を重ね、裁判官の前で弁明し、罰金か、禁固刑か、労役か、そんなところだろうが、そういう無駄を許容できるのか。その間、研究は完全に停止するし、刑罰を終えて社会に戻ったとしても、他の研究者たちとの溝は、人間関係云々以前に、技術的に決して埋められる溝ではなくなる。どうするのが正解か。答えはひとつだ」
足を止めて、クロエスがこちらを振り返る。
唇はゆるい弧を描いているけど、目元はもちろん、眼帯で隠れている。
「その錬金術師は、逃亡した。並大抵の苦労ではなかったし、金銭のために自分の両目を差し出した。ついでと言ってはなんだが、自分を奈落に落とした間抜けどもにも復讐しておいた。こうしてその錬金術師は、大陸での居場所を失ったのさ」
「それが、クロエス先生ですか?」
「そうかもね。もしかしたら僕の知り合いかもしれないけど。ともかく、錬金術師は人造人間への夢を捨てられなかった。長い時間がかかったけど、結果は実を結び始めてきたわけだ」
何気ない言葉。
その奥に。
目の前にいる人物の業のようなものが、垣間見えた気がした。
この人はきっと、社会や国家、法や常識はどうでもいいし、倫理さえもどうでもいいんだろう。
自分が志した道、遠くに見える目標だけの世界を生きている。
僕もその過程の一人ということか。
「もう少しだ。先へ進もう」
再びクロエスが前に向き直る。
クロエスの後を追っていくと、巨大な石柱が見えた。彫刻が施されている柱が幾つも並んでいる。全部で十本以上あるけど、半壊しているもの、倒れているものも多い。そして全てが蔦やその他の植物、苔に覆われて緑に変わっていた。
周囲は樹林だったのが、今、目の前には壁のように崖がそびえている。
「カル・カラ島には、奇妙な伝説があった」
そうクロエスが言った時、僕はそれに気づいていた。
古い石畳は崖にぽっかりと口を開ける洞窟へ通じている。
僕たちが進んできた道は、まるで、そう。
これは参道だ。
「カル・カラ島にある伝説。それは、千年を超える時を生きる、龍の生き残りがいるという伝説だ」
「龍……?」
「伝説さ。はるか昔、この世界へ侵攻した魔物とその王を人間が討ち払った時、龍は人間に協力した。そして戦争の終結の後、いずこかへと去った。地の果て、空の果て、天の果てにね。これくらいは覚えていない?」
すみません、と僕が恐縮すると、気にすることはない、とクロエスは笑った。
「だって、全ては伝説だからね。ちなみに魔物の王を討ち払った伝説には、聖剣が登場する。その伝説上の剣が、今も残っている四本の聖剣だという話だよ。僕は一部を眉唾だと思っているけど。それにしても、誰が聖剣を打ったのか、どうやって打ったのか、いつから存在するのか、それを知っているものには残念ながら会ったことがない。面白いね」
話が脱線したのに気づいたのだろう、クロエスが咳払いした。
「ともかく、カル・カラ島には、龍の一体が島の中央の山の中で眠っている、という伝説があった」
「もしかして……」
言いかけた僕を黙らせるように前方、洞窟の方から強い風が吹き寄せた。髪の毛が乱れ、服の裾や袖がはためく。
僕が足を止めると、クロエスも長い上着の裾をなびかせながら足を止めてこちらに向き直った。
「ここにその龍が眠っている、というわけさ」
僕たちは岩壁の前に立ち、今、洞窟の入り口を前にしていた。
龍か。
からかわれているようではないけど、容易には信じがたい。
でも僕の身の上に関わることなのだ。
不死という謎が龍とつながっているということだろうか。
行くよ、とクロエスが前を向いて、洞窟の闇に入っていく。
唾を飲み込んで、僕は彼の背中を追っていった。
(続く)