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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
109/155

1-7 戦況


       ◆


 ファルスを出迎えたローガンは、不敵な笑みを浮かべたが、やや憔悴している様子だった。

「隊長だけ休暇とは、羨ましい限りですな」

 皮肉に「退屈だったよ」と答えてから、すぐにファルスは状況の説明を求めた。

「どうも魔物の数が増えている。北にも南にも進出しています。我々に戦力を集中されても困るところですがね、無視されるのもそれほど面白くはない」

「第五軍が動いているそうだ」

 え、とローガンが目を丸くする。

「どこからの情報ですか? 第五軍はどこで何をしていると?」

「さる高貴なお方からの告げ口だ。第五軍は南部を中心に、逃げてくる民をまとめながら、魔物から守っているそうだ。俺たちの援護にも一部は割いてくれるだろうが、とりあえずは第六軍が俺たちの後詰ということになる」

「本当の戦争らしくなってきましたね、ファルス殿」

「勝つか負けるかの、生存競争さ。何がなんでも勝たねばならん」

 その通りです、とローガンが頷く。

 遅れてカスミーユがやってきた。ファルスから事情を聞きたかったのだろうと判断し、ファルスは包み隠さず話した。ハイネベルグ侯爵のことはもちろん、ベッテンコードの死去と、新たなる剣聖のことも。カスミーユは初めて聞いたはずだが、この女性がその程度で狼狽することもなかった。

「ままならないとはまさにこのことだな」

 それがカスミーユの偽らざる本音だっただろう。

「最近の魔物のことは聞いているか」

 逆にカスミーユが質問を向けてきたので、ファルスは肩をすくめて「休んでいたもので」と答えてみたが、これは失敗だった。カスミーユが射殺すような目でファルスを睨みつけると、低い声で応じた。

「魔物が群れを形成し始めている。私が見た限りでは、五十体程度の集団が幾つかあった」

 ファルスは言葉に詰まって、応じるのに不自然な間ができた。

「五十体って、予備隊の半数と同等ということですか?」

 ファルスは軟禁されている時、人間五人で魔物一体を安全に倒せると予想していた。

 しかしカスミーユが言うことが正しいなら、人間の兵力が二五〇、必要になる。しかも魔物の群れがいくつもあるということは、数は途方も無い大きさになるだろう。仮に集団が五つあれば、人間の側には千人規模の実戦部隊が必要になる。しかもそれが用意できなければ、戦闘の継続はそのまま人間側の極端な兵力の減少につながり、やがては戦闘の続行が困難になる。

「五十体程度なら」カスミーユがなんでもないよう狼狽するファルスに応じた。「赤の隊で対処できる。馬の疲弊が最大の不安だが、少なくとも突撃力、魔法による遠距離攻撃で支えられる。しかしどうも、事態はさらに悪くなりそうだ」

「これ以上、不安にはなりたくないですが、聞いておきます」

「山の上から、魔物の喚き声が聞こえるのだよ。どよめきと言っていい。この辺りでは聞こえないだろうが、赤の隊は安全地帯で休むことはほとんどできていない。闇の峰の麓にいると時折、地鳴りのような音がしてそれがどうも、魔物の咆哮が重なり合ったものらしい」

 地鳴りに聞こえるほどとなると、数を想像するのは難しかった。

 決して少なくはない、と誰もが想像するだろうし、見当はずれなわけもない。

「態勢を整えないといけませんね」

「当然だ。この陣地がとりあえずの防衛線になる。予備隊の戦いに期待するよ、従騎士殿」

 ポンとファルスの肩をたたくと、長居した、という言葉を残してカスミーユは離れていった。すぐに騎馬隊を動かし、押してくる魔物を粉砕するのだろう。

 すれ違うようにしてイダサがやってきた。笑顔を浮かべているが、イダサも顔色が悪い。いや、土気色のような、見ている方が不安になる顔色だ。

「無事に解放されてよかった、ファルス」

「ハイネベルグ侯爵が動いてくれなければ、戻ってこれなかったよ」

「あの方がこちらにいらしているのか。そうか、ソダリア王国も本気になっているんだな」

「それはちょっと違うかもしれない」

 首を傾げるイダサに、ファルスは慎重に言葉を選んだ。

「ハイネベルグ侯爵は本気だろうが、国全体がどうなっているかは不明なんだ。実際、俺たちの後詰には第六軍しかいないし、その第六軍もどうやら非協力的だ。ソダリア王国はまだ一つになっていない」

「なら、僕たちは時間稼ぎをすればいいわけだ」

 おいおい、と思わずファルスは声を漏らしてしまった。

「剣聖騎士団だけで魔物を食い止めるのは、至難だよ。数は拮抗しているが、カスミーユ様の話では、それも今だけのことらしい」

 悲観しても仕方がないさ。

 イダサはそう言って笑う。

 不思議な男だと、ファルスは改めて思った。

 楽天家というのとはちょっと違う。イダサはむしろ、粘り強い性格で、耐えることを知っているように見える。

 ベッテンコードのことを伝えていないと思い至り、ファルスはそのことをイダサにも伝えた。

「ベッテンコード様が亡くなられたか。そうか……」

 ファルスもイダサも、剣聖騎士団に入ってすぐに、彼から剣術の手ほどきを受けた。短い期間だったし、とても二人はベッテンコードには歯が立たなかった。その人格には問題があったが、紛れもなく達人だった。

 そんな人物が亡くなったと聞かされても、正直、実感がわかないのはファルスもイダサも同じなのだった。

「僕は任務に戻るよ」

 そのイダサの言葉に、ファルスは頷いた。

 イダサが何をしているかは知らないが、緑の隊はひたすら怪我人の治療に追われているだろう。魔物から受けた傷は腐敗するため、治療が難しいと聞いている。肉を抉る必要がある、という背筋が凍るような話も聞いているが、ファルスはイダサにはそのことを確認しなかった。

 ただ、別のことが口をついた。

「イダサ」

 歩み去ろうとする友人を、ファルスは思わず呼び止めていた。

「なんだい?」

 足を止めて振り返った青年は、どこか暗い雰囲気を漂わせている。それは今までにはなかったものだ。

 少し言い淀んだのは、ファルスは瞬間的に自分が何を言おうとしたか、失念したからで、不思議そうなイダサを前にファルスはとっさに平凡なことを口走った。

「お前も少し、休んだ方がいい。戦いは長引きそうだ」

 冗談だと理解したのだろう、イダサも笑みを見せた。ただ、やや力の入っていない頼りない笑みだった。

「休んでいる間はないよ。ファルスもだろう」

 そうだな、としかファルスは言えなかった。

 友人の苦労、疲弊をどうしてやることもできない無力感は、魔物を食い止められない無力感より、実際的であり、迫ってくるものがあった。

 見知らぬ誰かの疲弊より、よく知る友人の疲弊に心動かされるのをファルスはどう解釈していいか、わからなかった。非情だろうか。甘いだろうか。

 答えが出ないまま、またね、と手を振ってイダサも今度こそ去っていく。

 ファルスにも仕事があった。魔物どもを押し返さなくてはいけない。

 一歩踏み出そうとした時、またも地面が前触れもなく揺れ始めた。立っているのが難しくなり、ゆっくりと片膝をついたが、地震は徐々に弱くなり、そして消えた。

 まったく、この世界はどうなってしまったのか。ファルスはぼやきたいところをグッとこらえた。

 まるで、世界の全てを支配する何者かが、この世界を人間から取り上げ、魔物に与えようとしているかのようだった。

 そんな何者かなどの存在を信じるファルスではないが、もしいるとすれば罵倒してやりたかった。

 立ち上がったファルスは幕舎を出て大股に自分の馬の方へ歩いて行った。馬だけはいつも通りにファルスを迎え、首を差し出してくる。その首を撫でているうちに、ファルスも少しずつ自分が落ち着いていくのを実感した。

 焦ってはいけない、苛立ってもいけない。もちろん、自棄になってもいけない。

 とにかく今は粘ることだった。どこかで状況を打破するきっかけがあるかもしれない。今はまだ、人間たちは状況のすべてを正確には把握できていない。

 もっとも、意味もなく戦うのは愚策だ。

 魔物の中心を探ることである。伝承の通りなら、魔剣の所在が是非知りたい。

 魔剣の所在がわかれば、次には破砕剣の持ち主を何としても安全に、無事に、この場へ引っ張って来ることになる。そこは白の隊が動いているようだから、任せていいだろう。

 剣聖騎士団の本来の役目が本当に魔剣の破壊にあるというのなら、できることならファルスはこの場の戦闘の全てを第六軍に任せたいとさえ思っていた。

 剣聖騎士団は戦闘力があっても、小勢だ。あまりにも少数だった。

 予備隊の編成がおおよそ間に合ったために今があるが、もし予備隊がなければ、今の段階での状況はもっと酷かっただろう。

 幸運、と取るべきべきだろう。

 一度、息を細く吐いてから、ファルスは自分の馬を引き出した。鞍はつけたままにしてある。

 鞍にまたがって、励ますようにファルスは馬の首筋を軽く叩いた。

 戦いの終わりはまだ、見通せなかった。



(続く)

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