1-5 また一人
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アルカディオたちは白の隊の隊員の先導の元、一路、東へと向かっていた。
しかし思わぬ事態に遭遇してもいた。
街道を大勢が移動しているのである。大半のものは大荷物で、南部の港で見たような荷物を満載した荷車も多い。それが道を塞いでいて、荷馬車が立ち往生しているところもあった。
ある時など、アルカディオたちが休憩しているところへやってきて「東へ行くのはやめておけ」と忠告するものも現れた。
アルカディオとしては大陸に初めて来たこともあり、興味が勝って、それとなく話を促していた。ルーカスは不機嫌そうだったが、アールとリコもさりげなく興味を示し、アルカディオを止めなかった。
「あんたら、魔物の話を知らんのか」
「いいえ、知っていますが」
「知っていて東へ行くとは、どういうことだ。兵士になるつもりか? 傭兵かね?」
「まぁ、そのようなものですが、無謀でしょうか」
男は胡散臭そうにアルカディオたちを見たが、全員が武器を身につけていることで何かを推察したようで、より一層、顔を歪めた。
「無謀も何も、何でも剣聖騎士団が出動したが、すでに魔物の群れに粉砕されて散り散りらしいぞ。剣聖などと言いながら、何もできなかったというわけだ」
これには思わずアルカディオはルーカスの顔を見てしまった。そばにいるものではルーカスが一番、剣聖騎士団の実際を知っているからだ。アールやリコはほとんど何も知らないに等しい。
アルカディオの視線を受け、ルーカスは眉間のシワを深くしたが、無言だった。余計なことを言って混乱を深刻にしたくない、という表情にアルカディオには見えた。
結局、声をかけてきた男は徹底的に剣聖騎士団を痛罵してから、荷物を抱えて去って行った。
「事実ではないはずです。剣聖騎士団は決して、そのような惰弱な集団ではない」
移動を再開して、すぐにルーカスがアルカディオのそばに進み出て耳打ちした。アルカディオは「もちろんです」と頷いた。ルーカスを疑う気はない。ベッテンコードのこともある。彼が鍛えたという集団が、容易に敗れ去るとは思えない。
「アルカディオ様」
街道の只中で、不意に並んできた若い男がアルカディオに囁いた。ぎょっとしてそちらを見ると、商人体で、どこにいても不思議ではない男だったが、身のこなしが普通ではないと一目でわかった。
外見はおそらく、わざと商人体に見せているのだろう。
姿と動作のズレが暗に、白の隊のものだ、と告げているのだ。
アルカディオが前に向き直ると、男は静かな口調で言った。
「東部では第六軍が到着し、とりあえずの防壁は確立されました。しかし魔物の数が増えています。ソダリア王国軍の姿勢は防御に徹しており、事態を解決する構えではありません」
「そうですか」
少し悩んだが、アルカディオは堪えきれずに噂の真偽を確認した。
白の隊のものは「噂にすぎません」と素っ気なく応じた。
「剣聖騎士団は今も戦闘の最前線にいます。まだ十分な戦力を維持しています」
「あなたたちを疑う気はありませんが、どうやって情報を伝達しているのですか?」
「早く、長くを駆けるものがいます。馬では進めない場所を進めますし、馬よりも人の方が粘り強いのです」
白の隊がそういう性質のものだとはアルカディオは知らなかったが、目の前にいる男の言葉が冗談や虚偽とは思えなかった。
「僕たちは情報を集める手段がありません、今後もよろしくお願いします」
その言葉に、もったいないお言葉です、と言ってから男は歩調を早め、自然に見える範囲で足早に離れて行った。
「足が速いものが大勢いるとはね」
今度はアルカディオにアールが並んできた。アルカディオと白の隊のものの話を聞いていたのだろう。
「いろんな人が世界にはいるのですね」
「まぁ、俺もやろうと思えば、丸一日は走り続けられるかもしれない」
「えっ、そうなんですか?」
冗談だよ、とアールはアルカディオの肩を叩き、すぐに後ろから付いてくるリコの方へ戻っていった。そのリコは周囲を確認しながら歩いている。ルーカスも似たような姿勢だ。のんびりしているのはアールとサリースリーだった。
その日の夕方、アルカディオたちは街道の脇で集団を作っている群衆の端の方に混ぜてもらい、火を囲んだ。
ソダリア王国の東部からは人々が大移動を始めており、街道のそこここで夜を過ごす集団が形成されている。アルカディオたちはそれらに進んで混ざっていた。離れたところにいると目立つということもあるし、これはルーカスが反対したが、アールとリコの意見で市井の様子を見ておくべき、という主張があった。
白の隊から情報が入るとはいえアルカディオたちはあまりにも事情を知らなすぎた。
いつから魔物が出るのかも分からなければ、どこまでが魔物の襲撃に晒されているかもわからない。戦場のことは断片的にわかっても、他のところは全く不透明だった。
例えば、軍の一部は民を守っているのか、ということさえもわからないのだ。
夜になると大勢が集まり、アルカディオたちのところへ顔を出すものもいる。初対面だが、火に当たらせてくれ、というものもいれば、物々交換を求めてくるものもいる。中には食料を売ってくれ、というものもいる。
食料を分けてくれ、という言葉にはアルカディオたちもほとほと困った。最低限の食料しかなく、白の隊のものが時折、補給しているのだ。銀はあるが、現状では銀は何の意味もなかった。
そんな中である夜、アルカディオたちが火を囲んでいるところへ、大きな影がさした。
全員が顔を上げる前に立っていたのは、見上げるほど背の高い人物で、最初、アルカディオは男性だと思った。しかし降ってくる声が澄んだ高い音をしているので、女性だと遅れて理解した。
「あなたたち、傭兵かい? 東へ行くんだろう?」
「そのようなものだ」
ルーカスが代表して答えたが、不機嫌そのものの声を女性はものともしなかった。
「腹は減っていないかい。食べるかい?」
女性が膝を折り、ルーカスの前に包みを差し出す。いらん、とルーカスが拒否したが、何か、女性から感じる力強さに興味を惹かれ、見てもいいですか? とアルカディオは声を出していた。
女性が嬉しそうにアルカディオを見ると「見るだけじゃなくてもいいよ」と包みを差し出す。
受け取った包みの中には握り飯のようなものがあった。握り飯を焼いてあるようで、焦げ目が付いているのが薄暗い中でも見えた。中身はわからないが、うまそうな匂いが微かにする。
アルカディオは空腹を急に意識しながら、しかし、ルーカスが断ったものを食べていいものか、逡巡した。
だから、この時にアルカディオの腹の虫が鳴いたのは、全くの偶然だった。
全員の視線が集中するのに頬が熱くなるのを感じながら、「一つ、いただきます」と正直にアルカディオは握り飯の一つを手に取った。それをきっかけにしたように、私も、俺も、とリコとアールがそれぞれ一つを手に取り、最後の一つはルーカスが手を伸ばす前にサリースリーが「もらおう」と掠め取って行った。
四人が食べているのを微笑んで眺めていた女性が、名乗り始めた。
「私はターシャというものだ。食べてもらって分かっただろうが、料理には自信がある。だけど、腕にも自信がある。どうだい、私を仲間に加えちゃくれないかね」
握り飯を食べている四人が喋ろうとしないので、恨めしそうにルーカスが渋々答えた。
「握り飯の事は感謝するが、しかし遊びに行くわけではない。俺たちは戦いに行くのだ」
「そんなのは百も承知だよ。私だって誰でもいいから仲間になりたいわけじゃない。あんたらはどこか、腕が立ちそうだからね」
「何故、戦場へなど行こうとする。安全な場所で、料理でもしていればよかろう」
「女でも武功を挙げられることを示したいのさ」
女でも武功、という言葉にわずかにリコが微笑んだのが、焚き火の灯りでよく見えた。ターシャもリコに笑みを見せる。アールは我関せずという態度で、ルーカスは否定的なまま。アルカディオはじっとターシャを見て、ターシャはアルカディオに頭を下げた。
「どうか、この通りだ」
アルカディオが言葉を選べないでいると「朝に決めたら良かろうよ」と不意にアールが口にした。ルーカスが結論の先送りを否定しようとするが、ターシャは「じゃあ明日の朝だね」と言うなり、すっと立ち上がり、「ではね」と離れていってしまう。
結局、明日の朝に決めることになったが、ルーカスが議論をしようとするのにもアールが「全ては朝だ」と突っぱねて、妙な空気になった。さすがにルーカスが色めきだったが、今度はリコがなだめる役に回り、結局、明朝に決定する、というアールの意見が通った。
この夜、騒動があった。
明け方、不意に馬が嘶き、全員が目を覚ました時、ルーカスの荷物が消えていたのだ。この時には寝ずの番としてアールが起きているはずだが、彼は他のものと同じ時に起きた様子で、つまり、眠っていたようだった。
ルーカスが激怒したが、アールはあまり責任を感じているようではなく、それがさらにルーカスの怒りをあおっていた。今度ばかりはリコも無言で、アルカディオが宥めるしかなかった。
だが、事態は妙な展開を見せた。
日が昇った頃、ターシャが戻ってきたのだが、一人の男を連れていた。三十代くらいの小柄な男で、着ているものはいかにも汚れていた。
ターシャは男をアルカディオたちの前に突き出すと、抱えていたものをルーカスに放り投げた。
受け取ったルーカスが瞠目したのは、それが自分の荷物だったからである。
「盗人は捕まえて、荷物も取り返した。どうかな、私を認めてもらえたかな」
堂々としたターシャの言葉に、ルーカスは言葉を失い、アールは「やあ、これで俺も責められずに済む」などと口走っていた。それをリコが睨みつけているが、無言である。
荷物を盗んだ男はアルカディオが解き放つと決め、卑屈そうな顔で頭を下げて南へ向かうのを見送った。ルーカスは男を罰したいようだったが、生真面目な彼は自分にはその権利がないことを考えたようだった。私的に罰するのは彼の好むところではないらしい。
それに荷物をまんまと盗まれたことに恥ずべきものを感じてもいたのだろう。
朝食の後、一人が増えたアルカディオたちは北東方面へ伸びる街道を進んだが、昼前にアルカディオは、ちょっと、とアールを呼んだ。口笛でも吹きそうな調子のアールがアルカディオに並んでくる。アルカディオは慎重に声量を調整した。
「アールさん、わざと荷物を盗ませて、ターシャさんに捕まえさせましたね?」
アールは表情をわずかも変えず、もともと糸のように細い目の、その目尻を下げた。
「さて、何のことですか。俺は昨日の夜、迂闊にも眠ってしまい、ルーカス殿の大切な荷物を盗まれかけたんですよ。それが事実です」
思わず笑い声をあげてから、アルカディオは「そうしておきます」と話を終わりにした。
それからすぐ、昼食の休憩となり、一同が車座に地面に座り込んだ。暖かい気候の日で、風も穏やかで、日差しが全てを照らし出していた。
最初、誰もそれが地響きだとは気づかなかった。
徐々に音が大きくなり、瞬間、激しい地面の揺れが全員を揺さぶった時、アルカディオは危うく持っていた器を落としそうになった。
揺れは更に激しくなり、全員が立ち上がることもできず、膝をついた姿勢で身構えて揺れが収まるのを待った。
地震はいやに長く感じられたが、終わってみると、しかし揺れる以前と大きな変化はなかった。「どうも地震が多いのが気がかりでね」
一行の中で唯一、大陸に元からいた人物であるターシャの言葉に、そうですか、とアルカディオは答えるしかなかった。
まるで何かが地面を揺さぶっているようだな、とアルカディオは考えていた。
地中の深いところで、何かが激しく暴れているようだ、と思ったのだ。
軽い食事が済むと、行きましょう、とリコが最初に立ち上がるのに、アールが続き、ルーカスも立つ。ターシャもそれに続くが、サリースリーは東の方をじっと見ていた。
「サリースリー?」
アルカディオが声をかけると、少女の姿の人造人間は感情のない顔つきで、「なんでもない」と答えた。
答えたがしばらく視線は東に見える山脈の方に据えられていた。
(続く)




