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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
106/155

1-4 後退

       ◆


 魔物の群れが北に位置する左翼を直撃した、という報告をファルスはローガンと打ち合わせをしている時に受けた。

「群れの規模は」

 即座に問いかけると「三十体ほどです」という返事があった。

「手加減されてますね、隊長」ローガンが笑みを浮かべつつ言った。「我々が一〇〇人程度の小勢だと理解されているようです」

「大群にもみ潰されるのは望むところじゃないな。ローガン、右翼をまとめてくれ。左翼には俺が行く」

 それだけのやりとりで二人は今後の方針を共有した。

 ファルスは馬に乗り、直下の部下と共に左翼方面へ駆ける。

 しかし事態は予想より深刻だった。左翼全体の動きが滞り、最も北に位置する隊は魔物に群れに半包囲されていた。

 ファルスと直下の部下四名がそこに突入し、魔法と剣で魔物を打ち払っていくが、負傷者が目につく。ここで治療を行える段階ではないし、そもそも、左翼をもう一度、立て直さなければならない。

 今の剣聖騎士団予備隊は、魔物が多く出没する一角を抑えているにすぎない。

 抑えないよりはマシだから抑えているが、すでにファルスの元にはソダリア王国の東部の各地で魔物が出現しているという情報が届いていた。それも確度の高い情報が、いくつも。

 どこかで剣聖騎士団より数が多く、強力な兵力にここを任せなくてはいけない。

 第六軍がすぐそばまで来ているというが、伝令は来ない。

 まさか剣聖騎士団を見捨てるわけもないが、ここで留まり続けるのはすでに自殺行為だった。

 いずれは壊滅するとしても、今はその時ではない。

 それがファルスの考えであり、ローガンと同意したことだった。

 左翼の魔物三十体は打ち倒したが、後から後から少数の群れで魔物がやってくる。

「鉦を打て」

 ファルスは部下の一人に指示を出し、魔法で生み出した劫火で魔物の群れを一つ、消し飛ばす。

 鉦が響き始めると、遠くでも同様の音が聞こえてきた。南、右翼方面だ。

 後退を指示する鉦である。もっと浮き足立つかと思ったが、剣聖騎士団予備隊は実に静かに、規律通りに後退を始めた。

 ファルスは殿軍に近い位置に止まったが、何度かすぐそばを赤の隊の騎馬隊が駆け抜けていく。それでカスミーユと部下たちが健在であることはわかる。

 彼女にもファルスが指示した後退の鉦は聞こえたはずだが、戦場を維持せよと直接に命令にやってこないということは支持しているのだろう。

 魔物と対峙し始めて一週間ほどが過ぎているが、魔物の数は増える一方だ。倒しても倒しても、新手がどこかからやってくる。いったい、どこでどうやって魔物は増えているのだろう。ファルスにはそれが疑問だった。

 まさか無尽蔵ということはないはずだ。

 しかし、いつになっても魔物は減らないのが現実だった。

 赤の隊の一部が騎馬隊で魔物の群れを粉砕して、さらに南へ向かう。ローガンはうまくやるだろうが、戦場に絶対はない。

 ファルスは半日、ひたすら魔法を行使し、剣を振るい、馬で駆け回り、どうにか日が暮れかかる前に剣聖騎士団予備隊の陣形を再構築することに成功した。

 予想外の展開もあった。

 後退した予備隊は、ソダリア王国軍第六軍の部隊と遭遇したのだ。第六軍は陣地を構築している最中で、そこへ予備隊が飛び込んだため、まるで予備隊が魔物を連れて第六軍の懐へ突っ込もうとしているように見るものには見えた。

 もっとも、まさか仲間を討つわけにはいかず、第六軍は想定外の形で魔物との先端を開いた。

 負傷者が出たものの、魔物は打ち倒され、剣聖騎士団予備隊は久しぶりに安全な場所での夜を迎えたのだった。

 もっとも、ファルスはそうはいかなかった。

 集合した予備隊の将校と状況と今後について話し合おうとしたところへ、第六軍の軍団長と高級将校が直々にやってきたのだ。これは好都合だ、今後について会議ができる、と思ったファルスだったが、第六軍の面々の表情を見たとき、どうやらそうではないと気付いた。

 彼らの敵意に満ちた顔を前にすれば、誰でも悟っただろう。

「お前が予備隊の指揮官か?」

 第六軍の軍団長は、ファルスは名前を知らなかったが、露骨に腹を立てていた。

「ファルスと申します。救援、感謝いたします」

 この時はまだ、ファルスは彼らの怒りを甘く見ていた。

 軍団長は鼻を鳴らすと「責任はお前が取るのだな?」と告げた。

 責任? ファルスは初めて不吉なものを感じた。

「どのような責任でしょうか、閣下」

「予備隊が戦場を放棄した責任だよ、青二才め」

 戦場を放棄した、と言われてもファルスには即座に理解できなかった。撤退はしたが、わずかな後退に過ぎない。実際、まだこの場に剣聖騎士団予備隊の兵力は揃っている。

「閣下、私は……」

「抗弁は無用だ。軍法会議の場で十分に喋るといい」

 思わずファルスは一歩前に出た。

 言われのない咎で戦場を離れるわけにはいかない、と言おうとしただけだった。

 だが、彼が一歩を踏み出すのを知っていたように、軍団長のそばに控えているものたちが、一斉に剣を抜いた。これにはファルスについていた部下が反射的に剣を抜こうとしたが、きわどいところでファルスはそれを身振りで止めた。

「ローガンに指揮を引き継ぐように言ってくれ」

 これはファルスから部下への指示だった。まさに戦場を離れたくないと抗弁しても無駄だと悟ったのである。

 ファルスはそのまま、第六軍の軍団長とともに予備隊の元を離れることになった。

 当然、ファルスの武器は没収され、具足さえも取り上げられた。拘束されなかっただけでもマシだな、とファルスは嘆息しながら考えていた。

 剣聖騎士団予備隊はローガンの指揮下に入り、赤の隊はカスミーユが自在に動かし続けたので、戦場においては大きな混乱は起こらなかった。

 戦闘は休みなく続いたが、第六軍は防御に徹することになる。

 この時の剣聖騎士団と第六軍は、同じ戦場にいながらまるで統一感を欠いていた。



(続く)

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