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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
104/155

1-2 大陸へ

      ◆


 アルカディオにとって初めての船旅は、実に気楽で、実に明るい日々だった。

 海が荒れると言われていたが、不思議と晴天が続き、風さえも穏やかだった。覚悟していた船酔いもないし、大抵の時間を甲板に出て周囲を眺めて過ごした。

 時折、鳥がすぐそばまで来て滑空し、海に飛び込んだかと思うと嘴に魚を咥えて空へ戻っていく。あの鳥はどこから来たのだろう、とアルカディオには不思議だった。魚を食べれば腹は減らないはずだが、しかしまさか、飛び続けるわけにもいかないだろう。どこかで羽を休めているはずだが、水平線に島影などはない。

「鳥が気になりますか」

 ある時、飛び去っていく鳥を見ているアルカディオに、アールが声をかけてきた。

「どこで休むんだろうかと思って」

「鳥というのは、どこまでも飛ぶものだよ」

 訳知り顔でアールが言う。

「鳥の中には、大陸の端から端までを飛び続ける鳥もいるというから。渡り鳥というらしい」

「その鳥は休むことがない?」

「飛びながら眠るかもしれない」

 このアールの言葉に思わずアルカディオは笑ってしまったが、アールも笑っている。その笑顔を見て、アールの言葉を信じないアルカディオがアールには滑稽かもな、と思ったりするアルカディオだった。

 アルカディオの無知は、さぞ滑稽だろう。

 ともかく、このようにのんびりとした日々が半月ほど続いた。

 激しい風が吹いた夜が明けると、アルカディオたちに陸地が見えたという話が伝わってきた。他の乗客たちも甲板へ上がっていく。アルカディオも甲板の一角で、遠くに見える島影を確かに見た。

 ついに大陸にたどり着いた。

 アルカディオの心に生じたのは安堵でも高揚でもなく、どこか重たい緊張だった。

 ベッテンコードの代わりとして自分は大陸へ渡るのだ、と思うと、その重責は荷が勝ちすぎるように思われる。

 ベッテンコードがその技量と意志によって剣聖の座を長く務めたことは、旅の間にルーカスが時間をかけて話してくれた。大勢の弟子を指導し、また自分の技を磨き、唯一無二の使い手であったベッテンコードは、アルカディオとはまるで違う。

 アルカディオは剣聖かもしれないが、ベッテンコードとは経歴がまるで違うのである。

 そもそも人ではなく、人造人間なのだ。それも、だいぶ風変わりな人造人間。

 風変わりで済ませて欲しい。アルカディオはそう思ったりもする。

「そのように青い顔をされる必要はありません」

 不意に横から声がして、そこにはルーカスが立っていた。こちらに少しだけ微笑みを見せている。彼の表情の変化は怒りや苛立ちは明確だが、笑顔などは極めて控えめなのだ。

「青い顔をしていますか? 元々、そういう顔なんですが」

「それは、失礼しました。強張ってはいますがね」

「ベッテンコードさんの代わりを務める自信がない、と言ったら、ルーカスさんはどう思いますか?」

「腹が立つでしょうね」

 あっさりとした言葉に、思わずアルカディオは「そうですよね」と答えてから、これはルーカスなりの冗談だったか、と思い至った。

「すみません。努力します」

 頭を下げるアルカディオに、ルーカスは姿勢を正した。

「剣聖の役目は時間をかけて覚えればよろしいかと。あなたの剣術は間違いなく一流です、それは私が保証します」

「ありがとうございます。僕は何も知りませんから、ルーカスさんが頼りです」

 お任せください、とルーカスはわずかに胸を張ってくれた。アルカディオを力付けようという仕草である。

 その日の昼過ぎに、船は港に到着した。港には人が大勢いる。何やら血相を変えているものもいるし、まさに今、カル・カラ島から大陸へ到着したばかりの船に乗ろうとしているものが多い。往復する定期便なのだが、カル・カラ島にそんな大勢がどうして渡ろうとするのか、不思議だった。

「こいつはどうも、おかしいね」

 荷物を手にアルカディオの後ろについて船を降りたアールが声をかけてくる。アルカディオはさりげなく確認してみた。

「人が多すぎますか?」

「まさにね。こんなに大勢の観光客というのは、見たことがないし、それにどうも観光に行く雰囲気でもない」

 港のそこここに大きな荷物を抱えているものが見受けられる。中には家財道具が積まれた荷車まであった。それを載せるには大型の船の船倉を借りる必要があるのは間違いない。

「事情を聞いてきましょうか」

 一同で船を降り、少し離れた開けたところへ移動してから、リコが控えめに提案した。アールも「俺もそうするとしよう」と言い出した。ルーカスが余計なことに首をつっこむなと言わないあたり、ルーカスも違和感を感じているのだ。

 だが、アルカディオたちのそばに不意に人が現れ、控えめに声をかけたことで、調べるまでもなく事情を知ることになった。

 その前に、その声の主に、危うくルーカス、アールが剣を抜きそうになったのだが。

「アルカディオ様ですね」

 その一言で二人が剣を抜ける姿勢を取り、さっとリコがアルカディオの前に移動した。

 のんびりしているのはアルカディオとサリースリーだけだ。

「何者だ」

 低い声で誰何するルーカスに、相手の男性は無表情に応じる。

「剣聖騎士団、白の隊のものです」

 白の隊? ルーカスが低い声を漏らすが、アルカディオも首を傾げてしまった。アールもリコも警戒を少し緩めたようだが、もちろん、油断はしていない。

 ルーカスが代表して問いを返した。

「白の隊がここで何をしている? アルカディオ様を迎えに来た、というわけではないようだが」

「迎えに来たという表現が正しいかと」

 すっと白の隊のものが間合いを詰め、これにはルーカスが本当に剣を抜きかけたが、これはアルカディオが身振りで静止した。それからさっと前に出た。これには白の隊のものも面食らったようだが、気配が一瞬揺らいだくらいで、表情の変化はわずかだ。

 すぐそばで、アルカディオは名も知らない相手の話を聞いた。話は他のものにも聞こえたはずだ。それくらいの声量だった。

「ソダリア王国の東部で、魔物が出現しております。剣聖騎士団はすでに展開し、戦闘を展開しています」

「魔物……?」

 アルカディオが目を見開くのと同時に、その背後ではアールとリコが首を捻っている。ルーカスも訝しげである。黒の隊のものも怪訝な顔だったが、唯一、サリースリーだけがあくびをかみ殺している。

 白の隊のものが話を続けた。

「剣聖騎士団予備隊も全隊が出撃しましたが、剣聖騎士団だけではもはや戦闘の継続は不可能です。実際に、魔物の出現は広範囲に渡っています。第五軍、第六軍が出撃し、魔物の封じ込めを企図していますが、反応はまだ鈍いのです」

「ちょっと待て」

 ルーカスが割って入ったが、アルカディオは止めなかった。アルカディオには知らないことが多すぎた。魔物が出現するというのはどういうことなのかも、すぐには見当がつかないのだ。

「魔物とは、あの伝承にある魔物のことか」

「おそらく」

「つまり、それは」

 ルーカスがわずかに言い淀んだが、彼は言葉を吐き出した。

「それは、魔剣が復活したということか」

「魔剣が実在するのか、実在するとしてどこに存在するか、誰も知りません、ルーカス殿。しかし、おそらく闇の峰ではないかと」

 闇の峰、とアルカディオは繰り返した。

 カル・カラ島でのクロエスの講義で、その名前は何度か出た。地理に関する講義でも出たし、伝承にまつわる講義でも出てきた。

 ソダリア王国の東部山脈の一角で、そこにかつて魔剣が封じられた、というのがまさに伝承そのものなのだ。

 アルカディオは横目でサリースリーを確認した。しかしサリースリーはそっぽを向いている。彼女なら何か知っているのではないか、とアルカディオは思ったけれど、今は話したくない、というそぶりと解釈しておいた。

 白の隊のものは、真面目な顔で言った。

「アルカディオ様が剣聖になられたことは存じております。これより王都へ向かうか、戦場へ向かうかは、お選びになれます」

 王都か、戦場か、か。

 無意識に顎に手をやりながら、アルカディオは相手の瞳を覗き込んだ。

 そこに何が見えるわけでもない。ただ、感情の残滓は見える。

 彼はどうして欲しいのか。どうするのが正しいと思っているか。

「僕が」

 アルカディオははっきりとした口調を意識した。

「僕が剣聖です。王都へ行く前に、魔物を打ち払うのが使命でしょう」

 反応らしい反応はなかったが、白の隊のものは頷きはした。

「支援していただけるのですね?」

 念を押すようなアルカディオの確認に、白の隊のものは今度ははっきりと、躊躇なく頷いた。

「指揮官であるカテリーナ殿からは、アルカディオ様を是が非でも戦場へお連れするように、と指示されております。これより、白の隊がアルカディオ様をお助けします」

 よろしくお願いします、とアルカディオが頷くのに、こちらへ、ともう白の隊のものは移動を始めている。

「せっかちだなぁ。地上でゆっくり休むはずだったんだが」

 アールのぼやきに、リコが脇を小突いている。ルーカスは緊張していて、サリースリーは眠そうだった。他の黒の隊の数人は、まだ状況が飲み込めていないようだが、気が緩んでいるようではない。

 しかし魔物か。

 アルカディオはベッテンコードのことを考えていた。

 彼はこの時のことを見越していたのか。

 例えば、年老いた自分では勝利は難しい、というようなことを。

 でも、とアルカディオは内心で思った。

 自分のような未熟者で、勝利を勝ち取ることが、果たしてできるのか。

 この疑問は決して口にはできない疑問だった。

 だが、この疑問はアルカディオの中で強く、繰り返し、反響し続けた。



(続く)

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