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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第三部 魔剣戦争
102/155

断章 遭遇

      ◆


 ユーラは木立の中を歩いていた。

 木々の群れで遠くは見通せないが、少なくともユーラと仲間たちが歩いている地面には、一筋の道が出来ている。ユーラが属する国境警備隊の巡回路である。

 他には五人の仲間がいた。しかしそのうちの一人は国境警備隊ではなく、よそ者だった。

「しかし」

 最後尾を歩くユーラの一つ先を行く隊員が笑いまじりに言う。

「昔話の化け物が実際に出現するかね」

 あまりふざけるな、とその先を行く隊員がたしなめるが、声にはやっぱり笑いが混ざっている。この任務の性質はそういうものなのだ。

 数週間前、国境警備隊に通報があり、見たこともない生物に襲われた、というのがその通報の内容だった。

 本来的な国境警備隊の任務は、他国からの侵略に対する最初の防波堤であり、後方へ可及的速やかに事実を通報することだった。国境警備隊には戦闘を展開するほどの頭数がない。だから異常を察知すれば、すぐさま中央へ走るのだ。

 なので、正体不明の襲撃者はおそらく人間で、それもこのソダリア王国の東部で国境を接する汗国の兵士ですらなく、どこかの盗賊か山賊が誤認されたのだろうと国境警備隊では決めてかかっていた。

 しかし、山の中に入り込まれると厄介だった。国境警備隊の隊員の数では、やはり全てを調べ尽くすのは難しい。

「錬金術士が生み出した人造生命かもしれんなぁ」

 さらにユーラの前にいる隊員が嘯く。

 これに一人が反論した。よそ者だ。

「錬金術士はそのようなことはしません。自分のやることに無責任なものは、錬金術士にはなれないのです」

 どうだかね、と国境警備隊の男は取り合おうとしない。

 このよそ者は剣聖騎士団の緑の隊の一員だった。ユーラからすれば、そして他の国境警備隊のものからしても、剣聖騎士団というのはあまりにも遠く離れた、名前しか知らない相手だった。

 剣聖騎士団という存在は知っている。少数精鋭で、総勢で一〇〇名ほどとも言われるが、一騎当千の兵の集まりだという。

 ただ、そういう伝説を聞いていることもあってか、緑の隊の男と初めて顔を合わせた時は、この男が本当に剣聖騎士団の男なのか、と首を捻りたくなった。

 中肉中背で、目つきは柔らかく、体は引き締まっているが、武術とは無縁に見えた。

 その対面の時、同席した国境警備隊の上級将校は「傷を負ったものは彼に治してもらえ」と発言し、それでユーラは、緑の隊は医者の集まりだと思い出した。

 剣聖騎士団は、剣聖騎士団だけで活動することが多く、外部との接点といえば調練の場になる。その例外が緑の隊で、各地に隊員を派遣し、実際的な医術と錬金術の訓練とともに、医療活動を行っているというのはユーリの耳にも入っていた。

 しかし、こう、もっと剣聖騎士団らしい無骨な人物を想像していた。

 ユーラは今、こうしてともに行動する段階になってもまだ疑っていた。怪我人は出ていないし、緑の隊の男がその技能を発揮する場もなかった。

 六人は一列になって森の中を進んでいく。湿った足音と、遠くで鳥がなく声が聞こえるだけ。季節はすでに冬で、木々の大半は葉を落としている。そう、深く積もった落ち葉が足音を消してしまうことを、ユーラは内心、気にしていた。

 通報にあったのは人間だろうから、知恵がある。まさか国境警備隊を襲う理由はないだろうが、覚悟はしておくべきだ。

 そう思った時だった。

 唐突に聞いたことのない奇声が響き渡った。

 国境警備隊のものが足を止める。この瞬間に剣を抜いていたのは、緑の隊の一人だけだった。

「おい、よせよ、猿か何かだろう」

 国境警備隊の、例の軽口の傾向のある一人がおどけたように言う。

 しかしあれが猿の鳴き声?

 経験上、ユーラは違うと思っていた。彼の故郷である農村では猿が頻繁に出没したが、さっきの奇声はまるで違う。

 六人が周囲を確認している間に、木々の枝がこすれる音が聞こえる。

 枝がこすれる? 風が吹いてもいないのに?

 顔を上げた時、それが目に入った。

「上だ!」

 全員が反応できたわけではない。ユーリの目の前にいた一人が逃げ遅れた。

 絶叫。

 何かがユーラの体に降り掛かり、すぐにそれが血液だとわかった。

 一人が体を半ば引き裂かれたいた。そしてその体に異形の生物がかじりついていた。

 身の丈は人間と大差ない。しかし全身が黒い毛で覆われ、爪が長い。頭髪は色とりどりで逆立っており、そこはどこか鳥を連想させる。

 口は耳のあたりまで裂けており、そこに並ぶ歯が国境警備隊の一人を今、まさに引き裂いていく。

 血飛沫の向こうで、真っ赤な瞳が細められた。

 愉悦、だろうか。

 それはユーラに恐怖しか与えなかった。

「下がれ、包囲するんだ!」

 声を発したのは指揮官ではなく、緑の隊の男だった。国境警備隊は完全に浮き足立っていた。それは実戦経験の差というより、血と死に慣れているかどうか、という部分だったかもしれない。緑の隊のものはこれまでに重傷者に接する経験を積んでいたはずだから。

 そんなことを推測しながら、ユーラはとっさに剣を抜こうとした。

 しかし手が震えて、力が入らない。

 化け物が獲物を放り捨て、血にまみれた姿のまま、身をかがめる。

 誰かが何かを叫んだ。

 ユーラにはどうでもよかった。

 強烈な衝撃に体が跳ね飛ばされ、地面に転がる。開けた場所などない、不自然に木の根元に衝突し、息がつまる。

「大丈夫か?」

 体当たりしてきた緑の隊の男の言葉に、ユーラはただ頷き、起き上がった。自分を食い殺す寸前だった異形の存在は、不愉快そうに唸っている。

 咆哮が上がる。

 化け物が跳ねた時、自然と体が動いた。

 剣を抜きざま、自分に振り下ろされる短剣のように長い爪を弾き返す。反撃されたことに反応したのか、化け物が大きく跳ねるようにして距離をとった。

「ここで仕留めるぞ!」

 その声は国境警備隊の指揮官のものだった。残った四名は全員がすでに剣を抜き、化け物を取り囲んでいる。

 ユーラもそれに加わり、緑の隊のものと並びながら、改めて目の前にいる存在を確認する。

 間違っても人間ではない。しかし、知識にある生物のどれとも違う。

 異形、という表現がこれほど似合うものはない。

 再び異質な生物が咆哮を上げたのが合図となり、国境警備隊の四人、そして緑の隊の一人が突撃する。

 多勢に無勢、ということもあっただろう。

 化け物は必死に抵抗したが、最後には四本の剣に刺し貫かれて、断末魔の悲鳴をあげると力を失い、倒れこんだ、

 しかし異常はまだ続いていた。

 倒れこんだ魔物の肉体はあっという間に乾き、塵となり、消えてしまった。

 そして、国境警備隊の男たちは苦鳴を漏らした。

 四人ともが傷を負い、その傷から煙が上がっているのである。

 それはユーラも例外ではなかった。彼は戦いの中で胸を引き裂かれおり、皮をなめして作ってある鎧は破れ、胸元は血でぐっしょりの濡れている。今、そこが焼けるように痛む。普通の痛みではない、火で焼かれているようだ。

 唯一、無傷だった緑の隊の男が治療を始める。

「俺たちは」

 ユーラのそばに腰を下ろした仲間が、ぼんやりとした声で言う。

「俺たちは、何と戦ったんだ? あれはいったい、なんだった?」

 わかりませんと答えたかったが、ユーラにはその余裕がなかった。

 あまりの激しい痛みに声が漏れ、姿勢を維持できずにうずくまる。仲間が声をかけてくるのも遠く感じる。誰かがそばへ駆け寄ってくる。緑の隊の男だろう。体が抱え起こされたようだが、もうそれさえもわからなかった。

 自分は死ぬのか、とユーラの意識の最後の一欠片は思った。

 こんなところで、何の役にも立たず、死ぬのか。

 何も聞こえなくなり、ついにユーラの意識は霧散した。


      ◇


 ソダリア王国東部の国境警備隊に配置されていた緑の隊の一員から、魔物の出現に関する情報が中央へもたらされた。

 剣聖騎士団は即座に行動を開始する。

 赤の隊、緑の隊、そして編成から間もない剣聖騎士団予備隊が東部に向かった。ソダリア王国の主戦力として、第六軍、第五軍にも出撃の勅命が発せられた。

 この時から、「魔剣戦争」と呼ばれることになる、小さく、しかし重大な一連の事態が動き出すことになる。

 しかしソダリア王国に、何が起ころうとしているのか、正確に把握しているものはこの時にはいない。

 占いという不確かなものを頼りに、全てが動き出していた。

 神秘がまだ力を持ち、神秘そのものも力を保っていた時代であった。



(続く)

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