3-11 父と娘
◆
冬の到来と同時に、ソダリア王国東部で地震が頻発し始めた。
いかにも不吉な現象だったが、市井の不安などより、国家の中枢、そして剣聖騎士団は別の意味で気を尖らせていた。
魔剣の復活は戯言ではない、ということが地震が起こるたびに何かから主張されているようだった。
もっとも東部にだけ目をやっていていいわけもなく、僕が指揮下に置いている緑の隊は二人一組で各地に配置されていた。リフヌガードの死で減った頭数も回復したし、それぞれの隊員の技能もあの頃に劣るものではなくなった。
緑の隊はまだ落ち着いている方で、カスミーユが率いる赤の隊は各地を駆け回っている。彼女の部下は強い打撃力を持つが、それは集団で行動した時に最も強く発揮される。だから隊をむやみに分割はできないのだ。
僕は日々のほとんどを剣聖府で過ごした。剣聖騎士団の全体を把握する仕事が、自然と僕に回ってきていた。カスミーユは不在で、ベッテンコードは行方不明、白の隊の従騎士カテリーナは一歩引いており、僕以外に妥当なものがいない。
それでも、時間の余裕はあり、僕は時間を見つけては実験室の一つに通っていた。これはずっと続けていることでもある。
実験室は、今は子ども部屋のようになっている。
僕が扉をノックするとその部屋の主人の澄んだ声がする。
「サリー、調子はどうかな」
部屋に入って真っ先にそうたずねる僕に、サリーダッシュはわずかに微笑む。
「どこも具合は悪くありません」
「食べたいものはあるかな」
「いつものもので構いません」
まだ言語表現には拙さもあるが、その声に含まれている意思は明確だ。
彼女はつと視線を部屋の奥へ向ける。
そこには一振りの短剣が安置されている。
緑の隊の隊員が揃って持つ短剣で、その短剣はリフヌガードの短剣だった。形見として、僕が回収してサリーダッシュに渡したのだ。
彼女は時折、それを見つめる。まるでそこにリフヌガードがいるように。
それから僕はしばらく、サリーダッシュと話をした。リフヌガードの計画ではサリーダッシュには教育を施し、どこまで人間に近づけるのか、近いのかを確認するはずだった。教育に関しては緑の隊に協力している科学者が教師役を担っている。彼らかの報告書を僕はつぶさに確認していた。
サリーダッシュの外見はやや成長しているが、それでも十四、五歳といったところ。思考も同程度には達している。
人造人間は幼い頃をすっ飛ばして完成される。つまり促成培養してあっという間に十年以上の成長を強制する。これがある意味では人造人間の知的能力の限界のはずだった。
サリーダッシュはその常識をある意味では破壊した。
人造人間にも学習能力はあり、成長する。
ただ、その成長には本来の人造人間の学習とは違う要素がありそうだった。サリーダッシュは得意不得意がある。学習態度にもわずかに差があるようだ。これが本来の人造人間なら、言われたことをただ覚え、教えられた動きをただ再現することになる。
つまり、サリーダッシュは優れてはいるが、本来の的な人造人間の能力は発揮できていない。
それが正しいか間違っているかは、はっきりしない。こういう時、リフヌガードが生きていれば、と思う。もしくはもうずっと会っていない、逃亡者となった友人がいれば、とも。
僕の手には余る。正直、無理難題だ。
しかし目の前に生命があり、知性があり、そして、娘のような存在がいる。それを蔑ろにすることは許されない。放り出すことも許されない。
彼女が僕や、僕たちをどう思っているにせよ。
不意に強く扉が叩かれた。肩を震わせたサリーダッシュが口をつぐみ、笑顔がこわばり、真顔へ変わる。安心して、というように頷いて、僕は返事をして訪問者を中へ入れた。
声で気づいていたが、緑の隊の一員で、最近は僕のそばで働いているものだった。ミューラーをそばに置く計画もあったけど、ミューラーは現場の統括の必要があり、王都を離れている。
隊員は僕に歩み寄ると耳打ちした。
「王国東部、山脈地帯で奇妙な生物が人間を襲っているそうです」
来たか、と思ったが、僕は普段通りを意識した。
「どこからの情報?」
「複数の筋からです。国境警備隊、そして緑の隊の隊員がちょうど、巡回でそばにいました。どちらもその生物の死体を確認しましたが、殺した後に肉体が即座に腐って、形を失ったそうです」
「わかった。先に執務室へ戻っていて。すぐ向かう」
隊員は緊張した面持ちでうなずき、部屋を出て行った。
ずっと黙っていてサリーダッシュが不安そのもののまなざしで僕を見る。
それに対して僕は笑うことができた。
「仕事みたいだ。サリーダッシュ、体に気をつけて、先生のいうことをよく聞くんだよ」
「危ないお仕事ですか?」
そのサリーダッシュの言葉を意味するのに、少し時間が必要だった。そして彼女の表情に浮かぶ感情を理解するのにも。
そこにあるのは不安だ。そして恐怖。
その感情をサリーダッシュに教えたのは、間違いなく、リフヌガードの死だろう。そして今、僕を失うことをサリーダッシュは想像している。教えられたわけでもなく、自然と、人間のように未来に恐怖を感じているのだ。
大丈夫だよ、と僕はサリーダッシュの頭に手を置いて、扉に向かった。
サリーダッシュが小声で言ったのが、かすかに聞こえた。
お父様をお護りください、お父様。
そう短く言葉にしたようだった。
扉を閉めてから、思わず僕は廊下で俯いてしまった。
クロエスも、リフヌガードも、あの子の悲しみと願いを想像しただろうが。
あれほどの苦しみを強いることを、予想しただろうか。
人でなしだ。そう思った。
僕たちは生命を自在に操る、神に最も近い場所にいながら、最も人間から離れてしまった、異常者だ。
しかしもうこの道を戻ることも、過去の悪行を消すことも、何もできない。
扉の前から離れながら、生きたいと思った。
またあの子の前に、戻ってきたい。
あの子を一人にすることだけは、絶対にできない。
浅ましいだろうか。みっともないだろうか。勝手だろうか。
どう言われようとも、僕はここへ戻ってこなくてはいけない。
恥であろうと、愚かであろうと、あの子ために。
今はもういないものたちの代わりに。
廊下は静まり返っていた。
世界の激変も、まだ遥か遠い地での出来事なのだった。
今はまだ。
(続く)




