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剣聖の弟子の冒険  作者: 和泉茉樹
第一部 人形、剣、孤島
10/155

1-9 前提

     ◆


 一夜明けて、朝食の席で僕はベッテンコードと顔を合わせた。

 普段通りの様子の老人は、こちらに睥睨するような眼差しを向け、堂々と自分の席に着いた。

 いつもは同席するクロエスがまだやってこない。これは珍しいことだ。

 人造人間たちは特に気にした様子もなく、配膳をしている。今日の朝はパンが出てくるのが起きた時から匂いでわかった。早朝から誰かがパンを焼いたわけだけど、クロエスではないだろう。人造人間たちは睡眠も食事も必要としない擬似生命という存在なので、いくらでも早起きできるということはあるらしい。

 それはそれで非倫理的というか、人造人間たちがかわいそうに思えるけど、これは傲慢だろうか。

 僕も人造人間なので、ちぐはぐな感じもする。

 僕がこの館を見物した中で、小さな鶏小屋があった。鶏の数はわからないけど、その鶏は卵を手に入れるためにそこにいるということだ。

 鶏は自分が産んだ卵がどこかに持ち去られることを、どう感じるだろう。

 もちろん、人間と同等の知能や知性、感情がないはずだから、はっきりとしたことは言えない。鶏は人と同じ言葉を喋らないし、表情もない。涙を流すこともない。

 鶏と人造人間を同列に扱うのもやっぱり違うんだけど、うーん、僕は生き方、生命としての権利のようなものを考えてしまうようだ。

 あるいはそれが、僕もまた作られた存在であり、何一つ権利などなく、ただの人形となることを定められていたからだろうか。

 そう、剣聖の記憶と技能を継承する人形が、僕だったはずだ。

 実際には、よくわからない不具合で失敗しているけど……。

 焼きたてのパンが運ばれてきて、僕は壁のステンドグラスを見て思考を巡らせていたのを目の前に戻した。

 人造人間がパンを薄く切って、バターを添えて渡してくれる。

「ありがとう」

 思わず礼を言うと、人造人間は一言も発さずに、かすかに目礼した。

 そんな僕にベッテンコードは嘲笑うように鼻を鳴らしているけど、僕はやっぱり彼の方は見られなかった。

 老人の手元にもパンが差し出され、彼は礼など言わない。すばやくバターを塗ろ広げてから、山ほど蜜柑のジャムを乗せ、二つに折ってガツガツと食べ始めた。

 うーん、彼の横柄さを認める気はないけど、ああいう豪快な食べ方も、それはそれで美味しそうに見えるのが悔しい。

 僕はゆっくりとバターを広げ、テーブルに並ぶジャムの中から葡萄を選んだ。

 匙でちょっとだけパンに置いて、かじってみる。

 お。なかなか、美味しい。

「遅れてすまないね」

 声とともにゆっくりとクロエスがやってきた。服装は軽装で、しかし寝起きという感じはまるでしない。髪の毛は自然と整い、優美な雰囲気を纏っている。

 そう、この錬金術師は、常にそこここに高貴ささえも引き連れている。

 カル・カラ島には逃れてきたようだと僕も察しつつあるけど、本当の事情はまだ知らない。

 僕は知らないことが多すぎた。

 自分の席についたクロエスの前にすぐにパンが差し出される。彼はバターではなく練乳を塗って食べることを好むのは、数日の間の食事の光景でわかっていた。甘党なのだ。

「食事の場で話すことではないかもしれないけど」

 クロエスが一口かじったパンを片手に、僕の方を見る。ベッテンコードは自分の前に置かれた厚切りハムをフォークで引っ掛けて、噛みちぎるように行儀悪く食べている。クロエスも僕も、この老人は気にしていない。

「アルカディオ、きみはまず、自分が人造人間だとわかっているね?」

「ええ、はい……」

 それ以上は言葉が出ない。

 僕は人間ではない。作られた人間そっくりの人形だ。

 クロエスはもう一口、パンを食べた。すぐ横で人造人間がさりげなくカップに紅茶を注いでいる。パンを皿の上に置いて、クロエスは砂糖とミルクとをカップに入れる。容赦のない量だった。

「アルカディオ、きみの中には本来、ベッテンコードさんの全てが複製されるはずだった。ベッテンコードさんの記憶と技能を、僕が情報化し、人造人間であるきみに焼き付けた。そのはずだった。これもいいね?」

「あの、クロエス先生、僕は何も、覚えていなくて……」

「僕が独自に考案した、新しい技術だからね。試験は繰り返したけど、前も話した通り、きみは試作品で、最初の一体だ。全てがうまくいくとは思っていなかったし、本当にうまくいっていないかはこれから確認していこう。いいね?」

 はい、と僕は流されるままに頷いた。

 甘いだろう紅茶を一口飲んでから、ここからだ、とクロエスが話を続けるけど、ベッテンコードはといえば、ハムを食べ終わり、口の周りの脂で光らせながら今度は炒り卵を食べている。

 僕は老人は無視することにして、クロエスだけを見た。

 紅茶をもう一口飲み、クロエスがちょっと口元を引き締めた。甘さに顔をしかめたわけではないだろう。

「きみにはもう一つ、新規の技術を盛り込んでいる。それは人間とか人造人間とか、そういう括りを逸脱する、一歩外れた技術なんだ」

「えっと……、どういうことですか?」

「それはね。きみはおそらく、不死だろうということだ」

 何も言葉を返せなかった。

 不死……。

 不死?

 それは本来的に生物にはありえないことではないか?

 植物は一年、もしくは数年で滅び、次代に場所を譲り渡す。動物も数年、十年、二十年で死んでいき、人間も長くても七十年ほどで寿命を終える。世界にはもっと長命な動物もいるようだけど、さすがに不死の動物はいない。

 そもそも、人造人間でさえ、不死ではない。寿命がやってきて、機能不全を起こす。そうなれば人造人間は処分される。

 それが、僕には死が来ない?

 今まで、自分が人造人間だと分った時から、短い寿命ではないかと無意識に考えていた。

 しかしそれは全くの誤解だったのかもしれない。

 大前提がおかしいのだ。

 ベッテンコードの記憶と技能を僕に植え付けたところで、人造人間ならあっという間に寿命で消えてしまう。

 だったらクロエスとベッテンコードは次々と人造人間を新しく作るのか。

 それに何の意味がある?

 無意味じゃないか。

 記憶や技能の継承の最大の意義は、それを元にさらなる発展を実現することだろう。

 ただの人造人間に、その役目は向かない。発展させる前に死んでしまうから。

 そのための不死か。

 でもどうやったら、そんな異常な存在を生み出せる?

「今日の昼間、ちょっと出かけようか、アルカディオ。ちょうど天気もいい」

 そう言われて、やっと僕は窓の外を見ることができた。

 朝日が木々の間を抜けて、食堂へ差し込んでいる。

 晴れてはいる。

 でも今の僕にはそれはどうでもよかった。

 人造人間。

 しかし、不死の人造人間。

 僕とはいったい、何者なんだ?



(続く)

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