断章 青年と老人
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港の一帯には小さな町が出来上がっている。
と言っても、このカル・カラ島の産業は漁業といくつかの鉱物を掘り出す鉱業しかない。町を形成しているのは、数えるほどの商家の倉庫と漁業者の共同住居、そして荷運び人夫たちの住まいであり、あとは食堂、雑貨屋、食料品店、娼館といったところだ。
カル・カラ島はほんの二時間で一周できる大きさしかなく、平地は極端に少ない。巨大な山がそのまま島になったような外観をしている。それでも、斜面の一部は農地として切り開かれていた。
今、樹木の間を縫うように作られた道をゆっくりと下ってくる人物がいる。
一目見て、普通ではないとわかる。
場違いなほど美しい、透き通るような白のローブを着ているが、それよりも両目を眼帯で覆っていた。そう、片目ではなく、両目をだ。
盲目だろうと思うのが自然だが、しかし彼は杖をつくようでもなく、胸を張って堂々と道を進み、そのまま街の通りへと踏み込んでいった。彼には冬を感じさせない南国特有の熱風も、どことなく涼風のようだ。そんな印象を見る者に与える姿だった。
まっすぐに歩む彼に目をとめた島民が「やあ、クロエス!」と声をかけると、この目元を隠した男はそちらに顔を向け、笑顔で手を振り返している。
全てが堂に入っていて、彼の視覚に関して疑問を持つのがはばかられるほどだ。
港には大きな桟橋があるほか、いくつかの小さな浮き桟橋が控え、陸に上げられているものもある。港に入れない大型船は湾の入り口のあたりで小船に荷を載せ替えることになるから、その小船の数が多い時には浮き桟橋は自在に数を加減する。
「ヘイ、クロエス、生きのいいハーマチがあるぜ!」
通りに面した魚屋の威勢のいい声に、眼帯の男は足を止め、そちらへ歩み寄った。そしてまるで目が本当に見えているように魚屋の手元を覗き込み、何かを吟味した。ついと眼帯の向く先が魚屋の手元から外れる。
「それよりも、こっちと、これをおくれよ」
魚屋は片手で掴んでいた魚と、男が指差した魚を見比べる。
「俺が持っている奴のほうが大きいが、あんたの目は確かだからな、クロエス」
「すまんね。屋敷へ届けてくれるかな、これから客人を迎えないといけないんだ」
「あんたに客人か、珍しいね。魚は捌いておくよ」
ありがとう、と眼帯の男が頷き、腰の袋から小さな銀の粒を取り出すと魚屋へ差し出した。魚屋が恐縮したようでもなく、しかし丁寧に捧げ持つような動作をした。カル・カラ島の伝統的な感謝の示し方だった。
ローブを翻し、眼帯の男が眩しそうに真昼と言ってもいい直射日光を遮るように手で庇を作る。
そのままゆっくりと港へ進む途中に、露天の果物売りに声をかけられ、いくつかの果物を買い、酒の量り売りの店の前では、麦から作られる地酒を壺で三つ、購入する。
その度に、全くためらいなく銀の粒が彼の手から島民に渡り、彼らは捧げ持つように受け取る。
買ったものを全て屋敷へ届けるように依頼してるので、男は両手が自由なまま、悠然と港へ更に歩を進めた。
「やあ、クロエス」
港に最も近いところにある倉庫から出てきた男が、声をかけて駆け寄ってくる。
二人が笑みを交わし、しかしすぐに呼び止めた男が声をひそめる。
「あんたの注文の品、ちゃんと届いでいるぜ。あれだけの品が必要とは、大事を企んでいるな?」
「企みがあっても、きみが首をつっこむ余地はないよ?」
「もちろん、そんなことはしないさ。錬金術師組合から目をつけられたら、俺だって生きちゃいけねぇ」
「そうそう、それが冷静な判断だね。品物は屋敷へ運んでおいて」
了解、と男が頷く。眼帯の男から銀の粒が五つ、差し出されるがそれに対して「ちっと少なくないか」とやんわり、値段を上げようと駆け引きが始まる。眼帯の男の口元に困ったような笑みが浮かび、銀は二粒、追加される。男は特に捧げ持ったりしないあたり、原住民ではないのだと見える。
眼帯の男はゆっくりと桟橋の方へ進んだ。
計算していたように、中型船が接舷し、太い綱が繋がれているところだった。
船乗りたちが板を渡し、乗っていた男女がどこか不安げに板を渡って、桟橋に足がつくと揃ってホッとしたように表情を緩ませる。
眼帯の男はただ日陰もない場所に佇み、そして最後に降りた老人の姿に、頬を緩めた。
老人は小さなトランクを手に持ち、背中には長い棒のようなものを背負っているが、それは布で厳重に包まれているので何なのかはわからない。やや老人の体躯に合わない長さに見えるのに、老人の姿勢が安定しすぎているのでその棒が軽いように錯覚される。
老人は強い日差しのせいもあってか、目を細めながら、悠然と眼帯の男へ歩を進めた。それを眼帯の男は待ち構える姿勢だ。
老人の服装をよく見ると、平凡な意匠が縫い取られているように見えて、高級品のそれだった。大量生産品ではなく、しかしそうとわからないようにされている節もある一点物。大抵のものには一点物だとは看破できないような。
ついにその老人が眼帯の男の前に立つ。
「久しぶりだな、クロエス」
「こちらこそ、お久しぶりです、ベッテンコードさん。あなたから文が届いた時、さすがの僕も信じられませんでしたよ。ここへこうして来るまでも、何かの罠ではないかと気が気じゃありませんでした」
気が気でないなどと、事実無根のことをいけしゃあしゃあと口にしながら眼帯の男が口元に笑みを浮かべるのに、老人もかすかに口角を持ち上げた。
「お前にはもう、組合は興味はないはずだ。こんな田舎で、ひとりきりだしな」
「まさしく」
「その噂に騙されなかったのが、わしだ」
その通り、というように眼帯の男が頷く。
「しかしまかさ、ベッテンコードさん、あなたほどの人が僕のような異端者を当てにするとは、正直、意外ですよ。大陸なら、王都なら、もっと優れた錬金術師もいるでしょう。それこそ称号を持っているような奴らが」
「奴らは倫理とやらにうるさいしな。それに私の悪あがきをよく思うまい」
「まるで僕が倫理的ではないみたいな言い方じゃないですか」
「違うのか?」
今度こそ、眼帯の男は声を漏らして笑い始め、しばらく老人はムッとしたように彼の様子を黙って見ていた。
その老人が手の甲で額ににじむ汗を拭うのを見て、屋敷へ行きましょう、とやっと眼帯の男が言った。
「冬でも暑いと聞いていたが、想像を絶するな」
老人の声には嘆きはあっても、不思議と疲労はなかった。
眼帯の男と老人という妙な組み合わせの二人は、揃って桟橋を歩き出す。
太陽は最も高い位置にあり、威圧するような強烈な光で全てを焼いていた。
(続く)