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月が綺麗ですね

作者: 宵待 黒

午前2時なんて時間な訳でもないが、僕は望遠鏡を担ぎ1人、夜を漂うように歩いてた。

こんな時間に子供が1人で歩くなんて正直よろしくないとは思う。けれど、母親はどこか同情するような表情で「気を付けて行くのよ。」とだけ言ってくれた。


いつものように、あの日のように、道を歩いて歩いて見晴らしのいい丘にたどり着いた。

今日も雲一つないような澄んだ夜空が広がっていることになぜか苛立ちを覚えた。


担いできた望遠鏡をセットし、木星に向けてレンズを合わせる。

なぜかふと初めてこの丘で木星を見て頭がスッキリしたような感覚に襲われたことを思い出した。

誕生日プレゼントとして両親がプレゼントしてくれた日に天体観測に行こうとしたが、生憎の天気のせいで1日待たされることになりヤキモキしたのを覚えている。

そんな精神状態だったことをすっかり忘れるほど木星のインパクトは大きかった。

肉眼ではただの光る点にしか見えないモノがあんな見た目をしていたことを、教科書では知っていた。

それでも望遠鏡を通して見たことでその素晴らしさを痛感した。



一緒に持ってきたノートに木星を簡単にスケッチし終えると、次は少し全体を動かしてこと座のベガのある方角に焦点を合わせる。

初めて彼女と会った時のことを思い出した。

天体観測という万人受けする訳ではない趣味が悪い方向に向かい学校で腫れ物扱い気味だった僕に、声をかけてきた彼女。初めは悪戯か揶揄いの類だと思っていたが、きちんと話を聞くとどうやら元々夜空に浮かぶ星々を眺めるのが好きなのが伝わってきた。

どこから湧いたか分からない勇気に背中を押され、そんな彼女に「もし良かったら、一緒に星を見ない?」なんて言った時の声はきっと酷く小さく震えていたはずだ。

一人じゃなくなった丘で、彼女は一番好きな星を教えてくれた。それがこと座のベガだった。理由は単純明快、織姫彦星の伝説がとても好きらしい。

その日はベガやアルタイル、いろいろな星を二人で見た。

今思い返せば夜に自由に動けることに何も疑問を抱かなかったのは、緊張から頭が空回っていたからなのだろう。



様々な星を見た後、一息つくためにも丘に寝そべり、夜空を流れる天の川を肉眼に収めた。

数えきれないほどの星で構成された夏の夜空に浮かぶ雄大なその川を眺めていると、胸元に下げている月のイメージを取り入れたネックレスがその冷たさで存在を主張しているような気がした。

男子がつけるには些かフェミニンなそれはいつかの日、彼女がくれたものだった。

急にプレゼントだなんてもらう理由がなかった僕は困惑していたが、彼女は儚げな笑顔で

「君に持っててもらいたいんだ。」そう言ってそのネックレスを手渡してくれた。

今にして思えばそれはいつも彼女が大事そうに付けているネックレスだった。綺麗な彼女の白い肌によく映えていたのを綺麗だと思ったこともあったはずなのに。

その時は僕にそんなプレゼントをくれることに対しての疑問を嬉しさがかき消してしまっていた。



片目を酷使し続けて疲労していた目を十二分に休めることができたので、最後に望遠鏡を夜空に煌々と浮かぶ満月を観測することにした。

月に向けて望遠鏡の方向を合わせ、初めに低倍率のアイピースをセットした。

肉眼よりもより大きく見える月が視野の中心にくるように微調整を繰り返し、得心のいったポイントで倍率を上げていく。

高倍率に変えることでその地肌さえ見えるように大きくなった月に対して焦点を合わせていく。

こうした少しづつその対象に少しづつ近づいているような気分になれるこの瞬間が何よりも好きだった。

その時、投げっぱなしにしていた手のひらを通り過ぎるように穏やかな風が吹き抜けた。


あの日、彼女と別れそれ以来会うことのなくなったあの日。

夜風に晒されているからなのか彼女の手は少し震えているように見えた。

君の震える手にそっと手を重ねようとした時、スッと彼女はその場から立ち上がり、溢れるように言葉を紡いだ。

「今までありがとう。」

自然と脳が理解を拒んだ。確かに耳に届いていたはずなのにどこか空虚に音が響いた。

伸ばしかけていた手の先がまるで暗く深い闇を掴んだように空を切った。

「えっと、ど、どういうこと?」

理解しきれない現状に追いつこうと自然と言葉が漏れ出していた。

彼女は寂しそうな表情を隠そうともせずに、今にも泣きそうな表情で告げた。

「私、引っ越しすることになったんだ。そんなに時間があるわけじゃないからもうこれが最後なんだと思う。」

自分の表情を確認することはできなかったが、きっと目の前の今にも泣きそうな彼女よりもひどい顔をしていたのだろう。

そんな僕を見て彼女は寂しげに微笑んだ。

月明かりが照らす二人の距離がどうしようもなく遠く感じた。


視界の先には少し凸凹した月の表面が写っていた。

僕はきっとこれから先も、夜空を眺め、星を観測していくのだと思う。

いつものように望遠鏡を覗き込んで、その焦点を合わせて。何かが見つかるような予感をいつまでも抱えながら。

僕が最後まで言えなかった言葉を。

たった五文字の伝えられなかった言葉を、望遠鏡の先に見つけられるような気がするから。

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