これはもはやバクでは?嬉しいけれども、嬉しいけれども!
部屋を飛び出した僕は一直線に自分の部屋に向かった。やらかした気がする。王族にキレる聖女がどこにいるんだよ。あーもう、と思いながら自分の部屋の扉を開けて……閉めた。なにか変なものが見えた気がする。もう一度おそるおそる扉を開けてみる。視界に入ったのは豪華な僕の部屋ではなく、折り畳み式のベッドに服が入り切っていない白のタンス。小さな本棚。タンスと本棚と小さな緑の机の上に置かれたアクスタや缶バッチなどのオタグッズ。どこからどうみても僕の部屋じゃない。むしろ由癒の部屋のような気がする。その不思議な空間と化した部屋の中に足を踏み入れる。懐かしい匂い。その部屋の中に突っ立っていると後ろから扉の開く音。おかしい、僕は扉を閉めていないはずなのに。いや、でもこの部屋を見られる方が困る。良い言い訳は思いつかないもののとにかくなにか言わなければ、と振り返る。
目の前にいたのは由癒だった。お互い目が合うと言葉が何も出てこなくて固まってしまう。先に口を開いたのは由癒だった。
「リヒトの格好してるけど、凛、凛だよね?え、ごめ、もう聞きたいこと多すぎるんだけど」
「ごめん、僕もいまいち理解しきれてなくて。えっと、由癒であってるよね?僕の幻覚とかじゃないよね?」
僕はそっと目の前の由癒の頬に手を伸ばす。実体がある。その時気づいた。想像以上に僕は驚いていたらしい。小さく手が震えている。
「私みたいなのが何人もいたら困るでしょ。幻覚でもない、本物だよ……凛、大丈夫、私がそばにいるよ。ゆっくり目を閉じて。深呼吸して」
由癒が僕を抱きしめてゆっくり優しく声をかけてくれる。気が付けば僕は由癒の胸の中で声をあげて泣いていた。しばらくしてようやく落ち着いた。
「由癒、急に泣いてごめん」
「ん、別にいいよ。なにかわからないけど大変なことに巻き込まれてたんでしょ。凛ってば優しいから巻き込まれたら解決しようとするもん。それで、なにがあったか聞いてもいいの?もし嫌なら無理には聞かないよ」
「ううん、大丈夫。ちゃんと話せるよ」
「そっか。何かに巻き込まれたのは凛がいつまでも戻ってこなかったコミケの時?」
「うん、それから何日経っているの?」
「コミケは昨日だよ。一晩しか経ってない」
ここが何の空間か、なんて僕にはわからない。だけど、目の前に由癒がいる。これだけは事実で。事実であって欲しくて。
「由癒、その笑わないで聞いてほしいんだけど」
「うん?なぁに?」
「コミケの日、僕あの乙女ゲームの世界に召喚されたの。聖女として」
「救国の乙女に?え、あの世界に召喚されたの?聖女として?……だって凛は全員を救おうとするでしょ?鬼畜過ぎない?」
「まぁ……僕が目指してるのはゲームにもなかった全員生存ルートだから鬼畜というか、可能なのかもわからない」
「なるほどね。うん、まぁ……鬼畜なのには違いないんだけど、昨日のコミケの日に公式からお知らせがあったんだよね。その、あまりにも要望が多かったから全員生存エンドを作ったって。正式リリースは確か三週間後らしいけど」
「こっちの世界で三週間後なんて遅すぎるよ」
「わかってるって。でも安心して。ここには救国の乙女を全クリしてカンストまでした私がいるんだから。キャラの特性から考えられるイベントをこなしつつ凛のハッピーエンドを掴みに行こう」
「僕のハッピーエンドじゃなくて……」
「ううん、凛のハッピーエンドだよ。リヒト王子とかも、もちろん好きだけどさ、私にとっては凛が一番大切だから。正直凛以外が死のうとあまり心は揺れないと思う。だけど誰かが死んじゃった時点で凛にとってはバッドエンドになるでしょ?だから誰も死なずに済むハッピーエンドを目指すの」
「……なるほど?」
「凛はみんなを幸せにしたくて頑張るんでしょ?それこそ、自分を犠牲にしてでも」
「い、いや、そんなこと………………否定はできない」
「……否定してくれないの、私としては悲しいけどそれが凛だもんね。知ってた。だから僕、いじわるしようと思ってね」
「いじわる?」
「凛は私がバッドエンドになることはしたくないでしょ?」
「そりゃもちろんだよ。僕、凛のこと好きだし」
「じゃあ、ごめんね。私にとってのバッドエンドは凛が不幸になることだよ。誰かの為に凛自身が犠牲になること」
「……それは、ずるいよ」
「わかってる。でも私は凛のことが大切で大好きだもん。だから凛も幸せであってほしい。だからお願い、自分を犠牲にはしないで」
「……あはは、やっぱり由癒にはかなわないなぁ。うん、もちろんみんな死なずにハッピーエンドを目指すけど、ちゃんと自分を大切にするよ。自分を犠牲にする行動はできるだけしない。だから、由癒も手伝ってくれないかな?」
「うん、もちろんだよ。よし、さっそく対策を立てるためにも今どんな状況か、教えてもらえる?」
それから僕は由癒に召喚されてからのすべてを話した。自分のステータスが強いこと、自分の魔法でできること、王様を助けたこと
「なるほどね、今の凛の状況は理解できた。多分王様が死ななかったのはハッピーエンドを目指す上で大事な気がする。リヒト王子のチュートリアル戦闘をせずに暗殺者出現イベをこなしたことも。一人の好感度だけをあげすぎると強制的にそのルートに入るとかもありそうだし。にしてもジャルジーを実力でねじ伏せるのは笑っちゃうんだけど。でもまぁ、バフ付きの凛なら簡単か。運動神経抜群の天才イケメン美少女だもんなぁ」
「あはは、何それ。僕そんな完璧超人じゃないよ」
「いーや、そんなことないね。翔琉だって絶対肯定するから!あいつ凛のセコムだし」
「あ、そういえば翔琉から由癒に大量の連絡入ってない?昨日僕帰らなかったし翔琉のことだし由癒にめっちゃ連絡いれると思ってたんだけど……」
「……確かに。でも、翔琉からなにも連絡入ってない。たしか、そうだ。翔琉もあの日、コスして参加してたみたいで。あの、公式聖女様のコスで。で、リヒト王子のコスしてる凛に会うって連絡来たんだよ。そのまま凛も翔琉も来ないから、二人で面倒なのに絡まれて駆け落ちみたいに逃げ帰ったと思ってたの。凛からも翔琉からもそのあと連絡入らなくて疑問に思ってた。凛のことは解決したよ。だけど、なら、翔琉は……?」
「……あ、もしかして、もしかしてだけど、翔琉も……こっちの世界に召喚されてるのかも。女の子として」
「え……?」
「僕見た気がしたんだよ。公式聖女そっくりの人影。気のせいかと思ってたけど……でも、もし、翔琉が、同じ日に召喚されていたとしたら……」
「いるじゃん、攻略対象でもある裏ボスの子。こっちの世界から召喚されていたもう一人の男」
「サクフィー」
「やっぱりそういうこと?でも、もしそうなら……全員生存への道が大きく広がるよ。全員生存を目指せば裏ボスが出てきて死ぬ。裏ボスを攻略すればラスボスが死ぬ。でも、裏ボスが翔琉だとしたら、もとの裏ボス設定の暗い過去もないし、闇落ちする心配もないじゃん」
「まぁ全員生存ルートも鬼畜だけど。それにサクフィーが翔琉と決まったわけじゃ……」
「いや、翔琉ってことに賭けよう。それに翔琉だもん。凛のためなら世界だって簡単に越えちゃいそうだよ。とにかく凛が戻ったらするべきなのはサクフィーの居場所と正体。元の設定通りならサクフィーはリヒト王子の側近候補のはず。もし、リヒト王子の側近候補にいなければ……翔琉の可能性が高くなるんじゃない?よかった。凛はそっちの世界で一人じゃないんだ。それだけで、私は安心だよ」
「……由癒、ほんとにありがとね。由癒がいてくれて少し落ち着けたよ」
「いいってことよ。あ、そうだ。そういえば持ち物とか凛のプレイヤーデータのままだったんでしょ?なら、これ使えるか試してみてよ」
そう言いながら由癒が差し出したのは救国の乙女のプレミアムファンクラブ限定のアイテムコードが書かれた紙。ファンクラブに入るのは元々かなり金がかかるが、プレミアムはほんとに高いらしい。そこでしか配られないアイテム。確実に効果が強いものだろう。
「そんな貴重なのもらえないよ」
「いいの、もらって。あー、じゃあコミケでの売り子バイト代ってことで。ほら」
由癒は僕の手に無理やり紙を握らせる。だめだよ、と返そうとしたときノックの音がした。ドアの方へと振り返る。それとほぼ同時にリヒト王子の声がする。あ、開けられる。そう思い慌てて由癒に説明しようとするがそこに由癒はいなくて元の僕の部屋に戻っていた。今のは幻覚だったのかと、頭をよぎるが自分の手の中に残された紙が先ほどまでのが現実だと告げていた。




