幼馴染とポッキーゲームをする話
ありがとうございます。
割れる音がする。
ぱりぱりと、硬くて軽いものが割れる音が。
これはポテチをかみ砕く音だ。
コンソメ味。
おいしい、ような気がする。
ゆっくり嚙んだからと言って旨味が増すことはない。
ポテチだからな。
口の中で嚙み潰したポテチを嚥下し、次の一枚に手を伸ばす。
特段ポテチが好きな訳でもないのだが、ポテチをつまむ以外にやることが見つからないのだ。
目の前に置かれている缶ビールは、とっくの前にぬるくなっている。
友人宅での飲み会に参加しようと思ったのは、絶賛片思い中の幼馴染が参加するとの話を小耳にはさんだからだった。
隣でおしめをかえてもらい、幼稚園、小、中、高、とずっと親交が続いている仲だというのに、いまだに何も進展がない。
物心ついた時から彼女に恋心を抱いていた俺としては、そんな状況に危機感を抱かずにはいられなかった。
絶対に仲を深めてやる、あわよくばそれっぽい雰囲気をつくってやる、と勇んで飲み会に参加したのは良いものの。
結果はどうだ。
皆の高いテンションにはついていけず、空気には馴染めず、会話には入れない。
机に広げられたスナック菓子をちまちまつまんでは口に入れ、しかしコンソメ味にもそろそろ飽いてきて、もはやポテチを口の中でかみ砕く音を聞くマシーンと化している。
舌にへばりつくような塩辛さも、もううんざりなのだ。
俺は口の中を洗い流すようにビールを呷る。
けれど今となっては遠い昔に缶を開けたそれはやっぱりおいしくない。
コンソメに代わってぬるいビールが舌にへばりつくだけだった。
飲み会のメンバーは俺と幼馴染、そしてなにやらチャラそうな男1人と、いかにも女子大生です、といった女が2人だ。
俺と幼馴染以外の3人はすっかり酔って盛り上がっている。
数時間前と比べ3倍は大きくなった笑い声を聞きながら、俺はさっきから何度も心の中で繰り返している言葉を、もう一度反芻する。
来るんじゃなかった。
やっぱり慣れないことはするもんじゃない。
今日学んだ教訓だ。
そういや、幼馴染は何をしているのだろうとちらりと隣を盗み見ると、ちょうどペットボトルの水に口をつけている彼女と目が合った。
少し酔っているのかほんのり頬が上気している。
緩慢な動作でペットボトルの口をしめ、それから困ったね、というように緩く口角を上げた。
もしかして、彼女もこういう場は苦手だったりするのだろうか。
二人で話すときに比べ、口数も少ないような気がするし。
すると、彼女は俺の心を見透かしたような目でじっと見つめ、それからぐいっとからだを俺の方に寄せてくる。
長い髪を耳にかけ、そして
「こういう場所、苦手でしょ?」
と、俺の耳にささやいた。
動揺し、な、なんで、とモゴモゴ言葉を返すと
「見てればわかるよ。それに、わたしも得意じゃないし」
と優しく微笑む彼女。
前言撤回。
やはり来て正解だったかもしれない。
自分の顔が火照るのがわかる。
たいして酒も飲んでいないのに。
さっきまでの鬱屈とした気持ちが嘘のようだ。
ああ、やっぱり彼女のことが好きなんだ。
場にそぐわないさわやかな感慨が胸を満たし、たのだが、その感慨はとても場にそぐうテンションの高い大声に打ち消された。
「王様ゲーム、しようよ!」
声の出所に視線を向けると、さっきまで騒いでいた3人のうちの1人であるセミロングの女の子がこちらを向いている。
どうやら、俺と幼馴染がこそこそ話している間にそんな流れになっていたらしい。
しっかり準備も出来ているようで、セミロングの女の子の手には割りばしで作ったであろうくじがある。
王様ゲーム、といえばくじで王様になった人が好きに命令できる、というあれか。
合コンなんかで盛り上がるイメージがあるけれど。
高いテンションについていけない俺にとっては苦手とすることのひとつだ。
うまく立ち回れる自信がないので気は進まないけれど、この場で断るのもさすがに感じが悪い。
参加する旨を伝え、順番に回ってきたくじを引く。
どうやら、先が赤い割りばしが王様になるらしい。
引いたくじを確認すると、色はついておらず、「B」という番号がふられている。
と、なると、俺は命令される側ということになる。
あまり無茶な命令には答えたくないけれど、言い出しっぺの3人衆も、あまり親しくない俺に盛り上がりを期待してはいないだろう。
幼馴染だってきっと無難な命令に済ませるに違いない。
誰が王様になっても俺が恥をかくことはない。
そう考えると、少し肩の荷が下りる。
ほっとしたところで、隣からあっ、と俺にしか聞こえないくらいの小さな声が聞こえた。
見ると、幼馴染が自身の引いた割りばしを確認して息をのんでいる。
俺は彼女が引いた割りばしに色がついていたことを察し、胸にかすかな期待が育っていくのを感じた。
波風立てぬよう、無難なもので済ませる、彼女がそんな性格だということは理解している。
けれど、普段からあまり要望を口に出さない彼女がこの場でどんなことを言うのか、興味はあった。
「王様だーれだ」
皆で声を合わせると、隣の幼馴染がおずおずと小さく手をあげた。
おおっと声が上がり部屋の空気は期待で満たされていく。
王様になった彼女はうーん、と顎に手を当て、思案し始めた。
俺は心の中で願う。
指名してくれ、とも、指名しないでくれ、とも。
心の中で、彼女の要望を聞きたい俺と、できるだけ目立たずやり過ごしたい俺が互いにメンチを切り始める。
そろそろ感情がぐちゃぐちゃになるぞ、というときに、彼女はゆっくり口を開いた。
「じゃあ、AとCとDが、、、」
安堵と落胆と期待となんだかいろいろな感情が胸に降りてきて俺の心はさらにぐちゃぐちゃになるけれど、それでも部屋の空気は緊張でさらに高まり、彼女以外の4人は心ひとつに彼女の言葉を待った。
「消えて」
え?
言葉の真意を聞こうと彼女の顔を見るとぞっとするほど平然としている。
何かの聞き間違いだろうか、ほかの3人の反応を確かめようと振り向き。
一瞬、いや一瞬どころじゃない、俺にとっては永遠に思える時間、俺は、呼吸を忘れた。
消えていたのだ。
全員。
さっきまでうまっていたその空間には、寒々しくクーラーの風が吹くだけ。
彼らが存在していた空気の名残はいっさいがっさい排除され、俺は恐怖すら感じられない。
「え、なん、で」
俺の喉から絞り出したかすれた声にこたえるように彼女はにっと笑った。
「なんでって、わたしは王様だからだよ。好きに命令、できるんでしょ?」
意味が分からない、分からないはずなのに。
彼女の言葉はなぜか俺の心にするりと入ってきて、それで馴染んでしまう。
俺の心を、価値観を形成する一部のように、もとから人間に備わっている倫理観のように、常識のように、彼女の言葉は、この状況は、俺の心の中でほつれることなく、最初からつながっていた糸のようにするりと馴染んでしまう。
だから、彼女に
「そっか」
と、問い詰めることもなく言葉を返してしまった自分自身にも驚くことはできない。
この状況を理解するまでもなく、これは普通で、常識で、当たれ前で、正解で、だから俺の心はこんなにも凪いでいる。
俺の答えを聞いた彼女は満足げに頷いた。
「そうだよ。せっかく王様になったんだから。」
そして大きく息を吸い、声を張り上げた。
「わたしたちがいる、このマンションも消えて」
その瞬間、俺たちはマンション前の路地に立っていた。
マンション前?
いや、マンションはもうないのだから前も何もないだろう。
マンションがあった場所は「無」になっていた。
そのすっぽりと抜けた空間を見ていると、意外と敷地面積が小さいマンションだったのだと、俺は気付いた。
腕時計を確認すると、ちょうど日付が変わったころだった。
肌にぬるい空気がまとわりつく、夏の夜である。
ふと、背後に気配を感じ、振り返ると、光る目が見えた。
その目はだんだんと俺たちに近づいてき、街灯の前まで来たときに小さな体躯が確認できた。
光る目の正体は猫だったのだ。
撫でてみようかと一歩を踏み出したその瞬間、猫は姿を消した。
どこかに隠れたのではない。
この世から存在が消えたのだ。
「猫、嫌いだっけ?」
後ろを振り向き、尋ねると、彼女はふるふると首を振った。
「じゃあなんで消したのさ」
「順番はあまり関係ないと思うから。それに、」
いいことを思いついたの、と言って彼女は人差し指を夜空に向かって指した。
星でも見えるのだろうかとつられて空を見上げ、そして、目を見張った。
流れ星?
いや、上に向かって飛ぶ流れ星など見たことがない。
あれは。
低い爆発音が脳を揺らしたとき、記憶から流れ出した火薬のにおいが鼻をくすぐった。
星も見えない暗闇で、流れ星が、爆発した。
花火だ。
光が、夜空で散らばって、ほんの一瞬闇を照らした。
閑静な住宅街の真上で弾けた花火は、今度は上から下へ、火の粉の流れ星を降らせ、それは俺たちにたどり着くまでに燃え尽き、消えた。
問題はそこからで。
深夜の静寂を割るような爆発音に目を覚ました近所の住人が、何事かと、そろって起きだしたのである。
どうしたものかとキョロキョロしていると、パジャマのまま窓から身を乗り出した隣の家の住民と目が合った。
騒音の原因はもちろん俺達な訳だから、少し気まずい。
とりあえず、愛想笑いでもしておこうかと己の口角をにっと持ち上げたところで、その住民はふっと姿を消した。
おいおい、と思い隣の彼女を見ると、すました顔で口笛なんか吹いている。
「こうもホイホイ消されては、まともに人とコミュニケーションも取れやしないぞ」
そう訴えると、彼女はにやりと笑い、
「コミュニケーションなんてもう取れないよ。私以外とね。」
と言った。
そこで俺は気付く。
さっきまで人の熱が蔓延っていたこの世界が、完全なる伽藍洞になっていることを。
虫の音も、人の呼吸も、何もかも消えた。
すっからかんの世界。
文字通り、俺たちが世界の中心で、王様で、究極のふたりぼっち。
彼女は、
「もう煩わしいね。一気にやってしまおう。」
そういって指をパチンと鳴らした。
世界は、どこまでも続く水たまりのようになった。
足を少し動かせば波紋は永遠に広がっていく。
どこを向いても水平線が曲線を描き、ああ、やっぱり地球は丸いんだ、と感慨を覚え、けれどそれだと方向が分からない、と頭を回しかけたところで、彼女のねえ、という声に振り向いた。
「ポッキーゲームしようよ」
彼女はそう言ってポケットからポッキーを出し、口に咥え、俺に一歩踏み出した。
俺は彼女に近づき、体が触れそうな距離でポッキーを咥える。
彼女が持ち手の方を咥えたので俺はチョコの方。
サク、と噛み進めたその時、何か柔らかいものが胸にあたり、俺はバランスをくずしてあおむけに倒れた。
頬にこすれるは彼女の髪。
どうやら俺は押し倒されたらしい。
互いの呼吸が聞こえる距離。
近づく彼女の唇。
俺はポッキーを噛むことを忘れる。
呼吸がままならない。
呼吸がままならないのはたぶん、俺の喉にポッキーが刺さってしまったから、、、。
そこで目が覚めた。
どうやら、ベッドにもたれて眠ってしまっていたようだ。
窓の外は薄暗く、しかし風景の輪郭ははっきりしている。
夜はいつの間にか終わっていた。
時刻は早朝だった。
俺以外の皆はまだ寝ている。
そこらへんに転がったビールの缶が昨夜の名残を感じさせた。
ふと、肩の重みに気づく。
見ると、幼馴染が俺の肩に身を預け、静かに寝息を立てていた。
彼女の髪が俺の頬をこする。
俺はぼんやりとした頭で、すでにおぼろげとなった夢の記憶を反芻する。
ベッドの傍らにはポッキーの包装紙。
口の中にはチョコの甘さがへばりついていた。
ありがとうございました。