魔女令嬢の意趣返し
「つまり、どういうことですか? しっかりと説明してもらわないことには、納得しかねますが」
私が放った一言に、周囲がどよめいた。
まさか公爵令嬢でしかない私が、王子ともあろう人物に反論するとは毛ほども思っていなかったのだろう。
もちろん普段の私なら、口を開くことはなかったと思う。
しかし今の私は、少しばかり怒っていた。
それこそ、他人と円滑にコミュニケーションを取ることを美徳としていた自分の信条を忘れるほどに。
その言葉を聞いた美丈夫――ロザリス殿下は若干気圧された様子を見せながらも、先ほどと同じく、高らかに宣言した。
「な、何度でも言ってやろう! エレンディア、貴様との婚約を破棄する」
「あのですね。私は結果が聞きたいのではなく、それに至るまでの過程が聞きたいのですよ。婚約破棄云々の話は先ほど聞きました」
「過程だと? そんなもの、貴様がアリエッタに対して執拗な嫌がらせをしたからに決まっているだろう! 姉ともあろう者がなんと陰湿な……」
当のアリエッタはこちらへ向けて、その性根が滲み出たような意地の悪い笑みを浮かべ、青年に対して猫なで声で語りかけた、
「そうなんですよ、殿下ぁ……。私は何度も止めて欲しいと懇願したのに、お姉様は聞き入れてくれませんでしたの……」
「そういう訳だ! 貴様のような人でなしと婚約する可能性があったなど、考えただけでも反吐が出る!」
その言葉をそっくりそのまま返したい、という気持ちで胸中が満ちそうになるが、すんでの所で自制心を働かせる。
昔を思い返すと、こんな男に本気で惚れ込んでいた時期もあったものだ。
代々生まれ持つ魔力が多い傾向にある私の血筋は、国の中でなにかと特別扱いされがちな一族だった。
王子との婚約もその一部だったが、そんな事など全く知らない当時の私は舞い上がっていた。
無論、現在の状況を考えると、昔の私が感じたものが間違いだらけだったことが良く分かる。
所詮は子供の考えだった、と切り捨てようと思ったが、それで済ませるにはあまりに付き合いが長かった。
それゆえに、今の王子の態度が、私の純情を弄んだように思えてならなかった。
「嫌がらせ、とは?」
「だから、貴様がアリエッタに対して繰り返し行っていたことが――」
「先ほども言いましたが、過程を聞いているのです。結果だけを何百回も聞かされたところで、納得するには到底至りません」
「っ! 例えば、屋敷ではアリエッタが話しかけても貴様は執拗に無視をしているそうではないか! それに、屋敷の者どもに指示をして、陰口を叩かせているとも聞いた! こんな可憐な妹に、よくもそんな事ができたものだな!」
ロザリスの言葉を受けた私は少し考える。
だが、いくら考えても浮かぶ結論は、『そんな事は知らない』ということだけだった。
となると、アリエッタが嘘をついているという選択肢しか残されていない。
しかし、ロザリスがいくら愚鈍だったとしても、そんな簡単な嘘も見破ることができないとは思えなかった。
それに加えて、嫌がらせが事実だったとして、その内容があまりに弱い。
私が直接手を下した、ということなら分からなくもないが、先ほどの内容だけでここまでの大事にするのは一体どういうことだろう。
考えられる可能性はいくつかあるが、その中でも最もあり得そうなのは、ロザリスがアリエッタに惚れ込み、私という婚約者が邪魔になったというものだろう。
アリエッタに対してロザリスが向ける視線には、確かな熱が感じられる。
お幸せに、といってこの場を去るのが本来は最善なのかもしれない。
しかし残念ながら私は、大人しく引き下がれるような質ではなかった。
「証拠はあるのですか? 私が、彼女に対して横暴を働いたという証拠は」
「証拠だと? アリエッタが俺に告げてくれた全て、それが何よりの証拠だ! 貴様、いい加減にしないと……」
ロザリスの近くに立っていた兵士から、剣呑な雰囲気が漏れ出る。
普通なら処罰されかねない状況だが、私は例外だった。
多くの魔法使いを輩出してきた一族、そこに生まれた私は、幼い頃から魔術の研鑽を欠かさず今日まで過ごしてきた。
すごい、天才だ、などと持て囃されたことが魔術の練習を始めたきっかけではあったが、その甲斐あって、国の中では一目置かれる程度には魔法を使いこなすことができる。
これ程ロザリスに対して食って掛かっても処刑ルートへ移行せずに済んでいるのは、魔術という超常の力が持つ武力のおかげに他ならない。
兵士は大方、自暴自棄になった私が被害を出すかもしれないと考えているのだろう。
警戒はするが、手は出したくない相手として私を見ている。
ここまでの前提があってようやく、私はロザリスと対等に話すことができる。
「殿下が仰ったそれは、証拠ではなく証言というものです。アリエッタが嘘をついていないと、どうして言い切れるのですか?」
「ひ、ひどいです! 私が嘘をついているだなんて、そんな事あるはずないのに……うぅ……」
「貴女には聞いていません。それで殿下、アリエッタの証言を裏付ける『何か』はあるのですか?」
私の言葉を聞いたロザリスは一瞬何かを口にしようとしたがためらい、そのまま押し黙ってしまう。
周囲の人間もロザリスの話の内容が滅茶苦茶だと言うことに気がつき始めたようで、ロザリスに対して懐疑的な視線が集まる。
それでも強気な態度を崩そうとしないのは、王子としてのプライドか、ここまで来て後戻りはできないといった考えか。
どちらにしても、この場の雰囲気は私の側へと傾き始めていた。
追い討ちをかけるが如く、私は言葉を続ける。
「反論がないということは、証拠も無しに私を貶め婚約破棄を言い渡した、ということでよろしいですね」
「い、いや、それは……」
公衆の面前で恥を晒すことになったロザリスは、肩を震わせながらこちらを睨み付ける。
普通の貴族なら、次の瞬間に首が飛ばされていてもおかしくないだろう。
しかし残念ながら、私は普通の貴族令嬢ではないし、仮に処刑を言い渡されたとしても、全力で抵抗する所存だ。
それがわかっているのだろう、ロザリスは私に対して苦々しい視線を送ることしかできなかった。
……まあ、そろそろいいかな。
ロザリスの醜態を見て、多少は溜飲が下がった。
いい加減に終わらせるべきだろう。
「……アリエッタ」
「な、なんですか? お姉様は婚約破棄をされたのですから、早くお帰りになってはいかがですか」
「貴女は昔から、努力することが苦手でしたね。魔法の練習を何度もサボタージュしたり……」
「そんな事は今、関係ないでしょう! 早く帰ってください!」
焦りを見せるアリエッタ。
その様子を見て、私は自分の推測が正しかったということを確信した。
「『魅了』を使いましたね」
「なっ、なんのことですか!?」
私の言葉を聞いて、アリエッタは分かりやすく狼狽えた。
『魅了』というのは魔法の一種で、相手の関心を自分に引き付ける効果がある。
効果としては関心を引き付ける程度しかないので、ロザリスの失態が全てアリエッタのせいという訳ではないが、その一端を担っているであろうことは間違いない。
「そんな、私が殿下に対してそんな事するわけないじゃないですか! お姉様、嘘も大概に……」
「『解呪』」
私がロザリスへ指を向けると、彼の頭から黒い魔方陣が浮かび上がり、霧散した。
彼はそのまま地面へ膝を付き、肩で息をしている。
それを見ていた周囲の人々の間に動揺が広がった。
……王子に対して魅了魔法を行使するという大罪。
浮かび上がった魔方陣が、アリエッタが働いた悪事の、何よりの証拠だった。
アリエッタは、婚約破棄を言い渡された私が大人しく引き下がると思っていたのだろう。
かけられていた魔法も、パッと見では分からないように細工されていた。
私以外の人間なら、気がつくことができなかった。
「ち、違うのです! これは何かの間違いで……」
「兵士の方々、何をぼんやりとしているのでしょう? 殿下を魔法で誑かした罪人を捕らえなくてよろしいのですか?」
私の声を聞いた兵士達は慌てた様子でアリエッタに近づくと、「違う」「私は悪くない」と喚く彼女を部屋の外へと連れ出した。
……初めて魔法を教わるとき、私欲のために魔法を悪用してはならないと散々言われるはずなのに、なんて愚かな真似をしたのだろうか。
おそらく、私が手を下さずとも、いずれ同じ結末を辿っていたことだろう。
「それでは、失礼しますね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
私が踵を返すと、背後からロザリスの声が聞こえてきた。
ちらりと振り替えると、笑みを浮かべながらこちらへ手を伸ばす彼の姿があった。
「俺に『魅了』をかけていたというあの女はもういない。俺も少し冷静さを欠いていたみたいだ。だから、婚約破棄の話は……」
「ああ、返事がまだでしたね。婚約破棄については承知いたしました。残念ですが、ご縁がなかったのでしょう」
「い、いや……」
何かを言いたげに私を見るロザリスを置いて、私は出口へ歩き出した。
全ての責任を『魅了』に押し付けて、私との関係の修復を図ろうとしたのだと思うが、あの魔法に洗脳じみた効果があるわけではない、ということを私は知っている。
あの魔法が持つ力は、ただ術者に興味を抱かせる程度の地味なものだ。
彼が私に対して取った態度は間違いなく、ロザリス本人の気持ちを表していた。
最初に婚約破棄の宣告を受けたときから、私の考えは決まっていたのだ。
今さら婚約破棄を取り消そうとしたところで、もう遅い。
「あ、あの!」
部屋から出た私に声をかけたのは、一人の兵士だった。
まだ若さの残るその顔からは、僅かな緊張が見て取れた。
「なんでしょうか?」
「ありがとうございました! 我々だけでは、彼女の悪意に気がつくことができなかったでしょう」
「ふふ、魔法とは恐ろしいものですからね。今後はそういったことにも警戒を強めておくことです」
今回の一件で、魔法というものの脅威について改めて周知された。
今後は、他国から似たようなことをされる可能性に対しても警戒が高まることだろう。
そう考えた場合、魔法に対抗するための魔法、つまり私のような人間が必要となる。
少なくとも今後、私の扱いが悪くなるということはないだろう。
自らの未来に思慮を巡らせながら、私は家に帰るため再び歩き出す。
後に残されたのはエレンディアの活躍を目にした観衆と、醜態を晒すロザリス王子だけだった。
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