しんがり
「はっ、はっ、はっ」
呼吸のリズムを整えながら、全力で走るシャド。
勢いのまま家の扉を開いて転がり込むと、すぐさま倉庫に入って旗を持ち出し、肩に旗を担いで村の方へ再び走り始める。
「緊急事態です!!!誰か!!!聞こえますか!!!」
木標を辿りながらそう叫んでいると、遠くにまばらに経っていた村の人々の数が徐々に増えていくのが分かった。しばらくするとこちらへ向かい走り出したため、シャドは一旦走るのを止めた。
どんどんと村民達が近づいてくるが、一向に速度を落とす気配がない。少し考えて彼らの意図に気付いたシャドは、旗を地面に置くとカシャのいる方角へ走り始めた。
後ろから声が聞こえる。
「何があった!」
「カシャが、十数人の侵入者を見つけました!!おそらく問答無用で襲いかかってきます!!」
そういった直後、シャドは村民たちの足音がより激しくなったのを感じ取り、一段階走るペースを上げた。
遥か遠くに見えた、極小だったはずの黒い塊がだんだんとその大きさを増していき、はっきりと姿が見えるようになった。黒いチェインメイルをつけている。ヘルメットはない。
抜剣した状態で頭をフラフラと揺らしながら歩いており、様子がおかしいことはすぐに分かったが、眼光の鋭さがいつもの侵入者と段違いだった。
「肉食獣のような目つき......」
侵入者の脅威度を上方修正したカシャは、背中に背負っていた弓を手に持ち、矢筒から一本の矢を取り出すと、上空に向かって放った。その矢は飛ばすことによって大きな音が鳴る仕組みになっており、シャドとその後ろを走る村民達にその音が聞こえた。
「今の音は......」
「交戦の合図だ」
「ッ!!」
そう言われるなりシャドはトップスピードで走り始めた。村民達を圧倒的な速度で突き放していく。
「長く走ったのに、早いな」
シャドと会話していた男は、緊急事態の割にはどこか間延びした声でそう呟いた。
カシャが、兵士の集団に対して弓の射程距離ぎりぎりから矢を放っているのが見える。斜め45度で雨の中飛んでいく矢が、驚くべきことに集団の真ん中あたりに吸い込まれていった。それも信じられない連射速度で、もう第二射が行われている。
射撃に気づいた侵入者たちは、一斉にシャドの方へ駆け出した。カシャははこちらへ逃げながら時々体を捻って追ってきた侵入者達に矢を放つ。
シャドはカシャの進行方向から少しずれた場所に抜剣した状態で伏せ、侵入者達の接近を待つ。カシャが横を通り過ぎていき、少し遅れて侵入者達が通り過ぎようとした瞬間、シャドが襲いかかった。
「はああッ!!!!!!」
走る侵入者達の中に剣を、刃を水平にした状態で突き込むと、一人が横腹を割かれてよろけ、その後ろの二人ほどが巻き添えになって置いてきぼりにされた。残りの侵入者達は狂気の中でも判断力が残っていたのか、シャドより脅威度が高いカシャをそのまま追いかけた。
残された二人が長剣で切りかかってくる。体重を思い切り乗せた、防御のことを一切考えていないであろう斬撃がシャドに襲いかかる。
「くっ」
隙を突きたいシャドであったが、二人掛かりで襲いかかってくることに加えてどちらも以前戦った侵入者達より力が強く速いため反撃できず、防御と後退を強いられる。
「こうするしかない!」
まさに剣を振り下ろさんとした左の侵入者に対して剣を斜めに構えて突進する。振り下ろしに剣を合わせることはできたものの肩に少し剣が食い込んだ。だが筋繊維は断裂していない。
「ふんッ」
そのまま少し重心の浮いた相手を突き飛ばすと、すぐさま左にステップ。直前まで自分がいた場所を右の侵入者が薙ぎ払い、肘付近にかするが、これも問題なし。
右の侵入者に向き直ると両腿を切り裂く。二足歩行に欠かせない筋肉を破壊された相手は倒れ際に信じられない姿勢から信じられない威力で剣を投げ飛ばしてきた。とっさに顎を引き顔を反らし正中線を守るように剣を構えると、回転した剣が横腹に当たったが持ち手の方だったため事なきを得た。さすがのシャドでもこの勢いの刃が当たれば出血は避けられなかっただろうだろう。
「向こうは」
突き飛ばした相手の方を見ると、立ち上がりかけていたためシャドは腹に当たった剣を投げると同時に走り出した。投げた剣は弾かれたがその間に距離を詰め、斬りかかる。中腰で不安定な姿勢だった相手は二、三合の後に首を切られて絶命した。
「だいぶ、慣れてきたな......」
カシャが引き付けていた侵入者たちは村民達に残らず討ち取られた。
そこかしこで死体の検分、処理が行われている。
シャドがその様子をぼーっと眺めているとカシャが近づいてきた。
「村民達と話すことがある、先に帰っていて」
「それなら、弓を貸してもらいたいんです。練習したくて。走りながら振り返り様に弓を放つなんていう神業はいくら練習してもできそうにありませんが」
「シャドも三人を倒したと聞いた。体が頑丈なだけで成し遂げられることではない。誇れることだ」
「ありがとうございます」
感謝を述べて、シャドは差し出された弓を受け取る。
「練習用の矢は倉庫の中にたくさんある。そういえばもう何年も使っていなかった......いけない、そろそろ行かなければ。日没前には戻る」
自分を見つめる何人かの村民の視線に気づいたカシャは、一瞬恥ずかしそうな表情を見せたが急に思い詰めた顔つきに変わり、急いでどこかへ走り去っていった。
「どうしたんだろう」
事態がいまいち飲み込めないシャドであった。
カシャは数人の村民に付き添われて村へ入る。中央の広場に着くと、朱の椅子に座っていた老婆が立ち上がった。
カシャはいつになく緊張した面持ちで老婆の前に立つ。
「お話が、あります」
「あ」
弓の練習をしていたシャドは返ってくるカシャの姿をみつけた。日没前には帰ると言っていたカシャだったが、日は既に暮れ、空には星々が少しずつ姿を現し始めていた。
「予定より遅くなってしまった、すまない」
「いえ、弓の練習に夢中で時間を忘れてましたし何も気にしてませんよ」
矢をつがえながらそう返答するシャド。
「話がある。
...今日のような村民の応援はもう期待できないことになった」
「え!?どうして」
カシャがとんでもない事を言ったために集中を切らしたシャドは見当違いの方向へ矢を飛ばしてしまう。
「ただでさえ限界寸前の防衛体制、さらに侵入者達の勢いが増せば決壊してしまう。安全を考慮して村はこの地から撤退することになった。私はその時間を稼ぐ」
そんなバカな。一人で防衛戦なんて気が触れているとしか思えない。
「あの人数を迎撃!?死ぬ気なんですか!?そもそも、神聖なる土地を守るという村の使命は...」
「大丈夫だ、秘策がある。使命を果たすことができる秘策がある。村は使命を私に託した」
カシャは真剣な表情できっぱりと言うが、秘策という抽象的な言葉しか使っていないために、肝心の中身が伝わってこない。もどかしさを感じるシャド。
「一体どのような方法なのですか」
「それは......言えない」
一旦言葉を区切ったカシャは、珍しく視線を泳がせてそんなことを言った。
「言えない?」
「言えない。今知らせることはできない」
「そうですか...」
少し悲しそうな表情をするシャド。
「私は...シャドに時間稼ぎを手伝ってもらいたいんだ。
事情があって、伝えられないことが多い...だがシャドの命の安全は保障するっ」
「...」
黙りこくるシャド。そんなシャドに対してどんどん不安そうな表情になっていくカシャ。
「怪しまれるようなことを言っているのは、自分でも分かっているけれ...」
「信じます」
カシャの発言に割り込むようにシャドがそう言った。
「信じます、当然。僕は当然時間稼ぎを手伝いますし、当然カシャを疑うこともしません!!」
あっけらかんと言い放つシャドのあまりの堂々とした様子に、少し照れたカシャは思わず顔を背ける。
「......簡単に信じるなんて言うな。私が悪人だったらどうする」
「何もない状態の自分に名前と知識を与えてもらった人が悪人だとしたら、もうどうしようもないですよ。それに善人から貰った恩でも悪人から貰った恩でも、恩は恩です。
秘策の中身を言えないと聞いて、すこし心に迷いが生じてしまいましたけど、気にしないでください」
シャドは優しげな瞳でカシャを見つめる。
「そうか。ありがとう。
まさか受け入れてもらえるとは思っていなかったけれど....言って良かった」
カシャは微笑みながらそう言った。




