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不撓不屈の奪還記  作者: じゃんべら
第1部 魅入られた者達
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名前と狩り

「えーっと、詳しいことは粘土板に書いてあると思うので、とりあえず見てみてください」

弘樹がそう声をかけると、その人物はスタスタと歩いてこちらに近づき、粘土板を覗き込んだ。身長は自分と同じくらいだ。年齢もそう離れているような気はしない。

「事情は分かった。まず家の中へ」

「あ、分かりました。」

大人しく後ろをついていく。歩いたり、家の扉を開けたり、何気ない動作から運動神経の高さ、体幹の強さのようなものがうかがえる。自分を取り囲んだ人達もそうだったが、カシャさんからはより強く感じる。

それ以外にも先程の人達と違うところがあった。

あの赤い瞳。他の人は青色だった。カシャさん一人だけがここに住んでいることと関係がありそうだ。

「そこに座って」

小麦色の薄い敷物に腰を下ろす。床の素材はどこか畳に似ている。壁は...土壁の中にところどころ木壁が埋もれているという不思議な状態だ。そして四面全てに扉がある。そのうち二面には木製の両開きの引き戸がついていて、そのどちらもが開いている。開いた隙間からは縁側のようなものが見える。片方からは夕日が部屋に差し込んでいる。夜はもう片方から月の光を入れるのだろうか。

「粘土板には、客人が満足するまで泊めるよう書いてあった。食料も今のところは余裕がある。」

「ありがとうございます。じゃあ早速質問を...」

「待って。名前は?」

「名前は、堺弘樹といいます。もしくは弘樹」

「...不思議な名前だ」

わけがわからないという顔をしている。自分の名前を喋るときだけ「日本語」が発声されるためこの世界の人達にはとても奇妙な発音に聞こえるんだろう。

「ですよね。もっと自然な名前が欲しいです。あ、僕に名前つけてもらえませんか?」

「...簡単に決めて良いのか?」

「良いです」

今の名前だと不便だし。思い入れもない。

「シャド。シャドだ」

「シャド、ですか。なんかいい名前ですね。ありがとうございます!ちなみに意味とかあるんですか?」

「いや。名前に意味を与えるのは呪いに近い。良いことではない」

「そうなんですか...」

「そうだ、シャド。私のことはカシャと」

「わかりました、カシャ。まずここがどこか、ここの外はどうなっているのかが知りたいです。地図のようなものはありますか」

「持ってくる」

そう言ってカシャは奥の扉に入っていった。

それにしても、見た目の年齢からは想像もできないほど落ち着いた雰囲気がある。強そうな雰囲気も相まって武術の達人のように思える。普段どのような生活を送っているのか気なるな。

「これだ」

そう言われてカシャの方を見ると、かなり巨大なつぎはぎの布が丸まったものを抱えていた。カシャはそれを地面に広げる。

「このあたりに村がある」

「すごい...」

書き込みがかなり細かく、それでいて広範囲を記述した地図であることが何となく分かる。「これは、カシャが書いたんですか?」

「私は村と神聖なる土地を守っている。侵入者に対応することもある。ほとんどは襲いかかってくるから殺す。死体は埋めるが、持ち物は埋めない。私が殺した侵入者の持ち物と、私がここに来る前に殺された侵入者の持ち物は奥の部屋にある。地図は多くある。多くの地図を元にして、一つの地図を描いた」

「え、殺... あ、なんでもないです。

へぇー、地図を描いたんですか!外出するなら地図は必要ですもんね」

「いや、私や村人はここを離れることはない。必要はないが、作りたくなった」

「どうしてですか?」

「外の世界を思って、描くのは、楽しいからだ」

そういうと、カシャは少し笑った。さっきまで困惑した顔とぶっきらぼうな顔しか見ていなかったので弘樹は少し安心した。




「今日はここまで。シャドが寝るところを作る」

地図の他にも衣食住についてカシャにいくつか質問をしたところで、カシャはそう言った。

「柔らかな材質の床ですし、大丈夫ですよ」

弘樹がそう言うとカシャは丸まった状態で壁に立てかけられていた布を手に持った。

「私は床にこれを敷いて寝ている。虫払いの香料をかけた布だ。これが虫を遠ざける。眠りは妨げられず、虫による病も減る」

対策しないと満足に眠れないほど虫が多いのか。草むらに囲まれているわけだし当然か。

そして医療が十分に発達していないと、虫が媒介する病気は猛威を振るう。

「そんな事情があるんですね」

「虫払いの香料は倉庫にある。だが肝心の香料のよく染み込む草がない。今から取りに行く。周辺の警備も兼ねる」

カシャはすでに準備を始めている。

「わかりました...ちなみに、警備ってカシャ一人でやってるんですか?これだけの面積を常時監視するには最低でも4人くらい必要な気がしますけど」

「一人でできる。警備中に侵入者と遭遇する可能性がある。シャド、武器と戦闘の自信は?」

「武器は、おそらく粘土板に記されていたと思いますがこれです。牙の鞭と僕は呼んでいます。戦闘もほとんど経験がないですが、兎にも角にも体の頑丈さには自信があります。自分で自分の身を守るぐらいならできるはずです。まさか。侵入者達はあの森に住む生物より恐ろしいなんてことはないですよね?」

「侵入者で私に勝てたものは一人もいなかった。侵入者は殆どが満身創痍で来る。

…なるほど、鞭はフードの中にあるのか。なら、この弓を持ってくれないか。草を入れるカゴと弓を同時に背負うと勝手が悪い」

「もちろん持ちます」

「ではいくぞ」












月光に照らされた草原をシャドとカシャは歩く。冷たい風が吹きすさぶ。

「夜は随分冷えますね」

「私はこのくらいが丁度いい。...あったぞ」

そういうとカシャは駆け出した。慌ててその後を追う。

「よく見えますね!僕には全くわかりません!」

走りながら声をかける。

「周りの草に紛れている。見分けるのは難しい」

上半身を全くぶらさず走っているカシャが答える。

いつ見ても凄まじい体幹だ。

「これだ。半分ほど獲っていくぞ」

「なかなかの量ですね」

自分のカゴをもっていないため、カシャの背負っているカゴに草を放り込んでいく。

「このくらいで十分だろう。警備のため遠回りをして帰る」

カシャは背に左手を回してカゴの重さを確かめながらそう言った。右手には棍が握られている。草の採取の時も棍を離すことはなかった。これが武人の心得というやつか。

「見つけた。侵入者だ」

カシャは下を向きながらそういった。

「え!?なんで下を向いているのに見つけ...」

「弓を」

「は、はいどうぞ」

問い詰めたいが緊急事態なので仕方がない。

「ある程度まで接近する。全力で走る。」

カシャは背中のカゴを地面に下ろすと猛烈な速さで走り出した。


あっという間に置いてかれてしまったが、遠くまで見渡せる起伏の少ない草原では、ある程度距離があっても人の姿は判別できる。

自分も全力で走るとしよう。



シャドは弓をつがえているカシャの数歩後ろで立ち止まった。

「ここは、我らの守る神聖なる土地。今すぐ止まれ、武装を解除しろ」

そうカシャが呼びかけているのは、20mほど向こうにいる男。ボロボロの鎖帷子を着ている。前髪が伸び切っていて目元がよく見えない、体を左右に揺らし、小声でぶつぶつと何かを呟きながらカシャに近づいてくる。

「従わなければ射殺す。3、2、1...」

パシュッ。

乾いた音が聞こえると同時に弓の力みが開放され矢に乗って男の元へ向かう。隙間の多い鎖帷子に阻まれることなく男の腹に刺さった。男は倒れた。

「死んだな。見つけた時点で死にかけだったが」

「敵意があるというより、完全に正気を失っているような雰囲気でした」

肉体的には死の手前、精神的には既に死んでいたように思える。

「私は、5年ほど前からこの警備を行っている。最初のうちは殺す結果になることはなかった。言葉の通じる、流民がほとんどだった。だが2年ほど前から、この男のような異常な雰囲気の人間ばかりが来るようになった。現れる頻度は増え続けている。今は3日に一度は出る」

「そんな頻繁に...」

「戦う格好をしたものがほとんどだ。南の方で争いがあるのだろう。だがそれにしても様子がおかしい」

「なにかぶつぶつ言ってましたね。聞き取れましたか?」

自分は聞き取れなかったが、カシャはどうだろう。

「民族によって言葉に癖が出る。完全に通じないことは今までにない。言葉の意味はわかるが...いや、単語の意味はわかる」

「というと?」

「何かと伝えるための言葉になっていない。単語と単語の繋がりがでたらめだ」

「発狂してしまったんですかね」

「さあ。死体を運ぶ。両足を支えてくれ」

カシャが両手を持ち、シャドは両足を持つ。

勿論人の死体を誰かと素手で運ぶのは初めてだが、間近で見てもあまり恐怖の感情は起こらない。森での生活で死体には慣れた。

「あの、カシャは初めて人を殺したとき、どのようなことを思いましたか?」

不快に思わせてしまうかもしれないが、どうしても気になった。

「村では、掟を破ったものは磔にされることがある。磔になったものは、皆に無言で石を投げられる。幼い者も、老いた者も、みな参加する決まりだ」

子供にも石を投げさせるというのは驚きだ。

「その時は何も思わなかった、だが初めて一人で人を殺したときは、

恐怖を感じた」

「なんか、安心しました」

「よし、埋めよう」

気づけばそこら中に細長い穴が掘られている場所に来ていた。そこに死体を横たえ、土を被せていく。

「特に価値ある物を持っていないようだな」

カシャはさっと死体を一瞥してそう言う。

「盗まれにくいところに高価な装飾品を隠し持っているかもしれませんよ?」

「一回だけ、死体を切り開いた時に胃袋の中から宝石類が沢山出てきたことがあったが、それっきりだ。最近の侵入者は水筒や食料を所持していることすら稀だ」

「南で何が起こっているのかますます気になってきました」

あまりにも奇妙な話だ。間違いなくこのような侵入者が増えているのは放っておいていい問題ではない。

「私も気になるが、片時もこの地を離れるわけには行かない」

抜群に眼が良く戦闘能力も高いはずのカシャの代わりが務まる人間はまずいないだろうしな。

「じゃあ、僕が十分に常識を身に着けたら、調査しに行きますよ」

「それは...助かるな」

微妙な表情でカシャが言う。全く期待していないようだ。

「まあ、あまり力になれるかは分かりませんが...そうだ、大事なことを忘れてました。人と交流して事情を調査するにも、僕は礼儀作法も覚えていないんです。これだけは覚えおけというのがあったら教えて下さい」

「この地から離れたことこそ無いが、侵入者は様々な民族がいる。外の世界の慣習に触れる機会は多かった。前任者の手記にも礼儀作法が記録されていた」

「前任者、というとここを一人で守る役目の前任者ですか」

「そういうことだ。驚くことに粘土板ではなく、紙の本に記されている。どうやら侵入者から何も記入されていない本を貰ったらしい」

「それはすごいですね。製紙は大変でしょうし」

「ん、紙の本についての知識もあるのか。手記には紙の本はかなり珍しく存在を知る者すら少ないらしいと書かれていた。記憶を失う前のシャドは博識な学者だったのかもしれない」

顎に手を当てながらそう口走るカシャ。

「...有り得る話ですね」

高度に発達した教育を受けた現代日本人ははかなり博識だと言えるだろう。カシャの聡明さが少し怖いな、記憶を失ったという嘘が見抜かれかねない。

「まあ、失う前のことを考えても仕方ない。戻れないなら前に進むしか無い。今日は寝床を作った後礼儀作法を教えることとする」

「よろしくお願いします、カシャ」

カシャは最初の方こそ少し喋り方に違和感を覚えたが、狭い非近代的な集落に住んでいるとは思えないほど語彙が豊かだ。自動翻訳でそうなっているだけとはとても思えない。地図の話もそうだ、本来はかなり知的好奇心が旺盛な人間なのだろう。しかしカシャにはこの地を守るという責務が、いや使命がある。本人にとってそれは幸せなのか、分からない。だが相手の文化に容易に踏み込むべきではないか。





シャドは床に就いたが、カシャはまだ寝ていない。

両開きの窓から月を眺めている。

「まともに人と会話したのは久しぶりだった。自分自身、ぎこちなさを感じるな」


カシャはすやすやと眠っているシャドに視線を移す。「初日でこれほど早く眠ってしまうとは...警戒心はないのか?」

「いや、それを言うなら私もか。記憶がなく、森から来たという怪しい人間であるシャドに対してほとんど警戒していなかった」

「名前をつけるというのは、今思えば取り返しのつかない重大な事だった。どうしてあんなことをあっさりしてしまったのだろう。わからない」

カシャは月の方へ視線を戻した。

「まだ、時間はある。己の力でなんとかなる内は...」


主人公の作中での名前が弘樹からシャドに変わりました。

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