森の脅威
弘樹は不安定な沼の上を伏せながら40mほど移動し、森の中に入る。
森は暗く、そこかしこに聳え立つ木々はどれも20mは下らない高さで、幹や枝に赤い蔓が巻き付いている。枝は幹の上部3分の1ほどから急激にその密度を増す。地表に生えている植物はそう多くはない。
「木の実や川を探したいところだが、下手に動物と遭遇するのも怖い。石や木の枝で追い払えるものなのか...?」
とりあえず近くにあった木の枝を折って手に持ち、落ちていた小石で地面を掘ってこぶし大の石を掘り返し、ポケットに入れる。そこで気づいたがどうやら自分はポケットの付いた灰色のローブを着ているようだ。確認したところ、ズボンや下着も灰色をしている。
「お」
しばらく歩き回っていると、黄色く丸い実がついた木をみつけた。だがかなり高いところに実ができていて、登って取りに行くのすら難しい。
「揺らして落とそう」
木の幹に向かって思い切り前蹴りをする。自分が予想していたより強力で、べきべきと音がなった。
木が大きく揺れ、いくつかの実が落下し始めたが、そこで理解不能な出来事が起こった。
落下する実すべてが地面に落ちる前に姿を消したのだ。
それと同時に木の上部が、ぐにゃりと歪んだように見えた。その歪みは森の中を縦横無尽に高速で駆け抜けていった。
「・・・何だ、あれは」
それは歪みとしか表現できなかったが、実を持ち去ったのは確かだ。
異常現象に対して弘樹はいくつもの疑問を思い浮かべる。あの動きを見るに、自分で実をとるのは造作もないことのはずなのに、なぜわざわざ落下し始めたものだけを拾ったのか。なぜ姿を隠せるのか、またそのように進化したのか。また音もほとんどしなかった。
「さっきの奴らが目立たないように行動しているということは、さっき木を蹴って音を鳴らしてしまったのは不味かったか。少し離れて様子をみるか」
見えない何かにとってあの実に価値があるなら、人間の自分にも食べられるかもしれない、それがわかっただけで収穫はあった。
早足で歩き、大きな茂みに身を隠す。
その直後、突然爆発音が鳴った。木が破裂し、その根本に半径5mほどの大穴が開く。中から出てきたうねる細い銀の線が、木の破片を絡め取り、穴に引きずり込む。それが終わると穴も消え、周囲と見分けのつかない普通の地面に戻った。
あまりに恐ろしい光景に弘樹は心臓の鼓動が鳴り止まない。
この森の地下には化け物が住んでる。振動を感じて出てきたとするとこの森とさっきの歪みの静かさに説明がつく。あの歪みは姿を隠していた。ということはさっきの振動に反応する化け物の他に見られると危険な化け物もいるのかもしれない。
どうしたら良いかわからずじっとしていると、次第に心が落ち着いてくる。と同時に、急激な眠気に襲われた。
目が覚めると、森はより暗くなり、その中で蔓だけが赤く鈍く光っていた。弘樹はこれなら木にぶつかることはなさそうだと思い、茂みから出て歩き始めた。
「地下にあんな化け物がいるなら、地上で暮らしたいやつはまずいないだろうな」
多くの生き物が樹上で暮らしているはずだ。自分は地面を歩くしかないので、他の生き物が地上にいないとしたらそれは僅かな救いとなる。
そんなことを思いながら歩いていると、足元に青く光った細長い物体を見つけた。しゃがみこんで一つ手に取り、顔に近づける。
「変な匂いはしないな。そして柔らかい」
この際、柔らかいなら食べるしかない。そう思って恐る恐る口に入れる。
なんの味もしない。水分が多く含まれている、という感想しか出てこない。栄養になるのか怪しいがとりあえず近くにあったものはすべて食べることにしよう。
そう考えた次の瞬間、突如として左腕を強烈な衝撃が襲う。たまらずふっ飛ばされ、ごろごろと地面を転がされる。当たりどころがよかったのか、痛みはない。
「く、一体何が」
仰向けの姿勢から立ち上がろうとしたところを、今度は腹に一撃。衝撃で体がくの字に折れ曲がるが、反射的に攻撃してきた相手を掴んだ。
「があああああああ!!」大声で叫び、自分を奮いたたせる。そのつもりだったのだがかえって妙に頭が冴えた。生き残るためにはとにかく攻撃だ、覚悟を決める。両手で相手を掴んでいる今の状況で使える攻撃手段は唯一つ。
掴んだ相手を口元に引き寄せ、歯を突き立てる。顔ごとねじって食い込ませ、全力で引っ張る。ちぎれた肉片を口から吐き出し、また突き立てる。
相手もこちらの腕に幾度となく攻撃を加える。肉が削げ、血が吹き出る。だがここで腕を離し相手に離脱を許せば、ヒットアンドアウェイで慎重に戦ってくるかもしれない、そうなれば自分は暗闇の中でわけもわからず殺されてしまう。
もみ合っているうちに相手の姿かたちが何となく分かってきた。4足歩行で大型犬サイズ、長く強靭な尾も持っている。そして今自分は上に乗ってきた相手の左前足の二の腕に噛み付いている。
何度も噛み付いて拡大した傷口に左手の親指を食い込ませる。と同時に顔に噛みつく。鼻先でも目でも耳でもどこでもいい!
無我夢中で噛みつき続ける。気づけば視界が赤く染まっていた。瞼の上でも引っかかれたのか噛みつかれたのか。相手の返り血か。だがそんな視界でも相手が弱っていることは読み取れた。すかさずマウントポジションを入れ替える。ポケットに入れておいたこぶし大の石を両手でもち、上半身をうねらせて強かに打つ、何度も打つ。
相手の頭部が完全に原型を失ってから、ようやく手を止める。疲れた、体が休息と栄養を欲しているのがわかる、手で地面を探り、柔らかい部分を見つけ次第胃に送り、青の光の中に身を隠した。
降り続いていた雨は止み、夜が明ける。しばらくして弘樹は低音の遠吠えで目を覚ます。雨はやんだようだ。夜が明けたのだろうか、茂みから様子をうかがうと薄暗くともそれなりに遠くまで見渡せるこの森の木々の隙間に、それもいたるところに狼のような何かが一瞬見えたが、またたく間に透明になってしまった。あの遠吠えは味方同士で位置を確認し合うものだったのかもしれない。
しかしまずい。奴らはほぼ間違いなく昨夜倒した敵と同種だろう。昼は化け物の活動時間だからなのか、一匹倒されたことをわかっているのかいきなり襲いかかってくることはないようだが、夜まで粘られたら最悪だし、やつらが動かず姿を潜めているだけでもこちらはまともな食料確保ができない。
「自分ではどうしようもないか...」
外的な要因でどうにかなるのを待ちたいが、タイムリミットは日没。それまでに何も状況が変化しないようだったら、大きな音を立てて狼もどき達をビビらせながら逃げるしかない。音が出た場所への地下の化け物の襲撃は運が良ければ時間がかかるはずだ」
そんな危険な行為をすることにならないよう、狼もどき達が諦めるのを弘樹は祈った。




