苦悩する二人
「すいません、マキリクス家っていうのを知らないんですが...」
シャドがおずおずとそう言うと、イオナが説明を始めた。
「スパネテのマキリクス家といえば、政治や学問で歴史に名を残してきたことで有名なの!!近隣諸国で名前を知らない人はほとんどいないよ!」
「俺とイオナは、マキリクス家が発見したというマキリクス遺跡に行ったことがある。様々な場面でその家名を聞く」
レオも補足する。
「...そんな名家から脱走でもしたのなら、大騒ぎになるはずですよね」
マキリクス家の有名さを聞き、当然の疑問を抱くシャド。他の面々も思うことは同じのようだ。
「...たぶん、あんまり騒がれてないっす。追手に会ったことも、噂話も流れてこなかったっすから。
まあ、当然そうだろうなって感じっす。というのも、オレって全然勉強ができなくて。からっきしだめっす。沢山いた兄弟の中で一番出来が悪かったオレがどっかにいったところで、丁度良かったと思われるだけっす。オレみたいな奴が自分はマキリクス家の貴族だと行ったところでどうせ誰も信じないし、ほっとけば良いと考えたはずっす。...一人だけ、心配してくれそうな人がいるっすけど」
マシャールは暗い表情で事情を説明する。
腕を組み、黙って聞いていたローグが口を開く。
「お前はそう考えてるんだなマシャール。だが、能力より慣習が優先されんじゃねぇか?
年長の男が家を継ぐというのはそこらの家だろうが貴族だろうが同じはずだ、平民のオレにもわかる。マシャール、兄は何人いる?」
「一人だけっす」
「...例えばマシャールに一番歳の近い弟がいて、そいつが家を継ぎたいと思ったら、マシャールの兄とマシャールの存在は邪魔になるな」
「っ!!!」
ローグの仮説を聞き目を見開くマシャール。
「これならマシャールが命を狙われることに説明がつく。
まあ、肝心なのは命を狙われる状況をどうにかして変えることなんだが。どうすればいい...」
ローグはうんうんと悩み始めた。
「...あの、マシャール君が一旦家に戻って、後継ぎとしての権利を完全に放棄すればいいと思うんです」
シャドは思いつくままに喋ることにした。
「絶縁みたいなものが、正式な制度として存在するはずです。でなければ相当不便になるでしょうし。マシャール君は、誰にも言わずにこっそり抜け出したんですよね。つまり、正式な手順を踏まえていないからマシャール君の今の立場は曖昧で、命を狙われてしまう。だったらもう、一旦家に戻って話し合うしか無い、と思います」
「貴族が聖職へ進んで自らの地位を放棄する、みたいな話は聞いたことがある。おそらく権利の放棄は可能だろう。だがシャド、マシャールの故郷であるスパネテはここからかなり遠い。十中八九、辿り着く前に襲撃を受ける。その案では時間がかかりすぎる。
…って、シャドに言ってもどうしようもねえよな。誰か、早急な解決策を思いつくやつはいるか?」
ローグが呼びかけると、イオナが手を挙げて発言した。
「解決策、というか指針でしかないんだけれど...もう一回、襲ってきたときに何かすればいいんじゃない?捕まえて情報を吐かせるなり、伝言を頼むなり。それ以外考えられないよ。レオ、協力してあげてね」
「わかった」
「お前らも、厄介な問題に巻き込んじまったな。
…そうだな、イオナの言う通りだ、それしかない。悩んでいてもしょうがねぇ。街に入れば襲われる危険が却って増すかもしれないが、後ろ暗い奴らの巣窟であるこの場所ももちろん危険だ。よって、街のすぐ近くまで警戒を強めて進むこととする。夜の見張り番は二人にする。これでいいか?」
全員が頷いた。
それから数日後の話。舞台は変わって、遠方の国スパネテのバスク地方。
絢爛の限りを尽くした豪勢な石造りの館の一室で、黙々と業務を行っている中年の男が一人。名を、ウィルバル・マキリクス。マキリクス家当主フィンバル・マキリクスの弟であり、跡継ぎ争い激しい貴族世界において、跡継ぎとなる権利を放棄して兄のフィンバルと共に二人三脚で家を盛り立ててきた。
仕事に没頭していたウィルバルは、自室のドアをノックする音に気づいて顔を上げた。
「ウィルバル様、マシャール様”捜索”の件について、請負人から報告が届きました」
「っ!!!...入れ」
フィンバルはマシャールの名前を聞いた瞬間心臓が跳ねた。一呼吸置いて平静を取り戻し、腹心の部下を部屋に入らる。
「失礼します。...こちらです。読み上げさせていただきます。
他の利用者様からの任務の遂行中、兵士の出で立ちをしたマシャール・マキリクス様をヴァルハラ周辺北西にて偶然発見致しました。
万全の体制を整えた上での夜襲により依頼の達成を試みましたが、マシャール・マキリクス様の近くにいた男に阻まれ失敗に終わりました。
私は十数年この仕事を行っておりますが、あのような人間には初めて出くわしました。不死身の怪物、としか形容できません。疑念はお有りでしょうが、私が保身のために言っているのではないことをどうか信用していただきたい限りでございます。
その化け物がマシャール・マキリクス様のお近くにいる間は、依頼の達成はかなり難しいものになります。誠に申し訳ございません。
…とのことです。」
部下が報告を読み終えると、ウィルバルは深く息を吐き、椅子にもたれかかった。
「...」
無言のウィルバルは、机の中から一枚の人物画を取り出した。
そこに描かれていたのは、並んで立っているウィルバルとマシャールの姿。
この人物画は、請負人にマシャールの顔を覚えてもらうため見せた絵だった。
その絵を、じっと眺めるウィルバル。長い静寂が部屋を支配する。
ウィルバルが口を開いたのは数分後だった。
「依頼は、...取り消すこととする。だが報酬は払え。加えて、別の依頼をする」
ウィルバルはそう言うやいなや、さらさらとペンを動かし手紙を書き始めた。
「マキリクス家の中に、出奔したお前の殺害を計画した者がいた事が発覚したため、処罰を与えた。罪は計画者に有り、請負人にあらず。請負人を責めることのなきよう。
一度戻ってきてくれないか、マシャール。
ウィルバル・マキリクス」
ウィルバルは高速で手紙を書き上げると、部下に渡した。
「これを届けさせる。請負人には文章を確認するよう知らせろ」
「...了解致しました」
請負人に対して破格の対応、ともすれば不用心が過ぎると思える行動をするウィルバルに対し部下は一瞬動揺を見せたが、何事もなかったかのように返事をした。
「確か、名は夜陰といったか...この請負人は、今まで密命を与えた請負人達の中で最も信頼に値する。その筋の情報網でも高く評価されていたが、噂通りのようだ」
「っ!申し訳ございません」
動揺を見抜いたことが分かるウィルバルの発言を受け、慌てて謝罪する部下。
「謝らずとも良い。下がれ」
「はっ」
部下は静かに部屋を去っていった。
「...」
ウィルバルは人物画を机の中にしまい込むと、椅子に首を預け天井を見やった。
「...どうしたいのだ、私は」
(マシャールが無事だと聞いた時、心底安心した。殺害を命じたのはこの私だというのに。そして今は依頼を取り下げ、マシャールに戻ってこさせようとしている)
「...くっ」
(マシャールは次男だ。本来次期当主ではなかった。だがマシャールが出奔した後、次期当主であった長男が変死しマシャールが次期当主となってしまった。マシャールは清い心の持ち主ではあるが当主の器ではないし、本人も当主を望むことはないだろう。だが、家を継ぐ権利の放棄には当主の許可が必要であり、当主である我が兄上はいまや病が進行し意思の疎通が取れない状態だ)
「...」
(私はマシャールに戻ってこいと言った。だが戻ってくれば事態が解決するわけではない。マシャールが心変りし当主になったとして、依然としてマキリクス家の将来は危うい。そもそも長男の変死の原因がわからない、企てがあったのかもはっきりしていない。三男以後の誰かが次期当主の座を狙って長男を殺したとするなら、マシャールを呼び戻したところで殺されてしまうかもしれない)
「...」
(私はマシャールに情けをかけ、問題を先送りにしただけだ。結局の所、彼が戻ってくれば決断を迫られる)
「...はぁ」
ウィルバルはため息を付いて椅子から立ち上がると、窓に映る自分の姿を見つめる。
(私は、過去の私が最も毛嫌いしていた性根の腐った貴族に成り果ててしまった)
窓の向こうに見えた空には、暗雲が立ち込めている。やがてぽつぽつと降り出した雨が窓の硝子を叩く様を、ウィルバルはただひたすらに眺めていた。
さらに数日後。シャド達が目指した街、ビリジンにある平凡な建物の一棟で、頭を抱える女が一人。名をデルコ...”夜陰”の名を轟かす、一流の請負人。
「依頼取り消しだと...まずいことになった」
(報酬は支払われ、別の依頼を頼まれた...それ自体はいいことだが、依頼取り消しとあの手紙が意味するところは、襲撃する機会の消失。私は今まで、顔を見られた相手はかならず殺してきたというのに...)
「いや...」
(そもそも私が死力を尽くしたところで、あの男を殺しきれるかはわからないが...だが顔を知られるのは困る。私が年若い女だということを広められては困る)
デルコは自らの性別や、活動年数、年齢などについて嘘をついており、その嘘は隠密行動を円滑にするため役立ってきた。後ろ暗い仕事である請負人は誰しも容易に自分の情報を漏らさないが、デルコは人一倍周到だった。
(私が父の組織から独立して4年...安全と高い利益を両立し、ここまで問題なく運営を行ってこられたが...これは過去最大の難題だ。たった一人の人間に自分の素性を知られただけだが、このような小さなことから大きなほころびが生じかねない)
デルコはくるくるとペン回しのように短刀を弄ぶ。
(いっそ、あの男を懐柔することはできないか?いや、現実的では無い。私はただ短刀を突き刺しただけではなく、強烈な痛みを与えるような攻撃を何度も加えたのだ。あのようなことをされて恨みを持たない人間はまずいない。そもそもあのようなことをされて生き延びられる人間がいないが)
「今できることは...」
(あの男の情報を集め、価値観や性格、置かれている立場、状況...何よりマシャール・マキリクスとの関係を知る。マシャール・マキリクスと別れたあとに殺害に成功したとして、友人の間柄であれば禍根を残すことになる。余計な恨みは身を滅ぼす。
だが恨みが身を滅ぼすというのなら、あの化け物から私が恨みを買っていることのほうが問題だ。殺せても殺せなくても恨みが残ってしまう)
「だが、どんな困難があろうとも、こんなところで停滞するわけにはいかない。”夜陰”はまだまだ大きくなる。
…まず、依頼達成のために手紙を届けに行くとしよう」
デルコは短刀や煙玉、爆弾など新調した消耗品の具合のチェックを澄ませると、夜の闇に紛れて町の外へ駆け出していった。