高貴なる血統
一行が現在いるのは木がまばらに生えたサバナ。大量の泥水で一部が泥沼と化しており、泥に浸された場所とそうでない場所の境目付近に滞在している。
一行から離れたところにある一本のイチジクの木、その幹の裏から一行を見つめる者がいた。
「あの長身の男、面倒くさいな」
全身黒ずくめの服...まるで忍者のような格好の、小柄な女が呟いた。
時刻は夜。シャドたちは夜の見張り以外既に就寝しており、今はウェンドが見張っている。
(数十メートルは距離があるのに...違和感を感じ取っているのか、やたらと周囲を見回している。やはりあの男が、飛び抜けて感覚が鋭い)
女は近くに置いてあった荷袋から細長い筒と短い矢を取り出し、矢を筒にこめる。
(後は...)
今度は筒を支えていない方の手で紐が飛び出た球体を取り出す。そして飛び出た紐の近くで、手袋をつけたまま指を鳴らす。すると手袋の加工された金属部分から火花が飛び散り紐に着火した。
「よし、行こう」
ウェンドに存在を悟られないように、大きな半円の軌道でゆっくり進む女。
やがてウェンドを挟んで着火した球体の反対側にたどり着くと、草の中に伏せながら細長い筒に唇を当てる。
(3、2、1、...)
ドカンと球体が爆ぜ、小さな破裂音が鳴る。
「っ!!!」
即座に反応したウェンドが音のした方に顔を向けた瞬間、
「ふっっ」
女が吹き矢を飛ばす。風切り音を一切鳴らすことなく無音で矢が飛び、甲冑の隙間からわずかに露出したウェンドの首に突き刺さった。ウェンドが倒れる。
「うまくいった...幸先がいい」
そう言って一息ついた女は見張りのいない一行を眺める。
女の目に写ったのは地べたに一枚布を敷いて寝ている者や簡易的なテントを建ててその中で寝ている者だった。
忍び足で接近した女は、また紐がついた球体を取り出す。指を鳴らして火を付けるとちりちりと紐が燃え丈が短くなっていき、燃えきったところで煙がもうもうと吹き出し始めた。
かなりの量で吹き上がる灰色の煙は、しかしその重さのためにすぐに地を這う。四方八方にゆっくりと煙が広がっていく。
(昏睡作用に加えて、純粋に視界も潰せる...殺害対象の居場所は既に確認済み)
女は、寝ているマシャールのところへゆっくりと歩みを進める。
「...」
マシャールの目の前にたどり着いた女は、無言で腰から短刀を引き抜き、逆手に握る。
その時だった。
「けほっけほ...なんだこの煙...ッ!」
カシャに飲まされた昏睡薬より弱かったのだろうか、マシャールの近くで寝ていたシャドが咳き込みながら目を覚まし、女と目が合った。
「...!」
(なぜ起きていられる...?まあいい、目撃者は殺す)
女は高速でシャドに接近し、剣を抜かせる間もなく首に短刀を突き刺そうとするが強靭なスカーフを貫けない。一瞬の判断で首を刺すことを諦め、顎の下から口内にナイフを突き刺すと手を放してバックステップする。
(これでいい。後は殺害対象を...はっ!!)
マシャールの方へ向かおうとした女へ、顎にナイフが突き刺さったままの状態のシャドが突きを放つ。
(しぶとい)
横飛びして避けると共に腰から吊り下げた小袋を投げつける女。見事シャドの顔面にヒットし、シャドが声にならない悲鳴を上げる。
「っ!!!!」
(一時的な視力の喪失と、激痛を与えることに特化した薬...これは効いたか)
そんなことを考えながら、女はおもむろに懐から小瓶を取り出す。
(異常な粘り強さだ。まだ油断ならない)
小瓶の栓を抜き中の液体をシャドにかける女。指を鳴らすとシャドの体に火花が接触し、燃え上がった。
(早急に死んでくれ)
転げ回るシャドを無視して女はマシャールに近づくと、予備の短剣を取り出して振り下ろす。
マシャールの命をいままさに刈り取らんとしたその手は、飛んできた短剣によって健を断ち切られることによって阻まれた。
「何っ!!」
思わず声を上げる女。振り返ると火達磨になったシャドが剣を振り上げながら突進してきた。
(もう視力が回復している!!それに身を焼かれながら正確な短刀の投擲を...くっ、想定外が起こりすぎている。撤退しよう)
どこからともなく真っ黒な球体を取り出した女は地面にそれを叩きつける。灰色の煙とは段違いに濃い漆黒の闇が急速に拡大する。
煙が晴れた頃には、女は忽然と姿を消していた。
「まひゃ、ほくはけおきへる...ぼうあぇいろうあおうくないか?」
(また、僕だけ起きてる...僕だけ苦労が多くないか?)
シャドは短剣を顎から引き抜き、ズタボロになった口から愚痴をこぼした。
翌朝、一行は全員揃って円をなし、話し合いをしていた。
「...昨夜起こったのはこれで全て話しました」
「そうか...マシャール、いい加減事情をきちんと話してもらうぞ。
まあ、なにはともあれウェンドもマシャールも無事で何よりだ」
そう言うとローグは安堵のため息を漏らした。
「...」
ウェンドは無言で、麻酔矢が刺さった部分を手で擦っている。
「ほんとにすみませんっす...」
平身低頭謝るマシャール。
「シャドも一応無事...と言って良いのか?」
「痛みと不自由はないです」
ローグの問いかけに答えるシャド。黒焦げの服を纏い、火傷痕だらけの肌を晒している。
「すごいねシャドは!それが古神から授かった力なんだ
…解剖の練習台として需要がありそう!!」
イオナは笑顔で恐ろしいことを言った。
「どうしてもお金に困ったら、やります...」
「いやいや、冗談だよ」
「あ、はい...」
完全に振り回されているシャド。
「シャドも大丈夫そうだな。お前がいなかったら今頃マシャールは死体で、この中で犯人の探し合いをやってた可能性すらある。
…感謝してもしきれねぇ」
ローグはしみじみと言う。
「自分のやりたいことをやっただけです。マシャール君の死体なんて絶対見たくないですから」
「...そうか。そうとうなお人好しだな、お前は。
...この恩は必ず返す。だよなマシャール!!」
「は、はいっす!!」
ローグの突然の呼びかけに焦りながら返事をするマシャール。
「まずは、お前の生い立ちの話からだ。なにか思い当たることがあるんだろ」
「思い当たることはないんすけど...」
マシャールがぼそっとそんな事を言った。
「はぁ?んなわけあるか!!...まあいい、洗いざらい全部話せ。どの国のどの場所で何家に生まれたか、そこからだ」
「スパネテの、ハリル地方出身っす。マキリクス家ってところで生まれ...」
「はぁ!?!?マキリクス、マキリクス家だと!?!?」
マシャールがマキリクスという単語を発した直後、驚きの声を上げるローグ。
シャドが周りを見渡すと、誰もが顔に驚愕の表情を浮かべていた。