小渓谷の三人小隊
緑のない荒れ果てた大地の、死体と巨岩に満ちた小渓谷に、ゆっくりと歩みを進める三人の男がいる。
「ふぅ...ようやく逃げ切れたか?こんなこと、いつまでもやってられねぇ」
そう呟いたのは、金属鎧に身を包むずんぐりとした髭面の男。頻繁に後ろを振り返り、警戒しながら歩いている。
「いや〜マジできついっすよ。隊長秘蔵の”アレ”がなかったら今頃そこら辺の死体の一部って考えると恐ろしいっす!いや、隊長は頼りになるな〜」
隊長の斜め後ろを歩く、軽装のひょろっとした男が軽い調子で言う。隊長と呼ばれた男と背丈があまり変わらないため、二人の体型の差はより強調されている。
「秘蔵のアレとかなんだとか、軽率に言いふらすなよ。...まあこんな場所でまともな人間と会うことは、当分無いと思うが」
「ローグ隊長、マシャール。前方に人がいる...」
二人の数歩後ろを歩く、巨大な盾を背負った大柄な男が突如警告を発した。
「狂兵か」
ローグが尋ねる。
「狂兵...なのかよくわからない。数は一人」
「出来る限り、岩陰に隠れながら進むぞ。特にウェンドは身体がデカいから気をつけろ」
「...わかった」
素直に頷くウェンド。
三人は体を屈め、岩陰に身を隠しながらそろりそろりと進む。
「お、いた。あれか」
「うつむいて歩いてる...なんだか哀愁漂ってるっす。とても狂兵には見えないっす」
姿を表した男はローブを風になびかせ、下を向きながらとぼとぼと歩いている。
「背中になにやらでけぇ袋を背負ってるな。加えて、二本の短剣と...鞘のない、抜き身の剣をつけてるぞ。随分物騒な格好じゃねぇか」
奇妙な格好に首を傾げながら様子を探るローグ。
「...血の匂いがする。今まで嗅いだことのない濃さ。多分数日前に、膨大な数の人間を殺してる」
一方ウェンドは鋭敏な嗅覚によって、遠くの男から漏れ出る強烈な血の匂いを察知した。
「...嘘だろ。なんでそんな奴と出会っちまうんだ」
頭を抱えるローグ。
「でも、一本道を逃げきたんすから、進むしか無いっすよ。それに、あんまり怖そうな感じはしないっす」
三人が歩いているのは浅い渓谷の底。分かれ道はない。
「お、おい。もうちょっと慎重にな...」
怖いもの知らずのマシャールはローグの忠告も聞かずにぐいぐいと近づいていく、それにしぶしぶ追従するローグとウェンド。
「あれ?あの人、ぶつくさ言いながら泣いてるっす。なんか嫌なことでもあったんすかね」
マシャールの発言を受け、二人は耳を澄ませる。
「ううっ、カシャ...頑張らないといけないのに、僕はっ...」
男はすすり泣きながら何かを言っている。
「カシャ...と言ったか?家族か、自分の女でも死んだか。
...それにしても、狂兵のわんさかいる地獄みてぇな場所に、よく一人で生きていられるもんだ」
「あんなにめそめそしてる男は初めて見たっす...って、危ない!」
冷静に男の感想を述べていた二人だったが、事態が急変する。
うつむきながら歩く男のすぐ脇にある、うつ伏せになった人間の体。死体に見えたそれは突然跳ね起きると、男に襲いかかった。
「狂兵か...あの男、全然反応していないぞ。あれは死んだな」
ローグが特に何の感慨もなくそう述べた。
死体の山から飛び出した兵士...彼らが狂兵と称したそれは、男の頭に思い切り剣を振り下ろす。男の頭からは大量の鮮血が吹き出た。
「痛っ...またお前らか!!
くそ、この屍もどきが、死ねッ!!!!お前らがいなきゃっ!!!」
男は致命的な一撃を受けたにも関わらずなんでもない様子で振り向くと、抜き身の剣を引き抜き狂兵を殴りつける。
「死ねっ!!!死ねっ!!!」
男は無我夢中で剣を振る。数発で狂兵は完全に動きを止めた。
「はぁ。何やってるんだろ、僕は」
男は傷を負った部分に手を当てると、また歩き始める。
「ああ、カシャ...」
「...」
一部始終を見ていた三人は、絶句した。
「あれはやばいっすよ隊長」
ドン引きするマシャール。
「近づきすぎた。さっさと隠れるぞ」
ローグが判断を下す。
三人は道端の岩陰に潜み、やり過ごそうとするが...
「音がする...そこか!!!こそこそしてないで出てこい!!!!クソどもがぁ!!」
どうやら自分たちのことを狂兵だと勘違いしたのか、男が叫びながら三人の隠れる岩に近づいてきた。
「やべぇー!!隊長どうしますか!!」
小声で叫ぶという器用なことをやってのけるマシャール。
「...隠れるのは諦める」
ローグはそうマシャールに伝えると、思い切って男の前に姿を表した。ウェンドとマシャールも少し遅れてそれに続く。
「ちょっと落ち着いてくれよ、兄ちゃん。俺たちは狂兵じゃねぇ。
...むしろ狂兵達から逃げてきたんだ。それで後ろの道を歩いてたときに、あんたを発見して、様子を覗ってたんだ」
正直に事の次第を話すローグ。
「え!!そうだったんですか。そ、それはお見苦しいところをお見せしました...」
先ほどと様子が一変し、まともな受け答えをする男。
「あんた、後ろから思いっきり剣を叩きつけられてたが、大丈夫なのか?」
「ああ、ほっとけば治ります。もう血も止まったみたいですし」
「えぇ...どういうことっすか」
まるで当然のことかのように話す男に、首を傾げるマシャール。
「不思議なことなんていくらでもある、世の中にはな。長く傭兵をやったらお前もいずれ分かるようになる...
おっとすまねぇ、そういえばまだ名前も言ってなかったな。
俺はローグ。八年前に村を出てから、傭兵をやっている。ちなみにあっちのデカいのはウェンド。俺とは長い付き合いだ。そしてこのガリガリが...」
「名前はマシャール!ピッチピチの16歳!隊長とは数週間前に知り合ったっす!!」
勢いよく自己紹介するマシャール。
「...マシャール君は元気一杯で素晴らしいですね。
僕の名前はシャドといいます」
握手をする時は右手を使ってはいけないというマナーをカシャから学んでいたシャドは、左手をローグに差し出す。
「よろしくな」
ローグは握手に応じた。
「...ところで、なぜこんな少人数でいるのですか?」
自分が単独で行動していることを棚に上げてシャドが尋ねると、ローグの表情が少し曇る。
「俺たちは傭兵として雇われてこの戦場にやってきた。だが最前線に近づくにつれ、どんどん周囲の人間たちの様子がおかしくなってな。もともと”狂兵”の噂は聞いてたんだが、さすがに誇張か冗談だと想ってたぜ」
「そういえばさっきも言ってましたね。その狂兵というのは?」
一度はうっかりスルーしてしまったものの、今度は質問するシャド。
「ここに来る前、結構大きな街で支度をしてたんだが...
”ヴァルハラには気狂いの兵士がうじゃうじゃいて、そんな場所に行けばそのうち同じように気狂いの兵士、狂兵になってしまう”っていう話をたまに聞いてたんだ。信じてなかったんだが、本当だった。ちなみになぜ俺たちだけが平気なのかはよくわかってない」
ローグが話し終えると、マシャールが首を突っ込んでくる。
「俺も、周りのやつがどんどんおかしくなって、マジ焦ってたんすよ。そんな時隊長達に出会って」
「全員兵站部隊を任されたから、飯を積んだ馬車の荷台ごと奪ってトンズラしたわけだ。そん時には俺たち傭兵の監視役が既に正気を失ってたから、意外と簡単だった」
「ちょっと待って下さい。その荷台はどこにあるんですか。全然見当たりませんけど」
当然の疑問を口にするシャド。
「それは...聞いたら驚くっすよぉ!だって...」
「おい、マシャール。言ったことをもう忘れたのか?」
軽率に言いふらすなというローグの注意、それをすっかり忘れているマシャール。
「すいませんっす!!」
「...はぁ」
ため息をつくローグ。
「まぁ、別に言ってもいいか。いいかシャド、このことは言いふらさず秘密にしてくれよ」
少しシャドに近づき、低い声で喋るローグ。
「...分かりました」
「俺が昔、殺した敵兵の持ち物を漁ってたときに、こいつを見つけた」
ローグは懐から手のひらに収まるサイズの小袋を取り出した。
「これは?」
「簡単に言えば”魔法の収納袋”、だ。この袋、紐を緩めると袋自体が大きくなって、でかい荷物も中に入れられる。紐を締めればこの大きさまで戻っていく。中身の大きさも変わってるんだろうな、これで荷台ごと盗んだ、という訳だ」
「へぇ...めちゃくちゃ便利ですね」
ゲームや小説の記憶を掘り起こしてイメージを膨らませながら返答するシャド。
「ちなみに、人が入ることは出来るんですか?」
「多分出来ると思うが...何が起こるかわからねぇ、気味が悪くて試す気にならん」
「じゃあ、僕がやってみていいですか?」
「別にどうしてもって言うならいいが...俺は止めといた方がいいと思うぞ...」
「そうっすよ、止めたほうがいいっす」
試そうとしてローグに止められた経験を持つマシャールはローグに同調する。
「そこをなんとか、お願いします!!」
懇願するシャドの勢いを不思議に思うローグとマシャール。
「...どうしてそんなに拘るんだ?」
「えぇーっとですね...摩訶不思議な現象を解き明かさないといけない事情が僕にはあるんです」
「そういえば、狂兵に恨みがあるようだったな」
あまり踏み込みすぎないほうがいいと思ったローグは、シャドが言っていたカシャという名前については触れなかった。
「それも大きく関係します」
静かに答えるシャド。
「じゃあ、あのカシャっていう女の人の名前?あれも関係あるんすか?」
「マシャール、お前いい加減に思ったことをすぐ口に...」
「はい」
ローグがマシャールへの注意を言い終わらぬうちにシャドが答えた。
「そ、そうか。すまんなマシャールが不躾だった。おい謝れ」
「すみませんでした」
平謝りするマシャール。対するシャドは柔らかな表情でそれに応じる。
「全然気にしてませんよ。何なら詳しい事情を話しましょうか」
「いや、遠慮しておこう。途中で泣かれても困るしな」
ぶっきらぼうにそんなことを言うローグ。
「...」
むすっとした顔で黙り込むシャド。
「隊長、話が脱線しすぎっすよ。まずこれからどうするか話さなきゃ」
「お前が言える立場か!...だがその通りだ。これから俺たちと一緒に行動しないか?大人数でいたほうが安全だろう。いや、お前にとってはわからないが...」
「ぜひともよろしく頼みます。知らないことだらけなので迷惑を掛けるかもしれませんが、それでも良ければ。状況が落ち着いたら袋の中に入らせてください」
快諾するシャド。
「知らないことだらけって言っても、俺より物事を知らないってことはないと思うっす!」
「堂々と言うことじゃないぞ、マシャール...」
先程からローグを振り回し続けるマシャールだったが、そんなところが彼の魅力なのだろう、とシャドは考えた。
「...シャド」
シャドが三人に気づいてから今までの間、一言も喋っていなかったウェンド。ゆったりシャドに近づくとようやく声を発した。
「よろしく」
「あ、ウェンドさん。よろしくお願いします!盾も、甲冑もすごい迫力ですね」
「...」
挨拶を終えると無言状態に戻るウェンド。
「もう気づいてるだろうが、ウェンドは全然喋らない。だが意外と繊細なやつだからそこんところは分かってやってくれ。戦いのときにはとても頼りになるやつだ。こいつが盾を構えればまさに鉄壁。何度も命を救われた」
ウェンドを褒めちぎるローグ。
「ウェンドさんかっけー!!いつか俺も隊長に頼られる兵士になりたいっす!」
「僕と同じ戦い方ですね!」
それぞれの反応をする二人。
「ん?同じ戦い方ってどういうことだ?」
ローグが尋ねる。
「頑丈さにはかなり自信があって、それで技術の無さを補ってるんです。あっいや、ウェンドさんが技術がないと言ってるんじゃありませんよ!そもそも戦うところを見たことすら無いわけですし...
あ、怪我しにくいだけじゃなくて、傷の治りも速いですし、腐肉を食べてもお腹は壊しません」
「なんじゃそりゃ...」
「シャドさんもスゲー!!」
呆れるローグと、あっさりと信じて興奮するマシャール。
「一つ、聞き忘れていたことがあった。これは今後の信頼のためにも答えて欲しいんだが、シャドからは強烈な血の匂いがする。その経緯だけ教えてくれ」
ウェンドの発言を思い出したローグはシャドに事情を聞く。
「ああ、それは狂兵を殺しまくったからです。数日前のことですが、百人くらいは殺しました」
「そ、そうなのか...」
自然にそう述べたシャドに対して、反応に困ったローグは曖昧な返事をする。
「百人!?それってもう英雄レベルっすよ!!尊敬っす!!」
対照的にマシャールは明確に反応する。
「いや、カシャなんてその三倍...」
急に発言が止まったシャド。
「あ」
ローグはなにかに気づいた。
「...ぐすっ。なんでもないです。すみません」
「おいマシャール。発言に気をつけろ」
「今のを気をつけるなんて無理っすよ!ああ、シャドさんごめんなさい!!」
泣きかけるシャド、無茶な注文をするローグ、弁明するマシャール。
「...脱線」
ぽつりと呟いたウェンドにみんなの視線が集まる。
「そうだったそうだった。俺たちの目標はここヴァルハラからの脱出だ。といっても俺たちがいるのはヴァルハラの端だ。2、3日経てば狂兵とも死体の山ともおさらばってところだろう。進む方角は...」
「北東」
ウェンドがローグの発言を補助する。
「そう、北東。もちろん狂兵にしょっちゅう出くわすからまっすぐ進み続けられるわけじゃないがな」
「わかりました」
「あ、隊長、質問があるっす!!!」
シャドとローグの話が一段落ついたところで、マシャールがローグに質問を飛ばす。
「何だ」
「俺たちが来た道の方見てください。あのでっかいの、なんなんすかね」
マシャールに言われて、三人はローグ一行が来た道の奥に目を凝らす。
縦横5m程、大きな青いモヤの塊が、薄暗い渓谷の中をゆっくりとこちらへ近づいてきていた。




