半地下の拠点
「体力の消費はどんな感じですか」
「足腰に力が入らない。すぐには戻らない、そんな具合」
座っているだけでは足りないのか、カシャは地面に寝転んでしまった。
そうして、しばらく無言の時間が流れる。
「...こんなにゆったりするのは久しぶり」
唐突にカシャが言う。
「3日の安心が得られるって、大きいですね」
「ああ。この役目を任されてから、侵入者の脅威が心から消え去ったことはなかった」
カシャは地面に手足を投げ出した姿勢で、空をぼーっと見つめている。
カシャが普段発している強者の気配は、今はどこにもない。
未来の安心だけはなく、急激な体力の消耗もカシャの心を解き放つことに役立ったのだろう。
今までのカシャの生活を勝手に想像したシャドは、リラックスした様子で空を眺めるカシャを見ただけで泣きそうになってしまい、カシャに背を向けた。
「よかったです、本当に」
小声でぼそりとつぶやくシャド。
「どうした?」
後ろからカシャの声が聞こえる。
「気にしないでください」
なぜこんなにも、共感が引き起こされ、心揺さぶられるのだろうか。きっとそれはカシャがどこまでも美しいからだ。鍛え上げられた肉体、神々しさを感じさせる色彩と模様をもつ眼、卓越した戦闘技術、そして、高潔な精神。美しいものが好き、美しいものを大切にする、そんなごく一般的な、普遍的な感性に深く響くからだとシャドは思った。
「自分が生き残るだけじゃなくて、人を生かす、守れるようになりたい...この力を自分以外の人間に分けられるようにならないかな」
カシャとそうしたように、シャドも地面に手足を放り出して、仰向けで空を眺めながらそんな事を呟く。
「使命を果たしたいという私の想いは、その気持ちに似ている」
「カ、カシャ...」
気がつくと真隣に寝っ転がっていたカシャが、そんな事を言う。
「どうやら授かった力は使うと熱を受け取るものばかりではないらしい。今はいつもほど熱くないはず」
たしかに、カシャがここまで接近しているが全く暑さは感じない。
いや、そんなことよりカシャの異性認識はどうなっているのだろうか。信頼されているのは、文化の違いなのか、カシャの生活の特殊性によりそういう感覚が身につかなかったのか...普段との雰囲気の違いもあって全然落ち着くことができないシャド。
「あの、なんか距離が近すぎませんか?」
「すまない、気を悪くしてしまっ...」
「いや、そんなことは全くないというか寧ろ嬉しいというか...」
失言に加え、うっかり本音を言ってしまうシャド。
「ならよかった」
カシャは爽やかに言った。
「お騒がせしました」
一方シャドはようやく最低限の落ち着きを取り戻した。
「世界にとって自分ひとりというものは途方もなく小さい。しかし、繋がりは大きい」
スケールの大きい話をカシャは始めた。
「使命というのは、繋がりそのものだ。過去の人々、未来の人々、土地、そして神。多くのものと繋がっているのを感じる。たとえ、今ここで使命を託されているのが一人だとしても。シャドがさっき言っていた、自分だけでなく人も守れるようになりたいというのと、近いとは思わないか?」
じっとこちらを見つめてくるカシャ。
「ちょっと分かった気がします。僕も、繋がりを大事にしたいです。繋がりを守りたいです。カシャとの」
やはり調子が狂ったままなのか、そんなことを口走るシャド。
「それはうれしいな。わたしにとっても、シャドとの繋がりは使命の外にある、特殊で特別なものだ」
カシャは全く動揺する気配が無くストレートな返しをする。
少しくらいびっくりしてほしいとシャドは思った。
「全く、カシャには本当に敵いません」
「将来性がある、鍛錬を積めばもっと強くなれる」
シャドのぼやきに対してズレた返答をするカシャであった。
数日後。
「ついに、来た」
膨大な熱量が渦巻く広場の中心で、カシャは侵入者の襲来を察知した。
「数は」
「50程」
「そうですか...」
シャドはそこまで驚いたり、焦った様子を見せていない。
カシャが使った急激な体力の消耗を代償に周囲を把握する力は、大きな変化を使用後のカシャにもたらした。
把握する対象はカシャ自身の肉体の体内にも及び、そこでカシャは自らの肉体の状態を完全に把握することで人体の極限の性能を発揮した。
その体験の記憶は力の行使が終了しても当然残る。「最強」の状態を知ったカシャは、常から「最強」に近づいた。
侵入者達の行動原理さえ分かれば、50人を倒し切ることも不可能な話ではないとシャドは思っている。そう、行動原理さえ分かれば。
「シャドも、考えることは同じか」
「はい、奴らの行動原理...理性が殆ど残っていない奴らは、移動や攻撃に規則性があるはず。それが分かれば撃滅、防衛は可能です」
「基本的には南から北、こちら側へ動いているが、仲間以外の人間を発見すると攻撃を仕掛けてくる。ということは」
「侵入者を全員自分たちに注目させる事ができれば、さらなる北進は防げます。全員の注目を同時に受けることが不可能なくらいの人数が来ることさえ無ければ、僕達自身が生き残って殺し尽くせば勝ちですね」
「問題は、侵入者たちに個体差...いや、集団差があること。視認距離、矢や音への反応、味方が攻撃を受けたときの反応が襲撃の度に違っている」
「少しずつ数を減らしていくならこちら側が南進して攻撃を仕掛けつつ撤退、という形を取るのが良さそうです」
「私の家より更に南に、簡易的な拠点を作りたい。水はけの良い高所に屋根のある半地下の建物を立てる。いろいろ持っていこう」
カシャとシャドは背中に大量の荷物を背負い、ふんだんに荷が載せられたそりを引いて草原を歩く。
「このそり、すごいですね。車輪もないのにそこまで重さを感じません」
「ここで生きていくためには必須の技術。村の人々が木を調達するために向かう森は遠くにある。一番近い森がシャドのいた森だから、そこより遠い。木や食料を素早く調達して戻ってくるためにはソリが欲しい」
「たしかに、この広い草原の真ん中に数十人の人が住む村があると考えると、食料や木の調達が十分にできるのは特別な無ければ説明が付きませんね」
「草原の中にも小川や、池などはある。放牧も行っている。それでも森に行かなければ足りない...よし、ここら辺にしよう」
急にカシャが立ち止まる。気がつけば小高い丘の頂上部分に到達していた。
「カシャの家がある場所と似たような地形ですね。半地下だから、まず穴を掘るところからかぁ。あ、排水はどうするんですか」
「この丘の頂上ぐらいの大きさであれば、雨をふらせないことが出来る。色々と準備が必要だけれど」
「なんですかそれ...」
「この身に余る力を、本当に多く授かった」
力を授かると同時に責任を負ってしまうのではないか。カシャが背負っているものの重さを分かっているのかと、勝手な心配をしたシャドはカシャの神に対して若干の憎しみを覚えた。
「とにかく、排水は気にしなくていいわけですよね。早速掘りましょう」
むしゃくしゃした気分を抱えたシャドはそりからシャベルを取り出すとがつがつと掘り始めた。シャドが使っているシャベルは村に残されていた物品を組み合わせて作り上げたもので、カシャの分も作られている。もちろんシャベルがなくても掘る道具はあったのだが、シャドはシャベルのほうが何倍も効率がいいと力説し、試作品を作ってカシャを納得させた。
「なぜそんなに勢いが激しい...」
いつもと違うシャドの様子に違和感を抱きつつも、カシャはシャベルを手にとった。
「一日で完成させるとなると、流石に疲れますね」
シャドは腰に手を当ててそう言った。陽はもう沈みかけていて、地の上にあるものは全て長い影を地面に伸ばしている。
「侵入者がここに来るのはおそらく明日の夕方あたり。もう寝よう」
カシャははそう言うと数秒のうちに寝息を立て始めた。
「なんか、慣れないな...」
どこかのタイミングで例の力を使ったのか、カシャからは暑さを感じない。
この急造半地下ハウスはかなり間取りが狭く、この中で寝るとなればカシャにかなり接近した状態で床に就くこととなる。カシャはシャドを気遣って力を使い体を冷ましたようだが...
「むしろ、暑いほうがまだ寝やすいかもしれない」
ひとつ屋根の下で寝ているのはいつものことなのだが、心が落ち着かないシャドは一旦外に出ることにした。
「そういえば、ここだけ雨が降らないようにするということが出来るとカシャが言っていた。屋根の上で寝てみるか」
シャドはそう言って屋根の上で頭の後ろに腕を組んだ姿勢で寝転がった。