2-1.翁曰く、人間ごときが時代を変えられないという
大正十年十月三十一日。
この日は、早朝から総勢二十名を超える警官隊が××瘋癲病院に派遣された。
護拳片刃刀と拳銃で武装した屈強な男達が館の外周を警護する様子は異様であり、何事かと驚いた野次馬が詰めかけてこそいるが、ここが癲狂院であることを思えば監獄宛らの光景も強ち間違いとも云えないだろう。
紗枝を女学校まで送り届けた後、抜刀隊の官舎で少々の事務処理を済ませてから癲狂院に戻った私を見て、正門に控えていた二人の警官は何とも言えぬ表情を浮かべる。
彼等に目礼を送り、堂々と正門を素通りする。
現場指揮官らしき髭を蓄えた男だけが、建物の影からこちらを忌々しげに睨んでいたが、取り合うことはしなかった。
随分と敵愾心を抱かれているようだが、男の境遇を考えれば理解できないでもない。
彼等警官隊と我々特務課は、慥かに似通った恰好をして、治安維持ひいては護国という同じ志を掲げ、広義では同じ組織の一員にもなろうが――縦割社会故に接点も親交もない。
況してや、片や組織に属する官吏、片や使い捨てられる私兵である。
求められる働きは当然異なり、そもそも命令系統から異なる。連携も容易ではなく、互いの存在が業務遂行の妨げになるという懸念だってある。
ここの院長である藤島博士が、「いかなる事態であろうとも神聖な職場を踏み荒らされるなど言語道断である。況してや本院に害される謂われなど断じてない」と猛然たる口調で警察の立入りを拒絶して――結果、院内への入場を許されたのは我々特務課の面々だけとなったことも少なからず影響しているのかもしれない。
玄関から受付を経由して坪庭に出る。
左手に巻いた腕時計を見れば、巳の刻――初刻、午前九時という時分であった。
穏やかな陽光が降り注ぐ西洋風の庭園には、既に彪と栖鳳がいた。
彪は噴水側の長椅子に深々と腰掛け、栖鳳は水盤に佇む水魔像を物珍しそうに眺めている。
「よう。許嫁殿の面倒は済んだのかい?」
煙草を銜えた彪が億劫そうに手を挙げ、図体を横に移動させる。
「あの娘は許嫁じゃないと前も云っただろ。私はただの居候だ。医者の息女様が軍属崩れと一緒になるなんて、たとえ冗談でも親父殿が黙っていない」
調革から外した軍刀を左手に持ち替え、彪の横に座る。
「そうかね? あのお嬢さんだって、見た限りお前さんを憎からず思ってるんじゃねえのか。しかしそうなってくると、馨さまが不憫なことになっちまうな」
「む? 何故そこで隊長が出てくるのだ」
「そんなの手前で考えやがれこの唐変木め。檻にブチ込まれて一生出てくんじゃねえ」
必要以上に毒吐いた彪は私に向かって一本の紙巻きを差し出した。
「ほら喫えよ。奴さんの果たし状が慥かなら飛び込んでくるのは正午だ。時間までは休息だ」
「そうだな。有り難く頂戴する」
紙巻きを掠め取り、手持ちの燐寸で点火する。
久々の喫煙であり、鼻腔を抜ける芳香が快い。脳髄の奥底にこびり付いた焦燥と疲労が溶け出し、睡魔に変換されていくような感覚であった。
弛緩した雰囲気の中、銘々が煙草ないし煙管を銜え、紫煙を吐き出す作業に勤しんでいた。
彪に至っては長椅子の背凭れに巨躯を預け、短い脚を組んで空を見上げている。
隊長の馨が不在だからこそできる怠慢である。
馨は朝から実篤と共に本庁へ出向いている。嫌煙家である馨の前では、私達は皆遠慮して煙草を飲むことはおろか背筋を曲げることもしない。鬼の居ぬ間に洗濯という恰好である。
任務当日とは思えぬ注意散漫とした空気であったが、私を含めそれを律する者はいない。
皆、悔恨に起因する苛立ちに呑まれていたのだ。
我々を悩ませているのは他でもないあの事件――帝都女学生連続誘拐殺人事件である。
一人目の不幸な少女が不忍池で発見されてから三日経った今日。二人目と三人目の犠牲者が昨日今日と立て続けに見付かった。
二人目は、昨日鶏鳴、隅田川の川面を漂っているのを船頭が発見通報した。全身を殴打され、内臓と両眼を刳り貫かれた損壊著しい屍であった。また水中への遺棄及び全裸であることから未だ身元の判明には至っていない。
三人目も状況は酷似している。今朝方の情報であり些か信憑性に欠けるが、神田川を漂っているところを警邏中の巡査が発見したのだ。この三人目だけは、頭部を斬り落とされ首が見付からず、性的暴行を受けた痕跡が残っている。
それだけではない。一昨日には上野在住の女学生がひとり行方を眩ましてしまった。
実篤が危惧していた事態に陥ってしまったのである。
被害者に面識のない私ですら怒らずにはいられないのだ。彼女達の受けた痛苦や恐怖を思えば親兄弟親類縁者の悲嘆は測り知れないものであろう。
――否、それは違う。
私は怒ってなどいない。
かつて見殺しにした妹と、彼女達を重ねているのだ。
正義や義憤と呼べる高潔な感情ではない。どこまでも独り善がりの私怨にしか過ぎない。
だが、心情がどうあれ私の目的は変わらない。
道を阻む者は誰であろうと排除する。
ただそれだけである。そこに例外などない。
「畜生、遣り切れねえな」
彪が呻いた。短くなった紙巻きの火を靴底で揉み消すと、傍らの灰皿へ吸殻を放り棄てる。既に灰皿には十本以上の残骸が転がっている。
彪の言葉は私達の心を代弁するものであった。栖鳳も同じ怒りを抱いているはずである。
長椅子から立ち上がり、長くなった灰を灰皿へ落とし火を消した。過度の喫煙で咽頭が痛む。手持ちの煙草は最後の一本となってしまった。
「彪。貴様はどうなのだ」
軍刀を抜き放ち、彪に問うた。
幾多の魍魎を刻んだ刀身は瑞々しく光り、白刃には毀れひとつない。
かつて褒美として賜った刀であったが、私にとっては無能を象徴する恥でしかない。
大切な者を救えなかった貴様にこいつを呉れてやろうじゃないか――と嘲笑されているようで腹立たしいことこの上ない。
「どうって何がだよ。はっきり云いやがれ」
「進捗だよ。今、貴様の遣いを帝都中に走らせているんだろう」
「駄目だな。何の報せも入って来ねえ」
この不貞腐れた大男は、自らの飼う獣達――野良犬に野良猫、雀や鴉に鳶、鼠や蝙蝠などを帝都一帯に遣わせ、今この時分も不審者がいないか見張らせているのだ。
そろそろ首長の鴉から報告が上がる頃合であった。
「流石に、白昼堂々と人を攫うほど犯人も莫迦じゃねえだろうな」
「まだ断言できないだろう。一昨日消えた女学生は、昼間授業を脱け出してから戻らなかったというんだ。理由は家に忘れた教科書を取りに帰ったということらしいが、学校から家までは二町も離れてない。往路にはそれなりの人通りもある。何らかの仕掛けがあったと考えて然るべきだ」
昨日、失踪届を出された娘と同じ学舎に通う紗枝から聞いた話である。
「仕掛けねえ。昨日の話なのに随分と詳しいじゃねえか。上野署からの密告か?」
「そのようなところだ」
「今欲しいのは害者の情報じゃねえ。下手人の情報だぜ。それに手前の話はいつだって回りくどい。そんなんでこの国が守れるかよ阿呆」
「虎ノ字。そう怒っても何にもならん。今は女学生の事件よりこっちに集中せんか。お主の僕はここいらにもつけているんだろうな」
彪を諫めたのは栖鳳である。煙管の雁首を指で叩き、火皿から燃え滓を落とす。
「そりゃ勿論。地べたには鼠公を走らせて、空には鷹を回しているぜ。怪しい輩がいたらすぐ報せがくる。これで奴さんもそう易々と入ってこれねえだろ」
「それはどうだろうな」
「うん? 爺様は何を心配してるんで? 制服連中も出張って、俺の手下も見張っている。そこに爺様が結界でも敷いてくれれば十分じゃねえか。少なくとも防衛だけだったらな」
「そう簡単に云うでない戯け者め。結界なんてものは手間暇かけて作るものだ。たかが三日程度でどうにかなるものじゃない。今から張っても急造の気休め程度にしかならぬ」
曰く、下手人の侵入が分かる所謂鳴子のようなものでしかなく、侵入そのものの阻止は無理とのことである。
だが、法術や結界が如何なる理屈で運用するかを知らぬ私にとって栖鳳の存在は頼もしい。また畜生とは雖も、数多の配下を従える彪も同様である。
「急造でも気休めでも何でもいいから頼むぜ爺様。無いよりマシなんだろ」
「馨が来たら、な。あんな弟子でも、それこそ居ないよりはいい」
「よく云いやがる。孫娘のように可愛がってる癖によ」
歯を出して笑う彪を無視した栖鳳は、私に視線を向けた。
「よく聞け、小童共。今迄の話を聞くに、向こうも厳重な警戒を掻いくぐって獲物を仕留めているのだ。一筋縄ではいかぬ。一戦交える覚悟をした方がいい」
「元より承知している。武働きは私達に任せて戴きたい」
「済まんな。あの娘は未熟故に戦闘には出したくはないのだ。儂もそう速くは走れぬ。きっとお主らの足手纏いになる」
白兵戦が私と彪の担当になるであろうことに思うところがあるらしい。だが、全く気にならなかった。身体を張るしか能のない私にとって、異形の存在を自らの手で討ち滅ぼせるなど願ってもないことである。名誉であると同時に雪辱でもあるのだ。
私達の間に沈黙が訪う。各々が自省しているのか、彪も栖鳳も口を開きはしない。意味のある静寂であった。
「彪。昨日のことだが」
不意に、気がかりのひとつを思い出した。
「貴様は、課長が云ったことについてどう思う」
「あん? 何の話でえ」
「この時代を終わらせるというやつだ。我々の役目についても語っていただろう」
私が云えば、お主らそんなことを喋っておったのか、と栖鳳が入ってくる。
「面白そうな話じゃないか。もう少し詳しく教えろ」
「何だっけな。散らばっているモノがこの東京には多すぎる――大正天皇がおっ死んぢまいそうな今、それを放っておくのは次の世代に対して悪いことだ――だから俺達でそいつを取り締まっていくんだ――とかいう話だったぜ。熱っぽい口振りで、何かに憑りつかれたようで、ちょっとばかし薄気味悪くてな。そこの龍臣が斬り殺すんじゃねえかと冷や冷やしたぜ」
「阿呆。何故私が上長を斬らねばらならん」
「違うか? 手前は鬼が人に憑いたら殺すだろ。同じことじゃねえか」
「早合点するな。それしか救う方法がなかったとしたらだ」
「人が人を救えるかよ傲慢な奴め。人間いつだって自分のことだけで精一杯じゃねえか」
「では何だ。貴様は、私が私利私欲の為に刀を振るっていると云いたいのか」
「おうよ。違うのかい」
違うと云おうとしたが嘘は吐けなかった。
正論に対する反論はしないと決めている。
「彪。よく聞け。貴様が憑かれた時は容赦なくその汚い首を斬り落としてやる」
私の負け惜しみに、俺様が手前なんぞにやれるかよ、と彪は勝ち誇る。
「小童共。話を戻すぞ」
私の彪の間に決着がついたのを見計い、栖鳳が云った。
「散らばっているものとは何だ。云いたいことは分からんでもないが些か漠然としておる」
「それはつまりだな」
考えを纏めようとしたが駄目だったらしい。彪は私に向き、おい何だった、と云う。
「もう忘れたのか鳥頭」
「元々は手前に云った話じゃねえか」
今度は彪が言い訳じみた反論をする番であった。
「龍ノ字。お前でいい。あいつは何と云った?」
「課長自身、特別に何かを指したつもりではないらしい。そのまま云えば――次の世代に残してはいけないものであり、犠牲を伴ってでも排除しなくてはならないもの――それが今この帝都には数多ある。そのように課長は仰っていた。そしてそれを滅する為に我々が存在するとも。つまり我々が大正を終わらせるということだ」
「なるほど。すると、この可哀想な娘さんたちの事件も残してはならぬものということか」
「その通りだ。先週はそこで話が終わった」
「ふうむ。云っていることは間違っていないが――儂には納得できんな」
「翁。何故、そう思う」
「少し考えれば分かることだ。大正を終わらせるなんて――先刻虎ノ字も云うたことだが傲慢だろうて。仮令、いかに強大な権力があろうとも、いかに高貴な血が通おうとも――たかだか人間如きが時代を変えることなどできるものか。思い上がりも甚だしい。諸手を挙げて賛成はできんよ。何より儂はこの時代を気に入っているんだ。良い点も悪い点も含めてな」
お主もそうは思わんか、と栖鳳は諭すような口調で云った。
そうだ。私が釈然としない点はそこなのかもしれない。私は、大正を終わらせたいと同時に続いて欲しいとも願っているのだ。
閉口した私を見遣ってから、なあ爺様、と彪は栖鳳に呼び掛ける。
「どこの誰にも時代を変えることができないのなら、時代ってのは結局誰が創るんで?」
「そりゃお主、決まっておるだろう。時代というのは創るものでも終わらせるものでもない。後に生きる人間が過去を偲んであれこれ云うものだ。云わずとも知れたことよ」
「至極当然って面して云うけどよお」
「けど、何だ。虎ノ字には難しい話だったか」
「龍臣。手前は分かったか」
覇気のない声で彪は私に同意を求める。
「現在の我々が関与するのではなく、後世の人間が抱く印象が時代を形成するということか」
「そういうことだ。お主は分かっているようだな。可愛げのない奴め」
謂れのない悪態を吐いてから、来たようだな、と栖鳳は空を見上げた。視線を追えば、庭園の高木に一羽の鴉が止まるところであった。鴉は無機質な瞳で私達一瞥すると短く鳴いた。
彪の放った斥候部隊の頭役である。定時の報告に参上したらしい。
「ほら、来いよ。褒美に肉をくれてやる」
彪が丸太の如し左腕を掲げれば、鴉は宙を辷るように飛び移った。
彪は腰にさげた袋から一切れの干し肉を取り出し、鴉の鼻先に差し出す。
鴉は鋭い嘴で肉を奪うと、丸呑みにして満足そうに一鳴きしてみせる。
「彪。そいつは何と云ったのだ」
「萎びた肉よりも新鮮な肉が喰いたいとさ。鯨肉は固くて不味いらしい。鴉ってのは意外と美食家らしいな」
「そりゃ人間だって猛禽だって不味いものより美味いものが欲しいだろうさ」
栖鳳は呆れた様子もなく冷静に返す。
「肉の話はもういい。早く本題に入れ」
「そう急かすんじゃねえよ。ほれ、三陸で獲れた髭鯨の燻製だ。爺様も食ってくれ。まだ歯は欠けちゃいねえだろ」
彪は私達に肉の欠片を放り投げる。仕方なく口に入れれば、少々血腥いものの独特の風味と豊かな食感があり、中々悪くない。酒の肴には丁度いい品である。栖鳳の方は、こんな固い肉を年寄りに食わせるもんじゃない、と零しながらも旨そうに顎を動かしている。
私達が干し肉を嚥下した時には、彪と鴉の問答にも片が付いたようであった。
用が済んだとばかりに、数枚の羽を落としながら黒い羽を鴉は飛び立っていった。
「生憎、報告できることはないってよ。異常なしだ」
「期待してはいなかったが、残念だな」
「爺様。女子供を攫うに手っ取り早い方法は何だろうな。犯人は一体全体どんな手段を使ったんだろうな」
「さあな。それが分かれば儂らも苦労しない」
「巷じゃ神隠しだなんて云われてるんだぜ。獲物の存在を綺麗サッパリ消してしまうことなんてできるものかのかね。こういうのに詳しいんだろ?」
「できるとしたら――それはきっと鬼神のような御方の仕業になろう。だが、なあ。神様は娘さんを嬲り殺しにせんよ。だからこれは見下げ果てた不心得者の仕業だろうよ」
「神様だって色々じゃねえのかい。祟り神だっているだろう。ほら有名じゃねえか将門公とか崇徳天皇とかよ」
「畏れ多い名を語るな莫迦者。そもそもだ。祟り神と呼ばれる御方だって、生前非業な死を遂げたが故の恨みで姿を変えたものだ。今では奉られて、荒魂から和魂へと安定した存在に鎮まっている。そんな御方が穢れた真似をするものか」
「じゃあ誰の仕業だって云うんだ」
「最初から云っておるだろう。人喰い妖怪の仕業だろうて」
そこで栖鳳は私を見る。
「龍ノ字。お主はどうだ。特別この事件に思い入れがあるだろう」
「在るといえば在るのだがな」
動揺を表に出さぬよう答えれば、栖鳳は怪訝そうに片眉を吊り上げる。
「失敬。ごまかすつもりはない。率直に云えば心当たりが多すぎて覚えていないのだ」
「手前そりゃどういう意味だ?」
今度は彪が訊く。
「陸軍にいた頃もそうだが、市井の民には知らされていないだけで、女子供を狙った誘拐や殺人、果ては飢餓から成る共食いなどは頻繁に起きているのだ。今だって近代的だ啓蒙だと騒いでいるが、少し北に行けば飢饉で大変らしい。あの平民宰相だって、本家が南部藩の家老だというのに金と食い物には大層困ったそうだ。だからと云う訳ではないが――取り立てこの事件に感慨はない。無論どうにかしたいと思ってるがな」
私の言葉は弁明じみた響きをもって宙を漂った後、煙草臭い空気と混じり消えていった。
当然である。私は嘘を吐いたのだ。
義務という重苦しい言葉に縛りつけられた明治から、開放的な大正に移り変わったとは雖も、近頃どうにもその華やかさに翳りが差しているように思えてならない。
欧州大戦も数年前に終焉を迎え、我が国の景気は大いに停滞した。軍縮の風を受け、戦艦も数を減らし、趨勢を誇っていた成金達もここ二三年で姿を消した。気付けば軍人も花形ではなくなり、寧ろ政治の阻害者として民衆の反感を大いに買っているのが現状である。生活苦からなる自殺も増加の一方であり、担架を持って走る警官がいれば、大方首吊りか交通事故かの二択でしかない。大正天皇だって先はもう長くない。
だが、私にとってそれらは皆些事である。
私にとって何よりも優先すべきは――。
椛の絨毯で死んでいる娘。
四肢を投げ出し、月光に屍を晒して、天空を眺めている。
意思の欠落した眼が私へ滑り――。
考えるな。
ここは大正十年の××瘋癲病院だ。どこにも屍体なんてない。
「おい龍臣。手前どうしたんだよ」
「済まんな。もう大丈夫だ」
「大丈夫って、酷い面だぜ。まるで初めて人を殺した糞餓鬼のような面だ」
「黙れ。貴様の固い肉で腹が痛くなっただけだ」
「そんなことかよ。腹痛なら正露丸でも飲んで糞して寝りゃ治んだろ。心配して損したぜ」
私と彪の遣り取りに、品のない奴等め、と栖鳳は鼻で笑う。