1-2.大正の緩やかな破滅
十月となり仲秋を迎えたとは雖も、七時を過ぎれば朝日は昇り、市井の人々も活動を始める。
郊外に位置する『××瘋癲病院』から上野駅正面の通りに抜ければ、急いて歩く者達が一気に増え出す。紳士服に身を包み、中折れ帽子に洋杖という恰好の連中は、今では見慣れた俸給生活者である。海軍襟に洋袴という制服を着て、三人並んで姦しく喋りながら歩いているのは紗枝とは違うところの女学生である。
今ではまだ少数派であるが、洋服姿の者が多くなってきたものである。
少なくとも明治では考えられなかった光景である。
洗練とは真逆の印象を抱くが、これも時代の流れなのだろう。
この調子だと、昨今巷で囁かれている傾いた装束を纏った者達への蔑称――男ならモダン・ボーイ、女であればモダン・ガール。省略してモボやモガと云うらしい――が世間に受容される日もそう遠くはないのだろう。
最早、西欧化へ邁進した激動の明治も過去である。
――うつし世を 神さりましヽ 大君の みあとしたひて 我はゆくなり――。
――神あがり あがりましぬる 大君の みあとはるかに をろがみまつる――。
乃木大将夫妻の殉死事件から幕を上げたこの大正。
明治という偉大かつ重厚な時代の反動で、華麗で軽快で、多種多様な可能性を内包した時代と云ってもいいのかもしれない。
――だが、この時代も長くは続かないだろう。
聞くところに依れば、大正天皇の御容態は思わしくない。
また、今年の三月三日――東宮御学問所を修了したばかりの皇太子裕仁親王は見分を広げるため、およそ半年にわたる欧州歴訪の途に就いた。軍艦・香取に乗艦し、横浜港を出港したのは未だ記憶に新しい。
その裕仁親王が帰国したのは二ヶ月前のことである。
イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、イタリア――半年間で欧州五ヶ国を巡る外遊は順調だったという。今後は摂政に就任し、いずれは我が国を導く立派な天皇になるのだろう。
それ自体は喜ばしい報せなのだろうが、裏を返せば、裕仁親王の育成を急いだ結果と読み取ることもできる。
無論、皇太子の歴訪には根強い反対論があった。大正天皇の病状が悪化している際に外遊するとは不敬であるという批判、裕仁親王への負担を不安視する声、大戦後故の欧州情勢への懸念――挙げればきりがないが、それでも元老院の山形有朋、松方正義、西園寺公望、そして原敬首相らの強い後押しがあった上で実現したのだ。
大正は、今この時でさえ、緩やかでありながらも確実なる破滅に迫っているのだ。
もしかすれば明日にでも天皇が薨去され、裕仁親王が践祚し、次なる年号が発布される可能性だってあるのだ。
――それだけは御免被りたいものだ。
私は、まだこの大正という空気に浸っていたかった。
何故そう思うのか。その理由は――。
――助けに来てくれなかったこと、一生恨み続けますからね――。
決定的な光景を想起しようとした瞬間、半歩後ろを歩く紗枝が、すごい人ね、と云った。
足を止めた紗枝の視線を追えば、路面電車が大通りを緩慢に辷っているところであった。
この時分でも――否、この時分だからこそ電車の中は寿司詰めの混雑である。眉根を寄せた乗客達を後目に走るのは、数年前に輸入されたばかりの乗用車である。アメリカのフォード・モーター社製モデルTである。銀縁眼鏡に白手袋を嵌めた車夫も、後部座席に座る二人の婦人もどこか得意気な顔をしている。
「流石、東京名物と揶揄されるだけはあるな」
「東京節のことね。パイノパイノパイ――だったかしら」
東京節――ジョージア行進曲を拝借し、演歌氏・添田唖蝉坊の長男が作詞した俗謡である。これに依れば、東京名物は満員電車であり、乗るには喧嘩腰で命懸けなのだという。
「あのね、坂ノ上さん」
去りゆく電車を見送りながら、紗枝が切り出した。
「ずうっと前から気になっていたんだけど、坂ノ上さんは私のことがお嫌いなんですか?」
語気を強めた紗枝が問う。詰責するが如し態度であった。
歩き出す機会を逸した私達の横を、数人の学生が物珍し気な顔をして過ぎていく。
「まさか。いつも世話になっているし、感謝もしているよ」
「私は嫌いかどうかを訊いているんです。答えてください」
「嫌いじゃないよ。そんなわけないだろう」
「じゃあ、どうしてそう遠慮するんですか?」
言葉に詰まった。完全なる図星であった。
「私が、君に遠慮をしているように見えたのかい」
「ええ。坂ノ上さんとは距離を感じるんです。それも、お会いしたときからずっと」
云いたくないことだったら訊きませんが、と前置きをしてから紗枝は続ける。
「私が坂ノ上さんのお世話をするのは恩返しなのよ。あのとき、あなたに助けてもらったから。あなたのことを厭だとか迷惑に思ったことは一度もありません。だから、何か困ったことがあれば教えてください。私だって力になりたいんです」
紗枝はそこまで云うと、己が立ち止まっていること、僅かながらも衆目を集めていることに気付き、恥ずかしそうに顔を伏せてしまう。
「お嬢様、そろそろ行こう。説教の続きは、学校が終わってから聞かせてもらうよ」
私が云えば、紗枝は小さく頷いた。
しばらく私達の間に会話はなかったが、そこに重苦しさは感じなかった。
「ねえ」
通りから女学校へ抜ける裏道に入った時、紗枝が云った。
「ご存じですか。好意を蔑ろにされるのは、とても淋しいことなんです」
「悪かった。今度、何かあれば頼らせてもらうよ」
「約束よ。今は女も社会にはばたく時代だし、私だってきっとお役に立ってみせるわ」
紗枝は顔を上げる。まだ頬には朱が残っていたが、誇らしげな顔であった。
私達の間で一区切りがついた時、目的の女学校に到着した。
宅地ばかりのこの近辺では、先刻まで大勢いた洋服細民も姿を消し、生家から通う女学生が殆どとなる。こちらに向けて、ごきげんよう――と上品に挨拶する生徒達を見るに、教育の行き届いた学校のようである。
「あれ? どうしたのかしら」
紗枝が小首を傾げる。
見れば、女学校の正門付近に人だかりができている。
人垣の中央には初老の女性教諭と、その他数名の生徒が、敷地を囲む塀に向かっている。
何やら塀一面に貼られた紙を剥がしているようであった。
「もし、御婦人。如何なさいましたか」
流れに逆らい女性教諭に話し掛ければ、振向いた教師は私を軍属と勘違いしたのだろう。これは御見苦しいところを――と深々と頭を垂れる。周囲の学生達も一拍子遅れて礼をする。
「そのように畏まらずとも結構です。この一帯に貼りつけられたビラ紙は悪戯でしょうか」
「はい。朝に門を開けようとしたら既にこのような状態でしたので、こうして私共で剥がしている次第で御座います」
「成程。迷惑な悪戯もあったものですな。どれ、私も一枚」
塀に近付き一枚を剥がす。
一面隙間なく並んだ藁半紙は固く糊付けされており、四隅に紙片が残ってしまった。
紙面には一様に同じ文句が綴られている。
『相馬事件を忘れるべからず』
印刷文字ではない。殴り書きの肉筆である。
――相馬事件? これはまた、随分と懐かしい――。
「御婦人。つかぬことを伺いますが、悪戯の心当たりはおありでしょうか」
「とんでもない。こんなことは初めてです」
恐縮したように教諭は答える。
「これは失敬。お嬢様、我々も手伝おうか」
「ええ。そうね」
紗枝は私が支援を申し出ることを察知していたのか、快く頷いた。
慌てたのは教諭と女学生達であったが、頭数を揃えればすぐ終わる作業ですよ、と云いくるめてしまう。周囲の目を盗み、ビラ紙の一枚を懐に収めることも忘れない。貼紙を全て剥がすのにそう時間は掛からなかった。
「お嬢様。私はこれで退散させていただくよ。帰りは迎えに行くことはできないから、御友人と連れ立って帰るように」
「迎えなんて大丈夫よ。でも、どうしたの。今日から送ってくれるなんて、お父さんに何て云われたの?」
「先刻君に叱られた手前白状するが、院長殿が心配していたのだ」
「心配?」
紗枝は、何故気遣われるか分からないという顔をする。
「でも、あの事件からもう三年は経ったわ」
「その話じゃない。別の事件だよ」
「ごめんなさい、分からないわ。何の話?」
「それなら御友人か先生にでも訊いてみるといい。では、今度こそ失礼するよ。あと、私が悪目立ちしてしまったようだ。私のせいで御友人に揶揄われてしまったら済まない」
女性教諭と生徒達に簡単な挨拶を済ませ、踵を返す。
軍装の男が珍妙に映るのか、遠巻きに私を観察する生徒が徐々に増えてしまった。あらぬ噂を立てられる前に退散する。これではまた紗枝に文句を云われるのかもしれないが、一見軍属らしい者が警護している女子生徒に手を出す莫迦もいないだろう。却って都合が良いのかもしれない。
尤も、女学生の失踪が事件性のない家出だとしたら全くの徒労になるのだが――。
おそらく、それはないだろう。
根拠こそないが、程近い将来、何らかの進展があるはずだ。その時にはもう、私は傍観者ではいられない。陸軍将校ではなく帝都抜刀隊の一隊士として事に当たるのだろう。
今の私は、東京第一師団輜重隊所属の陸軍中尉ではない。内務省警保局保安課を総元締めとする特別高等警察の特務課――帝都抜刀隊の一員である。
創設間もない部隊であり、謂わば、内務省直属の尖兵である。
警察や軍隊といった純粋な武力では解決できない事件こそ抜刀隊の本領である。
活動の際、法律や倫理に抵触する虞があれば、殿上人たる課長の権限で揉み消すことも容易だが、私兵という扱い故に簡単に切り捨てられる可能性も捨てきれない。
無事に明日を迎えられる保証もない組織だが、私にとっては居心地の良い場所であった。