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恋愛小説短編集

水と油は乳化する

「そんなに振らなくても、一気に沸騰させればだいじょうぶだよ」


 僕がキッチンでフライパンを懸命に振っていると、カウンター越しに妻が声をかけてくる。


「いいんだよ、これで。これが楽しいんだ」

「ふーん、そうなんだ」


 何十回と繰り返されたやり取り。ぶっきらぼうに見えるかもしれないが、僕らにはこれがいい。だってこれは、いつもの儀式(プロトコル)なのだから。


 唐突な自分語りで恐縮だが、僕は伝奇作家だ。今どきの若い子に伝奇といっても通じないかもしれないから補足しておくと、民間伝承なんかを下敷きにして、理屈に合わない奇妙な話を書く人間、とでも思ってもらえればいい。


 その仕事柄、僕はしょっちゅうフィールドワークに出ている。柳田國男(やなぎたくにお)を気取るわけじゃないが、全国の田舎を巡ってネタを仕入れているのだ。編集さんからは、そこまでやることはないんじゃないかって呆れられているけれど。


 綿密な取材がウケているのか、おかげさまでマイナージャンルにしては売れ行きは上々だ。取材費がやたらにかかっているので支出も多いけれど、自分ひとりならなんとか食っていける程度には稼げている。


 そんなわけで、僕は自宅を空けていることが多い。たまに自宅にいるときは、なるべく妻に手料理を振る舞うことにしている。


 ガシャガシャとフライパンを激しく振り続けていると、パスタの茹で汁を加えたオイルソースが白濁し、とろみがついてきた。これが乳化だ。本来は混じらないはずの、水と油が一緒になる現象。


 そう、僕はペペロンチーノを作っている。これは定番で、妻からリクエストがあったら必ず作っている。


 ニンニク抜きで、足りない旨味をコンソメ顆粒で補ったなんちゃってだけど。イタリア人に出したら殴られるんじゃないかな?


 妻が温めた平皿をキッチンカウンターに並べてくれる。そして冷蔵庫の横に置いた小型のワインセラーとにらめっこをはじめる。料理を作るのは僕の役目、ワインを選ぶのは妻の役目だ。


 妻はバリバリの理系で、その豊富な科学知識を活かしたミステリを書いている。僕とは大違いの売れっ子で、もう何作もドラマやアニメになっている。


 インドア派で家からはめったに出ないし、料理もしない。僕がいないときはネットの出前サービスばかり利用しているようだ。


「栄養が偏るからよくないよ」と僕は言うのだけれど、妻は「ちゃんと計算してるから問題ないの」とサプリメントの瓶を振ってみせてくる。こういう議論になると勝ち目はないから、僕はそのまま引き下がっている。


 ピピピッと音を立てたキッチンタイマーを止める。たっぷりの湯が入った鍋からパスタを一本引き上げて味見。うん、完璧な茹で具合だ。


 残りのパスタをフライパンに入れて、また激しく振る。すっかり乳化したソースがきれいに麺に絡む。よし、今回も上出来だ。ペペロンチーノを作るときはこの瞬間が一番楽しい。


 出来上がったペペロンチーノをパスタトングでねじねじと皿に盛り付ける。仕上げにドライバジルを振って、ダイニングテーブルへとサーブ。タバスコと粉チーズを妻と僕の中間に置く。


 妻は周到にワイングラスをセッティング済みで、じゃぼじゃぼと赤ワインを注ぐ。


「そんな淹れ方をしたらワインが勿体ないよ」と言うと、「淹れ方で味なんか大して変わらないよ。科学的に考えて」と返される。


 これもいつもの儀式(プロトコル)だ。そして二人で声を合わせて「いただきます」を言う。


 僕はパスタに粉チーズを少し振りかけて食べる。うん、美味しいな。シンプルだけど、その分パスタの味がしっかり感じられる。


 本当はサラダを付けたいところだけど、妻は生野菜を好まない。無理に勧めても、サプリメントの瓶を振られて終わるだけだ。


 妻はパスタが赤くなるくらい、たっぷりのタバスコをかけて食べている。あんなにタバスコを振りかけて味がわかるんだろうか?


 でも、そうやってパスタを食べる妻はいつもにこにこしている。ま、好みは人それぞれだ。美味しいなら、それでいい。


 僕と妻が出会ったのは出版社のパーティだった。立食式のそのパーティで、パスタにどばどばとタバスコをかける彼女を見てつい声をかけてしまったのだ。「それ、辛いやつですよ。何か間違ってませんか?」思い返したらずいぶん間抜けな言葉だ。「タバスコは辛いものですね。間違っていませんよ」彼女の返事も、思い返せばやっぱり間抜けだった。


 それがきっかけで、どういうわけだか交際がはじまり、なぜだかわからないがいつの間にか結婚していた。売れない文系伝奇作家と売れっ子理系ミステリ作家の結婚は、業界の一部で少々話題になった程度には意外なことだった。第三者から見れば、僕と妻はまさしく水と油だろう。それについては僕も大いに同感だ。


「ごちそうさまでした」


 ちょっと考え事をしている間に妻がパスタを完食していた。唇が油でてらてらと光って艶めかしい。僕も慌てて残ったパスタを片付ける。しばらくくだらない雑談をしながらワインで口の中を洗う。


 それから、寝室に行って、僕と妻は水と油みたいに乳化した。


 了

 初の恋愛物(というか結婚物)挑戦。

 あまぁぁぁああああい!と感じたら評価などいただけると幸いでやんす(´・ω・`)


 まったく毛色の違った作品も連載中ですので、この作品が気に入ったらこちらもぜひにー。


 ■三十路OL、セーラー服で異世界転移 ~ゴブリンの嫁になるか魔王的な存在を倒すか二択を迫られてます~

 https://ncode.syosetu.com/n3279hb/53/

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