そこでしか食べられないエビフライ
かなとファミレスで会ってから、何度も何度も日にちを数えて。待ちに待った約束の日がきた。
俺は交代勤務だからもともと土日休みが少ないけど、会社はブラック企業ってわけじゃないから、少ないとは言っても、休みを取りにくいわけじゃない。土日は工場内で稼働している部署が少なくて、他部署とかかわるような仕事がまずないから、生産管理の奴らから突然に納期短縮しろとか言われてあたふたするようなこともないし、ただ淡々とスケジュールどおりに生産をすればいい。つまり、平日よりもよっぽど予定が立てやすくて人が少し減ったとしても何とかなるから、土日に予定が入ったとしても、有給申請すればまず通る。
・・・というのは、ただのチーム員の話。俺に限ってはその限りではない。
なんでかっていうと、俺はこれでもいちおうチームリーダーで管理職だから。俺が働いている会社は化学品メーカーで、専門的な話になるとわかりにくいから簡単に書くと、工場内では扱いが難しい薬品とかいろいろ使っているから、資格を持った人がその場にいないと止まる仕事がたくさんある。資格っていうのは社内資格もあるし、法律で決まっている資格もある。で、リーダーはその資格を持ってる。
つまり、リーダーが休むイコール資格を持ってる人がいなくなるってことだから、生産を停めないために他のチームのリーダーに代わりに出てきてもらわないといけなくなる。前も書いたかもしれないけど、俺がいる製造部は4つのチームで動いていて、ずっと日勤のチームが1つと、あとは日勤、準夜勤、夜勤の3チーム。つまり、日勤時間帯はリーダーが二人いることになるから、その辺をうまく調整すれば、リーダーであっても休みを取れないことはない。ただ、いろいろめんどくさい。会社に有給申請すれば人事を担当している総務が勝手に調整してくれるってんなら楽なんだろうけど、そういう体制はなぜかない。調整はリーダーどおりでやれって感じ。
あ、突発の体調不良とかは別だよ。そういうときは会社に連絡すれば、何とかしてくれる。でも、そういうのじゃない、いわゆる私用による休みっていうのは、自分たちで調整しないといけないから、けっこう、しんどい。しかも俺、4人いるリーダーのうちの一番下っ端だから、他のリーダーから土日に休みたいからって調整を頼まれることはあっても、自分からは言い出しにくい。
そういうわけで、今日は待ちに待った土曜日休みなんだ。かなに指定されたコンビニの駐車場に車を停めて、ペットボトルのお茶を2つ買って、運転席と助手席のドリンクホルダーに入れてしばらく待つ。どの方角から来るのかが分からなかったから、運転席に座ったまま視線だけを右に左に忙しなく動かしていたら、視界の端にさらさらの茶髪の女の子をとらえることができた。かなだ。
かなは迷いなく俺の車のところまで来たから、運転席側の窓を開けて助手席に乗るように声をかける。
「優君、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
そう笑ってくれるかなは、なんか袖のところがひらひらしているシャツに、紺色のスカートを合わせて、ちょっとかかとがあるサンダルという格好だった。髪は結んでなくて、さらさらの髪にどきっとさせられる。昔はポロシャツにジーパンが多かったから、趣味変わったのかな?前は活発な印象だったけど、なんていうか、今日はすごく女の子って感じだ。
「おはよう。こっちこそよろしく。あ、お茶買ってあるから、好きに飲んで」
そう言って助手席側のドリンクホルダーを指さすと、かなはすぐにそれを手に取って蓋を開ける。
「ありがとう。遠慮なくいただくね」
と言ってくれる。
「あ、あのさ、早速だけど、出発していい?」
「うん。お任せにしちゃったけど、どこに行くの?」
「おいしいお昼ご飯食べに行こうかなって思って」
「そうなんだ。ちょうどいい時間だもんね。楽しみにしてるね」
「じゃあ、出すね」
待ち合わせた時間は11時。かなはこの近くにある店に行くと思っているだろうけど、俺が考えてた店はちょっと遠くにある。待ち合わせ場所がある地域は、いわゆるかなが住んでいる市の中心地から少し離れた住宅街ってやつで、中心地より南にある。だから、かなは当然、北にある市街地を目指すだろうと思ってるだろうから、俺が反対向きにハンドルを切ったことで驚かせたようだった。
「あれ・・・?優君、お昼ってどこに行くの?」
「うん、内緒。でも、絶対おいしいから」
「う、うん・・・」
ひたすら車を南に走らせるうちに、住宅街を抜けて、工業地帯に入っていく。時間は13時近くになっていた。
やばい。かなが黙ってしまった。怒ってたらどうしよう。
「ごめん。実はさ、行きたい店、ちょっと遠くて」
おそるおそるそう口にしてみると、助手席からすごく視線を感じる。視線だけで何も言ってくれない。この沈黙はきつい。冷や汗が出てきた。
「あ、あのさ・・・実はすっごくお腹すいてたんだったら、ごめん・・・なさい」
おそるおそる謝ってみたら、隣で吹き出す声が聞こえた。
「もう、何それ!別にお腹すいてるから黙ってたわけじゃないですって」
「あ、いや、かな、黙っちゃったから、怒ってるのかなと思って・・・」
「お腹すいて怒ってるんじゃないって。全然着かないから、どこ行くのかなって様子見てただけだよ」
「え、じゃあ、怒ってるわけじゃないの?」
「ううん、怒ってないわけじゃないよ。お昼ご飯食べに行くって聞いてたのに、全然着かなくて何も言ってくれないことにはちょっと怒ってるけど」
「やっぱ怒ってんじゃん」
「でも、お腹すいて怒ってるわけじゃないんだって」
も~わかる?って、笑いながらかなが言う。
そうこう話しているうちに、工業地帯も抜けて、だんだん寂れた道に入っていく。怪訝な顔になるかなをもうすぐ着くと言って宥めているうちに着いたのは、海のすぐそばにある定食屋だ。けっこうな田舎にある店なんだけど、エビフライがものすごく大きくてすげーうまい。ここまで食べに来る価値はあると思ってる。もうランチのピークタイムは過ぎているはずなのに、駐車場はいっぱいで、当然満席だったから待ちのリストに名前を書く。待合スペースにも人がいっぱいいたから、しばらく呼ばれないだろうと判断して、店を出てすぐそばの海辺に誘う。
「あ~、やっと着いたぁ!」
そう言って伸びをするかなを見ると、昔、かなと一緒に水族館に寄ったことを思い出す。
「ね、前もこんなふうに海に寄り道したことあったよね?」
隣を見ると、俺を見上げて笑うかなと目が合った。
「うん、そうだったっけ?」
俺も同じこと考えてた、そう言えばよかったのに、なぜかそんなふうに答えてしまう。
「え、もしかして忘れてる?優君と初めてお出かけしたときだよ。あのときも、地元の水族館かと思ってたら、突然高速道路に入るからびっくりしたんだよ。今日だって、どんどん市内から離れて行くし、どうしようって思ったんだから」
「いや、そのほうが楽しいかなって思って・・・」
「もー、相変わらずなんだから。楽しいですけどね、でも、ちゃんと予告してほしかったですよ」
「予告したら驚かせられないし」
「まあ、そうですけどね。・・・ていうか、やっぱりあのときのこと覚えてるんじゃないですか!」
「あ、うん。実はちゃんと覚えてる」
「もーなんで忘れたふりしてるかなあ」
そんな感じでまた笑われてしまう。
そんなことを話しているうちに時間も経ったので、そろそろかと店に戻ると、あと2組ほど待てば俺たちの番が来るというタイミングだった。
しばらくしたら名前を呼ばれて、席に座ってエビフライの定食を注文する。他にも刺身とかいろいろメニューがあって、この日のおすすめはシャコだったからそれも頼む。かなはシャコを食べたことがなかったみたいだけど、おいしいって言ってくれた。
シャコを食べてるうちにエビフライの定食が来て、かながその大きさに驚く。そうだろうそうだろう。この大きさは他の店ではなかなか見られない。シャコも食べてたからか、かなは定食を完食できなくてすごく悔しがってた。
食べ終わって店を出てから、次のプランを提案する。ここからしばらく車を走らせると有名な灯台があって、恋人たちで鍵をかけると別れないってジンクスがある。そこに行かないかと聞いてみたけど、さらに奥のほうに進まないといけないことを伝えたら、帰りが遅くなりそうだからと断られてしまった。
それならと、釣りができるちょっとした埠頭を提案する。もう昼も過ぎていて釣果が期待できるような時間じゃないから釣りをするわけじゃないけど、ちょっと歩いてみないかって。そっちならいいよとかなは賛成してくれた。
埠頭からは沖に向かって細い一本道が伸びていて、もっと早い時間帯であればそこに釣りをしている人がずらっと並んでいるんだけど、俺たちが到着した時間が昼過ぎだったこともあって、そういう人はまばらだった。釣り道具も何も持たない俺たちは、その道をのんびりと歩いて行く。幸いというべきか、日差しもそんなに強くなかったし、ほどよい風も吹いているから、歩いても熱中症になるようなことはなさそうだ。
「お腹いっぱいだったから、軽く運動できてちょうどいいね」
俺の少し前を歩いていたかなが、振り返ってそう言う。
「あ、うん。そうだね。あの店、けっこうお腹いっぱいになるから」
「ランチの時間も終わりがけだったのに、お客さんいっぱいだったね。私は全然知らなかったんだけど、有名なお店なの?」
「うん、多分、そこそこ有名だと思う。わざわざ食べに来る人もけっこういると思う。俺も釣りの帰りに寄ること何度かあったし」
「そうなんだ、優君、釣りするんだね」
「うん、本当は潜るほうが好きなんだけど。俺、こっちに戻ってきてから交代勤務やってて、土日が絶対休みってわけじゃないんだ。スキューバダイビングのツアーって当然なんだけど土日に組まれることが多くて、なかなか予定が合わなくて行けなくなった。で、潜れないけど海行きてーなって考えたときに、一人で出来ることって釣りかなって」
「楽しい?」
「うん、潜るのとは別の楽しさがあるよ。釣りは、もともと子供の頃に親に連れられてやったことあるから、丸っきりの初心者ってわけでもなくてそこそこできたのもあるし」
「そっかー」
話が途切れたタイミングで、俺はかなのことも聞いてみる。
「俺も土日なかなか合わせられんかったけどさ、かなも空いてる日が全然なかったよな。もしかして、そっちも土日勤務があったりするの?」
かなの土日がなかなか空かなかったのは、おそらく演奏活動のためだと思うことを分かってて、あえて、そんなふうに聞いてみた。そんな俺の意図になんか全然気付いていないかなは、土日はあちこちでピアノを弾いていると答えてくれる。学生時代のキャバでのバイトは、もともとプライベートで友人だったバイオリニストの美麗に頼まれてやっていただけで、かなよりも一つ年上の美麗が就職活動を機に店を辞めたときに一緒に辞めたそうだ。大学を卒業してからは、当然本業は会社員で、ピアノは頼まれたときに伴奏をしている、その程度らしい。「その程度」とは言っても、それは学生時代に毎週のようにどこかで演奏していた時と比べてのことで、月に1度か2度は演奏活動をしていて、土日は、どちらかもしくは両日で本番か集まっての練習があるとのことだった。
「本当はね、大学を卒業したときに、演奏活動も一緒に卒業しようかなって思ったんだ。これからは社会人になるんだし、仕事一本で頑張るぞって。でも、会社に入って、入社式は東京の本社であったんだけどね、入社研修が終わるまでホテル暮らしで。夕方に研修終わってから同期と飲みに行ったり、先輩と飲みに行ったり。あ、飲んでるばっかじゃなくて課題を一緒に片付けたりとかもしたんだよ、まあとにかく、そういう社会人らしいあれこれも嫌じゃなかったんだけど。でも、当然だけどピアノは弾けなくて。で、やっぱり、ピアノ弾きたいなあってストレスたまっちゃって。だから、配属が運良く地元だったから、研修終わって本配属でこっちに戻ってきてからは、時々だけど、また、慎也君と一緒に弾いてるんだ」
「慎也君?」
「あ、そうだよね、分かんないよね。ご当地バイオリニスト?みたいな感じで、私の地元ではちょっとした有名バイオリニストなんだ。覚えていてくれるか分からないけど、昔、優君レストランでの演奏を聴きに来てくれたんだよ」
「かなは、原田・・・さんと仲良さそうだったよね」
うっかり呼び捨てしそうになって、慌ててさんを付け足す。
「うん、まあ、仲良しっていうか、私が中学生のときに、慎也君は音大生で、ピアノの先生つながりで知り合って、そこからずっとお世話になってるというか」
「そうなんだ」
「子供の頃は先生っていうか、憧れっていうかそんな感じで、でも今は、対等な仲間っていうか、そんな感じなんだって・・・あれ?」
足を止めたかなが、驚いたように俺を見上げる。
「優君、よく慎也君の名字なんて覚えてたね」
しまった。ここに来てから、かなは原田のことをずっと慎也君と呼んでいたから、俺が奴のことを名字で呼ぶのは不自然だ。
「あ、うん・・・なんか覚えてた」
「そうなんだ、すごいね」
「だってあいつ、かなとなんか仲良さそうだったし」
「あはは、何その理由」
上目遣いで俺を見ていたかなが、おかしそうに笑う。
「そっか、私と仲良さそうだったからかあ」
「・・・何だよ、悪いかよ」
「ううん。悪くないよ~」
なんだか妙にかなが嬉しそうだ。
「そっかあ。そうなんだ」
「だから、別に悪くないんだろ?」
「うん、なーんにも悪くないよ。ふふっ」
俺が慌てて言いつのるたび、ますます嬉しそうに笑う。
「よしっ、そろそろ戻ろっか」
ひとしきり俺をからかった後に突然くるりと向きを変えたかなは、俺を追い越して元いた道を戻っていく。なんだか来たときよりも足取りも軽そうで、鼻歌まで歌い出した。そんなかなを俺も向きを変えて追っていく。別に横に並んで歩いてもいいんだけど、楽しそうなかなの後ろ姿を見ていたくて、結局俺は、ずっと後ろをついていった。
あのとき連れて行った定食屋は、今ではあちこちに支店が出来て、「ここまで来ないと食べられないエビフライ」ではなくなってしまった。駅ビルのテナントに入った店の前を通るたびに、エビフライの大きさにびっくりするかなや、その後の埠頭を歩いていた楽しそうな後ろ姿を思い出す。もう会えないのが分かってるのに、どうしても、思い出すことをやめられない。




