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辞令

 俺のせいで散々だったドライブデートの後も、俺とかなの付き合いは続いた。社会人と学生だったからしょっちゅう会うというわけにはいかなかったけど、平日はメールのやりとりをしたり、たまに夜時間が合うときは電話したりして、週末はかなの家に泊まったり、かなにバイトが入ってない日は昼間に出かけたりした。俺とかなは性格も趣味も全然違うんだけど、不思議とぶつかるようなこともなかった。かなと予定が合わない日は、来年に向けてスキューバダイビングの上のライセンスを取る勉強や練習をしたりもして、年内に何とかライセンスを取ることができた。仕事もそれなりに忙しくて、今になってあの頃を振り返ると、なんだかんだ一番充実していた気がする。


 そんな日々に変化が起きたのは、年も明けた冬のある日のこと。

 俺は、上司に呼び出されて、昇格試験の合格通知と、転勤の内示を受けた。行き先は、秋に数ヶ月だけ行った中国の工場。俺の先輩がそこでの勤務を続けられず勝手に帰ってしまったから、後任が決まるまでのつなぎとして出張扱いで行っていたところだ。なんと、その後任者までも、どうしても合わないから帰りたいと訴えているらしい。俺の先輩は結局メンタル的な病気になってしまって休職となっているから、後任者もそうなっては大変と、そいつは早々に東京の研究室に戻すことになったらしい。

 そして俺の辞令だが、今度は、一時的な助っ人扱いではなく、正式に駐在員として行くことになるとのことだ。他の会社はどうか知らないけど、俺の勤めている会社は、海外駐在できる等級が決まっていて、若手では行けない。駐在員は現地スタッフをまとめるマネージャークラスとして赴任するからだ。だから、本来であれば入社5年目の俺が選ばれることは絶対にないはずだが、今回の昇格試験に合格したことで、アシスタントマネージャーという肩書きで赴任が可能となったらしい。

 …というか、俺を中国に行かせるために、昇格試験に合格させたんじゃないかと疑ってる。前にも少し書いたかもしれないけど、この会社は、高専卒も大卒も同じタイミングで昇格試験を受けることができるという建前があっても、実際に合格するのは、偏差値が高い学校を出た大卒や院卒ばかりで、高専卒は、どんなに優秀でもなかなか合格することはない。受験できる年次になって1年目で高専卒の俺が合格するなんてことは、この会社の慣例で言えば、ありえない事態だ。


「行きます。」

 気が付いたときには、そう返していた。


 それからはしばらくばたばたしていた。今の工場での引き継ぎだとか、ビザの申請だとか仕事関係のこと。引っ越しの準備とか車をどうするかとかの私生活のこと。

 もちろん、かなには転勤が決まったことをすぐに伝えた。かなはすごく喜んでくれた。直接的な表現をしていたわけじゃなかったけど、助っ人での数ヶ月のことを何度も話してたから、やりがいを感じてたことは伝わっていたらしい。


 先輩の後任者を早く東京の研究室に戻すためにも、俺は、ビザが取れたらすぐに中国に向かうことになった。助っ人のときはただの数日の出張だと思っていたのもあって、呼ばなかったけど、今度は駐在員としての赴任だから、かなに空港まで見送りに来てくれないか頼んだ。俺が向かうちょうど前の月に、新しい空港が開港したから、「せっかくだから空港見学しちゃおっかな」なんて言って、かなは来てくれた。空港へ向かう電車の中で、空港に商業施設のこととか、温泉に入れるだとか、いろいろ調べたことを教えてくれて、かなはひたすらはしゃいでいた。

ただ、そんなに余裕を持って向かったわけじゃないから、空港に着いてもあちこち見回る時間なんてそんなになかった。かろうじて土産物コーナーを二人でのぞく時間はあったんだけど、そのとき、かなは、空港マスコットキャラの小さめのぬいぐるみを見つけて、二つ手に取ってレジの列に向かった。せっかく見送りに来てくれたのだからと俺が支払って店を出たところで、かなが、ぬいぐるみのうちの一つを俺に突き出してきた。

 …俺、別にぬいぐるみいらないんだけどなあと思ったんだけど、そのときのかなの表情があまりにも真剣だったから、つい、受け取ってしまった。スーツケースを開けてすきまにぬいぐるみを押し込んでる俺を見て、かなは満足そうに笑う。


「よしっ、じゃあここで解散ね!頑張ってね!」


 え?ここで?土産物屋とかが並ぶ商業施設コーナーで解散?

いきなりのことに反応が止まってしまった。正直、ドラマじゃないけど、もっとぎりぎりまで見送ってくれて、別れを惜しむのかと思ってたから、拍子抜けだ。でも、なんか、こういうあっさりしているのもかならしいと思う。


こうして俺は中国に向かった。先輩の後任者は中国の工場での仕事を辞めたいばかりの態度で、俺が着いたらろくに引き継ぎもせず、さっさと東京に帰ってしまった。だから引き継いだばかりの頃は毎日分からないことばかりで大変だったけど、なんとかして仕事をこなしていた。中国には年に2回ほど日本とは違うタイミングで祝日があって、そういう長期休暇のときやビザの更新とかでちょくちょく日本に戻る機会もあったんだけど、俺はかなに連絡できなかった。そもそも、「携帯メールを海外で受けると通信料がすごくかかるから、中国でのメールアドレスが決まったらこっちから連絡する」って言ったくせに、中国でのメールアドレスが割り振られた後も、かなに伝えなかった。

あのとき解散って言われてあっさり別れたこととか、そもそもの始まりがキャバクラでの出会いで、「付き合って」と言わずに始まった関係だったこととか、そういう諸々が怖くて連絡する勇気がでなかった。

 かなも若いし、学校でもバイト先でもどこでも出会いがあるし、いつ帰るかわからないような分からない男のことなんて、いつまでも待ってるわけないだろうし…そもそも、俺、かなに「可愛い」って言ったことあっても、「好き」って伝えたことなかった気がするし、俺たちって付き合ってたのか?とどんどん後ろ向きになってしまったのもある。一度連絡しそびれると、ますなす出来なくなっていった。

 あと本当に毎日忙しかったのもある。アシスタントがついてはいるものの、マネージャーとしての赴任。管理職になったのも初めてなら、助っ人の3か月をのぞけば初めての海外勤務。地元の工場で一社員として働いていた頃とは全然仕事内容も量も違う。毎日必死だった。寝る前に一人になって、たまにかなのことを思い出すことはあっても、しょっちゅう思い出すことはなくなっていった。


 そんなこんなで、4年とちょっとが経ったときに、あの、全世界を巻き込んだ金融恐慌が起こったんだ。

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