会社への報告
久しぶりの出勤。アパートの駐車場で車のエンジンをかけようとして、かからないことに焦る。まあ、約準備、引き継ぎにそれぞれ1週間、合計1か月半もエンジンかけなかったら、しょうがないとは言え、始業時間が迫っている。こっちならいけるか?と車を降りて部屋に帰り、自転車の鍵を掴んでアパートの階段を駆け下りる。あぁくそっ、こっちは空気が抜けてタイヤがしぼんでる。パンクしてることはないはずだから、猛ダッシュで空気入れを取りに戻り、しゅこしゅことひたすらに空気を詰めて、めちゃくちゃ急いで自転車をこいで職場に向かう。遅刻したらまずいから、必死にこいでるうちに、ついさっきまで電話していたかなのことは頭からすっかり飛んでいた。
なんとか遅刻せずに会社に着いた。昨日、総務を担当している同期から、まずは事務棟に寄るように言われていたことを思い出して、自分の工場には向かわずにそちらに向かう。しまったな、いつもは自分の製造部に直接向かって、ロッカーで制服に着替えてしまうから、トレーナにジーパンみたいな適当な恰好で出勤でも問題ないんだけど、事務棟でこの格好だとかなり浮く。男性社員はみんなスーツだし、女性社員は事務服だ。しまったな、なんで、朝家を出る前に、事務棟に寄ることを思い出さなかったんだろう。居心地悪く事務棟の廊下を歩くと、昨日も会った同期が俺を見かけて慌てて飛んでくる。
「大島、なんて恰好してるの?!これから出張報告で、製造部長も時間空けてるんだよ!」
それを聞いて血の気が引く。こんな格好で偉い人の前に出るなんて、やばすぎる。
「いやそれ、ヤバいから。なんとかならんかな?ちょっとでも、着替える時間ほしいんだけど」「時間あれば着替えればいいけど、あんたさ、今も始業時間ぎりぎりだよ。来るの遅いよ」「しょうがないだろ、車バッテリーあがったのかエンジンかからんくって、慌てて自転車こいできたんだから」「えっそうなの、ならしょうがないけど・・・」「とにかく、すぐ着替えてくるから!」
事務棟にも更衣室はあるにはあるんだけど、ちょっと奥まったところにあるから、そこまで行ってる時間がなくて、制服の入ったカバンを持って近くにある来客用トイレに駆け込む。来客用だからかバリアフリートイレも兼ねてて、車いすの人でも入れる広めの個室がある。そこで慌てて着替えて、急いで、総務の受付まで行く。
「おお、大島、久しぶりやな」
工場での直属の上司にあたるリーダーが、俺を待ってた。
「お久しぶりです。やっと出張が終わって、帰ってこれました」
「いろいろ話したいんだけどな、なんか、製造部長がまずお前に会いたいって言ってて、それでまずは事務棟に来てくれってことだった。もっと早く来いよ。ぎりぎりだから焦ったぞ」
「あ、すいません・・・車のエンジンかからなくて、自転車で来たので・・・」
「ああ、バッテリー上がってたか。悪いな、こっちも急な出張をさせて」
「いえ、勉強になりましたし、とてもやりがいがありました」
「お、いかん。ここで話してる前に、まず、工場長のところに行こうか。俺も行くから」
工場長室のドアを開けると、そこには、出張前と同じように、工場長と、製造部長がいた。出張前もこんな感じだったから、今度は、あの時ほどの驚きもプレッシャーもないけど、やっぱり、普段は同じ工場内でもめったに会うことはないし、ましてや話すこともない人たちだから、多少は緊張する。
「大島君、急なことだったのに、引き受けてくれてありがとう。」
そんなねぎらいの言葉から始まった話は、終始和やかに終わった。どうやら俺は、中国の工場からはけっこういい評価をもらっていたらしい。俺も、向こうでの出来事や、叶うことならば、もっと働きたかったと思うほどやりがいがあったことを伝えた。
30分ほどの報告が済んで、工場長室がある事務棟を出て、自分が働いている製造部へ向かう。今日からいきなりシフトに入るわけではなく、俺がいない間にやっていてもらった仕事の引継ぎなどを受け、忙しくなっているエリアを手伝って、定時に帰ることが出来た。
定時後、着替えて会社の門を出て、駐車場に向かって歩いているときに気が付く。あ、俺、今日自転車で来てたんだった。間抜けにも忘れていた。とりあえずバッテリーあがってる車をなんとかしないといけないからJAFに電話して、来てもらうことにする。
もっと時間かかるかと思ったけど1時間もしないうちに直してもらえて、久しぶりに
運転する。ああ、なんか日常だなあと思う。中国にいたことが嘘みたいだ。
中国と日本の時差は1時間しかないから、当然、時差ボケなんてない。観光に行ってたわけじゃないから、土産も買ってない。いや、嘘だ。香港の空港で、かなには、買った。似合うかなと思ったブランド物のネックレス。今日は金曜日だから、いつもと同じなら、夜はキャバで演奏があるはず。だから今日はたぶん会えない。会えたとしても、夜遅く。そんな時間に会うとしたら、そのまま何もせずに終われる気がしない。なんか、そういうことが目的って思われるのも嫌だし、せっかくだから、ちゃんとデートしたときに渡したい。ああでもな・・・やっぱり、会いたい。車は、自然と、店がある繁華街方面に向かっている。かなへの土産は、助手席に乗せてる。今はまだ、演奏が終わっていない時間だ。このまま適当に運転しながら、かなの仕事が終わるまで待とうかな。でもな・・・ちょっとくらいなら、1セットだけなら、払えない額じゃないし、俺、出張手当も3か月分出たから懐にも余裕があるし、それに、何より、会いたいと思ってしまった。少しでも早く会いたい。
俺は久しぶりに、かながバイトしている店の扉を開けた。