中国の工場でのこと
ただ後ろの席に乗ってただけなんだけど、俺は、へろへろになりながら工場に着いた。日本の道と同じように考えたらいけなかった。どの車も運転が荒いし、歩行者も自転車もみんな無茶苦茶だ。信号なんてあってないようなものだと思う。
「日本から来た人は、運転免許持ってる人も自分では運転しませんね。大島さんも、通勤では送り迎えがあるので、それで移動してください。さ、こっちです」
空港に迎えに来てくれたワンさんに、そのまま工場の事務棟まで案内されて、工場長がいる部屋に着く。工場長は日本人で、日本では俺とは違う工場で働いていた人だから、全然知らない人だった。
俺は会社の海外工場のことなんて全然知らなかったけど、中国にはいくつか工場があって、それぞれで会社を作ってるらしい。日本みたいに、東京に本社があって、国内にそれぞれ支店や工場があるという仕組みとは違うってことだった。
だから、俺の先輩がメンタルを病んで働けなくなっても、中国国内の他の工場とは会社が違うから、そこから人を調達するっていう方法が取れなかったらしい。
とりあえずホテルを取ってあるからと、その日は挨拶だけで帰らされて、次の日から、仕事をすることになった。本当はいけないことだけど、俺はビジネス用のビザを取らずに入国してるから、ホテルから会社に行って、仕事して帰る。
それがしばらく続いた。俺は中国語は全然わからないし、英語だって高専の授業が最後だからどうなることかと思ったけど、ホテルではけっこう日本語が通じたし、工場でも、日本語が話せる人としか仕事をしなかったから、そんなに仕事には不自由しなかった。ワンさんもそうだったんだけど、日本の大学に留学した人が現地採用の社員として何人も働いていて、その人たちを間に挟んで現場に指示をするって感じだ。
特に、ワンさんは、かなと同じ大学に通って、大学院まで出てる人だったから、地元の話もけっこう通じて楽しかった。
ワンさんは、俺より学歴があって、日本語も英語も中国語もできて、もちろん専門の知識もあるのに、俺をすごく立ててくれた。「研究室での知識と、現場は違いますよ。大島さんの経験が頼りです」なんて言ってくれる。そんなふうに言ってもらえると余計に張り切ってしまっていた。
あっという間に1か月が過ぎようとしていた。急なことで自分の携帯を海外仕様にしなかったということもあるけど、その間、かなとは一度も連絡を取らなかった。