散歩
牧場に向けてナビを設定して車を走らせる。目的地が近付くにつれ、道路脇に案内の看板がちらほら目に入ってくる。牧場をのんびりと散歩するのもいいかと思ったが、俺たちの目標は腹を減らすことだったので、牧場ではなくて、そのすぐ近くにある池に向かうことにした。
この池は県名が名前に付いてる池で、けっこう大きい。池の周りを歩くウォーキングコースは7,8キロメートルほどとのことで、これだけ歩けばさすがに腹は減るだろう。俺は朝かなにお茶を差し入れてもらったけど、かなが飲み物を持っているかどうか分からなかったので、尋ねてみる。
「かなさん、俺は今朝もらったお茶があるけど、かなさんは大丈夫?飲み物持ってきてないなら、歩きだす前にどこかで買っておこうか?」
「大丈夫ですよ。水筒持ってきてます。なんなら、糖分補給用で飴もあります」
何それ準備万端だし。俺はついにやりとしてしまう。
ウォーキングコースに入ると、池のまわりをぐるりと遊歩道が囲んでいて、すでに、何人かが歩いているようだった。天気がいい日だが、そこまで強い日差しというわけでもないし、時おり池から涼しい風が吹く。
「最初にお願いしておきますけど、大島さんと私じゃ足の長さが違うんで、ゆっくりめに歩いてくださいね」
そう言って念を押すかながかわいい。
わかったと返事をして、俺はなるべく歩幅や速さに気をつけて歩く。
歩き始めたばかりの頃は、池の周りの植物のことや、池でボート競技か何かを学生らしき固まりが声を出してるので、何をやってるんだろうかとか、そんな当たり障りのない話をしていたが、だんだんネタも尽きてくる。話すことがなくなってくるとつい早足になってしまうらしく、何度かかなに袖を引っ張られた。
「かなさん、俺さ、なんでもいいから、かなさんと何か話したい。話しないでただ歩いてるだけだと、つい歩くの速くなっちゃうから」
何度か袖を引っ張られた後、そう提案してみる。
「何でもって、何がいいですか?」
かなが聞いてくれた。これ言っていいのかな、次の言葉を出すのに少し躊躇した。
「俺が話したいことっていうか、聞きたいことっていうか、俺はかなさんのこと聞きたいし、かなさんが俺に聞きたいと思ってることがあるなら話したいと思ってる」
一瞬戸惑ったかなが、少し速足になって、俺の横に追い付く。横から俺を見上げて、笑ってくれた。
「いいですよ!どっちからにします?聞きたいことと、聞いてほしいこと」
「じゃあ、順番に話そう?かなさんから聞いてくれてもいいかな?」
やった!かなが乗ってくれた。
これまでかなが俺に話してくれることは、かなの演奏する曲の話とか、まだ演奏してないけど好きな曲とかそういうことばかりで、かなのことを全然聞けてなかった。かなの年齢や、実家のある市、通ってる大学、学部などは知ってはいるが、話の流れで聞いただけで、そこから話が広がったことは一度もない。楽しそうにピアノを弾くかなを見たり、演奏や曲のことを話すかなもいいが、もっと、他のことも知りたかった。
池を一周して戻るまではまだまだある。かなの歩調に合わせて隣を歩くが、もっとゆっくり歩いてくれればいいのにと思ってしまう。
「じゃあ...何にしよう。話しやすそうなことって何かな。あ!大島さんの一番好きなお魚は何ですか?」
...俺のことじゃなくて、魚の好きな魚、ときたか。少しがっかりするけど、でも、かなが質問してくれたことに嬉しくなる。
「これが一番っていうのはないよ。前も言ったかもしれないけど、まだ、スキューバダイビングを初めてそんなに経ってないから。でも、どっちかというと、大きな魚よりも小さい魚のほうがかわいいと思う。前に本物のニモを見たんだけど、すっげーかわいかった」
「いいですね!見たって、この前の連休とは別ですか?」
「うん。もっと前。沖縄で潜ってって...違うって、順番にって言ったじゃん。かなさんの質問が一つ終わったから、今度は俺が聞きたいんだけど」
危なかった。このまま答えていたら、この前の水族館と同じで、ひたすら魚の話になってしまう。
「えー」
「いいじゃん、順番だからさ、俺の質問が終わったら、次、かなさんがさっきの質問してくれてもいいんだし」
なんとか丸め込もうとしてみる。かなはしばらく口をとがらせていたが、結局は、順番ですしね、と受け入れてくれた。