総務の手続き
次の日になっても、その次の日になってもかなからは何も連絡が来なくて、俺はかなり落ち込んでいた。仕事をしてるときは見た目だけはいつもと同じようにできていたけど、心の中では、ずっとため息ばかりついていた。
現場で自分のチームが作業の合間の休憩に入ったので、その時間を利用して総務がある事務棟へ行く。
今週末に営業支店で会議があるので、それに関わる交通費の事前申請がいるからだ。普段であれば、会議の計画書と参加者が書かれた社内書類を添付すれば後申請でも問題なく通るのだが、この会議は昨年度のうちに1年計画で承認されていて、書類上のうちの工場の参加者は、この前中国に異動した先輩になっている。だから、面倒でも事前に総務に申請して、会議参加者の変更について承認を得ておかないと、後が面倒なことになるらしい。
会議の何日か後に回ってくる議事録にはちゃんと俺の名前が載ってるので、それを添付して交通費申請をすればいいとも思ったんだが、議事録を待ってから承認すると、それはそれで、精算締め切りとかいうやつに間に合わないのでダメらしい。面倒だから数百円の交通費くらい自腹で払えばいいとも思ったが、それもそれで、会社としてよくないらしい。
総務で対応してくれたのは、俺の同期だった。先月の会議の後にかなと食事に行ったときに、店を教えてくれたやつだ。
「あ、大島じゃん、お疲れ様。どうしたの?面倒そうな顔して」
仕事中でも、相変わらずゆるいしゃべり方だ。先輩はこいつのことを真面目できっちりしてると言ってたから、多分、同期だからこういう態度なんだろう。
「そりゃ面倒だろ。休憩潰してわざわざ旅費の事前申請とかさ」
「まあまあ、そう言わずに。でもさ、ちゃんと事前に来てくれるって、うちら総務にとっては本当にありがたいんだよ。書類、受けとるね」
「ていうかさ、コスト削減っていうなら、この申請書を書く手間も、会議参加者変更をいちいち総務に伝える手間もコストじゃね?先輩いないのなんて、もう、分かりきってることなのに」
「まあまあ、そう言わないの。こういう細々したことでも、きちんと確認しないといけない決まりになってるんです。まあ、こっちだって、印刷されたこの紙を預かって、システムに入力して、紙は何年も保管してって面倒なんだからね。このシステム、総務棟のパソコンだけじゃなくて、誰でも使えるパソコンに入れといてほしいって思うよ」
「あー面倒くせー」
「面倒くさがって申請せずに自腹で済ますなんて、絶対ダメだからね!」
同期に釘を刺される。
「分かってるよ。本当、ありがとな。おまえが総務にいなかったら、俺、どうなってたことか」
この事前申請のあれこれが必要なことも、この前食堂で顔を合わせたときに声をかけて教えてくれた。先輩は現場での仕事は引き継いでくれたけど、こういう総務関係で必要なことまではほとんど教えてくれなかった。俺は現場しかやってなくて、総務のことを全然知らなかったから本当に助かった。
「いえいえ、同期のよしみですから」
申請書の下の総務承認欄にさらさらと日付を書いて判子を押した同期が、書類をとんとんと整えて俺を見る。
「あ、そういえば大島さ、先月の会議のときはどうだったん?」
「先月は、まだぎり先輩がいたから、先輩が俺の分の追加申請してくれてたんじゃなかった?多分大丈夫だと思うけど、一応、今月の給与明細はちゃんと見ておくようにする」
「...いや、それじゃなくて」
同期が声を潜める。
「先月、行ったんでしょ?会議の後」
「...あ!」
「せっかくいい店教えたのにさ、何の報告もないっていうのは寂しいよね」
黙ったままの俺を見て何かを察したのか、
「ま、いつでも飲みに付き合ってやるからさ、同期集めて騒ぐ?...それとも、まだ頑張る?」
「...頑張りたいけど、どうしていいか分からんで困ってる」
しばらくの沈黙の後、同期が言う。
「大島、今日、仕事終わったら飲みに連れてってよ」
「いきなり今日かよ!」
「対策考えるなら早いほうがいいでしょ。私は今日は定時で終われそうだけど」
同期に情けない話をするのは気が退けるが、でも、それでもし何かが分かるなら、知りたい。
「...特にトラブルとかなければ定時であがるようにする」
「じゃあ、終わったら駐車場で待ってるね」
「おう」
にんまり笑うやつの顔がなんとも憎たらしい。
「はい、確かに承りました。こちらで処理を進めます」
さっと総務の顔に戻った同期が、総務カウンターの後ろのみんなにも聞こえるくらいの声で了承の返事をする。俺も仕事に戻る。
週明けのようなトラブルもなく、無難に仕事が終わる。急いで更衣室で着替えて駐車場に向かう。同期はもう駐車場で待っていた。
「お疲れ様~。駐車場って遠いね。よく毎日通うね」
「そりゃ、バスの人と比べたら違い過ぎるだろ」
俺は車で通勤してるが、同期は実家から電車通勤だ。工場と駅は徒歩で通えるような距離じゃないから、朝と夕方は、駅と工場をバスが往復する。同期のいる事務棟のすぐ近くがバスの停留所なので、それに比べれば遠くもなるだろう。
「お酒飲みたい!でもあんたはダメだよ。そんでもちろん、おごってくれるんだよね?」
「分かってるよ」
あー本当、ちゃっかりしてるやつだ。
車のエンジンをかける前にもちらっと携帯をのぞいてみたが、やっぱり、かなからの連絡はなかった。