家に着いてから
大音量で長淵をかけたまま、家に向かう。
駐車場に車を停めたときに着信があったことに気が付くが、構わず家に入り、風呂に入ってシャワーを浴びる。無茶苦茶に洗えば、お湯の音と髪をかき混ぜる音だけしか聞こえないから、余計なことを考えなくて済む。
風呂から出て髪を乾かして、冷蔵庫からビールを取り出す。缶を開ける前に、気にしないふりをしていたが実は気になって仕方がなかった携帯を開ける。かなからのメールだった。演奏会に来てくれたことに対するお礼と、良かったら、また聴きに来てほしいとのことだった。ありきたりな内容だ。返す気になれなくて、そのまま缶を開けて一気に飲む。もともと酒に弱いほうではなかったんだけど、この日はほんの少しも酔える気がしなかったので、この1缶だけで寝た。
次の日も仕事は休みだったけど、何かをする気が起きず、前の日にかなから連絡が来るまでやっていた写真の整理を続けようと、パソコンを開けたものの、整理をする手も進まず、ぼーっと座っていた。
考えてみたら、かなと初めて会ってから、たったの2週間だ。会ったのもまだ3回で、話したことだって、かなの演奏に関することばかりだ。かわいいなと思った子が楽しそうにピアノを弾く子で、演奏する姿を見ると、釣られて自分まで楽しい気分になって、ただ、それだけだ。
俺は音楽に詳しいわけじゃないし、ましてや楽器なんて何も弾けないし、いくら、いいなと思ったとしても、俺は、客以上の存在にはなれそうにない。
今週はたまたま予定が入ってないだけで、いつもの休みはそれなりに予定も入るし、俺なりに楽しんでいる趣味もある。それに、明日からは仕事が始まるし、始まればそれなりに忙しい。特に今は、中国の工場に赴任する先輩からの引き継ぎでいろいろ叩き込まれてる。かなのことばかり考えてるわけにはいかないんだ。
必死で自分の中で言い訳をして、かなと関わらないですむ理由を考える。
この日はこんなふうにぐだぐだしてたけど、実際、また仕事が始まれば本当に忙しくて、帰ったらとりあえず寝て休むだけで精一杯で、かなへの返信を考える余裕はなかった。
かなからも何も連絡はなくて、あっという間に数週間が経って、先輩は中国に赴任していった。まあ、もともと4月の異動だったのが、諸事情があって延びてただけなので、先輩が工場からいなくなるのは決まってたんだけど。送別会で挨拶しに行ったとき、かなのことを聞かれるかと思ったけど、そこは全然突っ込まれなかった。ただ、赴任前に飲みに行こうって話してたのに、忙しくて結局実現できなかったな、ごめんな、と謝られて、その後に後は頼むぞって言われただけだった。
それからは赴任した先輩の仕事をなんとかこなす毎日が続いて、5月の連休に入って、やっと、一息つくことが出来るまで、俺は、かなのことをほとんど思い出さずにいられた。