準決勝
一回一球。この驚愕のピッチングはすぐに全国でも話題となった。
そして、準決勝。対するは横浜大門。ここか、桐輪か、勝ったほうが甲子園でも優勝すると言われていた、神奈川二強の一角。
レギュラーメンバーどころか補欠でもプロの注目を集める、全国最高峰の強豪校だ。
一番北島、二番神林…どちらも極めて優秀な1、2番であり、彼らが足で稼いで引っ掻き回して、相手ピッチャーのペースを乱すことを高校野球ファンは楽しみにしている。
だが今は…
「いーち」
「にー」
ただ、故意のボークにより1~2塁に出塁するだけの役目でしか無い。
そしてバッティングボックスに立った3番バッターは…
「権堂だ…」
「魔人、権堂が3番だと…!」
高校球界が誇る怪物打者、通算本塁打122本、最強の怪物…。
プロ注目の大打者権堂雄彦が…不動の四番バッターが、山崎に対抗するために3番に立ったのだ。
「まさか…権堂ですらトリプルプレーになるのか?」
「有りえないだろう! あいつのバットに当たれば、ボールなんてピンポン球よりも軽く飛んで行くぞ!」
「桐輪の綾瀬や倉敷の方が、成績自体は優秀だが…一番戦いたくないバッターとして、全国の名ピッチャーが揃って名前を挙げるのは、横浜大門の権堂だ」
高校球界最強の怪物が…その筋骨隆々の体躯で堂々とバッターボックスに立った。
その威圧感に、並みのピッチャーならば射すくめられてまともなピッチングなどできまい。
だが、山崎はひょうひょうと、ゆるりと構えると…投じた。
そこそこ早い。だがせいぜい120km/h程度。高校球界では平凡にも程が有る、棒球だった。
もちろん、普段強豪校の豪速球投手ばかりと戦っている権堂にとっては、逆に中途半端な遅さが打ちにくい可能性もある。
だが…権堂は昨日は徹底的に、山崎の標準的な球速である120km/hを打ち込んでいた。
万に一つ、億に一つの打ち損じなどあるはずもない。
「トリプルプレーを狙っているということは…俺のバットに当てなければ仕方がないのだろう?
だが、俺の豪腕にあたれば、どんな球も場外まで吹き飛んでいく!
この俺をトリプルプレーに切って取るなど、絶対に不可能だ!」
ぶおんっ
地響きが鳴り響き、風が巻き起こる。
その風に…山崎の球は一瞬ブレた。
「何…っ」
カキンッ
豪打にそぐわない軽い音。ボールはふらりと飛んでサードへ。
後はいつも通りだった。
「な…何だ、何がおきた…?」
「お、おそらく…風圧に押されて、勢いが死んで…あんなふうに軽く飛んでしまったのかと」
「馬鹿な! 俺の豪打が裏目に…?」
権堂は唖然とするより他に無かった。相手の力を、圧倒的パワーでねじ伏せてきた権堂にとって、あんな羽毛のようなボールは初めてだったのだ。
「権藤さんには無理でも…俺なら打てますよ」
「…梶間…」
6番、カミソリの異名を取る梶間龍彦が牙を研いでいた。
2年生にしてレギュラーを勝ち取った梶間は、普段は3番を任されている。
切り裂くような鋭い打棒は変幻自在。天才の名をほしいままにする彼は、ここまで打率9割5分という前人未到の記録を叩き出していた。
「速い球は速いなりに…遅い球は遅いなりに…。俺に打てない球は無いぜ」
山崎と戦う者は誰もが思う。あんな棒球打てないはずがない。打てなかったのは弱かったからだと。
俺は違うと。
そして、その思いが一番強い者は…間違いなくこの梶間だろう。
あの桐輪の天才・坂上太一が、将来自分を脅かす者は? と言われて挙げたのがこの梶間である。
そんなプロ確実の逸材に対して山崎は…
またも、打ち頃の棒球を放った。
「打てないわけがない…」
梶間はそう思った。バッティングピッチャーが投げる打ち頃の球でしかないと。
だが…
「それでも…わかっているぞ、この球には罠がある。その罠は深すぎてすべてを見切ることは不可能だ!」
梶間の危機管理能力は極めて高かった。
「俺は自分の能力を過信はしない。だが、ただ早く鋭く的確に…当てる!」
キン!
万全だったはずだ。
油断も無かったはずだ。
狙ったのは1~2塁間。トリプルプレイを達成するにはセカンドが取って3塁まで投じる必要があるが、2塁ランナーの長谷部は俊足。アウトにできるはずがない。
…だが、打球はまるでそこを狙ったかのように、3塁めがけて飛んでいく。
「な…!?」
ボールにスピンがかかっていたのだ。当たった瞬間3塁めがけて飛んでいった。
それがわかっても後の祭りだった。いつものように、トリプルプレイが成立していた。
9番… 3年、大山田幸四郎。高校野球ファンや、この試合に視線を注ぐスカウトで、彼を知る者は一人も居なかった。
それもそのはず、彼は普段は3軍なのだ。
綺羅星のような才能がしのぎをけずる、名門・横浜大門。
卓越した才能と努力を兼ね備えた者だけが1軍に所属し、そのどちらかがわずかでも不足していた者は2軍に。
そして、不足がわずかと言えないレベルならば3軍になる。
大山田とて、幼少期から野球に人生を捧げてきた。高校でも休まず努力に努力を重ねてきた。
それでも…悲しいかな、才能が不足していたとしか言いようが無いのだろうか。
才能ある1、2年に易々と上回られ、本来ならこの名門校でレギュラーメンバーに名を連ねる可能性は皆無だった。
しかしこれが、名監督桜瀬の奇策だった。
これまで一切の情報の無いバッター。
どのようなバッティングをするのか一切未知数。努力により磨き上げて、執念だけは人一倍…。
こういう選手は、ときに思いもよらない奇跡を起こす…こともある。
桜瀬小次郎は、長い監督人生でそうした経験を幾度となくしてきた。
相手が常軌を逸しているならば、こちらも奇策。
経験豊富な監督ならではの奇手と言えるだろう。
しかし…。
「うおおおおおお!」
大山田は吠えた。3年間磨き続けて、おそらく最初で最後の晴れ舞台。
その全てをその打棒にぶつけようと、全力で振り回して…
キン!
鋭い打球は3塁線に飛び、あとはいつもどおりだった。
「…ばかな」
監督の桜瀬は驚愕した。大山田のスイングは、才能不足が顕著だった。
軸がぶれているし、ずれている。それだけに、狙ったところに飛ぶ可能性など皆無だった。
目をつぶってめくらめっぽうに振り回しているのと何ら変わりがない。
だがそれだけに計算など不可能なはずだった。
なのに、完璧な計算をしてのけたというのか。
「あ、ありえん…」
桜瀬は愕然とベンチに倒れ込んだ。
だが…それが事実だった。
0-0で迎えた6回裏。
「大山田よ」
「は、はい、何でしょうか、監督」
「…お前はこの打席、バットを決して振ってはならぬ。
バットを狙ってボールを投げてきた場合にはバットを抱きかかえても絶対に当てるな」
「な…」
それは野球選手に出すような指示では無かった。
「とにかく、1回に1球…このふざけたペースを崩さない限りは、ウチの攻撃は始まらないのだ。
頼んだぞ、大山田」
「…は、はい…」
普段は補欠にも入れない大山田だ。
雲の上の存在である名監督の指示に逆らうなど不可能だった。
そして…
山崎が、ボールを投じた。
それは…
「う…あああああ…!」
あまりにも完璧な…絶好球だった。これをフルスイングすれば絶対にホームランが打てる。
そんな確信に満ちた球。
振りたい、振って、打ちたい。そんなバッターとしての本能が大山田の全身を満たす。
幼少期からバットを振ってきた。
先輩に、同級生に、後輩に…残酷なまでの才能の差を見せつけられても、何度も何度も、バットを振り続けてきた。
それはこの一振りのためじゃないのか。
そんな本能的な、獰猛なまでの心の叫びを…
大山田はねじ伏せていた。
監督の指示が重くのしかかる。頼むぞ、と言われた。未だかつて一度として期待されなかった自分に、あの甲子園出場18回、優勝4回を誇る名監督が頼ってくれたのだ。
それに応えなければならない…!
大山田は歯を食いしばり、血の涙を流しながら…そのボールを見送った。
「ス…ストライク」
わあああああ…!
それは、始めて…山崎投じたボールがトリプルプレイ以外の結果を起こした瞬間だった。
もう未来永劫、トリプルプレイしか発生しないのではないかと思われた常識を覆したのだ。
大山田幸四郎は伝説を作ったのだ。
しかし、その代償は…。
「大山田…大山田君!」
大山田はバッターボックスで、倒れ伏していた。そして、タンカで運ばれていく。
「な、何が…何があった!?」
桜瀬は混乱している。
「決まっていますよ」
梶間が口を開く。
「…あんな…バッターとしての本能を、ねじ伏せたんだ。ねじ伏せてしまったんだ。
もう…大山田は、二度とバットを振ることも、持つこともできないでしょう」
「そんな…馬鹿な…」
桜瀬は…がっくりと項垂れた。
自分の選択によって敗北したことなら、何度も有る。その度に衝撃を受け、後悔してきた。
だが、一人の野球少年の野球人生を奪った…これほどの衝撃と後悔に襲われたことは、一度として無かった。
山崎に一球多く投じさせた。その代償はあまりに重く…
名門横浜大門をしても、そのリズムは完全に乱れ、狂っていた。
次回の攻撃で一挙8点という、今までにな大量失点を記録したのも仕方のないことだろう。
そして…7回コールドで、この試合も終了した。
全国屈指の名門、横浜大門敗れる…そして、21個のアウトが全てトリプルプレイという衝撃に日本全土が沸き立つことになる。