三回戦
山崎の名が神奈川県内に鳴り響くのは、3回戦のことだった。
私立湘西。激戦区神奈川のトップは甲子園優勝も狙える超名門、横浜大門や桐輪が双璧と言えるが、それらのトップを追いかける名門校も多数ある。
湘西はその一つ。
甲子園出場経験もあり、全国でも強豪で通用する古豪であり、当然のようにシード校だ。
エースで四番を務める天才・天田は、プロも注目の器として期待を集めていた。
1、2回戦とは観客の数も全く違う。
「江ノ島って、3回戦出場も初めての弱小なんだ」
「初戦の相手としては、楽で良いんじゃないか。どうせ5回コールドだろ」
「1回コールドとかあるといいのにねー」
観客席では、ベンチに座れなかった湘西の野球部員やマネージャー達が雑談していた。
強豪校とはいえ、より上を目指す立場。勝利が確定している初戦など眼中に無かったのだろう。
誰も見ていないようだった。
「おら始まるぞ、しっかり声出せ!」
「おう!」
試合開始と共に、雑談の声は収まって、即座に盛大な応援が始まったが。
「…山崎…」
一回戦で江ノ島と戦った、尾瀬。
「あいつは一体…」
二回戦で戦った、相模。
二人は固唾を呑んで、この試合を見守っていた。
果たして山崎の連続トリプルプレー記録は、10からどこまで続くのかを。
湘西の3番は北大路。天田に繋ぐのが上手い、ヒットの名手であり、凡退の少なさでは県屈指の実力者だ。
ノーアウト12塁から進塁打が打てなかったことなどほぼ皆無だろう。
その北大路が、あっさり引っ掛けてトリプルプレーに終わった。
「ああ…しまった」
「どんまい、北大路!」
初回0点に終わっても、あの程度の投手を打ち崩せないはずがないと、湘西のメンバーは全員が信じているようだった。
「あの北大路でも駄目なのか…」
「相模は、北大路とやったことはあるのか?」
「リトルの頃だよ。本当に、どう抑えれば良いかさっぱりわからなかった。
何を投げても簡単に打ち返されるんだ。あいつはバケモノだ、そう思ったもんだったが…」
暗に、いや明白に、それ以上の怪物が目の前に居ると、グラウンドに目線を送っていた。
マウンドでは天田が、普通に才能を見せつけている。140kmのストレート、フォーク。
才能ある一年生達を打ち取っていく。
足で稼いで2度出塁したが、5人で討ち取られたようだった。
「尾瀬は、6番の江藤って奴は知っているか?」
「ああ。中学では同じリトルだったんだ。そんなに才能があるタイプでも無かったんだが、湘西のレギュラーになったのは驚いたよ」
「努力…したんだろうな」
「…ああ」
湘西も、2度のトリプルプレーでは、まだアンラッキーが続いている、程度の認識のようだった。
天田からボークで逃げて卑怯者と罵っていたのもある。
しかし、9番の吉原がトリプルプレーに終わった時には、ようやく…一種異様な雰囲気が満ちてきた。
「…3回連続、2ボークの後でトリプルプレー?」
「アンラッキーとか、そういうレベルじゃないよな…」
「じゃあ狙ったって言うのか!? それこそありえねえだろ!」
「でも狙って打たせるってのは不可能じゃないだろ。3塁線に打たせれば…」
「だからって…!」
ざわざわざわ…
観客たち、湘西の補欠メンバー達が混乱して会話に熱中している。
もちろん、相対している湘西レギュラー陣はそれどころじゃないだろう。
強豪校にしては遅いと思うが…ようやく、本腰を入れて対策に取り組むようだ。
監督を中心に円陣を組んでいる。
そして…初めて、強豪校が真剣に、山崎という怪物に牙をむこうとしていた。
息をするように当たり前に2連続ボークを出し、ノーアウト1・2塁の状態にする山崎。
「尾瀬、山崎にどう対抗するか…考えたことはあるか?」
「むしろ考えていないことがないさ。…まずは盗塁だな。1-3塁の状態なら、トリプルプレーは有り得ない」
その通りのことを、湘西も考えたようだ。山崎がモーションに入った瞬間、2塁ランナーが3塁に走る。だがその瞬間…
山崎は投げるのをやめてしまった。
「ボーク!」
「…ま、そりゃそうだな。満塁の方がむしろトリプルプレーはやりやすいんだから…」
そして、ノーアウト満塁で、天才天田に打順が回る。
「もうボークはできない。本気で…あのプロ注目の天才・天田と戦うしかない。
打率8割、高校通算60本塁打のあの天田と…!」
打ち取るだけでも困難を極めるはず。それを…トリプルプレーに切って取ることができるというのか。
二人は注目した。
山崎がボールを投げる。
相変わらずの、速くもなければ遅くもない、中途半端な棒球だ。
「絶好球…こんなの…ホームランに出来ないわけがない…!」
天田は鋭く踏み込み、振りぬいた。
打球はセンター方向への本塁打間違いなし…!
のはずが、ボールが僅かに沈み込んでいたのか、ボールはピッチャー返しになり、山崎の足の間を抜けた。
それでも当然二遊間の長打コース…
のはずが、セカンドがライナーでキャッチすると、即座にベースタッチ。3塁に送球し、タッチアウト。
一瞬のトリプルプレーが成立していた。
「…馬鹿な!」
絶好球のはずだった。だというのに…。
「もしかして…満塁にはしないほうが良いんじゃないですか?
だって、1,2塁なら3塁に打たせるしかないけど…満塁だとどこに打ってもトリプルプレーになりえるわけだし…」
「馬鹿な! そんなことがあってたまるか!」
混乱の最中、ついに天田は1失点する。逆によく1点で抑えたと思うほどだ。
湘西の攻撃は2回のボークとただ1球、1分もかからず一瞬で終わる。
江ノ島の攻撃は何度も何度も繰り返される。これでリズムを壊さないほうがどうかしている。
「次の対策は…」
「まあバント…とかな」
7番内田はノーアウト1・2塁で、バントした。しかしボールはなぜか異様に飛びすぎ、3塁へ。後はもう、いつもどおりとしか言いようが無かった。
早く走りすぎれば盗塁と見なされボークにされ、満塁になる。山崎相手に満塁はむしろピンチだった。
遅く走っては鉄壁の内野陣の送球で即アウトにされる。
「トリプルスチールを決行するか…」
1番野田の打席で、トリプルスチールを敢行するも、なんと山崎は野田のバットにボールを当て、跳ね返ったボールでトリプルを成立させてしまった。
もはや逃げられない。そんな蟻地獄のような悪夢の中に、湘西ナインは陥っていた。
守備でもすっかり乱調を来たし、下位打線にフォアボールを出して上位打線に打たれる悪循環。
7-0でこのままでは次の回でコールド負けする。
そして、バッターは天田だった。
「…どうするんだ」
「後はもう…バットを振らないくらいしかない。もちろんそれでは勝てないが…
あいつに回の数より多く球を投げさせるにはそれしかない。
山崎があんなキチガイじみた超人的なピッチングをしているのは、球数制限でもあるからかもしれない…」
そして…天田はその通り、天才と呼ばれたプライドをかなぐり捨てて、バットを振らないことを決意していた。
だが…
ぽん…
と投擲された球は、あまりに遅く、あまりに軽そうな、まるで蝶の羽のようで…。
「…あ…ああああ!」
気づけば天田はバットを振っていた。
そしてトリプルプレーでゲームは終了した。
「…なぜ振った。1球でも2球でも、球数を多く投げさせる作戦だったはずだ」
「…申し訳ありません…。で、でも…あんな絶好球を見逃したら…
俺はもう二度と、野球選手としてバッターボックスに立つことはできなくなってしまう!
あれは…俺の未来を奪う球でした…!」
そう言って、天田は泣き崩れる。
「…そうか…そうだな」
監督は天を見上げていた。天田の言うことが理解できたのだろう。
絶対に打てると確信できる球。
好球必打という大原則を捨ててしまうのだ。
それを打たないということは、以後の野球人生に大きな影を落としかねない。
こうして、トリプルプレイヤー山崎の名は県下に轟いた。