表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

安倍清良霊能譚

作者: 大地 凛

「あなたが、『トウキョウは人殺しの国だ』と言ったとき、故郷は死地に変わった……」


「あぁ? 何だそれ、戦争中の何かしらか?」


「いや、ブラック企業と実家の板挟みで死んだ、哀れな会社員の手記を元にした、実録ナントカとかいう雑誌。……それにしても小納戸、お前にしては浅慮だね。すぐに答えを出そうとするなんて」


 本名で呼ばれると、彼が怒るということは、長いつき合いで知っていたから、私は明後日の方向を見ながら、彼の口撃をいなす。一通り、文句を並べ立てた彼は、疲れたような顔で、椅子に座り直して、姿勢を正した。


「まぁ、いいや。それで今回、お前は何のために俺を呼んだんだよ」


 運ばれてきたコーヒーカップを傾けながら、そう問いかけてくる、目の前の長身の人物。しかし、そのコーヒーが苦かったらしく、彼の広い額に、深い皺の谷が生まれる。


「ブラック企業に務めてて、自殺した人がいてね。その死後の動きが妙だから、お前の洞察を頼りたくて……」


「謝礼をくれ、前払い以外認めん」


 私は、それは無理な注文だと、頭を抱えた。私の仕事は結果が全て、不手際があれば、私自身謝礼などは貰えないし、下手を打って、依頼者に被害が出ようものなら、こちらの罪になってしまう。難儀だ。



 小納戸王子はあてにならない。どうせ彼のことだから、何年か前に起きた怪異の事件の解決に手を貸した恩など、すっかり忘れていることだろう。結局、私、安倍清良は、一人で、これに対処する必要に迫られた。


 私は神社の巫女だ、ただし性の別はない。或いは男とも女ともつかぬ生き物だ。自分がおかしいということに気づいたのは、小学生の頃だったか……。まぁ、それは本筋とは関係ないので、詳しくは話さない。破瓜を迎えた私は、学校から切り離され、世間一般にいうところの成人を迎える頃には、すっかり俗世間との交わりを絶っていた。


 そんな折に、神社を訪ねてきたのが、あの小納戸という私立探偵だったのだ。


 彼の伝えてきた情報で、世間には、過去に類を見ない程、悪霊だとか、怪異だとかが巣食っていることを知った私は、神事を行う傍ら、それら怪異を調伏することを、副業とするようになった。



 数日前、神社を訪ねてきたのは、福島の田舎からやってきた、還暦間近の男性であった。浦木宣一と名乗る男は、一ヶ月程前に、息子を亡くしていた。


「理一は、私ども夫婦の一人息子でした。こんな農家の長男にはもったいない、よくできた息子でした……」


「それで、東京の企業に就職して、そこに務めている時に、亡くなられたんですね?」


「違う、殺されたんだ……!!」


 語気を強めて、歯をがちがちと鳴らす宣一に、先程の優しげな老人の影はない。この豹変に、私は驚いた。私は子供を作ることはできないが、もし私に子供がいれば、これ程の情を注ぐことができただろうか。


「殺されたとは、物騒な。だけど息子さんは、自殺なさったんですよね?」


「あそこは、ブラック企業だったんだ!! 休日出勤、残業は当たり前、手当もつかなければ、辞めることもできない……。殺されたも同じだろう!!」


 あまりの剣幕に、私は少しばかり眉を顰めた。しかし、彼を刺激するのもよくないので、やんわりと受け止めつつ、話題を移すことにした。


「……それで、今日はどういったご用件で」


 宣一は、頬骨の辺りを掻きながら、言い辛そうに訥々と述べ始めた。


「実は、二週間前、遺品が届いた頃から、妻の元に息子から電話がかかってくるようになったんです」


「電話、冥界からの電話ですか……」


 ハリー・フーディーニはそれに失敗したが、それに類似した成功事例は、いくつかある。


「詳しく聞かせてください。何か、悪い霊がいるのかもしれませんから」


 私は、ペンとメモ帳を持ち出して、彼の話をしっかりと聞いて、きちんと推理してみることにした。



「それで、何も分からなかったの?」


 机の上に鎮座する、白い毛の塊のような小動物が、私に問いかける。何も知らぬ人が見れば、驚くべき光景であるが、幼い頃から共に暮らしていたために、むしろ私にとっては、喋らない動物の方が不思議でならなかった。


「そうだよぉ、しのたんは聞いてて何か分かった?」


「分かんない、僕ただの狐だもん。あ、あとしのたん呼びはやめてよネ」


 しのたん、安倍晴明の母である信田妻から取って、私が名づけた。本当の名前は、祝詞と同じ位長いので、はっきりいって覚える気はない。


「情報が少な過ぎるんだよ……」


 分かったことといえば、理一はブラック企業に務め、辛さに耐えかねて自殺。宣一の妻、浩子はその報にショックを受け、体調を崩す。遺品が届き、理一が生前残した日記から、彼の艱難辛苦を知った宣一は、怒りを覚えると共に、妻がこれを知ったら、心がもたないだろうと、事実を秘匿。時を同じくして、死んだはずの息子、理一から電話がかかってくるようになり、妻の心が上向いた。しかし、確かに死んだはずの息子からの電話を、四六時中待っていたことで、浩子は日に日にやつれ、窮している。ということである。


「考えられるとしたら、理一さんの死霊。イタズラ電話。ブラック企業の陰謀……。うぅーん……」


「どうしようもないネ」


 ため息をつきながら、狐らしく油揚げを食べるしのたんは、私の癒やしだ。もふもふとした頬を撫でながら、私は呟いた。


「ねぇ、しのたん。ブラック企業って何?」


「なんと!?」


 俗世間との交わりを絶っていた私にとって、ブラック企業とは何だ、という疑問が、宣一の来訪以来、頭の中で回っていたのだ。



 こうして、私はブラック企業関連の本を買いつつ、知り合いの探偵の知恵を借りようとして、彼を喫茶店に呼び出した。そうして、冒頭の場面に戻るのだ。しかし、彼にはにべもなく断られ、私は何の収穫もないまま、とぼとぼと店を出たのだった。


「こうなったら、実際の電話に通る霊脈を辿るしかないかな……。しのたん、福島まで頼めるかい?」


「僕を、特定意志薄弱児童監視指導員の猫型ロボットか何かだと思ってるな……」


 恨めしそうに言うしのたんだが、本当にこの小さな神格の権能は便利なのだ。全国に三万、或いは四万程を数える稲荷神社の、鳥居を介して転移する能力。こんな小さな狐の姿だが、しのたんは一応、強大な力を持った神なのである。


「はい、つながったから。早く行こうよ」


 稲荷神社は、都会の真ん中だろうが、ベッドタウンだろうが、とにかく至るところに存在している。その鳥居をつなぐことができる、青ダヌキ、もとい白ギツネがいれば、とても便利などこでもドアである。


 ビルとビルの間に、ひっそりと佇む社。しかしその鳥居の奥に見えているのは、福島の鎮守の森だ。



「浦木、浦木……。あぁ、ここだね」


 しのたんを抱え上げて、神社から歩くこと、およそ十分。浦木家は、四方を田圃に囲まれた農家であった。


「しのたんから、何かしら、霊的なものは見える?」


「うーん、外からは見えない……」


 対決すると決まるまでは、あまり霊を刺激しない方がよかったのだが、仕方がないか、と私は大人しく玄関のチャイムを押した。中から聞こえてきたのは、弱々しい女性の声。恐らく、宣一の妻の、浩子のものなのだろう。


「……はい、どちら様でしょうか……?」


「あぁ……、えっと、せ、宣一様からのご依頼で、電化製品の検査をしに参りました……!」


 咄嗟についた嘘だったが、夫の宣一の名を聞いた浩子は、どうやら私を信用してくれたようだった。



「しのたん、これが例の電話?」


「多分ネ。霊の気配が残ってる」


 それは、昔ながらの黒電話であった。長い年月、使われ続けた道具は、人の意識をキャッチしやすい。だから理一氏も、この黒電話を介して、母親への接触を試みたのか……。


「だとするとおかしいネ」


「うん、これ、生霊だよね……」


 そう、黒電話に残されていた足跡には、生気が見て取れた。それはつまり、コンタクトを取ってきたのは、女性の息子、理一ではないということである。


「しのたん、この生霊の出処、探れるかい?」


 しのたんは、自分の毛を一本だけ引き抜くと、黒電話の受話器にあてがった。毛はするすると吸い込まれ、またすぐに吐き出された。その毛の臭いを嗅いだり、よく観察したりして、白狐は、確信した。


「この霊は、間違いない。この家から出てる……」


 やはりか、ともすれば、やることは決まった。



「私の生霊……?」


「はい、にわかには信じられないかもしれませんが」


 真相は、つまりはこういうことだ。息子、理一の日記の内容にショックを受けた宣一は、その内容を秘匿しながら、妻である浩子との生活を続けていた。やつれていく彼女に働きかけて、どうにかせねばならないのは分かっているが、しかし、真相を打ち明ければ、彼女は心に深い傷を負うことになる。


 思い悩んだ末に、彼は図らずも、生霊を作り出したのだ。生霊は、息子の理一として、浩子の精神を安定させるために、黒電話に宿った。だが、妻の精神は、それに頼り過ぎてしまっていた。このまま放っていたら、良かれと思って勝手に抜け出た生霊が、妻を苦しめ抜いて、やがて……。


「でも、私はどうすれば……?」


 私はにこやかに、片手を上げて制した。


「いえ、それはもう大丈夫です。私たちの方で処理したので……」


 そう言って、小さな狐を撫でる私を、宣一氏は不思議そうに見つめていた。



「重い……。宣一さん、どれだけすごい生霊を飛ばしてたんだよ……。ところで、しのたん。生霊って美味しいの?」


「無味だよ、油揚げの方が断然好き」


 そうか、霊の処理に毎回駆り出してしまって、可愛そうなことをしている。よし、事件は解決、謝礼も入ったことだし、あの探偵が嗅ぎつけない内に、早くうどんでも食べに行こう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ