9話:世渡り上手の酒屋のお話
「…………ヤス、
キドヤス!」
「……んぁ?」
さすがに大きい声で呼ばれたり、体を揺らされちゃ嫌でも起きてしまう。目を開けると、エリーが心配から解放されたようにほっと息を吐いていた。
「……ふぅ、ホントに死んじゃったのかと思ったよ〜」
「……俺は、確か家にいたはず…………」
「何言ってんの、ずっとここで寝ていたくせに〜。寝ぼけちゃった?」
いつもなりの笑顔に戻り、からかいを込めた返答をする。いつものエリーだ、それは間違いない。
……だけど、気がかりな事がひとつ、あの夜の一件だ。あれは……夢だったのか?
「……エリー、俺は何時からここで寝ていたんだろうか」
「ん〜?本当にどうしちゃったのキドヤス?」
「いや……気になっただけだ」
「何時からなんて知らないよ〜、こちらの用事を済ませて様子を見に行ったら、君が寝ていたからさ?ちょっかいかけようと来てみたら全然反応がなかったんだもの」
反応を見る限り、嘘はない。……いや、元々エリーはお調子者ながらも嘘をつくような試しはない。……夢だ、きっと。
「あ、そうそうキドヤスに伝言!とぉ〜っても大事な伝言だからよく聞いてね」
「いつも真面目に聞いているんだが……」
「あ、それもそうだね。じゃ、いつも通りに聞いてね〜」
いつも通りに耳を傾ける。大事な……というが、一体なんだろうか。
「……堕天使が現れたんだ」
「堕天使?それって……」
「うん。ずっと前だけど説明したあの堕天使が、天界にて存在を確認されたみたい。これから慌ただしくなっちゃうね〜」
困った困った、なんてセリフが出てきそうなくらい分かりやすく頭をポリポリかいている。女性なのにどことなくオッサン臭い仕草をするものだ。
……とはいえ、堕天使…………か。私利私欲がどうとか、というのは頭に残っているが、確か……
「……堕天使は、女神の言うことを聞かないやつ、て言っていたあれか?」
「あー、そう言えばそんな説明もしてたね……詳しくは分からないけど、どうやら最近ではなく以前から指名手配みたいな感じで知られていた堕天使みたいなんだ」
指名手配……天使の間でも110番のようなノリがあるとは。
「その事を何故人間の俺に?」
「…………狙っているんだ。君を」
「……俺を?」
「堕天使は目的なしには現れない。身を隠し、機を狙う。まだ確たる証拠はないんだけど、今までの傾向からして可能性が高いのは、世捨て人……つまり君だ」
「堕天使が、世捨て人を……」
「だから、注意喚起として伝言を頼まれたんだ。君と関わりがあるのはこの私ぐらいだからね〜」
注意喚起……て、それほど堕天使は俺のような人間を狙っている?どんな理由で?……いや、それより
「その言い方だと、他の世捨て人も狙われている……という事だよな」
「え?あ、うん。そうだけど」
やはり……なら俺みたいな者より、他者を尊重せねば。俺なんかいなくたって…………
「……心配なさらずとも、他の世捨て人の方は、他の天使がついているよ」
「……え?」
「顔に出てる。まったく、君はいつになったら自分を大事にするんだよ〜。しっかりしてよ〜」
ため息つきながら、やれやれと首を振っている。いかん、また心を読まれてしまった。また心配の種を植え付けてしまっただろうか。
「……すまん、それで俺はどうすればいいんだ」
「う〜ん……いつも通り過ごしてくれればいい……という訳にもいかないから、悪いけど落ち着くまではここに来るのを控えた方がいいかもね〜。しばしの別れってやつだよ」
……女神の加護があるから、神域にいた方が安全じゃないのか?という疑問を投げてみたが、はぐらかされた。直感だよ直感、としか答えない。イマイチこの神域のシステムが分からずじまいである。
「大丈夫、堕天使とはいえ元天使……つまり私たちと同じく雲の上の存在だからね〜。下界には手を出せないよ」
「……そうなのか?」
「心配症だね〜。気持ちは分かるけど、だからこそ私たちを信頼してちょうだいよ」
「……分かった、だが俺のために無理はするな。俺を庇うくらいなら自分を……」
「あーもうるっっさいな〜!狙われてるのは私じゃなくき・み!君なの!そんなに信じてくれないなら友達やめるよ!」
……彼女の堪忍袋の中身を爆発させてしまった。頬をリスのように膨らませている。別に信頼していないわけでは無かったのだが……
……でも、”護ってあげない”ではなく”友達をやめる”を強調したのには意味がある事は俺には伝わる。俺はエリーの真心を傷つけてしまったようだ。俺だって……友達を失いたくない。
「……君を信じる。俺を、その堕天使から……護ってくれ」
「……お願いされるまでもないよ。堕天使だろうとなんだろうと、キドヤスは私が護る。
私は、君の天使だからね」
……その時見せたエリーの笑顔は、今までとは何か違う雰囲気がした。からかいでも、愛情でもない何か……決意に満ちた顔だった。…………不思議なことに、そっくりだったのだ。
……命日となった日より昨日の、絵里奈の表情と。
…………1週間がたった。エリーに言われた通り神域には立ち寄らず、俺はブラブラと外を出歩いていた。通りすがりの人達からの視線や声が俺に向けてなのかは分からないが、仮にそうだとしても無理もない。何せ、商店街のような人の過密地帯に赴いたのは、絵里奈を弔って以来だ。
……死んだような顔で独り歩きしている姿を見れば誰しも不気味がるだろう。
「……確か、ここだったか」
道すがら、俺は人気が少ない路地裏に到着し、中へ入った。換気扇や積まれたダンボール箱にホコリがついている。それほどに汚く細い道なのだが、そこをくぐった先には小さな居酒屋がある。のれんが垂れている、まだ昼間だがすでに営業していたようだ。
「……邪魔する」
「おう、いらっしゃ……あァ?もしかしてアンタ、ヤっさんかァ?」
「あぁ。……まだ準備中だったか?」
「とんでもねぇ!何時でも客を出迎える状態にしなきゃ店主がつとまんねぇさァ!ささ、座った座ったァ!」
中に入れば、祭囃子の衣装でぐるぐるメガネをかけた気風のいい女店主が快く出迎えてくれた。久々に来てみたが、周りの建物で太陽の光が貰えない路地裏に、豆電球1個でほのかに照らす店内は、やはり俺にとっては憩いの場だ。
「俺のこと、忘れているものかと思っていたが……」
「なァ〜に言ってんだァ!わざわざこんな影薄々な酒屋に来る客なんざアンタのようなイロモノ好きなヤツばァっかりさァ!しっかりこの小せぇ脳ミソに保存してんさァ!」
「はは……じゃあ注文はいつもの、て言えばいいか?」
「あァいよ!700円ポッキリさァ!」
700円を差し出す。この店は食券ではなく口で注文するが、代金は先払いである。店主曰く、食い逃げ対策らしい。
「ホレ、熱燗と焼き鳥の皮、タレ付き2本!お待ち!」
注文して1分後、耳に響く大声を唸らせつつ、俺の”いつもの”が出てきた。サービスでおでんの大根も作ってくれた。
「……相変わらずの味に相変わらずの気迫……克樹さん譲りだな」
「アッハッハァ!ヤっさんそれは褒め言葉かァ?」
「褒めているとも。若いのにしっかりしている……俺よりな」
「……何かあったんかァ?」
「色々と、な」
酒をくみつつ、余韻に浸る。……説明すると、この酒屋『世渡り』は俺がリーマン時代の時に通っていた行きつけの店で、その時の店主は源 克樹……白TとGパン、頭にバンダナを付けただけの衣装でふくよかな体型のおじさんだったが、周りの住民や来る客からの評判は良好だった。現店主の彼女、日和はその店主の1人娘で、今の性格とは真逆でとても大人しい印象のガリ勉女子高生だった。
…………しかし、俺がその店に通い続けて約2年がたった頃に、そのおじさん店主は突然の病で急死してしまった。その後酒屋はなくなったと聞いたのだが、ある日俺に来た一通のハガキを境に、またこうして通えることになった。彼女の口調は昔は丁寧な口調だったのだが、今は父親譲りである。
「すまないな、随分と間開かせてしまって……」
「アッハッハァ!店をどっしり構えるモンが客に気遣いされちゃおしめぇさァ!……まァ、頑張ってっけんどお父さんには全然及びもしねぇさァ」
彼女の圧が少し弱まった。父親のことを思い出したのだろう。……克樹さんは誰に対しても嫌な顔を見せず、そこにいるだけで賑やかになるくらいの迫力のある人だった。娘の日和さんに対しても例外ではなく、将来のこともとやかく言わず応援してた良いパパだったのだ。
……彼女は別に頭が悪いわけでもなく、むしろ勉強していただけあってかなりの名門校にもいけるほどの秀才だったらしいのだが、金銭的な事情で父親に迷惑をかけるわけにいかないと思い断念し、父親の酒屋の手伝いをしていた。彼女のメガネは、学生時代に父親から貰った名残で今もつけている。
「……おっとっと!つい辛気臭くなっちまったさァ!元気してねっと、お父さんが浮かばれんさァ!
『今の世を渡るに哀愁はご法度!酒が皆の験担ぎ!』
それが酒屋”世渡り”さァ!」
「……あぁ、克樹さんがいつも言っていた言葉だな」
「そうさァ!きっとお父さんは、日和が酒屋を継ぐとは予想だにしてなかったろうけど、後悔してないさァ!これからもっと酒屋を賑わせて、お父さんに立派な日和の姿を見せてやるんださァ!」
目をキラキラさせながら拳を掲げ、宣誓する。大事な人の死を、俺とは違う意味で彼女は受け入れている。世を捨てず、渡っていくその姿はとても俺には真似出来ない。……絵里奈は、今の俺をどう見てくれているのだろうか。
「……さてと、もう行くよ。今日はありがとう」
「おぉ、そうかァ!また来てくれなァ!今度は煮卵をサービスしてやるさァ!」
「あぁ、楽しみにしてる」
「……ヤっさん!」
「…………なんだ?」
「……い、いや……やっぱなんでもないさァ!気をつけてなァ!」
……?とりあえず小さく頷く。何故か彼女の顔が照れていたような気がしたが気のせいだろう。
「……もう夕方か。寄り道せずに帰ろう」
西日で空が紅くなる。昼間からの酒だが、酒に強い俺には問題なく足を運べた。エリーと別れて1週間、何事もない時間だったが、どこか物足りない感じもした。……久々に神域に行ってみるかとも思ったけど、彼女の信用を裏切ることになる。やめとこう。
……堕天使の襲撃はない。大丈夫だ、心配ない。子供でも今日は落ち着いた1日でしたと日記に書けるだろう。また明日も変わりない。何気なく1日が始まり、そして終わるだろう。そう思っていた。
…………翌朝、身体中炎で焼け焦げたような、黒いアザまみれの天使が降ってくるまでは。