4話:誠実な天使カンナと記憶の空間のお話
「……そろそろ、この空間には慣れた頃かな?」
「いや、まだイマイチ……どちらが上か下かも分からない。」
「そうか……無理もない、今の貴殿は訓練をしてない宇宙飛行士のようなものだ。だが、その宇宙に匹敵する程……人間の体験した記憶は膨大にある。」
色々な記憶、シーンが、……消えては現れ、また消えては現れを繰り返し空間をゆっくりと駆け巡る。深く印象に残った記憶、忘れたくても忘れられない記憶、歓喜の記憶、もはやすっかり頭の中から消えていた記憶まで……俺の一人称視点で再放送されていく。
「……こうしてみる限り、貴殿はこれまで特殊な体験をしていなかったのだな。」
「特殊?」
カンナはひとつひとつのシーンを見通し、結論づけたように口を開く。
「簡単に言うなら、貴殿達の言う空想上のもの、例えば我々天使や、妖、悪魔との接触さ。人間だけではなく、動物も含めた生者の全てに該当するが……何かしらの事で我々とほんの少しでも接触した場合、その者はあるべき存在ではいなくなる」
「あるべき……存在ではなくなる?なんか物騒だな」
「貴殿はパラレルワールドを知っているか?」
「……もしも現実とは違う選択をしていたら、という他の結末の事、だよな」
「うむ。後悔か安堵か、どちらに傾くかは本人の選択に委ねられる。これらの記憶はその選択の結果の詰め合わせで、他の選択をした場合などの想像上の結末はここには流れていない。当然ながら、それらは本来体験しているはずの無い記憶だからな」
「……あぁ、そこまでは分かる。だがそれと、さっき言った特殊な体験とどう関係があるんだ?」
カンナは堅苦しい表情を崩さず、俺の質問を受けつつ話を続ける。
「……本来、我々のような存在は、貴殿達が生きている内は見てはならない存在なのだ。死後、魂となってようやくその姿を拝められる。良く『私は霊感が強い、私は見えざるものの声が聞こえる』という言葉を人間界の間で聞くが、全て戯言だ。」
「……俺もそういうカルトじみたセリフを信じちゃいないが、宗教とかはどうなんだ?教会にいる神父とか……」
「彼らも同じ、我々の事を見えていない。だが彼らの場合は空想とはいえ特定の神を称え、信じて崇拝するだろう?面白おかしく嘯く者達とは違い、ただ祈りを捧げる……そんな彼らを責めるのは逆に天使としてどうかと思うな。」
「比較するべきではなかったな、すまん」
「フフ。……話を戻そう。申した通り、生者にとって我々は見えざるもの。だが、実は唯一、見えざるものを見ることが出来る者がいる」
俺のことをじっと、静かに見つめる。それが貴殿のことだと、口では言わずとも伝わってくる。
「エリー……マエルの言っていた、俺のような世捨て人のことか?」
「……先程申した、あるべき存在ではなくなるというのは世捨て人の事だ。これは、生者だが生を捨てた者とも捉えられる。つまり死人だ。死人になってようやく我々の事が見える。……一見強引な理論に聞こえるが、それが現実なのだ。……現に貴殿がそうだしな」
彼女はひとつのシーンに着目し、それを指さす。それは、俺にとって1番、記憶に残っているシーンだった。
「貴殿の場合、これが原因のようだな……」
「………………」
俺にとって1番の大切な想い人が、首を吊っている……頭の中で砂嵐を混じえながらビデオのように再生されていく。あの時の一部始終が、走馬灯のように……。
「……絵梨奈」
「……それが彼女の名前なのか」
「あぁ……誰よりも明るく、誰に対しても元気いっぱいに接する、正に俺にとっての心の救いであり、天使のような存在だった。俺だけでなく、愛を求める男は多かったが、その中でも彼女は俺を1番に選んでくれた。昔からの馴染みである俺の事を。
……天真爛漫で、涙を知らない彼女が、突然死した。今でも鮮明に覚えているよ」
「……不謹慎だが、このシーンが特に解像度が高かった。……無理もない事だ。
だが、分かって欲しい。この辛いシーンを見せたのは面白半分ではない。……貴殿にこの過去を乗り越えて欲しいが故に、あえて見せた。励ましにもならないが、生者は死者ではない。どうか、いつか魂に帰るその時まで、生をないがしろにしないで欲しい。」
胸に手を抑え、ギュッと布を握り締めながらも必死に言葉を投げかける。エリーとは違う、彼女なりの、彼女特有の力を用いての訴えが、俺の心に響く。
「……君も、エリーと同じだ」
「え?」
「天使の優しさがある。君の言葉は確かに伝わった。……ありがとう」
「……久しぶりに礼を言われたな。このカンナの力は不評が多くてな、度々茶を濁しては怒られる」
「とんでもない、素晴らしい演説だったよ」
「フフ、貴殿の慰めに感謝する。……その様子だと、貴殿はある程度は心にゆとりを持てるようになっているようだ」
カンナはホッとしたように、震えていた手をゆっくりと下ろした。そして、俺の事を包み込むように優しく抱きしめた。
「貴殿の将来に、祝福の加護があらんことを……」
………………
…………
発せられたまばゆい光に包まれた後、落ち着いたのを認識し俺は目を開いた。重力を感じる。あの空間から戻ってきたようだ。
「……カンナ?」
彼女はまだ目を瞑ったままである。片目から涙をたらしながら、最後に呟いた言葉のままに、俺のこれからをずっと祈るかのように……
「おかえり〜」
「あぁ、エリーただいま」
「おかえりと、エリーってか。なかなかのギャグだと思わないか?」
自信ありとも言いたげなギャグを披露しながら、エリーがこちらに寄ってきた。
「カンナは真面目だったろう?それでいてカタブツだ。だから……この涙に嘘はないよ」
「あぁ、分かっている」
……分かっているが、エリーは全て察しているかのように喋る。彼女の頭をなでなでしながら。カンナのことをよく知る友達、ということの表れだろう。
「じゃ、彼女の用事も終わったことだし、おせろやろうおせろ!」
「……そうだったな。だが彼女のことはいいのか?」
「お祈り中の人は邪魔しちゃ悪いし、あの状態のカンナはしばらくの間あのままだからほっといた方がいいよ」
「そうか。なら対戦するか」
「ヌッフッフ……もうおせろの戦い方は本で熟知した!君にもう勝ち目はないぞ〜!」
もはや勝利を確信したかのように、オセロの準備に取り掛かる。ジャンケンで先手の黒がエリー、後手の白が俺になった。
「よぉーし、この本によるとオセロは先手が有利!あとはこの攻略パターンに則れば……」
ニヤニヤとしながら、対戦がスタートした。時間制限はないがお互い順調に歩が進む。とってはとられ、とってはとられの繰り返し、エリーはまだまだ余裕の表情を崩さない。結果は……
白一色で俺の勝利だった。
「あ、あががが…………」
「……すまない、大人気がなかった。」
「なんで……なんで!途中まで私が有利だったのに!どこで流れが逆転したんだ!?」
「いや、最初から俺の予想通りに対局が進んでくれた。オセロは最後まで分からないゲームだからな。油断してはいけないよ」
「く、くそ〜!ちゃんとこの本の通りにやったのに〜」
「俺が書いた本だから、それに対しての策ぐらい練るのは当然だろう」
「……君が書いた?」
表紙を見返す。左下に、俺の名前が書いてあることを確認した。彼女の手がワナワナと震え、完敗の意を込めた四つん這いのポーズ。
「……ズルいよ〜、自分の得意分野を持ち上げるなんて……」
「仕方ないだろ、俺にはこれしかないんだから」
「うぅ〜……もっかい!もっかいだ!せめて1個でも黒を残してやる!」
「出来るといいな」
「楽しそうだな……」
エリーの憤慨するさまを眺めていると、カンナがお祈りから戻ってきた。寝不足の人のように、目の下にクマを作っている。
「あ、カンナ。さっきはありがとうな」
「あぁ、礼には及ばない……」
「カンナぁ〜!!助けておくれよ!君こういう系の得意だろぉ!!」
「おい泣きながらくっついてくるな!オセロとやらのルール知らんまま出来るか!!」
「ルールは教えるからさぁ〜!!頼むよぉ〜!!」
「ええぃ鬱陶しい!キドヤス殿、ホントにこいつといて楽しいと感じていたのか!?」
……神聖な神域が、パーティ会場のように賑やかになった瞬間である。また明日からも楽しく語らうだろう。優しく誠実な天使を新たに加えて。