3話:エリーの友達カンナのお話
珍しく昼寝をした。夕方まで暇だったからだ。……いや、いつも暇なのだが、昨日の帰り際、エリーから言われたのだ。
「毎日お話じゃつまらないだろう、なにか君がいつも嗜んでいるものはないかな?」
「嗜み……か、オセロならあるが」
「おせろ?……オセロ、オセロ…………あぁ、白と黒のコインを使うやつか」
「正確にはコインじゃないが、まぁそれだ」
「うん、私の中の1回やってみたい候補にあった遊びだ、一緒にやらないかな?」
「分かった、持っていこう」
「優しい君なら二つ返事してくれると思ってたよ。ありがと。……じゃ、明日の夕方にね」
「夕方?」
「ナハハ、君は気にしなくていいよ。先にここに来ててもいいし……でも私は夕方まで来れないから、そういうわけで、ね?」
……という流れになり、太陽が西に傾くまで時間を潰さなければいけない。……何も無いことに苦痛を感じたことはないが、エリーと会ってからは、待ち遠しいという感覚を久しく思い出していた。……我ながら、子供のような期待感だ。
日が沈み、空が焼けたように紅くなり始めた。俺はオセロ1式とオセロ初心者用の本をマイバッグに詰め、外へと体を乗り出した。昼寝したからか、ついのびをしてしまう。
「さて、行くか」
俺には車はおろか、自転車もない。移動手段はこの足だけである。だが歩くことにそこまで辛いと思ったことは無い。むしろ最近はウォーキングにすら楽しみを覚えている。……昔とは大違いだ。
マイスポットに着いた。女神像に挨拶をする。と言っても宗教じみたものではなく、頭をかがめるお辞儀だけだが、この日課を忘れたことは無い。
「エリーは、まだ来てないか」
この神域は夜の概念を知らないのか、常に昼のように明るい。素晴らしい景色をいつでも一望できる、人間の中では俺だけの特権である。……とは言っても、外の時間と変わらない。外が17時ならここも17時。だから、神域から出た時暗い夜道を歩くのに困らないためにも懐中電灯は常に携帯している。
……なんて説明をしていたら、エリーがやっと来てくれた。
「……ふぅ。やぁキドヤス、遅くなっちゃってごめんね」
「いや、いい。君は来ると言ったら来てくれるからね。」
「ナハハ、君のことを気に入ってるだけのことだよ。」
女神様だけでなく、天使様のお気に入りの言葉をいただくのは少し照れる。
「そうそう、君に客人だよ」
「客人?」
「ほら、あそこにいるだろう。女神像に向けてブツブツ唱えてる天使」
エリーの指さす方に目を向けると、赤い長髪をポニテに束ね、天使と思わせる羽と白衣と頭の上の輪っかを携えた客人が、女神像に手を合わせお祈りをしていた。
「あぁ、女神様女神様……恐れ多くもこの神域に天使の分際が足を踏み入れてしまったことをお許しください……お裁きは覚悟の所存ですが、それでもこのカンナは……」
「念仏は終わったかい?」
「わぁ!?な、なんだマエルかおどかすな……本当に女神様が化けてでたのかと思ったではないか」
「ナハハ、君は重っ苦しいな相変わらず」
「お前が軽すぎるだけだ!」
ワーワーギャーギャーと、天使同士の口文句が勃発している。喧嘩するほど仲がいいというか、エリーがいじり上手なだけかもしれない。
「……おっと、紹介しなきゃ。カンナ、彼が例の人間だよ」
「初めまして」
「あ、貴殿がキドヤス殿か。お初にお目に掛かる。己が名はカンナ。貴殿のことはマエルから聞いているよ」
よろしくとばかりに、手を差し伸べる。俺はそれに応えるべく握手を交わす。一見真面目そうな彼女が返す微笑みはエリーと違う良い心地がする。
「キドヤス、彼女は君の事を気になって会いたがってたんだよ」
「俺に?」
「おいマエル!誤解されるような言い方をするな!」
「間違ってはないじゃないの。照れちゃって〜」
「そうなのか?」
「うぐ、ぐ……コホン、あぁ、たしかにこの天使カンナ、女神様に気にいられたと言われる貴殿の事を少し気になってな。貴殿の顔を少し拝見したかった」
「そんなかしこまらなくてもいい、俺は普通の人間だよ」
「普通はな……そもそもこの神域には入れないのだ……!」
「私と同じこと言ってるわこの天使。」
「マエルは少し黙っていろ!」
「ハイハイ」
エリーは分かりましたと同時に、昨日話していたオセロを俺に要求した。俺は持ってきたマイバッグを彼女に手渡した。
「おぉ〜これがおせろ!ふむふむ、確かにコインとは違う厚さ……シンプルなデザインながら戦略が奥深い……ほうほう」
「興味津々で何よりだ」
「それじゃ、私はおせろを本で学んでいるから気の済むまでキドヤスの調査でもしたまえ」
「調査って……あぁ、助かる」
そう言うとエリーは俺が持ってきた本に没頭し始めた。1ページ1ページ舐め回すかのように読みくだしている。帰る時はしわくちゃになっているだろう。
「……すまないな、マエルはこの通りマイペースでな。相手にするのは大変だったろうに……」
「いやいや、毎日楽しくさせてもらっているよ」
「そ、そうなのか?ならいいんだが……」
「それにこうして2人きりにしてくれたのも彼女なりの気配りなのだろう。彼女は優しい天使だよ」
「……あぁ。そう言っていただけると、このカンナも良い友を持ったと誇らざるをえないな。」
申し訳なさと喜びで複雑な気持ちになりながらも、カンナの顔からは彼女自身もエリーを大切にしている旨がうかがえる。なんだかんだいっても、天使マエルのことを大事な友達と受け入れているのだろう。
「……それで、俺に用があって来たんだろ?本題はなんだ?」
「あぁ、随分と話が逸れてしまった。いやなに、特にこれと言った用ではないのだが……キドヤス殿、少し頭を貸していただけないか」
「頭?」
「あぁ、天使には一人一人ある力があってな。人間達からしたら不思議な力なのだが、このカンナの場合触れた対象の全てを知ることが出来る。」
「それはすごいな、なんでも知れるのか?」
「うむ、その者の過去から今までの経歴ならなんでもだ。……さすがに未来の事は無理だがな」
「なるほど……でもエリーから聞いたのだが、天使は天界から生者を常に観察しているから、その力は天使の間ではあまり利便性がないんじゃないか?」
「……気になっていたんだが、エリーってマエルのことか?」
「あぁ、そうだが……まぎらわしかったのであればすまん」
「いや、いい。……貴殿の言う通りだが、別に天使一人一人の観察対象は全てではない。たまたまマエルの観察対象に君も含まれていたから君のことを知っていただけのことだ」
「……良く考えると、確かにそうだな。」
「ちなみにこのカンナは、貴殿の住む町の隣町担当だ。ただし神域はないのでマエルの所の神域を借りないとこうして地上には行けん。」
「なるほど……」
「さて、まだ了承を頂いてないが、貴殿のことを詮索しても良いか?」
「あぁ、構わない」
「ご協力痛み入る。では少しの間、目を閉じていてくれ」
彼女の言うままに、俺は目を閉じた。視界が暗くなる。ポン……と、頭に手を乗せられた感じがしたと同時に、俺の体が段々軽くなった気がした。
「……よし、目を開けていい」
少しエコー気味に聞こえた彼女の許可を受けたと同時に、目をゆっくりと開けた。……目の前にはカンナがいた。そこまでは当然のことだ。しかしそれ以外の景色に俺は呆然としていた。
「こ、これは……?」
「これがこのカンナの力……貴殿の経歴を、このカンナの思うようにスライド化したものだ。今の貴殿の体は、幽体離脱でもしたような感覚にあるだろう」
彼女の言う通り、軽いどころか風船のように浮いているような気がする。ここは、俺の記憶の全て……というところか、上下左右、360°見渡しても俺がこれまでに体験した記憶が背景として映し出されている。
「案ずることは無い。話が終わったら元の体に戻すよ。ただしすまないが、少しばかりこのカンナとの会話に付き合ってくれ」
……どうやら、エリーとのオセロは先延ばしになりそうだ。