第5話 処遇
「貴様ぁぁ!!」
白鎧が叫び、空中で一回転しながら首の無いエストへと斬りかかる。
しかし──その攻撃は届かない。
五回連続で青い光が放たれると、即座に白鎧は背後から焼かれ、凍り、痺れ、切り裂かれ、打たれた。
「ぐぎっ!! な、なんだ──」
突然の死角からの攻撃に、白鎧は何が起きたのかと後ろを振り向いた。振り向いてしまった。
エストは未だ、動いているにもかかわらず。
「しまっ……!!」
だが──。
「エスト!! 腐食だ!!」
レイの怒号が届き、エストは白鎧の首の皮一枚を切り裂いたギリギリのところで剣を止める。
代わりに空いた左手を硬く握り締めると、全力で振り下ろした。
その拳は白鎧の腹にぶち当たり、鎧を砕き、その下の筋肉を破壊し、内臓を破裂させた。
「カハッ……!」
全身が "くの字"に折れながら、白鎧は地面に向かって吹き飛んでいく。
そしてそのまま地に叩きつけられ、反動で "への字"に体が折れ曲がると、宙を舞った。
「ッハ……!」
さらにいつの間に再生したのか、首の生えたエストが追い打ちをかける。
「〈魔女の汚染〉」
地面から錆色の液体が噴き出し、白鎧は濁流に飲まれる。装備品を腐食させる嫌らしい魔法だが、装備者には何の害も無い。
やがて液体が流れ落ちると、白鎧が現れる。
その有り様は一変しており、持っていた剣、鎧、そして国旗の刻まれた盾、全てがボロボロになっていた。
もはや虫の息だ。
レイは白鎧へと駆け寄り、声をかける。
「今からお前に回復魔法を使う。抵抗しないでくれ」
聞こえているか分からないが、それでもレイは念を押しておく。
「〈主の──」
「待て、レイ! そんなことをしてこいつが起き上がったらどうするつもりなのだ? こいつは何度でも暴れる類いの人間だぞ」
エストの言っていることは尤もだが、白鎧からは話を聞く必要があるのだ。提案を受け入れることは出来ない。
「知ってる情報を聞き出したいんだ。混濁した意識じゃ困る」
「ならば拘束系の魔法を使え。それから回復しろ」
「その系統の魔法は覚えていない。拷問するつもりがなかったからな」
レイの説明に対し、エストは否定するように頭を振った。
「甘いな。貴様のそれは優しさではない」
「分かってる。それでも俺はやると決めたんだ。最後まで貫くぞ」
レイはエストの顔を真っ直ぐに見る。
「……矛盾しているとは思わんか? 貴様は先程も万の命を奪ったのだ。そして、これまでにも数多の命を奪ってきたのだ。今更何を躊躇う必要がある」
確かにその通りだ。拷問と殺人に差などないだろう。いや、むしろ殺人の方が酷い。特にレイの場合、大量虐殺者なのだから。
しかし、これがレイにとっての線引きなのだ。苦しませないようにすると、そう心に決めたのだ。
「お前の言う通りだ。意味なんてない。これは、俺が決めた事だから」
それだけ言うと、レイは口を閉ざした。それ以上の説明の言葉を持たなかったからだ。
しん、と静寂が訪れる。
重苦しい空気が辺りに漂うが、その間もレイはエストから決して目を逸らさなかった。
それからお互いに黙ったまま数秒の時間が経過し、やがてエストがゆっくりと口を開いた。
「ひとつだけ聞かせろ」
エストは微動だにせずに言う。
「それは、貴様にとって譲れないものか?」
考えるまでも無い。レイは即座に頷く。
「ああ、そうだ。悪いが引く気はない」
レイのその答えに、エストは鼻で笑った。しかしながらそこに込められていた感情は、悪いものでは無いように思えた。
「挑んでこそ、か……」
小さく呟き、エストは後ろを振り向く。
「どうなっても知らんからな」
ぴらぴらと手を振りながら、エストは白鎧を挟み込むような位置へと回り込んだ。
「すまない。助かるよ、エスト」
レイが謝ると、いいから早くやれ、と言わんばかりにエストは顎をしゃくった。
普段はレイが振り回されることが多いが、こういった大事な局面ではいつも忠告してくれるのだ。本当にエストには頭が上がらない。
そう思いつつ、レイは魔法を発動させる。
「〈主の献身〉」
魔法は問題なく発動し、白鎧の生命力が回復した。
レイは白鎧の様子を見る。
レイの回復魔法はエストと比べればかなり脆弱な為に、それほど期待出来るようなものではないが、〈主の献身〉は自分が習熟している中では、生者に最大の効果を齎すものだ。
そのためだろう、レイの目に映る白鎧の生命力はそれなりに回復していた。
──と、経過を観察していたその時、白鎧が勢い良く起き上がった。
瞬時にレイとエストは反応し、警戒する。
だがそんな心配は杞憂だった。
何故なら、一見して分かるほど、白鎧の体が震えていた為だ。恐らく、その原因は痛みや傷によるものではない。声まで震えていたから。
「な、なぜ、貴様が主神様からの恵みを行使出来る?」
「それは──」
「あり得ない……。あってはならない……」
答えかけたレイを遮るように、白鎧は下を向いてブツブツとぼやいた。明らかに危険な兆候だ。何をしでかすか分からない。
「落ち着いてくれ、話を──」
「ああ、神よ……」
白鎧は祈るように両手を組みかけ──右手を勢いよく自分の胸へ向けて突き出した。
その突然の凶行に、レイは呆気にとられる。
もしもこれが自分への攻撃であれば、レイは容易く対応出来ただろう。たとえ不意打ちされたとしても、レイの途方もない戦闘経験は、動揺や感情といったものを即座に叩き潰し、反射のごとく行動を起こしてくれる。
しかしながら、自殺という敵意のない行いは埒外だ。
レイの身体は、完全に固まってしまう。
そして、今や見る影もなく破壊された白い鎧では、その手刀を防ぐことは出来ないだろう。
致死の威力が込められた手刀は、そのまま心臓を穿つ──
直前、白鎧の後ろから伸びてきた手に止められた。
さらにもう一つの手が白鎧の口にねじ込まれる。
「レイ! 抑えろ!」
エストの声に正気を取り戻したレイは、すぐさま白鎧を抱き、締め上げた。そしてエストごと横倒しにする。
レイは単なる魔法使いではない。エストにはやや及ばないものの、肉体を鍛えているため、戦士である白鎧を抑えられる。
「おい! こいつ会話にすらならんではないか! どうするのだ!?」
「気絶させるしかない! 足で首を絞めろ!」
「ええい、面倒な!」
悪態をつきつつも、エストは足を器用に使って白鎧の首を締める。
白鎧は全力で抵抗しているようだが、それも僅かな時間しか続かなかった。白鎧の身体から力が抜けていき、ふっと瞼が閉じる。
「もういい、エスト! 緩めろ!」
「本当だろうな? 落ちたフリではないのか!」
「大丈夫だって!」
レイが強く言うと、エストは足の力をゆっくり抜いていった。反撃される様子はない。確認した通り、白鎧は気絶しているようだ。
レイは無言で立ち上がる。それから白鎧に視線を注ぐ。
「…………」
「どうするのだ、こいつ。この調子では、目覚めても同じ事の繰り返しになるだけだぞ?」
立ち上がったエストが、責めるようにこちらを凝視しているのが分かった。しかしながらレイは、エストと目を合わせる事が出来なかった。
どうすればいいかなど明白であるものの、レイとしてはそれを実行するのは避けたかった為だ。
迷った末に、レイは誤魔化すように言う。
「……解放する」
「殺してしまった方が早いぞ」
ゾッとするほど冷たい声が響いた。
レイの背筋が凍り付く。
隠していた事を、即座に言い当てられてしまった。反射的にレイは顔を上げ、エストの目を見る。
──平然としている。
その表情に揺らぎはなく、至極当然のことだと言わんばかりであった。
レイはごくりと唾を飲み込む。それから呼吸を整え、出来るだけ平静を装いながら答える。
「そこまでする必要はないと思う」
嘘だ。後々まで禍根を残さないためにも、殺しておいた方がいい。
だがレイは、無抵抗の者を殺す気にはなれなかった。
「…………」
先程から自分の意思を無理矢理押し通しているのだ。エストからすれば現状は不快だろう。あれもこれも拒否するなど、許されない行いだ。
やはりこれ以上を望むなら、対価を支払う必要がある。
意を決したレイは口を開こうとしたが、それよりも先に呆れた様子でエストが話し始めた。
「はあ……。全く、好きにしろ」
エストは頭を掻きながら言った。
レイは深く頭を下げる。
「エスト……ありがとう」
受けた恩は必ず返さなければならない。レイはその事を心に留めておく。
(今回の一件が片付いたら、次はエストの行きたい場所に着いていかないとな。それから、積極的に強者の情報も調べるんだ)
考えながら、レイは頭を上げた。
「──それで? どうするのだ?」
突然のエストからの主語が抜けた問いかけに、レイは戸惑う。一体何のことを言っているのだろうか。
レイは少しの間思案を巡らせてみたが、やはり見当がつかなかった為に、聞き返す。
「どうするって何のことだ?」
ぴきっ、とひび割れた音が鳴ったようだった。
理由は分からないが、エストから不機嫌そうな雰囲気が漂う。
(不味い……)
流石にこれ以上、エストの心証を悪くしたくない。もしも自分がエストの立場だったなら、ぶん殴りたいくらいに苛ついている事だろう。
どうすべきかとレイが頭を悩ませたその時、エストが声を発した。
「解放──」
と、そこでエストは言葉を区切った。
レイは黙ってその続きを待つ。
するとエストは一つため息をつき、口を開いた。
「……解放するといっても、このまま置き去りにするわけにはいくまい?」
エストはぶっきらぼうに言った。
レイは思わず笑みが溢れる。
「──な、何がおかしい!」
「なんでもないって」
エストは怒っているが、それでもレイは笑顔でいることを止められなかった。
「……ちっ! もういい。俺は先に行くぞ」
「あっ! 待てよエスト! 悪かったって!」
レイは急いで白鎧を抱え、飛び立つエストを追いかける。
そしてこちらを見ずに、真っ直ぐ進んでいくエストの後ろ姿へ声をかける。幼かった時のような言葉遣いで。
「最高だぜ、エスト」