第4話 致命
次はどんな手でくるのだろうか。
楽しみにしていたエストに、白鎧が怒鳴り声を上げた。
「貴様、何故滅びていない!!」
「……はあ? 貴様は何を言っているのだ? あの程度の一太刀でこの俺が死ぬ筈なかろう」
「何故だ! 吸血鬼ごときが……何故なんだ!」
エストは内心で大きなため息をつく。
狂人と呼ばれるような人種と会話を交わすのは非常に疲れる。壁に話しかけている方がまだマシだ。それとも、狙ってやっているのだろうか。だとしたら覿面に効いていると認めざるを得ない。
そんな益体もないことをエストが思っていると、今度は二人同時に踏み込んできた。
「〈大釜の──」
「待て、レイ! 手を出すな! 俺がやる!」
エストは詠唱の途中だったレイを制止する。
「貴様は伏兵を警戒しておけ!」
(面倒な方から片付けてやろう!)
決断したエストは槍使いへ向かって駆ける。そして疾走しつつも、槍使いの動作を子細に観察する。
流石にあり得ないだろうが、槍使いが先程と同じ〔技能〕──戦士にとっての魔法のようなものを使ってくるのであれば楽だ。あの〔技能〕はもはや見切ってしまっているから。
(まあ、それほどに愚かではなかろう──)
〔長蛇の槍弧〕
「──あ?」
おかしい。
エストはそう思ったが、それは予想に反して先程と同じ〔技能〕を使ってきたことに対してではなかった。
現在の彼我の距離が、長槍のリーチを考えても少し遠い気がしたのだ。
そんな微かな違和感に危険なものを察知し、エストは踏み出していた足を強引に止める。
次の瞬間、光輝いている槍の穂先が、勢い良く真っ直ぐに伸びてきた。
「ぬおっ!?」
エストは寸でのところで剣を振り上げ、槍を弾き返す。
(あの〔技能〕は軌道を変えるものではなく、穂先を伸ばして操作するものだったか!)
この時になって初めて、槍使いに対する僅かな警戒心がエストの内に芽吹いた。そしてそんなエストに、間髪入れずに白鎧が剣を振り下ろしてきた。
それに対応するために、振り上げた剣を戻していては恐らく間に合わない。とエストは悟る。
(食らってやるか? どの道、かすり傷程度にしかならん)
エストは一瞬だけそう思った。しかし、やはりこれ以上、狂人に傷を負わされるのは癪に障る。
「消えてろ! 〈冥府の番犬〉!」
地獄の門番である三つ首の番犬が、首だけで出現し、白鎧へと殺到していく。
「な、何だとっ!?」
剣を振るいながら魔法を発動させるという技術を白鎧は見たことがないのだろう。
エストは焦っている白鎧を嘲笑う。ろくに対応出来ずに噛み殺される未来が見える。
──がしかし、それは幻に終わる。
白鎧は初見の状況に動揺しながらも、面白いことに頭と体を切り離したように動き始めたのだ。
(ほう? なかなかどうして、戦士としての動きが身に染み付いているではないか)
鍛練の結晶を目の当たりにし、エストの中で少しだけ白鎧の評価が上がる。頭は最低だが、肉体は称賛に値するものだ。
そんな感想を浮かべながらエストが観察していると、白鎧が盾を構えつつ番犬へと剣を振るった。一つ目の首は盾で防ぐことに成功する。ただし、あろうことか残り二つの首を同時に切り払おうとしたようだ。
その選択は大きなミスである。番犬はそんな生半可な魔法ではない。
二つ目の首が弾かれたように突出することで、三つ目の首の盾となる。
「バカな!」
盾になった方の番犬は、白鎧の剣に切り裂かれた事で消失してしまう。しかしながら、庇われた側の番犬がその間隙を縫うように白鎧へと噛み付く。
「ご、ごあああっ!」
番犬の牙は神聖な鎧を貫通し、白鎧の肉にまで食い込む。
「おのれぇえええ!」
白鎧は涎と血が混じった液体を吐き出しながら、剣を自身に噛み付いている番犬目掛けて振り下ろす。同時に少しでも間合いを離そうと、攻撃を防いだ方の番犬に盾を叩きつけて吹き飛ばした。
だが、力が乗っていなかったからか、番犬は二匹とも消えていない。
「主神様の導きに歯向かう獣がっ!! 滅びろ!!」
憎悪をまき散らしながら、白鎧は踏み込んだ。
剣と槍を打ち合う、長閑な平原には相応しくない金属音が連続で響き渡る。
〔槍激〕〔槍突〕〔槍破〕
威力の増した一撃、刺突、衝撃波を伴った振り下ろし。次々に〔技能〕を放ってくる槍使いに対し、エストはその全てを純粋な剣技で完璧に打ち返す。
「どうした? もっと強力な〔技能〕を使ってこい。つまらん技で俺を失望させるな」
エストは挑発を続ける。
「気付いているか? 俺が魔法も〔技能〕も使っていないことに?」
エストは槍使いの瞳を覗く。しかしながら、そこに感情の揺らめきはない。やはり槍使いは白鎧とは真逆だ。完璧に理性を保っている。
エストの頭の中で、一つの疑問が渦巻く。
(何故、こいつは片手で槍を振るう?)
常識的に考えて、武器は両手で扱った方が強い。それなのに常に片手で振っているという事は、何かしらの狙いがあるのは間違いない。
(俺と同じことが出来るのであれば、話は簡単なのだが……。それは考えられんな)
そう。実はエストも槍使いと同じように、常に右手だけで剣を振っている。しかしながらそれは、空いた左手で魔法を発動させるという目的がある為だ。
片手で剣を振るう明確な理由がある。
ただし、これはエストだからこそ出来る技術なのだ。肉体、魔法、神学。全てをバランス良く鍛え上げ、さらにはエストの領域まで力量を高めたからこそ。
故に──エストと隔絶した力の差がある槍使いでは、同じことは出来ないというわけだ。
(……確かに突きのリーチは片手で扱った方が伸びる。しかし、それだけか?)
答えを見つけようと思考を回転させていた時、
「くたばれぇえええ!!!」
番犬の処理を終えた白鎧が、エストの背後から高く跳び上がってきた。
(はあ……。度を越えた阿呆だな、こいつは)
エストは呆れ、そのやる気は急速に萎んでいく。
(──叫んでいては、不意打ちにならんだろうが……)
折角の肉体が台無しだ。そうエストが哀れんでいると、槍使いが布で視界を覆うように突進してきた。
「ハッ! 芸のない! 貴様はそれしか出来んのか!」
今度こそ布を切り裂くべく、エストは剣を振るった。
しかし──。
キィンという甲高い音が鳴る。
「切れんだと?」
感触と音から察するに、布は金属糸で編まれているのだろう。エストは、即座に切り裂くのは困難だと判断する。
(──なるほど、工夫しようとする努力は認めてやろう。だが、だから何だというのだ、この阿呆どもめ。これを狙っていたのなら、白鎧は今この瞬間、この隙に既に俺を切り裂いてなければならんかったのだ)
冷静さを保てずに叫ぶから、タイミングがずれる。
エストは槍使いを不憫に思った。こんなイカれと組まなくてはならなかったという事情は、エストをして同情せざるを得ない。
とはいえ容赦はしない。もはやエストは、彼らに対する興味を失いつつあったから。
エストは空いている左手で布を掴んだ。
「もう逃がさんぞ」
(このまま白鎧にぶち当ててやろう)
思った瞬間──。
「此方のセリフだ、間抜け」
槍使いはまんまと自らが張った罠に掛かった獲物へ向けるような獰猛な笑みを、その顔に浮かべた。
「何?」
エストが疑問符を浮かべたと同時、視界が空一面へと変わった。上空を見上げたわけでも、飛び上がったわけでもないというのに。
しかしエストは槍使いの姿を見て、理解した。
──吹き飛ばされたのだ。
槍使いは両手で槍を掴み、思い切り振り上げた。ただそれだけで、自分は吹き飛ばされたのだ。
槍使いが隠していた切り札は単純明快。
それは人外にすら通用し得る、圧倒的な膂力。
片手しか使わなかった本当の理由は、エストに布を掴ませるためだったのだ。もしも初めから両手で槍を振るっていれば、容易くその膂力を見抜けただろう。
確かにヒントはあった。
槍使いは、金属糸で編まれている布が巻き付いた長槍を、片手で振るえていた。にもかかわらず、そんな状態でエストと打ち合えていた。さらにはその装備は軽装。
違和感はあった。しかし、気付けなかった。
だから──。
高く跳び上がった白鎧の振り下ろしと、地面から跳躍した槍使いの、"両手"で放たれた突き上げが、挟み込むようにエストの首を捉え──
切り落とした。
槍使いは中空を舞う黄金の巨体の首を、苦痛に歪んでいるであろう顔を眺めてやろうとし、達成感から愉悦の表情を浮かべた。
──途端、景色が流れた。
360度、あらゆる方向にグルグルと、あり得ない動きで景色が流れていく。
一体、何が。
完全に意識が途切れてしまうその直前、槍使いは目撃した。
槍を持った首のない自分へ向けて、黄金の巨体が──もはや動く筈のない首無しの身体が、剣を振り切っている姿を。
パクパクと口が動く。だけど、声は届かない。
(ごめん、父さん……)