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第12話 開示された秘密

 視界が切り替わる。

 辺りは広めの庭園だった。

 その唐突な変貌にメイド達がざわめく中、レイは苦悶の声を上げる。


「ぐっ……」

「レイ!」

「……大丈夫だ、問題ない」


 歯を食い縛りながら、レイは自らの無事を伝える。その間も、側頭部からは絶えず激痛が響いていた。

 左耳をもっていかれたのだ。

 レイは確かに見た。転移の魔法が発動する寸前で、カヴァルスが行使した未知の〔技能〕によって自らの左耳が引き千切られた瞬間を。

 レイは生じる痛みを取り除くべく、左耳を再生させつつ回復魔法を行使する。


「〈瀕死〉」


 左耳が再生し、同時に生命力も回復する。見た目の上では治癒したが、生命力は完全には回復していない。レイの回復魔法がそれほど効果的でないという事を考慮しても、カヴァルスが用いた未知の〔技能〕は脅威だ。

 それから都合三度〈瀕死〉を行使し、ようやくレイは完治した。


「ごめん。盾がなかったから守れなかったよ。切り札を使えば可能だったけど……やらない方が良かったよね?」

「ああ、正しい判断だ」


 レイは左耳周りの血を拭いもせず、右拳を握る。そして再び開いた。眼前にあるのは己の掌だけだ。しかし、レイは何かを確かめるかのようにその動作を繰り返す。

 やがて確信を持ったレイはランドへ告げる。


「あいつは強いぞ」

「うん、それは見れば分かるさ」

「違う。それだけじゃない。あの握手だ」

「握手?」

「ああ。あいつと握手をした瞬間、膂力では勝てないと分かった」


 物理的に手が大きいなどというわけではなく、握られた際に巨石で全身を覆い尽くされたような重圧を感じたのだ。


「あいつは調べたんだ。俺が戦士なのか、それとも魔法使いなのかをな」


 魔法使いは筋力に劣る。そこをうまく突かれた。


「上手い探り方だ。対面して同格だと分かれば、後は握手という自然な流れで、相手の手札を見極められる。それも〈魔力看破〉すら使わずにな。……異常者ではあるが、決して馬鹿ではない。あいつは本物の戦士だ」


 多少なりとも戦士として鍛えてきたレイにとって、それは恐ろしくすらあった。

 レイの脳内に、カヴァルスの全体像が映る。

 恐らく彼が填めていた手袋は、その義手を隠す目的のみならず、違和感なく握手をする為の役割も担っていたのだろう。


「……まさかとは思うけど、強王国を攻めるとか言うつもりじゃないだろうね?」

「全くその通りだ」


 レイは間髪入れずに続ける。ランドに反論の余地を残さないように。


「いいか、ランド。今この瞬間こそが、強王国の勢力が最も弱い時なんだ。これ以上あいつを野放しにすれば、世界が弄ばれる危険性が高くなる。もはや利益などと温い事を言っていられる余裕はない」


 噛んで含めるように告げると、ランドが難しい顔になる。


「だったらあの場で殺るべきだったんじゃないかい?」

「そうすると城に居た人達を巻き込む。だからこそ、ここに転移したんだ」


 言いながら視線を前方へ向けると、ちょうど良くその先にある邸宅からストノス侯が飛び出してきた。


「ほ、法王陛下!? いかがされたのですか!?」


 僅かな距離ではあるがストノス侯は転がるように駆け、レイの前で立ち止まる。それを待ってからレイは話し始めた。


「ストノス侯、君に頼みがある」

「でしたら、中でお伺いしますが……」


 ストノス侯がメイドにちらりと視線をやった。


「その娘達の話も含めて、じっくり腰を据えたいところだが、時間が差し迫っている。ストノス侯、今すぐ王都から全ての民を避難させてくれ」

「避難? それも今すぐでございますか? 緊急事態が起きたという報告は受けていないのですが、何か──」ストノス侯の目線がレイの左耳辺りに向けられた。未だ血が付着している左耳に。「…………申し訳ございません」


 それで全てを悟ったのだろう。ストノス侯は片膝をついて頭を下げた。

 時間が惜しかったレイは、即座に返答する。


「君が抱えていた事情はおおよそ察した。そしてアルビアートの精神性について黙っていたことは不問に付そう。君が背負ってきた苦労に免じてな」

「──感謝いたします」

「では、任されてくれるな?」

「それは……大変申し上げにくいのですが、難しいです」


 ストノス侯は顔を伏せたままだ。もしかすると合わせる顔がないと思っているのかもしれない。


「民には生活があります。そして受け入れ先の都市の問題などもございます。危険だから、という理由だけでは逃げられないのです」

「理解している。だが、既に状況はその段階にない」

「……と、仰いますと?」

「俺はこれから、君達の王を殺す」


 ストノス侯は弾かれたように顔を上げ、溢れんばかりに目を見開く。


「アルビアートは強い。その抵抗は激しく、戦いは苛烈なものになるだろう。非常に高い確率でこの都市は壊滅すると予測される。だからこそ、民を避難させて欲しい。分かってくれるな?」

「はっ! 全力を挙げて対応させていただきます!」


 ストノス侯はキッパリと王殺しを肯定した。つまりは彼としても望んでいた事だったというわけだ。少しだけ暗い気持ちになりながらも、レイは頷く。


「助かる。それと、一つ留意しておいて欲しいのは、これは戦争ではなく暗殺だということだ」

「暗殺……なるほど。理解いたしました」

「したがって後始末は君に任せっきりになる。この国は荒れるだろうが……許してくれ」

「いえ、私の方こそ──」


 ストノス侯は周りを窺い、それから感極まったように頭を下げる。


「──感謝申し上げます」


 ストノス侯の地位は高い。そのために直接カヴァルスの相手をする機会は多かった筈だ。


(……ずっと助けを待っていたんだろうな)


「では、他に何か聞いておきたいことはないか?」

「……恐れながら、よろしいでしょうか?」

「どうした?」

「私は法王陛下の勝利を信じております。あのような狂人には絶対に負けないと。しかしながら、私は強王国の侯爵として、今後のことも考えなくてはならないのです」


 ストノス侯は遠回しに、レイがカヴァルスの殺害に失敗した場合、問題が生じると言っているのだろう。だが、その意見には首を捻らざるを得ない。


「何が問題なんだ? 俺が死んだとしても強王国は困らないだろう? 帝国の宿屋でも言ったが、俺達はまだ国を興そうとしている段階なんだ。報復だとか戦争だとか、そういった事は起こらないぞ」

「いえ、そうではなく、これを機に狂王が暴れだす不安があるのです」


 確かにその光景は目に浮かぶ。


「……具体的には?」

「狂王は人体実験を行っております。その為に下手をすれば、全ての強王国民がモルモットにされるでしょう」


 レイは絶句する。いや、それは想定して然るべきだった。レイが初めての実験対象なんて筈はない。前々から行っていたからこそ、カヴァルスは国を差し出すなどという提案を行ったのだ。


「それは今もか……?」

「恐らくですが」

「どこでやっているんだ? 調べはついているんだろう?」

「はっ。この王都の地下でございます」

「ん? 王城ではなく、都市そのものか?」

「はい。全貌が不明であるため確実ではございませんが、この一帯の地下には巨大な洞窟が存在するのです。そしてそこはかなりの広さがあります。狂王はそこに手を加え、多くの者を捕らえていると思われます」

「巨大な洞窟?」


 この辺りにそんなものがあった記憶は無い。レイが作成した世界地図にも記されていない筈だ。


「はい。狂王の身辺を洗った際に偶然発見いたしました。この洞窟の存在を知っている者はごく限られているでしょう」


 レイは疑問に思う。とはいえ、この状況でストノス侯が嘘を吐く理由はないので、恐らくは真実を告げているのだろう。であれば間違っているのはレイの方だ。

 世界地図は何百枚と描き、更新してきた。

 後ほど過去に作成したものを参照して確かめる必要がある。


「そうか……話は分かった。しかし、そうなると避難自体が難しいな。アルビアートにバレれば、最悪なことが起こる」

「それについては私に考えがございます。お任せいただければと」

「何? 本当か?」

「左様です」

「分かった。ならば任せる。それと戦闘後の話についてだったか。俺がやれる事といえば帝国に口利きするくらいだろうが……君はどうしたい?」

「私はこの国を愛していますが、それでも民さえ生きていてくれれば、と思っております」

「……そうか。なら、セウノウス殿には俺から言っておこう」

「感謝いたします」


 ストノス侯はお辞儀をする。

 レイからかける言葉は無い。ここでごちゃごちゃ言うと、彼の覚悟を侮辱することになるから。

 それに何より、レイがカヴァルスに勝てば万事解決する。


「よし。では、その洞窟の入り口まで案内してくれるか? 俺としても出来ればこの都市を壊したりしたくないからな。そこにアルビアートを引きずり込む策を練ろう」

「ありがとうございます!」

「礼はいい。頼めるか?」

「はっ、畏まりました」


 ストノス侯は立ち上がり、歩き出そうとする。しかし、それよりも早くレイは彼を止める。


「ああ、少し待ってくれ。その前に彼女達を匿ってやってくれるか? 勿論、家族も一緒にな」

「承知いたしました。手の者に命じておきます」

「よし。じゃあ、早速──」


 その時、一匹の蝙蝠がレイの肩へ飛んできた。

 法国へ送っていた定期便が返ってきたのだ。

 レイは表情を曇らせる。

 というのも、報せの類いは周囲に誰もいない状況で行えと命令していたのだ。したがって、あまり歓迎したくない情報を持ってきたのだと思われる。


「少し外す」


 レイは話し声が聞こえない程度に距離を取る。


「何があった?」


 レイの誰何に対し、中級吸血鬼は蝙蝠の姿のままで報告を上げる。


「大樹海にて、エリヤ様、ロスコー様のお二方が、プロスト帝国の近衛隊と衝突いたしました。詳しくは直接話したいとのことで、レイ様の即時の帰国を願われております」

「…………怪我人は?」

「おりません」

「そうか、分かった」


 何故そんなことになっているのかは不明だが、確かにレイが解決しなくてはならないトラブルだ。レイはストノス侯の元へ戻ると確認をする。


「今から避難を開始して、どの程度の時間がかかるか推測出来るか?」

「前例のないことですので、なんとも……。ただ、二十時間以内には完了させたいと考えております」


 素晴らしく早い。この規模の都市からすると驚愕すべき速度だろう。こういった事態になることを、レイと出会う前から想定していたに違いない。

 有り難く思いつつ、レイは法国への移動時間と帝国への移動時間をそれぞれ概算し、順位を定める。


「ストノス侯。我々はこれより帰国し、その後帝国へ向かう。恐らくはそこで一人の兵士を借り受け、再び強王国へ戻る流れになるだろう。その間に避難を完了させることは可能か?」

「必ずや」

「いい返事だ。それと洞窟への案内をする為に、この邸宅に一人だけ残しておいてくれ。取り残される形になるが安心して欲しい。その者を確実に逃がせるよう手筈を整える」

「法王陛下の御慈悲に深い感謝を捧げます」


 侯爵は恭しく礼の姿勢を取った。

 これで最低限ではあるが、伝えるべきは伝えた。レイはランドへ顔を向ける。


「行くぞ、ランド。目一杯、飛ばせ!!」


 裂帛の気合いが込められた声に合わせて二人は浮かび上がり、全速力で飛んだ。





 レイの姿が掻き消え、カヴァルスは目を丸くする。

 周囲に注意を向けて誰かしらの影を探るが、そこにランドやメイド達の姿はない。


「転移、なのか? まさか私以外に水晶の持ち主が存在していたとは……」


 レイに対する警戒度が上昇する。

 それによってカヴァルスは、己が大至急で動かなくてはならないのだと理解した。


「まずは……レッド達か」


 引き千切ったレイの耳を放り捨て、右手の血を拭うと地下へ向かおうとする。しかし数歩進んだところで立ち止まり、翻る。

 カヴァルスはレイの耳を拾ってから、地下へと向かった。





 レイとカヴァルスによる会談が行われた数日前。

 帝都アインスワルツ。皇城、執務室。

 プロスト帝国史上における、最高最強の大君主、アルシア・ニール・セウノウスは困惑していた。

 隊列を組み、汚れを払わずに報告へ来た調査隊を前にしてだ。

 どういうことかとアルシアが思ったその時、


「陛下! 聖剣を発見いたしました! この上なく強大な聖剣を!」


 大声が隊列の後ろの方から響く。

 直後、列が左右に割れると、後ろ手に縛られたエルフが、二人の獣人に両脇を抱えられながらアルシアの前まで引きずり出された。それから無理矢理膝をつかされると、殺す気なのではと思うほどの勢いで、エルフは頭を床に打ち付けられる。

 柔らかな絨毯でも衝撃を吸収し切れなかったのか、苦悶の声が漏れる。


「ぐあぁあ……っ!」


 エルフは痛みに暴れるが、左右の獣人によって完全に体を押さえつけられており、ジタバタと踠くことしか出来ないようだった。

 当然のことながら事態を把握出来ない。アルシアは短く命じる。


「説明しろ」


 その言葉に従い、即座にサイラスが進み出て跪くと、顔を伏せた。

 アルシアの困惑が嫌な予感へと変化する。

 普段の彼には似つかわしくない態度だ、と思ったのだ。

 というのは、基本的にサイラスはアルシアの目を見て話す。冷静な振る舞いを装ってはいるが、その実、彼はアルシアとの対話を楽しんでいるのだろう。たとえそれが軍事戦略のプレゼンだろうと、兵力向上の進捗だろうと関係なく。多忙を極めるアルシアから直接声を賜る、貴重な時間を噛み締めているわけだ。

 それがいつものサイラスだ。

 つまりそこから翻って考えれば、現状の彼の様子が意味するところは緊張であり、逃避であり、アルシアの怒りを静めようとする態度だった。

 アルシアは他の面々を見渡す。

 その顔色は暗い。いや、暗いを通り越して青かった。幾度も命の危機に晒されてきた歴戦の猛者達が、死とは別の、何らかの恐怖に囚われているのだ。


「……何があった?」

「はっ」


 震えを強引にねじ伏せたような声で、サイラスは調査結果を伝える。

 最初に告げられたのは、ノボグダケが採取出来たという報告だった。

 この朗報を聞かされた時点で、アルシアの気は一層重くなる。親の機嫌を窺う子供の行動そのものだった為に。

 それから本題より逃げるように功績を列挙し、"自然の司精霊"という最上位種であるエリス、及びハーフリングのロスコーと遭遇したとの情報が伝えられ、最後に耳を疑うような言葉が投げられた。


「そして……そ、そして……」サイラスの息が荒くなる。「そっ、その聖剣を……ゲイリー・ローチが強奪いたしました」

「──はあ?」


 非常に間延びした声がアルシアの喉から漏れる。

 文脈が正しくない。どういう理屈で、そして強奪する、のかが分からない。


「何と言った? 呼吸を整えてからもう一度話せ」


 サイラスは深呼吸し、再び絶望の情報を告げる。


「聖剣をゲイリー・ローチが奪いました」

「貴様!!」


 瞬時に臨界を突破したアルシアの憤怒が、室内にいる全ての者の心胆を寒からしめる。

 それまで立っていた隊員達が一斉に跪いた。

 しかし、そんな事でアルシアの怒りは収まらない。マグマが煮えたぎり、火口から溢れ出す光景を幻視させる。


「何を考えてそのようなことをした! 欲望に狂ったか!」

「め、滅相もございません! 私は陛下のためにと──」


 執務机が粉砕される。

 アルシアが叩きつけた拳によって、吹き飛ぶことさえなく粉々に砕け散ったのだ。


「私のため? 私のためだと!? この結果が! 私のためになったと()かすか!」

「し、しかし、聖剣さえ手に入れば……」


 この期に及んで抗弁しようとするローチにアルシアは言葉を失う。あまりの愚かさを見せつけられた事で、逆に冷静になったのだ。

 考えれば考えるほど状況は最悪だ。

 中でも飛び抜けて問題となるのは一つ。


 エリスとロスコーの二者が、レイの国に属しているだろうということ。


 それはほぼ間違いない。何故なら、エリスとロスコーは調査隊が奥地へ進むことを拒み、レイは己の国の位置を隠そうとした。これはまさに、アルシアが予想した、廃都を基点に国を興すというものと一致している。

 ──レイに謝罪しなければならない。

 しかし、それは出来ない。皇帝たるアルシアの謝罪は、国家の謝罪なのだから。


「……貴様らの所属する部隊はなんだ」


 組み伏せられたままのローチが、血に(まみ)れた顔を持ち上げ、不思議そうな表情を作る。

 アルシアは再び激昂しそうになった。しかし、何とか心を静めた。


「問いに答えよ」

「こっ、近衛隊でございます……」

「そうだ。そしてそれは私の命令でのみ動く部隊だ。つまりは間に誰も挟まず、言い訳の余地すらない。全ての責は私にあるということ。その意味が分かっているのか?」


 ローチは答えない。

 だからアルシアは答えを告げる。


「私の首を差し出すよう言われたらどうする」

「そんなバカな!」


 ローチは声を荒げ、立ち上がろうとする。

 二人の獣人はローチをより強く押さえつけた。


「ぐうっ! くそっ! ──陛下! 僭越ながら、そのような要求がまかり通る筈がございません!」

「その聖剣は途方もなく強大なのだろう? であれば十分にあり得る可能性だ」


 無論、それを突っぱねるかどうかという問題はある。だがどうにせよ、これでレイとの友好関係は完全に崩壊しただろう。彼が帝国臣民になる未来は潰えたのだ。同盟だって向こうから断るかもしれない。


「恐れながら、陛下。その件についてもう一つ……」


 横からのサイラスの声に、アルシアはガタリと音を立てて執務椅子から腰を浮かせる。


「もう一つ、なんだ! この上、まだあると申すか!!」


 圧倒的強者たるアルシアの怒号を受け、サイラスは顔を青ざめつつも口を開く。


「……ローチが強奪した聖剣は、ハーフリングであるロスコー殿によって取り返されました」


 すとん、とアルシアは椅子にもたれ掛かる。

 そして肩を大きく揺らした。


「──はっはっはっはっは!!!」


 その皇帝としての威厳をかなぐり捨てた笑いは、アルシアが初めて見せる姿だった。

 配下の者達の顔に動揺が走る様子を前にしても、もはや取り繕うことは出来ない。


「無様だ。何たる醜態だ。奪っておきながら取り返される? 貴様はこの世に存在する恥を制覇したかったのか?」


 アルシアは悪し様にローチを罵る。そのような暴言ですら、かつて口にしたことが無かった。

 ローチもサイラスも他の隊員も、そしてゼリイでさえも黙ったまま微動だにしない。

 そんな様子を冷たく一瞥すると、やがてアルシアの瞳から光が失われる。


「もうよい。エリスと合流するという場所へは、私一人で行く。それと其奴は牢にでも入れておけ。決して自害などさせないよう監視を忘れるな。他の面々に関しては追って処遇を言い渡す。話は以上だ、直ちに私の前から消えろ」


 鈍重な動きで隊員達は立ち上がり、ぞろぞろと退室していく。


「ゼリイ、そなたもだ」

「はっ……」


 消えるような声で了承し、頭を下げると、ゼリイも隊員達の後に続く。

 アルシアは一人になりたかったのだ。

 何をするにも億劫で、今は冷静な判断を弾き出せる気がしなかった。

 だがしかし、現実はそんなアルシアの失意など思いやってはくれない。一人の兵士が息を乱しながら現れた。


「失礼いたします! 陛下へ速やかに報告すべき事態が発生しました!」


 アルシアはため息を堪える。もはや何を言われても心は動かないだろう。


「どうしたのだ?」

「はっ。先ほど、レイ国王陛下とランド・クエレブレ殿が、ストノス侯の所有する馬車に乗り込み、強王国へ向かったとのことです!」


 その情報を聞き、アルシアは近衛隊の解体も視野に入れた。





 そして時は戻る。


 皇城、玉座の間。

 アルシアは国内有数の貴族と謁見していた。

 エリスと約束した日までは、今少しの猶予があった為に、謁見の予定を前倒しで行っていたのだ。


「お美しい──」


 貴族のおべんちゃらは、アルシアの耳を右から左へ素通りする。


(レイは贈り物で満足するような者だろうか……。あの甲冑を差し出せば怒りを飲み込むとは思うが、流石にそこまで譲歩するなどあり得ない。かといって金銭を渡すというのもな。……やはり、敵対するしかないか?)


 幸いにも、プロスト帝国は北の国境でハイラント王国と隣接している。彼らと同盟を組む事は、さして難しくはないだろう。

 しかし、それはアルシアの矜持が許さなかった。

 こちらに非があるにもかかわらず、武力で事態の解決を図ろうとする。

 あまりにもみっともない行為だ。それをやっては、既に記憶から名を消した、あのエルフと同類になってしまう。


(それくらいであれば、謝罪した方が幾分上等か……)


 あの時に考えていたわけではないが、だからこそエリスとの合流場所へ一人で行くと口にしたのかもしれない。

 そんな事を考えつつ、しばらくの間、貴族が一方的に話す光景をぼんやりと見つめていると──。


 空気にチリチリとしたものが走った気がした。


 それは第六感による信号。アルシアの知覚では捉え切れない何かを、彼女の本能が感じ取ったのだ。

 アルシアは周囲を見渡す。

 いつも通りの光景だ。玉座の間に不自然な点はない。

 であれば、これは城の外から発せられたもの。


 そう判断したアルシアの目が窓へと動き──直後、ガラスの向こう側に、巨大な炎の塊が映った。


 すさまじい爆発音がアルシアの全身を叩く。

 窓に嵌め込まれたガラスが容易く割れると、豪熱が内部へ侵入する。


 一瞬にして、玉座の間が焼き払われた。


 一体何が。身を丸め、アルシアは熱に耐える。

 急激な温度上昇の為に、酸素を取り込むことが難しい。そうでなくともこれだけ高熱の空気を吸えば肺が焼け爛れる。だがそれでもアルシアは呼吸を繰り返す。脳内から酸素が失われれば、意識が途切れてしまうと理解した為に。

 肺が膨張と収縮を反復する。その間にも、炎はアルシアを蝕む。衣服が燃え尽き、肌が焼かれて痛みが走る。損傷は軽微だが、自らの防御力を突破してくるほどの豪炎だ。早めに対処しなければ、いずれは無視出来ないほどのダメージにまで膨れ上がるだろう。

 アルシアは切り札である《伝染》の使用を決定した。

 絹糸で編まれた布地を思わせる美しい肌が、金属の光沢を宿す。


 《伝染》による肉体強化は、物理と魔法、両面の防御力、そして体重を爆発的に増大させ、副次的に攻撃力をも伸ばす。無論、体重の上昇によってスピードが殺される事はない。平常時と同じ動きを再現出来るのだ。特別なデメリットは無いように思えるが、これは同格の切り札と比べると少しばかり効果が弱い方だろう。

 ただしその代わりに、肉体が強化された状態を維持したまま、三日三晩、不眠不休で戦えるというメリットがある。

 帝国の至宝たる甲冑と非常に相性の良い《ルーツ》だ。


 アルシアの流星を思わせる長髪がふわりと浮かび、体の周囲を光子が蒸発するように漂う。

 未だ燃え上がる灼熱の中、アルシアは防御の体勢を解いて周囲を素早く探る。

 敵の姿はない。

 見える限りでは、貴族も兵士も皆焼け焦げている。即死だろう。痛みは無かったと思いたい。

 アルシアは歩き出すと、玉座前の階段を下る。そのまま一歩、二歩と進んだ瞬間──炎の嵐を食い破って、右上方から人間の手が突き出された。


「ふっ」


 神速の反応でアルシアは迎撃しようとする。体をひねりながら、左の義足でもって突き付けられた手を蹴散らすイメージを描いたのだ。《伝染》による重さを乗せ、〔金剛〕を発動し、右上方からの手を更に上から潰す。

 完璧だった。

 ──しかしその時、脳裏に薄い不吉が過る。

 それは先ほどから疑問に思っていたこと。

 なぜ、襲撃者は突然現れたのか、どうやって警備を潜り抜けたのか、もしこれが入念に練られた計画なら、全ての攻撃に意味があるのではないか。

 そんな予感がアルシアを導く。(いざな)われた先にあったのは手。


 右上方から突き出された手だ。


 それに対してカウンターを放とうとするなら──即ち現状のアルシアは、必ず左腕か左の義足を用いることになる。

 それは逆に考えれば、己の本気の一撃たる右足は使えないということ。


 アルシアは右上方からの手を、横目でしっかりと捉える。

 全身を怖気が走った。

 自らの命を脅かす恐れ。死の兆し。豪炎にさえ感じなかったものが、それにはあった。

 突き付けられた手に捕らわれれば、抵抗する術はない。そうアルシアは悟る。

 まともに受けることは躊躇われる。世界最強と謳われている己が、切り札たる《伝染》によって防御力を爆発的に高めて尚、身の毛がよだっているのだ。

 アルシアは回避に転じる。




 アルシアは賢かった。だからこそ無理に勝負せず、回避の一手に出た。

 戦術的には正しい判断だ。相手の切り札に類するだろう攻撃など、真っ向から切り返す必要はない。避けられるなら避けた方が賢明だ。

 しかしこの場においては、もっと大局的な視点で見なくてはならなかった。

 そう。彼女は突き付けられた手に捕まっておくべきだったのだ。

 もしそうしていれば、状況はもっと違ったものになっていただろう。あるいはレイという世界屈指の強者を臣下に従える事さえ出来たかもしれない。

 だがそうはならなかった。彼女の圧倒的なカリスマが帝国を巨大にしたなら、その帝国を殺したのもまた、彼女の賢さだった。




 回避に転じたアルシアは、後ろに倒れ込むかのごとく背を空中へ預ける。

 天井が視界に入り──恐ろしく強大な手が目の前を通過した。

 躱せたことに安堵している暇はない。

 反撃を行うべく、アルシアは左の義足で蹴りを放つ。するとそれを待っていたかのように、天井からゼリイのレイピアが敵対者を襲った。


「なにっ!?」


 敵対者たるカヴァルスの驚愕の声が遠ざかる。

 アルシアの蹴りによって吹き飛ばされたのだ。 


「良くやった、ゼリイよ」

「いえ、完全に不意を打ったにもかかわらず、私のレイピアは防がれましたぞ」


 確かにアルシアの蹴りも急所への手応えは無かった。カヴァルスが体を空中でひねり、右腕と左の義手で、二人の攻撃を同時に受け止めたのだ。


「追う──」


 その先の言葉をアルシアは発せなかった。轟音と共に、炎とは別の明かり──月の光が差し込んできた為に。

 アルシアは顔を上げると、目を見開く。

 城の最上階にある玉座の間。その天井が消えている。


 代わりにそこにあったのは、三つの竜の頭──。


 バクリと、三つの顎が開かれる。そして口腔が輝く。

 それぞれが違った輝きを宿す、凝縮された力。それは世界最強種による、最強の攻撃手段。



 同時に放たれた三種のブレスが、皇城にいる者達を消し飛ばしていった。





 瓦礫の山からカヴァルスは立ち上がる。

 その表情は怒りに歪んでいた。


「おのれ……。奴は誰だ? あのような者を伏せていたとは……」


 完全に計画が狂った。あの透明人間のせいで。

 このままではただの殺し合いにしかならないだろう。そうカヴァルスは理解する。現状の戦力でアルシアを捕獲するには、この最初の一撃で決めるしかなかった。無二の好機はあっさりと消滅したのだ。


 カヴァルスの苛立ちは頂点に達する。


 もはや八つ当たりとして帝国を滅ぼすのも一興かもしれない。臣民を殺戮されたアルシアの顔は、さぞ悲しみに歪むことだろう。

 その表情のまま殺し、凍り付けにして王城に飾るのだ。いや、皇城の玉座に乗せておくのも悪くない。

 カヴァルスの瞳が喜悦に澱む中、彼の頭脳がその遊戯を行うには一つの問題があると告げていた。

 それはブレス放射後、即時撤退しろとレッド達に命じているということ。流石に二対一となれば、カヴァルスとしても少々面倒だ。それに、もうじきレッド達のブレスが城を破壊すると思われる。


 残された時間があまり無い中で、カヴァルスは城の廊下を歩きながら白亜の壁をコンと叩く。

 これは移動するのに便利な効果を保有する《通過》を行使している内に、いつの間にか染み付いた癖だ。

 コン、コン、コンと壁を叩きつつ進み──



 思いつく、悪魔の策。



 これは小さな種火に過ぎない。だが、途轍もなく大きく燃え上がるだろう。

 壁を叩いていた傍ら、途中にあった扉を開いていき、やがてその部屋に辿り着く。

 そう。そこは──。


「竜人に至るには、人類の王族の血を取り込む必要がある」


 旧い遺跡の古い結晶盤に刻まれた、竜人への進化条件。

 読めなかった箇所もあるが、そこにはこう記されていた。


 一、人類の王族の血の摂取。

 二、欠けていて読めない。

 三、二十一グラムの完成された竜結晶の摂取。

 四、欠けていて読めない。

 五、不明。



「帝都は──いや、王都は燃えるであろう」


 扉が完全に開け放たれると、カヴァルスは王族に似つかわしい優雅な礼を披露する。それから心より微笑む。


「こんばんは、お姫様。私の機嫌は大変麗しいぞ」


 微笑みを象っていた唇を割って、カヴァルスの哄笑が部屋一杯に響き渡った。





 大部分が崩落した玉座の間。

 そこには、炎で焼け焦げただけで済んでいる範囲が存在した。その円状の床の上にいる者はたった二人──アルシアとゼリイだ。


「消えただと?」


 アルシアは上方を確認する。

 竜の姿はどこにも見当たらない。

 ──胸騒ぎがする。

 なぜ、この機に乗じてカヴァルスは襲ってこないのか。

 アルシアは硬い声で命じる。


「ゼリイよ。被害状況を確認、報告しろ」

「はっ」


 了承したゼリイは掻き消えると、僅か数十秒程度で戻ってくる。

 何を言われるのかとアルシアが身構える中、無慈悲な報せが齎される。


「エルマーナ殿下が浚われました」




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