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第16話 エンゲラーブ強王国

 法国の南東に領土を持つ六大国、エンゲラーブ強王国。


 ザンピール王城、玉座の間にて、一人の男が拝謁していた。

 跪き、伏せられている男の顔は明らかに限界を越えている人間のそれだ。ゾンビと見紛う程やつれ、頬はこけ、塗りたくられたかのような隈がくっきりと目の下に刻まれている。


 そんな哀れな男──ストノス侯爵は、巧みな演技で自らの本心を王に悟らせなかった。


「──となっております」


 迂遠な表現を駆使して報告を終えたストノス侯は、頭を上げていく。胃を悪くする作業だと思いつつ。

 やがてストノス侯の目に飛び込んできたのは、いつもと変わらぬ不快な顔だった。


 強王国国王、カヴァルス・ロード・アルビアートが玉座に腰掛け、自分を見下している。


「また失敗したというのか?」


 隠そうともしない苛立ち。ただしそれは、言葉から読み取ったわけではない。

 コツコツコツ、と肘掛けを叩いている音が、絶え間なく続いている為に分かったのだ。

 ストノス侯は決して気付かれないよう細心の注意を払いつつ、音の発生源を見る。


(義手、か)


 狂王の左腕には、義手が取り付けられていた。


 我知らず滲みそうになった憎悪の炎を、ストノス侯は作った微笑で覆い隠す。

 この義手を巡ったいざこざで、多くの人々が殺されたのだ。理不尽な暴虐を受けて、何の罪も無い善良な人々が。

 もしもそういった背景を知って怒りが湧かない人間がいれば、その者は人として何らかの欠陥を抱えているだろう。

 無論、ストノス侯は感じる側の人間だ。

 しかしながら、ストノス侯は反論を述べたりはしない。自分が先走って暴発なんかすれば、これまでに犠牲になった者たちが報われないから。

 ストノス侯は幼い時分より培った腹芸を前面に押し出し、狂王の問いに答える。


「申し訳ございません。しかしご安心を。まもなく突破出来る予定です」

「どうやら貴様と私とでは、時の流れが異なるようだな?」

「ははは、これは手厳しい。ですが、重ねて申し上げます。ご安心を。これまで私は、陛下の命を数え切れないほど完遂しておりますゆえ」

「ふん、疑わしいな。のらりくらりとしているようにも見えるが」

「滅相もございません。これ程の大役を陛下より賜るなど……私は果報者であります」

「随分と滑らかに回る口ではないか、ストノスよ。切り落として貴様の邸宅にでも飾り付けたらどうだ? さすれば多少なりとも身軽になって、任務に奔走しやすくなるであろうよ」


 狂王は皮肉げな冷笑を浮かべた。

 笑ってはいるが、これは冗談の類いではない。ストノス侯が次に発する言葉を誤れば、それは直ちに実行される事だろう。

 ストノス侯は頭を働かせ、脳内にある知識を動員し、狂王が好みそうな話を組み立てる。


「私の身を案じていただき、感謝申し上げます。しかしながら心配はご無用です。かの女帝を打ち倒すことは我が国の悲願であります。そのための労を厭うなど、一体どうして出来ましょうか」


 ストノス侯の言葉を受け、狂王が少しだけ瞼を動かした。

 その仕草を目ざとく確認したストノス侯は、手応えを覚える。


「……はん。もうよい。さっさと吉報を持って参れ」

「畏まりました」


 これでようやく解放される。ストノス侯はそう思ったが、どうやらまだ続きがあったらしい。


「全く……。私は貴様らの為に、領土を広げてやろうとしているのだぞ。にもかかわらず、当の本人がそのような調子でどうする?」


 嘘をつくな、屑め。

 口からその言葉が飛び出なかったのは、偏にストノス侯が優秀な人間であるからだ。


 ストノス侯が現在、狂王から受けている命令は二つある。

 その内の一つが、先程から上がっている議題──ハイラント王国へ同盟を結ぶための使者を送ること、だ。

 そして何故、失敗に終わっているのか。

 それは、ハイラント王国、プロスト帝国、エンゲラーブ強王国という三つの大国が、この並びで北から南に連なっている為に、北上出来るルートが限られているからだ。



 まず東から回る場合。

 これは海があるため不可能なのだ。凶悪なモンスターと大嵐に行手を阻まれ、海上の進行は困難。船など造るだけ無駄である。故にそもそも、造船技術が発展していない。

 

 次に西から迂回する場合。

 これは北西の大樹海を超えた先にある、途方もなく長い山脈を踏破しなくてはならないのだが、一番の問題はそこでは無い。

 特徴的な緑の尻尾を持つ竜人がその山を住居とし、『ここを通りたいなら僕をワクワクさせて』などとわけの分からない事を言って、通行止めを行っているのだ。

 しかしながら、そんな曖昧な言葉では何も分からない。そのため未だ誰一人、通り抜けれた試しが無かった。


 では空路はどうだろう。

 これは良い手なのだが、腹立たしい事に〔技能〕で飛ぶには狂王のような圧倒的強者でなければ無理なのだ。

 そして魔法使いの場合は、そこそこの強さがあれば飛べるが、魔力が途中で尽きてしまう。ただ、だからといって休み休み飛ぶというのも難しい。何時どこで休むかを綿密に練らなければならないし、荷馬車だって引けない。現実的でない計画だと言える。

 第一、魔法使いという存在は貴重なのだ。見つかれば死を意味するというのに、そんな雑な計画で使うわけにはいかない。



 つまり纏めると、ハイラント王国へたどり着くには、帝国内を陸路で北上し、突っ切るしか無いのだ。



 ストノス侯は前方を眺める。狂王の言葉に続きがあることを察知した為だ。


何故(なにゆえ)、失敗している?」


 お前が無茶を言っているからに決まっているだろうが。

 そう言い返せたら、どれだけスッキリするか。


 ストノス侯には、狂王が本当に望んでいるものが分かっていた。

 恐らくはハイラント王国との同盟もそれが目的だろう。領土の拡張など、所詮は建前に過ぎない。

 というのも、狂王は自分の左腕を再生するために、女帝の身体を研究したいのだ。


 狂王が密かに自分と同じ症例の者を誘拐し、人体実験を行っている事は既に調べがついている。

 そして被検体がいるにもかかわらず、わざわざ他国の皇帝を狙う理由も分かっている。


 女帝が狂王と同じく強者だからだ。


 弱者と強者では、体の作りからしてまるで違う。間違いなく狂王は、成果を上げられなかったのだ。ならば強者を研究するしかない。浅はかにも、そう考えたのだろう。


(誰かこの馬鹿を殺してくれないだろうか)


 他国の皇帝を狙うなどという狂人の発想に、この愛すべき国は巻き込まれているのだ。

 本当に今すぐにでも死んで欲しい。寿命を待っていては、この国は滅びてしまう。

 ストノス侯は痛切に願うが、内に秘めた殺意はおくびにも出さない。代わりに狂王の詰問に答える。


「帝国側の幸運という要素を潰すためです。そのために幾度か配下の者を送り出し、住民の生活リズムに至るまで調べ上げ、運の絡まない確実に成功出来るルートを模索しております」


 帝国には夜行性の種族もいる。いわゆる眠らない国であり、一日中活動しているのだ。

 そのため夜はチャンスではない。むしろ夜間に人間が動いていると怪しまれる。


「……ならばよい。それで、竜人の方はどうであった? 色好い返事は貰えたのか?」


 これがストノス侯が受けているもう一つの命令であり、その内容は、山に住む竜人を強王国に連れてこい、というものである。


 ストノス侯の口内が乾く。

 今から、結果を伝えるのだ。

 それがどのような意味を持つのか、ストノス侯は十分に承知している。普通に会話を交わしているが、狂王とは物理的に覆りようのない力の差があるのだ。両者を俯瞰して見れば、蟻と竜を思わせるほどだろう。

 恐怖が思考を奪おうとしてくるが、それを意思の力で抑え込む。

 ストノス侯は一度大きく息を吸い、そして言葉を絞り出す。


「良好な関係を作り上げました」


 ──刹那。


 空気が淀んだ。

 身体中の機能が停止し、時を止められたような錯覚に陥った。

 ストノス侯は剣を握る者ではない。ペンを握って国に貢献する者だ。だがしかし、魂の奥底から理解させられた。

 これが殺気と呼ばれるものなのだと。


 時が止まったストノス侯とは反対に、狂王が動き出した。

 玉座の肘掛けを握り締め、立ち上がろうとし──肘掛けが粉々に砕け散った。

 その玉座に目もくれず、狂王はゆっくりと立ち上がる。


「役立たずが……私が動くしかないか」

「お待ち下さい」


 それでもストノス侯は慌てることなく、努めて冷静に返す。


「先ほど申し上げた通り、問題など一切ございません。これまでの策は下調べ。全てが準備であり、万難を排するためであります」


 本当に出来ると思って言っているのではない。単に次やれば成功します、という雰囲気を醸し出しているだけだ。

 やれることはやった。後は祈るだけ。

 ストノス侯は微動だにせず、狂王の返答を待つ。




「──無能にかける慈悲などないぞ。分かっているな?」


 安堵の息が漏れかける。が、かろうじてストノス侯は耐え切った。

 これまで自分が必死に結果を出してきた甲斐があったというものだ。しかし、今回初めて返事が変わった。即ち、もう失敗は許されないということ。


 ストノス侯はため息をこらえ、深々と頭を下げる。


「畏まりました」





 玉座の間を後にし、王都に保有している別邸へと戻ったストノス侯は、自室でため息をつく。


「はあ。今日も疲れた。そして、明日も疲れるのだろうな……」


 ストノス侯はストレスで痛む頭を抑え、いやいやながら再起動させる。


「やることが山積みだ……。いや、どんどん増えてる……」


 目の前の大量の書類に、目が眩んだ気がした。

 もしもこの苦労が、自分だけが味わう孤独な戦いだったなら、とっくに投げ出していただろう。だが自分には同士がいる。共に戦ってくれている、優秀な貴族達が。


「はああああーーーーっ…………」


 折角、心を奮い立たせようとしたのに、体が勝手に今日一のため息を生み出した。

 思い返せば、もはや呼吸をするようにため息をついてしまっている。


「逃げたい。でもなあ……」


 ストノス侯には愛する家族も頼れる友人もいるし、苦労を分かち合える同士だっている。では、彼らを守る為に必死に働いているのかと問われれば、ストノス侯は首を横に振るだろう。

 残ったものはたった一つ。そう、ストノス侯は自分のために──と思われがちだが、そうではない。



 ストノス侯はこの国、引いては民を慮っているから頑張れたのだ。



「彼らにとって、貴族である我々が唯一の防波堤だ」


 あの狂王の暴虐が民に向けられれば一溜りもない。狂王が表立って行動を起こさず我慢しているのは、自分達をある程度評価しているからだろう。

 では、その自分達が逃げればどうなるか。当然、我慢などしない。


 そうなってしまえば──。


 ストノス侯は頭を振り、嫌な想像を消し去る。代わりに自分の趣味を行う事にした。その趣味とは、妄想だ。それも、自分が幸せな日々を過ごしている妄想だ。


「今日は、どこを旅しようか」


 迷いはほんの少し。行先はすぐに決まった。

 やはり、自分が敬愛して止まない若き賢王が支配する国、ハイラント王国だろう。


 実のところ、ハイラント王国が隣接している国家はプロスト帝国だけではない。大陸唯一にして最強の国家である、超大国とも東の国境で隣り合っているのだ。

 つまり平たく言うと、ハイラント王国は世界で最も苦しい立地の国家なわけだ。

 その気苦労は計り知れない。確実に苦境続きの毎日だろう。


 だがしかし──ハイラント王国は健在。


 反乱はなく、戦では未だ無敗だと聞き及んでいる。


「素晴らしい君主だ……」


 ストノス侯は想い焦がれる。

 もう五年以上前のことだ。僅かな時間ではあったものの、賢王に謁見する機会があった。そして直接言葉を交わし、ストノス侯は胸を打たれたのだ。

 名前負けしていない叡智。民を思う心。こちらから頼み込んで奉仕したくなるほどの王としての資質。


 狂王に無い全てを、賢王はその身に宿していた。


「いいなあ……」


 ストノス侯は嫉妬する。

 あの賢王に支配されて、ハイラント王国の貴族達はさぞ幸せなのだろうと思い。


「うっ……」


 嫉妬したバチが当たったのだろうか。突然、キリキリと胃が痛んできた。手で腹を抑える。


「はあ」


 またため息を一つ。

 そして抑えていた腹から手を離し、縋るように虚空へと伸ばした。


「ああ……。我らの王が、かの賢王であれば良かったのに……」




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