第3話 信頼 上
ハーフリングの剣士──ロスコーは、レイの部屋の前に立っていた。周辺視野で隣を窺えば、そこにはメルーシャもいる。
ロスコーがここに来た目的は、レイに報告しておきたい事があった為だ。火急と呼ぶべきかは微妙なところだが、それでも伝えておかなくてはならないと判断したのである。
「んん……!」
軽く咳払いをし、喉の調子を整えると敬意を込めて扉を優しく叩く。
中からくぐもった返事が聞こえ、その数秒後、扉が開かれた。
「おお、ロスコーか。それにメルーシャも。一体どうしたんだ、俺の部屋に来るなんて。何かあったのか?」
部屋から出てきたレイに、ロスコーは挨拶も忘れて小さな声で伝える。
「少しお耳に入れておきたいことがありまして」
「内密の話か? まあ、とりあえず入ってくれ。中で話そう」
レイは扉を完全に開け放って、入室するように促してきた。
ロスコーの心中に戸惑いが生まれる。
「あの……よろしいのですか?」
「構わないぞ。別に爆発したりするような危険な物とかもないしな」
そういった意図で質問したのでは無い。王の自室にそんな簡単に入ってもいいのか、という意味を込めて尋ねたのだ。無論、レイにはそんなロスコーの苦悩はまるで伝わっていないようだが。
どうしたものか。頭から湯気が出るほどの勢いで考えるが、必死に足掻いたところで答えは一つしかない。それに許可を得たのは事実である。
「では、失礼します」
一言断りを入れてから、ロスコーは足を進める。その後ろにはメルーシャが続いた。二人が部屋に入った事をレイは確認したのだろう、ロスコーの背後で扉が閉まる音が鳴った。
ロスコーは下品にならない程度に室内の様子を観察する。
(……失礼だとは思いますが、ずいぶんと質素な生活を送られているのですね)
一時的に身を隠す目的で作ったそうなので、派手にしたところで仕方ないとは思う。しかしながら、それにつけても飾り気がない。
部屋の中央には丸テーブルが据えられており、椅子が三つ備えられている。奥の壁際にベッドと、その脇に姿見がぽつんと立つ。以上だ。
何とも侘しい内装である。僅かに興味を惹かれるものといえば、吸血鬼は睡眠を取れるのだろうか、という殆ど部屋とは関係の無いことくらいだ。
「座って──いや、これじゃ座れないか。エストが使ってたやつだから、二人には大き過ぎるな」
言いながらレイが中空に手を伸ばすと、突如として黒い穴のようなものが出現した。レイはその穴の中に手を入れる。それから何かを取り出すように引き抜く。
出てきたのは小さめの椅子だ。
ただし、小さいとはいっても、ハーフリングの基準だと丁度いい大きさである。
「これなら良い感じだろう。さあ、座ってくれ」
もう一つ同じ椅子を取り出したレイは、ロスコー達に着席を促す。
(私が剣を借り受けた時にも見ましたが、この能力は一体……? こんなに容易く持ち運びが出来るのなら、行商で一山当てられるではないですか)
商人からすれば垂涎ものの能力だろう。いや、それよりも国軍が欲しがるに違いない。行軍が楽になるのはもちろんのこと、空から爆薬を投擲して一方的に敵を蹂躙出来るのだから。
それに暗殺の難易度は下がるし、密輸出入に至っては防がれる心配が皆無となる。レイを巡って、国家間で戦争が起きても不思議ではない。
そんな事をぼんやりと考えていたロスコーは、頭を振る。今は夢想している場合ではないと気を取り戻したのだ。
(それはそれとして……。困りましたね。座れと言われても素直に従える筈がないでしょう。私が丸テーブルの意味を知らないとでも? まさか試されてる?)
様々な疑問が脳内を駆け回るが、見上げて覗いたレイの瞳には何も含むところは無いように感じられた。他者の観察に優れているロスコーの目がそう判断したのだ。厚意だと思って、ここは素直に受け取っておくべきだろう。
「感謝申し上げます」
ロスコーが謝意を伝えると、メルーシャもペコリと頭を下げてから座る。
「さて。じゃあ、早速話してくれるか? 大事な用件なんだろ?」
元々置いてあった椅子に着席したレイに促され、ロスコーは説明を始める。
「はい。実はですね、出来ることならこの国から移動すべきではと思ったのです。オーベルング王国がこの国を征服したということは、国境やその他諸々が慌ただしくなっているでしょうから」
どこで国を興すにしても、まずはここから移動しなくてはならない。まさかこの拠点を中心に国を造る筈が無いだろうから。
そして必要性を感じなかったので言わなかったが、聖天国の人間達に恨みや恐怖を覚えている者達が多い、というのもロスコーが早く移動したい理由の一つだった。
「俺も同意見だな。さっさと動くべきだと思う」
「それでしたら、何故? 何かご事情があるのでしょうか?」
ロスコーの問いかけに対し、レイは懐をまさぐると聖都で見せてくれた転移の水晶を取り出す。
「こいつに魔力を溜めてる最中なんだよ。だから徒歩で移動するつもりはないんだ」
「……つまり、転移するには時間が掛かるという事でしょうか?」
「ああ、そうだ。転移というのは結構な手間でな。この水晶に魔力を満タンになるまで溜めないといけないんだ。そこで問題なのは、俺の最大魔力を何度も込める必要がある、というところなんだよ」
「何度も……。魔力の回復速度はどのくらいなのですか?」
「俺の場合、空っぽの状態から12時間で最大まで回復する」
「……予想では何日後に転移出来るのでしょうか?」
「一週間」
「それは……やはり、移動した方が……」
「だから少し迷ってるんだよ。ただ、俺としてはわざわざ軍が森に入ってくるとは思えないし、ここで待った方がいいと考えてる」
「そうですか……」
ロスコーは口ごもる。
「反対か?」
「いえ! 滅相もございません! 決してそういうわけではありませんが……」
ロスコーは自分が煮え切らない態度を取っていることを悟る。というのも、とある事情からレイの案が最善ではない可能性があると考えていたのだ。決してレイを信頼していないからではない。
──そう。今でこそロスコーはレイを信頼しているが、最初は胡散臭いと思っていた。
それも無理はないだろう。ただでさえ無償で助けてくれること自体怪しいのに、その正体は血を求める吸血鬼ときている。信用など出来る筈がない。
しかも、レイは二度に渡って自分達を置いて消えた。聖城で別行動をとった時と、エストとの戦いに臨んだ際の二度も。
これが詳しい事情を話してくれた上での行動だったら理解を示せた可能性もあった。しかしながら、レイはあやふやな回答しか返してくれなかった。それなのに信用しろというのは無理な話である。
もちろん、助けて貰っただけで感謝するべきだろうし、レイに頼り切りになるなど間違っているとは思う。しかし、そういった部分を見てしまった以上、ロスコーはレイを信用し切れなかった。
二者択一で自分達を選んでくれなければ、だが。
(聖都へオーベルング王国軍が攻めてきた際、あなたはすぐに戻ってきてくれましたね。ですが……ここへ転移した直後の様子を見るに、まだ目的の途中だったのでしょう)
そしてその目的が何なのか、今のロスコーには分かる。
(蘇生に関連するものが、聖城にはあったのでしょうね)
それはレイにとって、何よりも大切なことだろう。
だがそれでも尚、レイは自分達を助けるため即座に戻ってきてくれたのだ。口でどんな説明を受けるより、その行動一つの方がよほど信頼出来るというもの。
さらにはその後、頭を下げてまで自分達を頼ってくれたのだ。恩人にそこまでされてしまっては──。
(ふふっ……人の心を掴むのが上手な方だ)
「おい、どうしたんだロスコー。ボーッとして」
気付かぬ内に、レイが訝しげな視線をこちらに向けていた。ロスコーは姿勢を正して取り繕う。
「失礼しました。少し考え事をしておりまして」
さすがに恥ずかしくてそんな事情は伝えられない。強引に真面目な表情へ戻したロスコーは、話の続きをしようとしたものの、その直前でふとレイの胸が視界に入った。
(そういえば……)
レイが国を造りたいという話をした際、レイの胸は青く輝いた。そしてその光に包まれた瞬間、ロスコーは奇妙な体験をしたのだ。
(心──というより、魂が暖かくなったような……)
メルヘンチックなことを言っている自覚はある。
一般に、魂というものは存在しない。
神に仕える者は頑なに否定するものの、無神論者は大概がそう考える。
何故かというと、実際に魂を目にした者もいなければ、魂が何かしらの影響を及ぼしたという事例も確認されていないからだ。それに回復魔法の関係でも、魂の存在は否定されているらしい。戦士であるロスコーは詳しくは知らないが。
結論として、まともな感性を持っている者なら、魂などという不確かなものは存在しないと考えているわけだ。勿論、ロスコーもそう思っている内の一人である。
ただし、あの瞬間だけは魂が暖かくなったような気がしたのだ。その理由を問われてもロスコーには答えられない。突然信仰に目覚めたとでも言うのだろうか。
「ロスコー……。お前、本当に大丈夫か?」
本気で心配そうにしているレイの声が耳に入り、ロスコーは我に返る。
「あ、え、ええ。だ、大丈夫です。申し訳ありません」
「いや、別にいいんだが……。なにか話したかったんじゃないのか?」
「そうでしたね……」
話の続きはする。しかしながらその前に、ロスコーはこの謎の現象について報告するべきだと直感した。
「重ね重ね申し訳ありません。移動の話とはまるで関係ないのですが……」
ロスコーは伝える。
「あの時の青い輝き。覚えておられますか?」
「ああ、覚えてるぞ。……すまないな、感情が高ぶったからか無意識に発現してしまったみたいだ」
「私達に何か被害があったわけではないので、それは構わないのですが……。それでですね。その時、なにかこう……魂が暖かくなったような気がしたのです」
「なんだと!!」
唐突に、レイがロスコーの肩をがっちりと掴んできた。
「それは本当か!? ロスコー!」
その急激な変貌を受け、ロスコーは身体をのけ反らせる。
「え、ええ。私以外の皆も同じことを言っていたので、おそらく間違いないと思います」
ロスコーは冷や汗を流しつつも答えると、レイがぶつぶつと一人で呟き出した。
「暖かく? そんなこと二人以外では……。でも俺から感じれるんだから、やっぱり相手からのも間違いないのか? いや、そうじゃないと、もうどうすればい──」
何を言っているのかさっぱり分からない。自分の中で噛み砕いているのだろうが、そんなものはこちらには伝わらないのだ。
ロスコーがかなり引き気味にテンションの上がったレイを眺める、という謎の時間がしばらくの間続いた後、ようやく気が済んだのか自らの王たる人物は礼を述べた。
「ありがとう、ロスコー。おかげで確信した。貴重な、本当に貴重な情報だ」
「いえ、お役に立てたのなら良かったです。しかし……魂などと表現をしたのは間違いでしたね。心、もしくは精神と言うべきでした」
ロスコーが非現実的だと考え、訂正した発言はしかし、即座にレイに否定される。
「違うぞ、ロスコー。魂は実在する」
「は?」
「あの青い光は、俺の魂だ」
「はあ?」
何を言っているんだと、ロスコーは思わずバカを見るような目でレイに視線を注ぐ。
「正確には魂じゃないかもしれないんだが……。まあ、どちらにしてもその話は落ち着いてからにしよう。ひとまずは体制を整えた方がいい」
「え……。そんな中途半端に話を切られてしまうと、逆に気になって仕方なくなるのですが……」
「でも、何か話があるんだろ?」
「それはそうですが……」
「大丈夫だって。魂……蘇生に関してはそんなにすぐに実現出来る筈ないし、ここから移動した後にゆっくり話そう」
勿体ぶられたようでモヤモヤするが、確かに今はするべきことが他にある。
ロスコーは好奇心を押し殺して了承する。ただし、しっかりと釘を差しておく事は忘れない。
「分かりました。ですが、後ほどお話して下さいね」
「ああ、勿論だ。約束する」
その言葉を受け、ロスコーは胸につかえたモヤつきを飲み込んだ。