第2話 全て
小さくも確かな建国宣言を経たレイ達一行。
彼らは未だ、森の地下に作った拠点に隠れていた。既にこの森は、オーベルング王国の領土へと塗り替えられたにもかかわらず。
そんないつ見つかっても不思議ではない状況の中、エリヤは自室でレイと話をしていた。
「そう……死んじゃったか……」
エリヤは天井を見上げると、その先に何かがあるかのようにポツリと呟く。
「命より大切なものなんて……」
「エリヤ、それは違う。俺達にとって──」
「分かってるわよ」
みなまで言うなとエリヤはレイを制止する。
「譲れないことなんでしょ。私にはさっぱり分からないけれど」
その言葉に対してレイから返事はなく、また頷かれることもなかった。ただ、こちらを真っ直ぐに見つめてくるだけだ。
エリヤには、レイがそうした理由が何となく分かった。だから独り言のようにごちる。
「はあーーーあ。でもあいつのことだし。多分……満足げに逝ったんでしょうね」
決して強がりなどではない。確かにエリヤの頭の中では、やりきったような顔つきをしたエストの姿が浮かんでいた。
ぱん、とエリヤは頬を叩いて前を向く。
「うん。忘れられないけれど、今は切り替えるしかないわね。……それで? 何か話しがあるんでしょ、レイ」
「ああ。正式に仲間になって欲しいんだ」
途端、エリヤはレイに寂しげな視線を送る。
「私はもうとっくに仲間だと思ってたのに……」
「うっ……! そ、そうだよな……すまん……」
「ちょっと、そんなに真面目に捉えないでよ。私が悪者みたいじゃない。冗談よ、冗談。まあ私達って、旅の道連れみたいな感じだったものね」
エリヤは在りし日の記憶を思い出す。三人で旅した、過去の思い出を。
エストの国の遥か北西に位置する、オムボス大砂漠。
数度呼吸するだけで体内の水分が根こそぎ乾燥してしまうその砂漠地帯は、酸素を必要とする生物が生きるのは難しい環境だ。
その中央よりやや西の地には、12年周期で、夜中の一時間だけ姿を現すカラクリ仕掛けの廃城がある。
城を守護するのは、岩石の外骨格で身を包む巨人型モンスター。新発見の種であり、エリヤは自分達で名前を付けようと提案したが、レイが恥ずかしいから止めろと言い出した。
そしてそんなやり取りを完全に無視してエストは一人で突っ込む。
ならばその隙にと、エリヤはレイと二人で城内の宝物庫にコソ泥しにいく。古びたガラスケースから見つけたのは、聖剣を作成するための素材の一部である、エレクトラム。互いに親指を立て、律儀にエレクトラムの代金を置いていこうとするレイの頭をエリヤはひっぱたき、そそくさとエストの元に戻ってみれば、岩山と見紛うほど巨人型モンスターの死体が積み重なっていた。
三人で巡った数々の冒険。その全てが昨日のことのように思い出せたエリヤは、にこやかに笑う。それから別の思い出を口にする。
「ふふっ、懐かしいわね。レイは覚えてる? ノボグ茸のこと」
「当然だ! 忘れられる筈がないだろ! ノボグ茸は超希少だって聞いてたから、俺がナイフで根元を切って採ろうとしたのに、エストの奴が横から引き抜きやがったんだ!」
「そうそう! 根っこが残ってればまた採取出来るのに、あんた何してんのよ! って私が怒鳴ったら──」
「地面からズルズル……って何個もキノコが連なって出てきて……。それに驚いた俺達が固まってたら、『貴様らはものを知らんのだな』だもんな」
「あの時のしたり顔。ほんっと、思い出しただけで腹立つ! というかあいつ、本当は知らなかったんだと思うわ! あれはきっと偶然よ! 偶然!」
エリヤは地団駄を踏み、湧き上がった感情を発散させる。何故かは分からないが、エストのやる無茶は大概が上手くいくのだ。
ただ、今になって思い返せば、その無茶を自分達は楽しんでいたのかもしれない。
きっと、何も起こらないことが嫌で、何かが起きてくれることを期待していたのだ。
「――――」
エリヤの怒りは急速に収まっていき、落ち着いてきた頃、口を閉じる。
再び静寂が訪れた。
「…………」
「…………」
しばしの後、これ以上黙るのは良くないとエリヤは思った。まるで自分がレイを責めているような感じだ、と。
無論、二人がとことん納得するための戦いだったという事は理解しているし、エリヤもそれが悪いとは思っていない。そしてそんなエリヤの思いをレイも分かっているだろう。しかし、それでもだ。
「うん……仕方ないわね! いいわよ、仲間になってあげる。私がいないとこれから大変でしょ?」
「ああ。ありがとう、エリヤ。──よろしく頼む」
後悔などない。そう言わんばかりにレイが力強く手を差し出してきた。
(……こういう人だから、私はあなたについて行きたいと思ったのかもしれないわね)
エリヤは自らの全身を包む炎を引っ込める。それからしっかりとレイの手を握った。
「よし。じゃあ、他になにか話しておきたいことは無いか? ないなら、俺は自分の部屋に戻る。色々考えたいことがあるからな」
エリヤは思考を巡らせる。ふと一つだけ思いついた。
「王妃は私よね? まさかとは思うけれど、他の国からもらってきます、なんてふざけたこと言わないでよ?」
「……その辺は課題だな。今は他に考えることが山ほどあるから、そこまで行き届かない」
歯切れの悪い様子のレイに、エリヤは助言をする。
「レイ、これは大事なことよ? 私の個人的な感情は置いといても、国の未来に関わることなんだから」
「分かってる」
「いや、分かってないわよ。他に考える事って言うけれど、実際のところ何をどれくらい決めてるの? あの子達の食糧とか仕事とかは? ……あ、ちょっと待って。領土は? どこに国なんて造るって言うのよ。ひょっとして、この国を乗っ取るつもりじゃないでしょうね?」
「いいや、そんなことはしない。ちゃんとアテがある。第一、何でもかんでも武力で解決してたら敵を作り過ぎるだろ。建国したての弱者国家なんか袋叩きにされるぞ」
「あら、そう? それは良かった。じゃあ、後は……種族とかはどうするの? ハーフリングと獣人だけ?」
「全てだな」
きっぱりと断言され、エリヤは己の耳を疑う。
「え? 何て?」
「国民は全種族だと言ったんだ」
レイが正気なのかを疑ったエリヤはもう一度聞き返す。
「……全部ってまさか人間も?」
「そうだ」
「はあ!? そんなの無理よ! あの子達は人間に奴隷にされていたのよ!? 殺された仲間も沢山いるはずだわ!」
「分かってる。それでもやるんだ」
「どうやって!?」
そんなことは絶対に不可能だ。あまりの驚きの為に、エリヤは口が滑る。
「そもそも、あなたが人間じゃなかったから、あの子達は──」
慌てて口を閉じる。
──迂闊だった。
かつてのレイは普通の人間。であれば、元に戻りたいと考えているだろう。
「別に、気にしなくていいぞ」
「……え?」
あっさりとしたレイの返答に流されてしまい、思わずエリヤは問い返す。
「ど、どうして?」
「人間のままだったら、俺はとっくに寿命で死んでるからな。蘇生の研究は続けられなかった。だから……いや、むしろ俺はこの身体に感謝してるんだ」
レイは己の胸を軽く叩く。
「まあ、あれだ。俺は散々恩恵を受けてるからな。文句を言うのは筋違いってやつだ」
レイは軽口を叩くと、照れ臭そうに笑った。
エリヤは自分の認識が凝り固まっていたのだと思い知らされる。レイは人間から化物になってしまった、そんな風に考えていたのだ。
「ごめんなさい。私が間違っていたわ」
エリヤは自身の過失を認めて謝罪する。とはいえ、それでは結局のところ、根本的な問題は何も解決していないのだ。
「……でも、レイ。あの子達と人間との間に出来た溝は、それとはまた別の問題よ? 一体どうするつもりなの?」
「そうだな。あれだけの溝を完全に埋める方法は俺にも分からない。だから劇的な改善策も無いな」
「だったら!」
「だがっ──!!」
レイの大声にエリヤの身体がびくりと震え、続く言葉が出なくなる。
レイが特定の個人に向けて怒鳴ることは滅多にない。それだけに少し怖くなったエリヤは、恐る恐るレイの様子を窺う。
「……すまない、声が大きかった。だけど、エリヤ。諦めてしまったら、それは絶対に叶わないんだ」
こちらを見つめながら、レイは静かな声で告げる。
「俺は、俺が死ぬまで諦めない」
「――――」
エリヤの胸に火が灯った。全身の中、その一点のみに。
レイが言っていることは、あまりにも荒唐無稽で、笑ってしまうようなもので、人によっては憤懣すら抱きかねないもので。知識もなく、現実も知らないお姫さまが口にする、夢物語と何一つ変わらない。エリヤはそれを理解している。
なのに──。
それなのに、どうしてこんなにも手を伸ばしたくなるのだろうか。
「…………あーーもうっ!」
(結局、力押しじゃないのよ!)
ただし、一理ある。そしてそれは、永遠を生きるレイだからこそ出てくる発想なのだろう。加えてもう一つ。
(劇的な、か……)
レイはそこを強調するように言っていた。であれば、全くの無策ではないだろう事にエリヤは気付いた。
(ほんっと、振り回されっ放しじゃない!)
手玉にとられたようで、何となくムカついたエリヤはやり返す。
「ふん! エストに教えてもらうまで、あんなにヘコんでた癖に」
瞬間──。
「ハッハッハ!!!」
突然、レイが大声で笑った。先ほどとは別の意味でエリヤはビクつく。
胸を張ったその笑い方。それはどこかで聞いた事があるようなものだ。
「全くもってエリヤの言う通りだな。こんな馬鹿げたことをやろうと思えるのも、皆のお陰だ。俺は周りに恵まれてる」
「…………」
「勿論、エリヤにも感謝してるぞ。いつもありがとうな」
「……もう、分かったわよ。詳しいことはまた後でいいから。ほら、早く」
シッシッとエリヤは手を振ってレイを部屋から追い出す。
「ほんとだからな」
そう最後に言い残すと、扉が閉められた。
◆
レイが去ったことを横目で確認し、胸から炎を引っ込めたエリヤは、ふわりと風に吹かれる木の葉のようにベッドへと飛び込む。
ボスッ、と美しい肢体が柔らかなベッドに受け止められると、エリヤは糸が切れた人形のように顔を枕へうずめる。
そして──。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーー」
声が部屋の外へと漏れないように注意しながら呻く。そのまま掛け布団を胸に抱くと、両足で挟み込んで転がる。
「もう!」
不満げにごろごろ転がる。
「人たらしめ!」
叫びつつ、器用にもベッドから落ちないように転がる。
「なんなの!?」
エリヤは溜まった感情を吐き出す。
「言ってることはデタラメなのに! こっちが恥ずかしくなるようなこと言ってるのに! ていうか普通、人の目を見てあんな大真面目にありがとう、なんて言う!?」
エリヤは気恥ずかしさを覚えていた。礼儀として挨拶や感謝、謝罪などは重要であり基本だ。出来て当たり前のことだろう。人間に関する知識に偏りがあるエリヤでも、それは受け入れられる。
しかしながら、先のレイのものはそういったマナー的な意味合いではなく、本心から告げているに違いない。エリヤにはそれが十分に伝わっているからこそ、その心は羞恥に苛まれていたのだ。
「やっぱり結果かしら!? なんだかんだ結果を残してるからかしら! うん、そうよ! そうじゃなきゃただの頭のおかしい化物なんだから! 好きになんてならないわ!」
誤魔化すように言葉にしながらも、本当はどこに惹かれたのかエリヤは悟っていた。パタリと動きを止めると天井を眺めながら呟く。
「……弱いところを認めて、他人にさらけ出せる」
それこそが、レイ自身が元々持っている、最も人を惹き付ける長所だろう。
──素直になれる。
それは一つの才能だと、エリヤは思っていた。しかし同時に、その長所は王らしくないな、とも思っていた。
「エストもそうだったけれど、レイもそうね」
自分勝手なエスト。
みんなに助けを求めるレイ。
「名君とは、かけ離れてるわね」
言葉とは裏腹に、エリヤの声は喜色に染まっていた。
「──さて! これから大変よ、私!」
エリヤは久方ぶりに気合いを入れると、勢い良く立ち上がる。
空気を読んでくれたのか、誰も部屋には入ってこなかった。