第14話 王
レイは拠点の自室に居た。雄叫びを上げ、枯れることの無い声を枯れさせたように、空っぽになって。
何も考えることが出来ず、ただただ俯き座っていると、ノックもなく無遠慮に扉が開かれた。レイは鈍重な動きでそちらに顔を向ける。
「エストか……。すまない……今は一人にしてくれないか?」
入ってきたのはエストだった。
レイはすぐに目を逸らす。
今は誰とも会いたくなかったのだ。姿見に映った自分の顔が、見るに堪えないほど無様だったから。
「陰気な面だな」
冷たく言い放ちながら、エストは扉に背中を預けて腕を組む。
「その顔を殴り潰し、再生させて元に戻るのであれば、とうにそうしているところだ」
言い返せない。その気力すら湧いてこない。レイが黙ったままでいると、エストが丸テーブルの上に放置された記録書を見下ろしながら呟いた。
「そいつは偽物だったわけか」
「……いや、本物だったよ」
エストの眉が疑問の感情を表す。レイは簡潔に補足した。
「中に記されていたのは、俺が知っている事ばかりだったけどな……」
全てのページを一言一句見逃さないように丁寧に読んだ。人体の保存の要不要、魂の実在の証明、その他諸々。
記載されていた情報は正しかった。しかし期待していたものではなかった。
「解せんな。記録書が一つとは限らないのだから、真髄に迫るようなものがあの宝物庫に隠されているなり、天子が何某かに託すなりしていても不思議ではなかろう?」
「……かもな」
レイは気返事をする。確かに、もしかするとエストの考えは正しいのかもしれない。しかしながら、レイは蘇生に必要なのは天子の存在であると決定付けていた。
そうでなければ空の神が天子を浚った説明がつかないから。
「まあ、終わった事をだらだらと話していても仕方なかろう。所詮は皮算用だったのだ。特段の確証もなく、貴様が勝手に期待していただけなのだからな」
僅かにレイの内で黒い炎が灯る。八つ当たり気味な感情が未だ自分に湧き上がるのか、そう驚いていると、エストが扉に預けていた身を起こした。
その姿に普段とは少し異なる雰囲気を感じ取り、レイは心の奥底で燻る感情を鎮火させる。
エストが重低音の鳴る喉を震わせた。
「ゆえに教えてやろう。確たる手を」
「……確たる手?」
エストは手を持ち上げる。それからまるで何かを掌中に収めるように、ゆっくりと拳を握った。
「王になれば、全てが手に入るぞ」
「──え?」
その発言は、あまりにも突拍子もないことだった。
「貴様が王になるのだ」
「は?」
「生き返らせたい者がいるのだろう?」
「あ、ああ」
困惑しているレイとは正反対に、エストは支配者然とした態度で告げる。
「ならば王になれ。そうすれば、貴様は一人ではない」
いいか、とエストは自らの経験を語る。
「一人ではなく、皆でやるのだ」
瞬間、レイの全身へ雷が落ちたようだった。頭の天辺から足の先まで。何度も、何度も。
「皆でやれば情報どころではない。研究そのものが圧倒的な速度で進む」
エストの言葉が、レイの脳髄に深く染み込んでいく。
「そう……。そう、だよな……」
何故、こんな簡単なことに今まで気付かなかったのか。
エストの言う通りだ。一人ではダメなのだ。ならば、頼ればいいではないか。
霞がかっていたレイの頭の中が一気に晴れた。
だが、だからこそ思い至る。
「巻き込んでもいいのだろうか? 俺の我が儘に」
レイの気掛かりに対し、エストが断言する。
「いいに決まっている。王なのだぞ? 己が意思を押し通さずして、何が王か」
それはエストの感覚だ。王になった経験のないレイには、国を巻き込んだ我が儘など許されないように思えた。
しかし同時に、レイは大切なことに気付く。
メルーシャ達のように、理由なく虐げられている者達を助けられるのではないか、と。
その場しのぎの援助などではなく、正当な手順を踏めるのだ。それは、この上ない方法では無いだろうか。
「…………」
レイは自らの両足で立ち上がると、エストと正対する。
「エスト、ありがとう」
「ふん。ウジウジしている貴様など気持ち悪いからな」
エストの軽口に、それでもレイは深く頭を下げる。
「本当に、感謝している」
今度は茶化さなかった。
「受け取ろう」
エストが応えてから、レイは頭を上げた。
これから先は、途方もない道のりになるだろう。いや、馬鹿げていると言ってもいい。国家に必要な要素を何一つ持っていない状態から、国を造ろうというのだから。まだ何処かの国の王位を簒奪する方が現実的かもしれない。
しかしだからといって、レイはそれが絶対に不可能な事だとは思わなかった。初めは、誰もが同じなのだから。
「──レイ」
呼ばれたレイはエストに顔を向ける。
「決着をつけよう」
「…………」
それは、今このタイミングだからこそなのだろう。そして、エストがどんな男なのかレイは知っている。
もしもレイが敗れ去り、死んだとしても、メルーシャ達の面倒は見てくれるに違いない。であれば憂いは一片たりとも無い。
「ああ。やろう」
「場所はかつての俺の国だ。あそこならば邪魔は入らんからな」
確かに大規模な戦闘を行うには最適な環境だ。以前エストに連れていったもらった事があるのでレイには分かる。しかしながら、わざわざそんな遠くに行かなくとも余人の介在しない地はある筈。そう疑問に思っていると、エストが一瞬だけ目線を扉へと移した。その先にいるのはメルーシャ達だ。
「転移の水晶をエリヤに渡すのを忘れるな。俺は面倒なことはせんぞ」
「それは……。いや、そうだな」
エストが言外に含ませた意思をレイは悟る。
彼は戦闘後に起こり得る憂いを消そうとしているのだ。メルーシャ達に発生する問題を。あるいはレイが百パーセント殺し合いに集中出来るように、という意図もあるのかもしれない。
「俺が差し出す物は転移の水晶だけでいいのか?」
「構わん。俺が欲しいのは勝利だけだ」
レイは伏し目がちに笑う。
「だろうな」
「うむ。理解したようだな。では、先に行け」
それは魔法使いに対してあり得ない提案だ。
「舐めているのか?」
レイは眦をつり上げるが、対するエストは真剣だった。
「逆だ。逆だぞ、レイ。全てを出し尽くした貴様に勝つからこそ、意味があるのだ。言い訳の余地など欠片も与えん」
エストは鋭く牙を剥く。それから全身に力を迸らせる。
「いいか。最高の力でかかってこい」
エストの真っ直ぐな眼差しにレイは射抜かれる。
待ち望んでいる目だ。圧倒的な自信を感じさせる、燃えるような瞳。
「……そうか、分かった」
レイは歩き出す。エストの故郷へ向けて。
「待っているぞ、エスト」
どちらかが死ぬだろう。だが、死ぬ気など毛頭無い。
「俺は……」
最強の男を倒し、そして前へ進む。
レイは、青く輝く胸を握り締めた。
■
「懐かしいな」
エストは故郷へと帰ってきていた。自らが造り、そして王だった国だ。
「全く……みすぼらしくなったものだな」
帰ってきた王都は退廃していた。
多くの建物は老朽化によって半壊し、手入れされていない石畳の隙間からは雑草が生い茂っている。エストが君臨していた最盛期の頃とは比べようもない。非常に惨めな姿だ。
とはいえ、そうなるのも致し方ないだろう。エストの国は民が消えていく呪われた地として、誰も立ち入らないゴーストタウンへと変貌していた為だ。
ただし、そんな中でも王城だけはかつての威容を失っていなかった。だからだろう、エストは自然と玉座の間まで足を運んでいた。
そこは広く、高く、そして荘厳な部屋──。
壁、床、天井などの内装の基調は白であり、仄かに青みがかっている。その為にまるで玉座の間だけが別世界のような、絵画の中に迷い込んだような幻想的な光景が広がっていた。
天井を支える柱は豪奢なもの。中でも玉座の手前にある階段の左右の柱は一際巨大だった。
窓に嵌め込まれたガラスは透明度が高く、澄んだ日光が差し込んでくる。
最奥の壁には、エストの国の国旗の模様が施された巨大なステンドグラスが燦々と輝いていた。
しかしながら、最も目を奪われるのはそれらではない。
玉座を囲むように据えられている、異様な存在感を放つ物。寝そべった形のそれは、頭を拝謁者の方へと向けている。尻尾と翼は邪魔にならないよう、折りたたまれていた。そしてその体を覆う鱗の輝きは、鏡として利用出来るほど。
そう、竜の剥製である。
レイを除いて三番目に強かった敵を調度品として採用した。
これは余談だが、一番は勿体ないと感じたので逃がした。強敵だったので再び戦いたいと思ったのもあるし、二番とは違って最後まで立ち向かってきた為に、エストは余計に彼女を気に入ったのだ。
そして言及するまでもないだろうが、二番は消し炭にしておいた。恐怖から敵前逃亡するような愚か者には相応しい末路である。
エストは再び剥製を注視する。
今にも動き出しそうな迫力だ。長年放置されていたにもかかわらず、腐敗の兆しすら見えない。
「奴の腕は確かだったということか」
なぜ王都の家屋などとは異なり、王城やその内部の物は経年劣化していないのか。それは空間系の強大な《ルーツ》を操るドワーフが、たった一人で王城に関連するほぼ全てのものを造ったからである。
「奴に子はいたのだったか? 忘れたな……。しかし、どうにせよ作らせておくんだったな。惜しい事をしたものだ」
民は国から出ていった。しかしながら数人ではあるものの、残った者もいたのだ。ドワーフはその中の一人である。
『儂がこだわり抜いて作り上げた城を捨てるなぞあり得んよ。陛下、儂は死ぬまでここに残る』
──と言って、本当にこの王城で寿命を全うした頑固者だ。
なかなか根性のある男だったが、そのドワーフの墓参りはしていない。久方ぶりの帰還だろうと関係ない。王が下々の者のために労する事などあり得ないのだ。
そう。エストは墓参りをしていない。
それは即ち、ドワーフは墓に埋葬されているという事だ。
それを誰がやったのか──。
エストは決して認めないだろうが、彼は意外にも自分を慕う者には相応の態度を示すタイプの吸血鬼だった。
エストは剥製から視線を動かす。
そして──自らが最後に座った玉座を眺める。
一言で表すなら、巨大な黒い玉座、と言ったところだろうか。ただしそれは、吸い込まれるような黒さではなく、輝くような黒さだ。
座面と背もたれは、赤い竜皮をなめした革をあしらっている。そこに座る王がどれほど強大な存在か、語らずとも即座に理解出来るだろう。
本当は金のみを使用して作らせたかったのだが、そうすると自らの黄金の鎧が映えなくなると先のドワーフに諌められた為に、黒曜石と古竜の皮を選んだ。
「…………」
主の帰還を待っているような気がした。
無論、玉座に意思などある筈ないのだが。
エストは静かに、玉座の手前にある階段を上る。
短い階段だ。すぐにエストの足は止まる。
エストは視線を伏せ、玉座を下から順に見つめていく。やがて頂点まで達し、その出来映えに満足すると、ゆっくりと腰かけた。
「ふむ……。悪くない」
王としての執務などは鬱陶しかったが、玉座に座す、という行為は何故だか力が溢れ、好きだった。
「やはりこれ程の逸品は使ってこそ、か……。また始めるのも良いかもしれんな。探すのとて、同時にやればいいのだ」
エストはポツリと呟く。
結局、国が滅びた原因を探すという目的を放って、レイを倒すことばかり考えていた。
だがそれも今日までだ。エストは考える。どうすれば勝てるのかを。
彼我の性能差は歴然。こちらが圧倒的に優位だ。
「レイの鍛え方は歪だからな」
レイは魔法使いであるにもかかわらず、肉体をそこそこ鍛え、神官や祭司の領分である回復魔法を僅かに習熟している。
つまりは、全てが中途半端なのだ。
対して、エストは全てを完璧なバランスで鍛えている。これだけでも有利だが、自分はレイよりも先に魔力を使い果たしても問題ない。
《赤の渇望》があるのだから。
さらに付け加えるならば、こちらには一手で魔法を発動させながら剣を振るうという技術すらある。
これほど有利な条件が揃っている以上、普通に考えれば負けることはない。それはレイがどれだけ仕込みの魔法陣を準備しようと変わらない。
魔力とは無限ではないのだ。結局は最大魔力の中からやり繰りする必要がある。
しかしながら、いくら勝算が高くてもエストは決して油断しない。
エストはとっくに知っているからだ。性能の差に頼っているようでは、必勝など望めないことを。
「ハッハッハ。──面白い」
レイとの戦いにおいては、強者側である筈の自分が王者ではなくなる。
自分こそが、玉座に座す、挑戦者となるのだ。
「挑むからこそ、沸き立つ」
エストは玉座の腰掛けを握り締め、再び考えに耽る。
考え、考え、考え。
──遂に、約束の時が来た。
エストは立ち上がり、振り返ることなく前進した。
◆
約束の時間、約束の場所へとエストは歩みを進める。レイが指定したのは、エストの国の中にある樹海だった。
幾つか大樹と呼べるようなものもある広大な森だ。
しかしながら、大自然なのにもかかわらず動物の気配がしない。その中でも微かに察知出来たのは、遠方から竜が上げるような咆哮が聞こえてきた位のものだ。
恐らくは野生の勘が感じ取ったのだろう。
これから始まる、世界最高の戦いを。
「クハハッ。レイの奴め、確かに森ならば魔法陣を死角へと隠しやすいな」
その言葉とは裏腹に、エストは喜んでいた。ここを戦場に選んだということは、本気で殺しにきているという証明だから。
エストは歩きながら本来採用するつもりだった計画を別のものへと変更する。この程度のことは予測済みだ。今のエストに対処出来ない筈がない。
それから暫くの間、立ち止まることなく足を進めていく。
やがて、森の開けた場所への切れ目が見えてきた。
身体が熱い。
血が滾る。
しかし──頭は晴れ晴れしている。
エストはレイへ向け、一歩踏み出した。
「さあ──ッ!!!」
レイの背後に、"10"個の魔法陣が現れていた。