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第11話 望み

 返り血すら浴びず、黄金の鎧を一層輝かせたエストが正面玄関から出てきた。城を背景にしているからか、その姿はいつにも増して厳然としており、何者も寄せ付けない。


「エスト!」


 レイは手を振って自らの存在をアピールする。

 その声に反応し、エストが一直線に歩いてくる。

 途中にいる、両膝をついた兵士達のことなどお構い無しだ。無人の野のごとく進む。

 分厚い足が踏み出される度、対峙する兵士達は全身を震わせた。

 当然だ。待っているだけでは死ぬだけなのだから。

 どうすれば助かるのか。それを死に物狂いで模索したのだろう、彼らは彼らなりの結論を下す。


 潮が引くように、人だかりが割れた。


 合流が目的なら自分達が退けば助かる。化け物を眼前にして、そんな都合の良い祈りを彼らは捧げたのだ。しかし、それでも恐れだけは消えなかったらしい。兵士達の身体の震えは一切収まっていない。

 レイの目が釘付けになる中、互いの距離が縮まる。

 人間の呼吸の乱れは大きくなる。

 仲間がどのようにして殺されたか、彼らはもう嫌というほど見せつけられている。


 最初は、先頭にいる男だった。


「ど、どうか! どうか、お慈悲を!」


 それは悲痛な叫びだった。

 先程までは黙って祈るだけだったにもかかわらず口を開いたのは、追い詰められたがゆえだろう。数多の他種族の首にかけてきたギロチンに、今度は自分がかけられていると悟ったのだ。

 しかし、それでエストの歩みが止まるだろうか。いや止まらない。止まる筈がない。

 だからその人間の震えは大きくなる。

 もう一度同じ言葉を繰り返し、まるで効果が無いことを理解して嗚咽が漏れる。


 そして──エストは先頭の人間の前を通り過ぎた。


 口をぽかんと開き、一瞬だけ呆けると、男は顔から地面に突っ込む。

 上がったのは歓喜の絶叫だ。


「ありがとうございます!! ありがとうございます!!」


 張り上げた声が響き渡ると、後続達も我先にと恩情を願い、そしてエストが通り過ぎる度に、その背にこれ以上のない感謝を捧げる。

 中にはエストを讃える雄叫びもあった。

 無数の人間の声は大きなうねりを上げ、やがて一つとなる。それはさながら聖歌を彷彿とさせた。


 信仰の対象が神からエストへと改まった瞬間だ。


 そんな狂喜の宴が繰り広げられる中、普段通りの様子で進んできたエストは、レイの眼前まで辿り着くと、やはり普段通りの様子で口を開いた。


「どうやら無事だったようだな、レイ」

「あ……ああ、何とかな」

「それで──ん? あの娘はどうしたのだ?」


 エストが首を振ってメルーシャの姿を探す。

 背後の狂騒など存在していないかのように話を進めるエストだが、レイとしては無意味に兵士達を殺さずに済んだので、特別何かを言う気はない。

 それに国によっては王が道を通る際、民は端の方に避け、頭を下げるという礼儀が存在すると、かなり昔に聞いたことがあった。ならばそういうことなんだと思い込んだ方が、精神衛生上、良い結果を生むだろう。


「そこにいるよ」


 レイは親指で後ろを指し示す。

 メルーシャの姿を確認するためだろう、エストは城門をくぐり抜ける。そして目を細めた。


「おい、なぜ増えているのだ?」

「……お前の言いたいことは分かる。でも先に彼らを何とかしないと。それと、皆もう集まっていいぞ」


 外壁に張り付いているハーフリング達に声をかけると、レイは兵士達に歩み寄る。さほど距離が無い為にすぐに到着した。


「武器を捨てろ。両手を上げてうつ伏せになるんだ」


 騒がしかった声は即座に鎮静し、腰に差していた剣が一斉に放り投げられ、兵士達は大地と隣人になる。


「目を閉じておけ。そうすれば命までは奪わない。──理解してくれたようだな。では一つ質問だ。天子はどこに居る?」

「御座の間です!」


 あっさりと白状され、レイは肩透かしを食らったような思いになる。騙そうとしているのではと一瞬疑ってしまうが、別に彼らにそういった目論見は無いだろう。単純にエストが打ち込んだ楔が巨大だったのだ。

 当の本人としては、ただ真っ直ぐ歩いたという認識なのだろうが。

 レイは兵士達を少々気の毒に思いながら、口を開く。


「そうか……分かった。では今から約十分後、目を開けて真っ直ぐ走れ」


 最後にそう伝えると、レイは再びエストの元へ戻った。


「それで、エスト。彼女達の事だが──」

「構わん。言わなくとも見れば分かる。そして、俺には興味のないことだ」

「そうか。ただ……また頼みがあるんだ。彼女達を連れて城の地下へ向かってくれないか?」

「あ? どういうことだ?」


 要求してばかりで罪悪感のあったレイは、早口で捲し立てる。


「地下牢はあったか? もしあったなら、そこに捕らえられている人達を助けてやって欲しい。そしてその後は牢屋内で待機しておいてくれ。お前の力なら退路がない方が逆に全員を完璧に守れる。頼む、エスト」


 一息で言うと、思っていたより早くエストから答えが返ってきた。


「……まあ、よかろう。グダグダ話している方が面倒だ。さっさと終わらせてこい」

「ああ! 本当に何度も悪いな。助かるよ」


 これでメルーシャ達の心配をする必要は無くなった。いや、それどころか今この瞬間に、彼女達は世界で最も安全な位置に立ったと言っても過言ではない。

 憂いが消えたレイは、早速動き出そうとし──


「だが、俺も貴様に用がある」


 その声に、レイは不退転の決意を感じた。

 レイは顔を上げ、エストの目を見る。


「…………」

「…………」


 もはや余計な言葉は不要だろう。こうなる事は、あの時に分かっていたのだから。

 レイにとってエストの固い意思は、決して唐突なものではない。

 レイは思う。誇りとは、時に己の命を凌駕すると。

 それが合理性に欠けた愚かな判断であることは理解している。感情に流されず、広い視野を持って行動するのが賢さというものだ。

 しかし、矛盾しているようだが、レイは強く思う。


 知性ある者は、誇りなしには生きられない。


 レイはただ、一言だけ返す。


「分かった」





 ──明らかに雰囲気が変わった。

 レイ達の体が一回り以上も膨れ上がったような感覚を抱き、剣士は圧倒される。


(これは……いや、彼らは──)


 生物として最上位の存在。


 とてもではないが、話しかけられない。話しかければ、自分にこの圧力が向けられるのだ。

 生まれて初めての経験に、剣士は恐怖で身が竦む。

 しかしながら絶対に確認しなければならない事がある。早くしないと、レイと呼ばれた吸血鬼がどこかへ行ってしまう。

 もしそうなれば、残るのは黄金の鎧を纏った巨大な化物だ。


(じ、冗談じゃない……)


 明らかにエストという名の吸血鬼の方が恐ろしい。その形相に巨躯、圧迫感、全てが恐怖の対象だ。

 レイはまだ信用出来ても、エストは絶対に無理だ。

 つい先ほど興味本位で城門から覗き込んでしまった光景も、剣士の脳裏に焼き付いている。それは今だってそうだ。唯々諾々と命令に従い、一切身動ぎせずに伏せている人間達の姿は、近寄りがたい狂気を感じさせる。


 いや──と、剣士は思い直す。



 もしかすると、彼らは既に死んでいるのではないだろうか。



 恐怖で固まった剣士の体は、それ以上の巨大な恐怖によって突き動かされる。

 剣士は乱れる息をそのままに、悲鳴を上げるように喉から声を絞り出す。


「ま、待って下さい!」


 二つの視線が剣士を貫いた。

 びっしょりと背中に汗が滲む。衣服が張り付いて気持ち悪い。いや、この気持ち悪さはそれだけではない。胃からこみ上げてくるものすらあった。

 剣士は勇気を出したことを後悔した。なぜ、自分ばかりこんなに頑張っているのだ、と。

 しかしながらもはや後戻りは出来ない。いつまでも黙っているわけにはいかない。


「レ、レイ……殿はどちらへ行かれるのですか? それに、どうやってここから脱出するのでしょうか?」


 一度で全てを終わらせたかった為に、剣士は早口で問いかけた。

 怖かったのだ。


『脱出の必要はない。皆殺しにするからな──』


 などと言われることが。

 無論、殺された同胞を思えば人間への恨みは強い。殺意だってある。しかし、それを実行出来る力を持っていそうな存在に言われると、次は自分達の番ではないかという不安が生まれる。

 総毛立つような想像に剣士が身震いしていた時、レイがゆっくりと口を開いた。


「脱出──」


 心臓が跳ね上がる。


「──にはこいつを使う。これは転移するための媒介だ」


 言いながらレイが懐から水晶を取り出した。


(ま、紛らわしい事しないで下さいよ……。でも、そうですか。転移出来るのですか。なら良かった……)


 安堵した剣士は大きく息を吐き──。


「え!! 転移!? 転移と仰ったのですか!? そんな事が可能なのですか!?」


 剣士は仰天する。

 我ながら落ち着きがないとは思うが、次々に衝撃を与えてくるこの吸血鬼が悪いのだ。


「ああ、出来る。効果範囲とか諸々制限はあるけどな」


 断言したレイを、剣士は胡乱な目で見る。

 転移など物語の中の話である。ようは空想と同義だ。

 確かにこの吸血鬼ならばもしかすると、という思いもあったが、やはりそんな事が出来るとは考えられなかった。

 ──騙されているのではないだろうか。

 剣士の脳内にそんな考えがちらつく。

 そもそも、吸血鬼には吸血衝動という特性が存在する筈だ。非常に理性的な上、メルーシャや自分達を助けてくれた為に油断していたが、いつ襲われても不思議ではない。

 かといって、彼らを頼らずにこの場を切り抜けられるとも思えない。

 剣士はどうするべきか迷い、隣で佇んでいるメルーシャを横目で窺う。


「…………」


 この会話は聞こえている筈だ。

 にもかかわらず、メルーシャは何の反応も示していない。

 ならば──。


「そうですか……。申し訳ありません、出過ぎた真似でした」





 レイは剣士の謝罪を受け入れる。

 その疑問は当然のものだと思っていたから。


「気にしないでいい。急に転移と言われて納得出来る方が変だしな」


 そう告げると、剣士は深く頭を下げた。


「頭を上げてくれ。それから……俺の方だがやることがあるんだ。すぐに済ませるので待っていてくれ」


 もう少し詳しく話したいところだが、今は時間が惜しい。だからここですべき事は、一つだけ。

 それは、引き攣ったような顔つきをしている剣士の不安を取り除くことだ。

 レイは意図的に明るい声を発する。


「心配しなくても大丈夫だ。むしろ安心していい。君達を守ってくれるこの大男は、俺よりも強いからな」


 途端、剣士の表情が絶望の色に染め上がった。

 顔面からは血の気が引き、青を通り越して白くなる。


(な、なんだ? 急にどうしたんだ?)


 剣士の突然の変貌に、レイは混乱する。

 エストの方が強い、と言った瞬間、剣士の顔が絞め殺される寸前の鶏のようになったが、一体どうしてそんな変化をしたのだろうか。常識的に考えて、自分のことを身近で守ってくれる存在は強ければ強いほど良い筈だ。木造の家と要塞では安心感が違うように。

 ともあれ、剣士が何も言ってこないなら、こちらからも一々聞いたりはしない。

 レイは彼らの親ではないのだ。流石にそこまで面倒は見られない。


 レイは剣士から視線を切ると、メルーシャと正対する。自分の体の動きに合わせて剣士の視線が追ってきているのが分かったが、努めて無視する。それよりもメルーシャを落ち着かせる方が先決だ。

 レイは片膝をつくと、優しく話しかける。


「メルーシャ……でいいか?」

「…………っ」


 メルーシャはこくりと首を縦に振った。

 レイは微笑を浮かべ、安心させるようにゆっくり口を開く。


「すぐ戻る。そして、全員無事に帰す。約束だ」 


 全てを言い切った。

 すると、レイにとって思わぬ誤算が生じた。


「ありがとう……ございます」


 レイは破顔する。そして褒めるかのように、メルーシャの頭をくしゃくしゃに撫でた。

 もしかすると、安心したのはレイの方かもしれない。


 レイはエストへ向き直り、全幅の信頼を寄せる。


「エスト、任せるぞ」

「うむ、行ってこい」


 レイは片手を上げると、城へ向かって駆け出した。





 複数の足音が消えた数分後、王城玄関前。


 一人の兵士が土の上を這いずりながら移動していた。

 他の者はまだ動いていない。恐らくは多めに時間を数えるつもりなのだろう。

 しかし、その男は無駄な時間を待つつもりはなかった。むしろ足音が消えた後、すぐに動こうと思ったくらいだ。

 疲労によって重さを増した鎧が邪魔だったのか、少しでも身軽になるよう、男はヘルムを脱ぎ捨てる。

 露になったその正体は、兵士に扮した内務卿だ。


「恐ろしい不死の者め。ふっ……ふっ……!」


 内務卿は匍匐した状態のまま進む。慣れない行動の為に土が口の中に入るが、構わず城門の外へと向かう。


「私は生きる。生きて、生きて奴を滅ぼす。必ずだ」


 ここから逃れ、かの大国に辿り着いたその時こそ、化物どもは人間という種族の強さを思い知ることになるだろう。


「貴様の顔は覚えたぞ、吸血鬼!」


 土を噛み砕いて進み──一つの足音が聞こえてきた為に動きを止める。

 頭を伏せた兵士達に溶け込みながら僅かに前方を覗くと、城門の外から幽鬼のような男が歩いて来ていた。

 その男はふらついた足取りで内務卿の横を通り過ぎ、城へと入っていく。


「……まさか、本当に駆け付けるとはな」





 大王。そう臣下に呼称されるオーベルング王国の国王、フリードは、一人で聖都の市門をくぐり抜けようと歩いていた。

 臣下達の隙をついて離脱した為に、後で自らの右腕たる騎士に怒られるのは必定だ。どれだけ足掻いても逃れられない未来が大口を開けて待っている。まさにこの国が滅びるのと同じように。


「軍が到着する前に、ちゃちゃっと用だけ済ませておかねばの」


 フリードは聖城がある方角を見つめる。城は巨大であり、都市の中心に据えられている為に、ここからでもその姿が覗ける。ただし、それよりも大きく視界に広がるのは、騒がしさと静けさが同居した聖都の様子だ。


「これまた派手に暴れておるようじゃのう」


 吸血鬼が現れ、侵略戦争を仕掛けられているというのに、都市の外へ逃げる者は非常に少ない。単純にその事を知らないのか、それとも国が何とかしてくれると信じているのか、そうでなければ稼ぎが少ない民では他所に行っても生活出来ないからか。


「まあ、そう悪いようにはせん」


 これまでも幾度となく見てきた光景に対して呟いたその時、一人の男が向かい側から走ってきた。いや、走っているというのは些か逸れた解釈だろう。何故ならその男は、素振りだけは走る形になっているにもかかわらず、殆ど歩くのと変わらない速度で進んでいる為だ。


「ひっ、ひっ、ひっ」

「ちょいと、そこのお主。大丈夫かの。えらい慌てておるようじゃが」


 近付いてきた男へ、フリードはあたかも心の底から憂いているような演技をする。実際にはその身なりから下品さを嗅ぎ取り、冷めた感情を瞳の裏に隠していたのだが。


「た、たすっか、たすげっ……!」

「それは条件次第じゃの。儂は傭兵なのでな」


 乱れた呼吸の為に聞き取りづらい答えが返ってくる。


「ど、どんなほのでも、あたえるのだよっ。わたしは、れりおんきょうこくの、すうききょうだっ! だから、たすけるのだ!」

「ほう。レリオン教国の枢機卿とな。これまた何でそんなお偉いさんがこんなところへ」

「なんでもよい! わたしを、教国まで護衛せよ! 褒美は出す!」


 少しずつ息が整ってきた枢機卿なる人物は、汗を拭いながら喚く。


「馬車を持て! これで都市から買ってくるのだよ!」


 何かが彼方へ放り投げられる。

 どれだけコントロールが悪いんだと呆れながら、フリードは軽くジャンプしてそれを掴むと、しげしげと眺める。


「指輪じゃったか」

「いかにも。その指輪には我が国が独占している宝石があしらわれている。貴様のように、老いぼれになっても傭兵として働かなくてはならない者にはその価値は分かるまい。しかし! その指輪一つに、城を購入出来るだけの額が込められているのだよ! そして国に帰れば同じ物がある。分かったなら、さっさと走りたまえ!」

「ふむ……。なるほどの。了解じゃ。契約を結ぼう。さしあたっては、お主の姓名を教えてくれんか。それが無くては信用出来るものも出来んからの」

「ちいっ! カロン・レノン・トロントである! さあ、行くのだよ!」

「おお、かの中央枢機卿であるトロント殿じゃったか。これはとんだ失礼をしたの」


 フリードの下手に出た態度を受け、カロンは我を取り戻したように叫ぶ。


「そう、そうだ……。そうだ! 私は中央枢機卿たるぞ! それをあの愚か者どもは分かっていないのだ!」

「うむうむ。そうじゃの。お主の噂はよく聞いておるよ」


 カロンが何を言っているのかさっぱり理解出来ないが、フリードは話を合わせる。

 いや──違う。

 話を終わらせにかかっていたのだ。

 只管に不快な為に。


「何でも、人間以外の種を弄ぶのが趣味じゃとか」

「……それがどうしたのかね。貴様のような耄碌した者に咎められる謂れはないぞ」


 フリードは微笑むと、裏に隠していた冷たい感情を表にする。


「いやいや、実はの。儂らの国では亜人類などにも人権が保証されておるのじゃよ。儂自ら手塩をかけて訓練してやったリーザ──巨人なんかも、今では将官として立派に勤めておる」


 カロンの動きが固まった。フリードは一歩カロンへ近づく。


「お主のような者に会った時には、いつも最後に聞いておく質問があるのじゃが……何故そんな事をする?」


 フリードが問うと、カロンは己の運命を悟ったように全身を震わせた。口からは荒い息が漏れ、激しい恐怖の為に再び額から汗が吹き出す。

 それでも──謝ることだけは出来なかったようだ。

 カロンは精一杯に叫ぶ。


「私は悪くない!」


 フリードはカロンの顔面に拳を叩きつけた。

 ぐちゃり、という生々しい音と共に、カロンは頭部を失う。

 首から血が吹き出る。既に死んでいるにもかかわらず、その醜く肥えた体は、弾け飛んだ頭を求めてふらふらと彷徨う。


 その姿は実に滑稽だった。しかし何の面白みも無かった。


「地獄でたっぷり虐められてくるとよい」


 フリードは腕を振って拳にこびりついた血を払う。それから転がった死体を一瞥することもなく、聖城へと歩みを進めた。





 城内へと侵入したレイは、御座の間を目指して階段を上っていた。

 そこに天子が居るとは聞いたものの、微かな不安がある。

 白鎧のように自死を選んでいるのでは無いか。

 そう思うと、レイの口内が乾く。嫌な想像をすれば、どこまでも終わりはない。

 とはいえ、そんなことは考えていても仕方ない。レイは頭を振って弱気を消し去り、別のことを思う。


 今のところ、敵の気配は一切感じられない。

 この国の軍はレイが滅ぼし、白鎧達はエストが返り討ちにし、聖都に残った兵隊も同じくエストにやられた。もはや抵抗する戦力も気力も残っていないのかもしれない。

 そのまま油断せず進んで行ったが、結局、何者にも憚られることなく御座の間の扉の前へと辿り着いた。

 目的が鼻先に現れ、気持ちが逸る。頭の中を整理する余裕もなく、レイが扉を開こうとしたその時、聖都に突入する前にかけていた、生命力と魔力の偽装と探知の効果時間が切れた。

 レイは半ばまで上げていた両手を下ろし、再び魔法をかけ直す。いつも通りの動作を行ったことで落ち着きを取り戻せた。

 眼前の豪奢な扉にぺたりと手を付く。それから徐々に力を込めて押していく。

 ゆっくりと扉は開いていき、中の光景が飛び込んできた。


 広い室内に、高い天井。そして奥の方にある御座に天子の姿は無い。ただし、そのすぐ側には一人の男──軍の指揮官が立っていた。

 レイの胸中はざわつく。無論、軍の指揮官が居ることに対してではない。


「あいつ……わざとこれを報告しなかったな」


 レイは御座の間の最奥に苛烈な眼差しを注ぐ。


「確かに巨大な扉だ。高さは三十メートルあるし、幅も十メートルある。報告書に嘘は無いな」


 皮肉を多分に含んだ口調だった。

 レイは歩を進め、やがて止まる。いや止められる。


 眼前にあるのは──滝のように上から下へと流れる光線の束だった。


 それがレイの行く手を阻む。

 透明度が非常に高い為に、その先も殆ど曇りなく見通せる。

 幾多の宝が飾られていた。金銀財宝のみならず、武具防具の類いや、深めの紫の輝きを宿すスギライトと思われる宝石を加工し、額縁に流し込んだ絵画までがあった。

 肖像画らしいが、前衛的過ぎてそれが誰なのかは分からない。

 そんな中でも最も目を引くのは、中央に据えられている円柱の先端を斜めに切ったような書見台だ。神々しい雰囲気を放っており、レイが望む物を読む為に設置されているとしか思えない。

 そして最後。書見台を庇うように前に立つ、天子らしき人物。


「まさか斯様な化物に、我が国が滅ぼされるとはな」


 憎々しげな声を発したのは天子だ。

 レイを睨み付けている顔にはシワが刻まれているが、老人ではない。初老と言える年齢である。


 聖城内の様子から察するに、聖都に居た貴族や他の血族達はこの都市から逃げ出したのだろう。

 つまりは、既にこの国の統治は破綻しているのだ。

 レイが都市内で暴れ、その存在が明るみになったことが最後の一押しになったのは間違いない。もしも当初の計画通り密かに聖都に潜入し、そして騒ぎを起こさずに立ち去っていれば、全ての貴族達が逃亡するような事態にはならなかっただろう。

 一分の疑いようも無い。レイがこの国を滅ぼしたのだ。


 だが、後悔はしていない。何度同じ状況になろうと、その全てにおいて同じ選択をする。


 レイは必ず、ハーフリング達を助ける。


「俺は目的があって、ここまで来た」

「はん! 滅びの愉悦にでも浸りに来たのか?」


 これほど緊張するのはいつ以来だろうか。

 レイは大きく息を吸う。

 そして、一縷の望みを託して、言葉にした。


「蘇生について、何か知っているか?」




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