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第10話 邪悪

 剣士の案内の元、レイはハーフリング達を連れて奴隷商館へ向かっていた。

 今のところ襲われてはいない。そしてへばりつくような視線も感じられなかった。

 これだけの大人数で通りを進めている理由は、図らずも空の神という部隊と派手に戦闘したことによって、周囲から人気(ひとけ)が無くなった為だ。

 堅牢な拠点もなしにハーフリング達を置いていく選択肢はレイには無かったので、自らと同じく蘇生の情報を狙っているだろう空の神は、まるで目の上の瘤のごとき存在ではあるものの、あの男に薦めた病院よりワンランク下のところであれば紹介してやってもいい、と思うまでにその印象は回復していた。


(まあ、どちらにしろ拒絶するだろうがな)


 基本的に医術は邪悪なものだと認識されている。神官の魔法で治療が可能である為に、体にメスを入れる行為が禍々しく思えるのだろう。

 したがって病院を利用する者は、後ろ暗い過去を持っていたり、貧困している場合が殆どで、毎日を必死に生きる者──かつてのレイのような存在の味方なわけだ。

 レイは世界中の医師達に感服する。

 というのも、彼らが求められている技術や努力や才能と、得られる利益が全く釣り合っていないのだ。にもかかわらず、医師は自分の仕事を勤め上げようとする。これを尊敬しなくて、一体何を称賛するというのか。彼らこそが本物の英雄だろう。

 心中で喝采を送りながら、レイは思考を切り替える。それから隣を歩くハーフリングの剣士に問いかける。


「次はどっちだ?」

「左から出てきたので……右です。右に折れて百メートルほど進めば、広場に出ます。その先に商館が見える筈です」


 剣士の誘導通りにレイは右手の建物に沿って歩く。そして角で足を止めると、その先を覗き込む。

 鳥系のモンスターを軽くしのぐ視力が、約百メートル先の広場の中央に、ハーフリングや獣人、さらには人間が集められている様子を捉えた。

 逃亡を阻止する為だろう、彼らは後ろ手にされ、その手首を頑丈そうな鉄の鎖によって、噴水や建造物の柱などの重量のある物体と繋がれていた。


「あれは……みんな?」


 レイの身体越しに角から顔を出した剣士が、目を細めながら声を上げる。やがて確信したのか、どろりとした感情を噴き出させる。


「挙げ句に人質とは……。とことん屑か、人間という生き物は」


 剣士の口から歯が軋む音が鳴る。それが耳に入ってきた事で、彼の恨みは周りの者まで焼いてしまうほど深いようだと、レイは思った。

 迂闊に触れれば火脹れを起こす羽目になる。そう判断したレイは、話の針路を変える。


「違うな、あれは人質じゃない」

「……それは如何なる理由からなのでしょうか。私には人質としか思えないのですが……」

「俺が人質を取る側だからだ」


 剣士は何とも言えない表情をする。

 誤解を生む言い方だったなとレイは反省し、補足する。


「俺が君達に対してやると言ってるわけじゃない。一般的な話だ。人質というのは、その対象が相手にとって重要だからこそ脅迫として有効なわけだろ? だが普通の吸血鬼からすれば君達は──」単なる食料、という発言は自分の首を絞める事になる。レイは高速で思考し、口にする言葉を変える。「──そういうのではない。よって吸血鬼に対して、人質は正しく作用しない」


 なるほど、と剣士は頷いた。その顔色に理解の感情が浮かんだことを確認したレイは、幾つかの場所を指差す。


「それよりも見てみろ。というより、見えるか? 君達の同胞が集められている奥に、簡易のバリケードが敷かれている。ここに来る道中にもあったものだな。あとは広場の周囲の建物、その屋上だ」

「建物の屋上ですか? ……申し訳ありません。私の視力では、特別なものは何も見えないです」

「兵士が待機している。あれで隠れているつもりらしい」


 広場を取り囲む形で建てられた家屋などの、傾斜のある屋根の上に伏せている兵士達は、弓兵かそうでもなければ投石を狙う算段で配置しているのだろう。

 あまりにお粗末な構えだ。策も然ることながら、兵士の練度も先ほど戦ったベリオットやクラレンスとは比べものにならない。竜と蟻ほどの差がある。

 しかし、だからこそレイは気合いを入れる。

 目標はハーフリング達の救出。誰が相手でも油断は出来ない。

 それに生命力や魔力を偽装されている可能性は、常に念頭に置いておかなくてはならない。

 レイは短く指示を発する。


「進むぞ」


 歩き出し、広場に侵入する前に止まる。


「ここまでで良い」


 これ以上出るなと手でメルーシャ達を抑えると、前方を眺める。その円形の広場は想定よりも結構な敷地を占めていた。さらには捕まったハーフリング達や人間──罪人らしき風貌の──との距離は、もう少しある。


 人間の血は臭い、という情報を流す作戦は失敗した筈なのに、何故ハーフリング達は生け贄のごとく集められているのか。その理由をレイは察していた。

 この先の奴隷商館のさらに奥。そこに教会があるのだ。

 すなわち住民の避難先だと推測される。

 剣士には敢えて言わなかったが、彼の同胞は身代わりにされたのだろう。聖天国の人間からは命とさえ認識されていない為に。犯罪者と思われる人間もその中に含まれている以上、的外れな考えでは無い筈だ。


 言わばこの広場は、住民を守るという意味での最終防衛戦線なわけだ。

 粗方の情報を探り終えたレイは、剣士にメルーシャ達を預ける。


「皆を頼むぞ」

「この命に代えても」


 貸した剣を叩き、剣士は深々と礼を取る。先程の怒りが嘘だったように消え失せたその返答は、レイを安心させてくれた。とはいえ剣士の生命力から予想される力量を鑑みるに、保険はかけておくべきだろう。レイは周辺を見渡す。


(ここから彼らまでの距離は三十メートル強はある。とすると、あの魔法か)


 どの魔法を仕込むか決定したレイは、地面へ向かって手を掲げ、青く輝く魔法陣を構成する。続けてそこに魔法を込めるが、当然詠唱はしない。一秒足らずの内に、魔法陣は見えなくなった。


「よし」

「これは?」


 剣士からの問いに簡潔に返答する。


「君達を守るための魔法だ」

「魔法ですか? しかし消えて──いえ、分かりました」


 疑問を飲み込んでくれたようだ。時間の経過はこちらの不利になるだけだと剣士は理解しているらしい。


(やはり賢い男だな)


 剣士の理知的な反応を受け、レイは方針を転換する。彼を信用し、そして自分が信用される為にも、込めた魔法の危険性だけは話すべきだと判断したのだ。


「時間が無いから注意点のみ説明する。何があっても移動はしないでくれ。それと足元に魔法陣が出現したら、即座に大きく息を吸い込むんだ。特に、その()──メルーシャからは目を離さないように。皆への説明は君の口から行った方がいいだろう。理解してくれたか?」

「はい。重ね重ねのご配慮、感謝いたします」


 短い返答にレイは満足する。やるべき事だけを指示されても、普通は従えないのだから。


「では任せた」


 最後に声をかけると、レイは集められているハーフリング達の元へ歩いていく。

 一歩一歩ゆっくり進み──バリケードの後ろから大声が発せられた。


「止まれ!」


 レイは足を止める。


「繰り返す! そこで止まれ!」


 既に止まっているというのは野暮な突っ込みだろう。

 隊長だと思われる男から警告が飛来する。


「貴様は頭上から狙われている! 死にたくなくば、この都市から消えろ!」


 周りの建物の屋上から、一斉に兵士達が身を乗り出した。こちらに向かって弓を構える。

 完璧な撃ち下ろしの形だ。

 圧倒的不利な状況。絶対絶命の布陣に対し──レイは頬を軽く掻く。


 脅しをかけるなら、せめて声や体の震えくらいは鎮めて欲しいところである。


 兵士達に戦意は皆無。レイをどうこう出来るとは、自分でも信じていないらしい。

 彼らが偽装による精鋭部隊である線は消えた。

 レイは自らの危機感が薄れゆくのを知る。よくよく考えてみれば、こうやって脅迫をしてくること自体があり得ない話だ。問答無用で射掛けてくるのが通常の対応なのだから。

 調子の狂った音程で叫んだ男を過度に恐怖させないよう注意を払いながら、レイも怒鳴り返す。


「良いだろう! ただし条件がある!」


 兵士達の間に緊張が走ったようだった。

 まさかレイが話し合いに応じるとは思わなかったのだろう。もしくは吸血鬼の要求を呑むことを忌避したのか。理由は定かではないが、相手からの返事は早かった。


「なんだ! 内容を聞かせてみよ!」

「その前に、お前が隊長で間違いないか!」


 一瞬戸惑いを見せ、それから男は肯定する。


「そうだ! だからどうした!」

「一人でここまで来い!」


 沈黙が落ちる。

 そして──。


「う、射て射て射て射て! 射殺してしまえ! 肉片一つ残すな!!」


 甲高い悲鳴と共に、屋上から二十四本の矢が降り注ぐ。

 レイの逃げ場を埋めつくし、その身を滅ぼさんとするつもりだったのだろうが、放たれた矢は弓兵の動揺を正確に投影した軌道で乱れ飛ぶ。

 レイでなくとも避けられそうな質の低い一射であり、そしてレイからすれば牛歩のごとき遅さだ。そんなヘロヘロとした攻撃では誰にも傷を付けることは叶わない。


「〈合金剛鍛〉」


 レイの頭上に、直径五メートルほどの腐食に強い金属盾が現れ、降ってきた矢を完璧に防いだ。

 数歩分、後ろにいるメルーシャ達に怪我はない。そして捕らえられたハーフリング達の方にも矢は飛んでいない。

 レイは〈合金剛鍛〉を解除すると、二階建ての建物の屋上へと顔を向ける。


「ひっ!」

「そんな!」

「逃げろ!」


 喚きながら、兵士達は弓を放り捨て、背を晒して逃走する。

 そのなりふり構っていない様子を見て、レイはリスクを冒してでも反撃することを決めた。逃げられては厄介なことになる。ここで無力化しておかなくてはならない。


「大きく息を吸え!!」


 レイは怒号を飛ばすと蝙蝠の翼を羽ばたかせる。目標である建物の屋上へと飛行しつつ、先ほど仕込んでおいた魔法を発動させる。


「〈水精の繭〉」


 メルーシャ達の足元から魔法陣が出現。半径五十メートルもの巨大な水球が、捕まったハーフリング達ごと包み込むように展開される。

 予め説明しておいたことが功を奏し、メルーシャ達は驚きつつも何とか対応が出来ていた。しかしながら、集められた者達は突然の事態に狼狽し、溺れる。さらには後ろ手に拘束されているせいで、もがく事さえ叶わないようだ。


「ちっ! 〈音──」

「止めてくれ! これは上からの命令で──」

「──爆弾〉」


 屋上に到達した瞬間、聖都全域が揺れるほどの凄まじい爆音が生じ、レイの鼓膜から内耳までを破裂させた。

 辺りから音が消える。

 しかし、即座に吸い込まれるように戻ってくる。足音、風の音、水泡音。全てが元通りだ。

 これは言うまでもなく、《ルーツ》によってあらゆる器官を再生させた為だ。

 音波による攻撃を防ぐのは困難を極める。それは魔法を発動させたレイのみならず、本来の攻撃目標である敵兵の耳にも一息で追いつき、その口角からブクブクと泡を吹き出させると、あっさりと意識を奪う。

 まるで電撃を浴びたように、兵士達は全身を痙攣させながら崩れ落ちた。


 その人数を、レイは滞空したまま素早く確認する。


「二十四人とバリケードの奥……。全員か」


 可能なら伏兵の存在まで確かめたかったが、それだけの猶予は無い。レイは〈水精の繭〉を解除する。

 弾け、水飛沫を上げて消失すると、中からハーフリング達が出てきた。

 死者はいない。いるのはゴホゴホと咳き込む者だけだ。


 ただし状況は芳しくない。幾つもの怯えたような視線を感じる。

 呼吸が不要なレイはそれを逆手に取れるために修得したものの、彼らは違う。酸素を欠くことは出来ない。

 これが長い間ずっと一人だった弊害だ。レイが覚えた魔法はどれもこれも自分が生き残る為のもの。今回のような状況で全員を守るには、この魔法を使うしか無かった。

 仕方ない事だとレイは切り替え、広場を囲っている他の建物内に伏兵が隠れていないか探る。


 ──気配すら感じられない。どうやら誰もいないようだ。


 広場を完全に制圧したレイは、鎖に繋がれた者達のそばへ降りつつ、メルーシャ達を手招きする。そして同じタイミングで到着した。


「無事か?」


 我知らず声が硬くなる。恐怖されるのが嫌だとかそういうことではなく、説得に時間がかかるようだと困るのだ。しかも面倒事の種になりそうな、犯罪者っぽい人間達まで助けてしまったので余計に。

 レイが気を揉みながら、取り敢えずは捕まったハーフリング達を自由の身にしてやろうと歩き始めた、その時。


「吸血鬼殿!」


 剣士の大きな声が響く。あまり騒いで欲しくは無いんだが、と思いながら、レイは足を止めて、水浸しになっている彼の方を振り返る。


「吸血鬼殿、誠に感謝申し上げます! これも全てはあなた様のお陰でございます!!」


 やけに真に迫るような──いや、必死な感謝だ。そこには平伏しそうな勢いがある。

 何なんだと思った瞬間、閃いた。これはレイに言っているのではなく、彼の同胞達へ向けられたものでは、と。

 周辺視野でハーフリング達を窺う。その表情から恐怖が薄れていくのが実感出来た。


(やるな……)


 レイは感心する。しかしこの場で称えるわけにもいかない。結果として、レイは剣士の手腕に気付いていないフリをした。


「構わない。それよりも、声を落としてくれるか? 増援が来ないとも限らないからな」

「あ、はい。申し訳ありませんでした」


 平然と謝る剣士の態度が、レイの予想が正しかった事を物語っていた。

 時間の短縮が出来たことに、頭の中で剣士へ礼を述べつつ、レイはそのまま話を進める。


「じゃあ、早急に解放していこう。怪我している者には回復魔法を使うからな」

「吸血鬼なのに回復魔法……?」


 剣士の発言は聞こえなかった事にして、レイは剣士の同胞の全員を、そのくびきから解き放った。

 その間、隣に引っ付いてきたメルーシャが喜んでいるように見えたのは、レイの気のせいではないだろう。声を絞り出してまで助けを求めた同胞の無事が嬉しいのだ。

 ──段々、表情だけで感情が読めてきたかもしれない。

 このままいけばレイは言葉を用いないコミュニケーションの達人だ。

 そんな馬鹿な考えから覚めると、捕まっている人間達の元へ歩く。鉄の棒と手首を鎖で繋がれた、咎人らしき集団だ。

 大人しく助けられるのを待っているのか、それとも吸血鬼に目を付けられないよう黙っているのか。答えはすぐにハッキリする。レイは動かしていた足を止めた。


「一応聞いておく。お前達は何者だ?」

「俺らは善良な市民だ! なあ、お前ら!」


 下卑た笑みを悪意で歪んだ顔に張り付かせた男に、人間の集まりは口々に賛同する。

 どうやら前者だったらしい。


「応とも! 国の為に地道に働いてたのに、無理矢理枷を嵌められたんだ!」

「恨みを晴らさせてくれ!」

「俺は役に立つぞ、旦那!」


 騒ぎ立てる人間達。それを見ても、吸血鬼相手に気骨のある連中だな、という感想しか浮かばない。もしもレイが彼らの立場なら、波風立てずに影を薄くしていただろう。

 もはや会話するのも面倒になってきたので、煩わしい男達を黙らせようと試みる。


「善良な人間は俺の好物だな。拘束を解いてやろう」


 瞬時に騒ぎは鎮火する。

 しかし、一番始めに発言した男が、返す刀で沈黙を切り裂く。


「知ってるぜ」

「──あ?」


 レイは困惑の声を上げる。この男は自分の発言の意味を理解しているのだろうかと思って。


(自殺願望の持ち主か?)


 だとしたら、全てを無視してこの場に置き去りにしていこうとレイは決める。


「知ってるから、善良だなんて大ボラ吹いたのさ。俺の罪は詐欺だ。神官の魔法が使えると偽って、合計で金貨を七五枚せしめた。そんで豚箱にぶち込まれたのさ」


 男は黄色い歯を見せつけて笑う。


「悪者は口に合わんだろ、吸血鬼の旦那。だから助けてくれや。俺があんたにとって最も有益な存在になれる」


 屁理屈が上手い。好意的に解釈すれば、弁が立つというところか。

 レイは男に質問を投じる。


「具体的には? 何が出来る?」

「投獄された理由は詐欺だが、基本的には何でも出来るぜ。強盗、拷問、(やく)の手配から豚の──そう、豚の血抜きまで完璧よ」

「……それも嘘か?」

「おいおいおいおい! 待ちな! 今度は違うぜ? 見てみな、この手を。今だってあんたの為に働きたがってる! だから暴れてるのさ!」


 男は自分を縛る鎖をじゃらじゃらと鳴らす。

 正直なところ、どれだけアピールされても人間への恨みが強いハーフリング達と行動を共にさせるつもりは無い。だから質問した事にさほど意味を求めたわけでもなかった。

 しかし、男の言葉に一つだけ引っ掛かった部分があったので、レイは重ねて問いかける。


「解放したら、大人しく言うことを聞くか?」

「やなこった」


 その即答にレイは笑いを堪え切れなくなる。


「はっはっは! 面白い奴だ」

「だろ? だっはっはっは!」


 周辺に響く二人の笑い声は、尻すぼみに収まる。

 僅かな静寂後、男は口を開いた。


「じゃあ──」

「だが拷問するような奴は大嫌いだ」


 男は口を一直線に結ぶ。

 レイの声色からその発言が本音であり、自分が致命的な失敗を犯したのだと悟ったのだろう。言い訳さえ聞こえてこなかった。

 興味を失ったレイは身を翻す。


「……ちいっ! 俺を助けなきゃ後悔することになるぜ! 本当だ!」


 そんな言葉でレイが止まる筈がない。


「旦那は人間の欲望を侮ってる! とんでもねえ情報があるんだ! よく分からんが、そいつらが大事なんだろ!?」


 レイは一歩だけ進み、立ち止まる。そして早足で男の至近まで戻ると、息が吹きかかるのでは無いかというほど顔を近付け、牙を剥き出しにする。


「つまらない話だったら、二度と喋れないようその喉を食い千切る。分かったか」


 こくこくと物凄い速さで頷きながら、男は枷を振る。

 レイはそれを吸血鬼由来の握力のみで破壊した。

 男の顔が恐怖に引きつる。


「何をしてる。さっさと言え」

「──あ、ああ! えっと、旦那は奴隷ってのが人間にとっての財産だということは知ってるか?」


 レイは男から顔を離すと、顎をしゃくって続きを促す。


「なら話は早い。つまりだな、奴隷商館に売られてたハーフリング達はそこに居る連中だけじゃねえ。支配人が神官とか兵士を騙くらかして、馬車に乗せてったんだよ。今頃は聖都の外かもな」


 男が言い終わると同時、剣士が駆け寄ってきた。今までに無いくらいその顔つきは険しい。


「吸血鬼殿! その、申し上げにくいのですが──」

「人数が足りないのか?」


 剣士は目を見開くが、すぐに我を取り戻して肯定した。

 最悪の事態だ。レイは追い詰められたと言っても良い。本当に都市から抜け出されているとするなら、捜索には多大な時間を要し、発見は不可能に近い。

 レイは男に再び問う。


「どっちの方角に行った?」

「向こうさ」

「本当だろうな?」


 レイは右手を持ち上げ、今にも飛び掛からんばかりに指を曲げる。


「ああ、誓うさ! 逆らやしねえよ! だからその手を下ろしてくれ!」


 男は両手を上げて降参の意思を示す。

 それに沿ってレイは空を見上げ──嗤う。ある種の自嘲の笑みだ。元人間だからこそ、そしてカロンという男と直前で対面したからこそ、人間の思考を読み切れてしまった。

 レイは男の手を掴むと、千切れた鎖を巻き付けて拘束する。


「──な、何してんだよ! 約束が違うじゃねえか!」


 顔をまだらに染めた男を、レイは冷たい眼差しで眺める。


「それはこっちの台詞だ。また嘘を吐いたな」

「はあ!? 何を根拠に──」


 ──男の言葉を遮るように、空から幌馬車が降ってきた。


 いや、違う。エストの剣の力によって召喚された中級吸血鬼が、馬ごと背負ってきたのだ。

 中級吸血鬼はふわりと着地すると、馬車を丁寧に地面に下ろす。


「ご苦労様。助かった」

「滅相もございません」


 男が示した方向とは真逆の位置から飛んできた吸血鬼は、その厳めしい外見に似合わない、品の良いお辞儀をする。そして幌馬車の入り口に掛けられた垂れ幕を捲る。


「みんな!」


 剣士が馬車に乗っているハーフリング達を認め、叫んだ。小走りで駆け寄る。勢いのままに幌馬車に乗り込み、怪我の有無と人数の確認を行うと、レイに向かって頭を下げた。今度こそ全員揃っているらしい。

 そんな中、愕然とするのは一人だけだ。


「なんでだ……」


 この期に及んで偽りを話した男へ、レイは返答する気にもなれなかった。数十分前の記憶が蘇る。





「よし。では早速で悪いが君達の仲間を救出しに行く。商館への案内を頼めるか?」

「承知いたしました」


 レイと剣士が横並びで、その少し後ろにメルーシャ、そしてハーフリング達と続く。

 身長差がある為に、歩幅の差もまた大きい。多少窮屈に感じるが、剣士に合わせて進む。

 それから幾つか角を曲がった辺りで、レイは気付く。こっちは教会方面だと。

 エストに投げてもらった際、それらしい建物が通り過ぎたのを覚えていたのだ。

 その全容を朧気に頭に浮かべたレイは、渋面を作る。


「あの鐘の音は聖城じゃなくて教会からのものだったのか……」

「いかがされました?」


 口の中で小さく言葉を転がした為に聞き取れなかったのだろう、剣士が疑問の声を上げる。

 レイは手を振って話を逸らした。


「いや、何でもない。それよりも歩きながらで構わないから、幾つか聞かせてくれ」


 これからする質問は、不躾を通り越して怒りを向けられても仕方ないようなものだ。しかしレイは問う。どうしても確認する必要があった為に。


「君達はどの程度動けるんだ?」


 剣士が不安そうにこちらに視線をやる。意気込んだ割には腰が引けたような質問の仕方だったなと、レイは己を嘲笑う。


「すまない、ハッキリ言おう。俺が知りたいのは君達の具体的な値段だ。取引現場は直接見たか?」


 剣士は口を閉ざす。順調に回っていた足は石畳に縫い付けられたように動かず、微かに目線を上げれば、その拳は細かく震えていた。しかし、それでも彼はレイの問いかけに答えてくれた。


「指輪を渡していました。……それも一つだけです」


 レイは天を仰ぐ。確実に面倒な事になると直感したのだ。

 仮にこれが貨幣で取引されていれば、そんな風には考えなかった。しかしながらカロンは言っていたのだ。


 ──指輪一つで城を買える、と。


 無論、あの親指のリングだけが特別高価なのかもしれないが、それは所詮レイの願望に過ぎない。

 恐らく、剣士の同胞達は商館の人間によって既に連れ去られている。

 レイは頭を捻る。やがて結論を出すと剣士に注意深く伝える。


「今から吸血鬼を呼び寄せる。俺の味方だから慌てないで欲しい」


 剣士が頷いたのを視認してから、レイは上空に向かって手招きする。蝙蝠の翼を広げ、滞空していた数多の中級吸血鬼の内の一体が、レイの目の前に降り立った。

 もしも空の神との戦闘時に、黒雲が太陽を隠さず、レイが上空を見上げなければ、その存在を発見することは出来なかっただろう。


「お前達に頼みがあるんだ」

「申し訳ございません、レイ様。エスト様よりそのような許可は受けておりません。どうかご容赦ください」


 予想していた通りの返答だ。被召喚者は基本的に召喚主の命令にしか従わない。主の仲間の判別くらいは出来るが、それだけだ。

 だからこそ、レイは会話から誘導出来ないか試みる。


「エストからの命令は?」

「飛行による逃亡者の阻止、及び何らかの異常があった際の報告でございます」

「完璧だ。流石はエストだな」


 その抽象的な言いつけは、レイの為にやってくれた筈だ。


「異常事態発生だ。俺が危機的状況にある。お前達の中から一人だけ──いや、お前が俺の指示に従っても良いか、エストから確認を取ってきてくれ。もし許可された場合、この都市から馬車などで脱出しようとする者を監視し、その乗員を確かめ、それがハーフリングや獣人の集団だったなら、安全に確保すること。その他の手段で逃げ出そうとしているパターンでも同様だ。さあ、行ってくれ」


 中級吸血鬼は恭しく礼をすると、聖城へ向けて飛び立った。





 脳内で繰り広げられた、一秒にも満たない旅からレイは帰ってくる。

 ガタイとは正反対のエストの細かい気配りのお陰で、事が深刻になるのは免れた。レイは吸血鬼の王に心の中で感謝しつつ、詐欺師の男へ最後に言葉をかける。


「何でも糞も無い。お前が示した位置とは真逆の方向から彼は飛んできた。それが全てだ」


 希望を打ち砕かれたように頭を垂れた男を無視して、レイは振り返る。それから再会に歓喜して抱擁しているハーフリング達の元へ向かう。

 途中で中級吸血鬼に上空で待機するよう指示するのも忘れない。

 レイはハーフリング達の前で止まる。すぐに注目が集まった。


「全員無事に助けられたようで何よりだ。後で思い切り喜んで欲しい。この国を抜け出したその時こそ、好きなだけ叫んでくれ。──よし。それじゃあ、最後の砦へ向かうぞ」


 レイは一行を伴って聖城へ歩き始めた。





「申し訳ない、ベリオット殿。私のせいで命を狙われることに……」


 クラレンスは浮遊しながら、暗い表情で独白する。


「神を、国を、そして人を裏切ってしまった。私達は英雄ではなくなった……。ですが、あなたという恩人を裏切ることだけは、私には出来ませんでした。許してください」


 左肩に担いだ男から答えは返ってこない。クラレンスは前を向く。


「すぐに教会へ向かいましょう。優れた回復魔法の使い手が居るとは思えませんが、幾度も重ねればある程度は治癒出来ます」

「……待て、病院へ行け。教会、は……それどころじゃない筈だ。止血さえ施せば、何とかなる」


 息も絶え絶えな様子でベリオットは頭を持ち上げる。


「まだ、取り返せる。当初の任務を果たすぞ、クラレンス」

「何を仰っているのですか!」


 病院などという人体を弄ぶ、およそ治療とは真逆の術を行う狂気の地。そんな場所へ向かえと言われ、思わず声が大きくなってしまったクラレンスは、自らの過失を認める。音量を下げてから、再び話し始めた。


「あなたには適切な治療を受けてもらいます。それから可能な限り遠く離れた地へ逃れるのです。安心してください。私達なら、障害となり得る存在は殆どいません。そう、あんな化け物が相手でなければね……」


 クラレンスが生きてきた世界を、紙切れに描いた絵のように容易く引き裂いた吸血鬼。その化け物っぷりは、陰影を思い出すだけで鳥肌が立つ。


「空の神は脅威ですが、まず以てあの吸血鬼から逃げなくては──」


 言っている途中で、上空に大量の吸血鬼の姿を発見する。クラレンスは急いで高度を落とし、家屋と家屋の隙間に滑り込む。そして音を立てないよう注意を払いつつ、息を潜める。


「……追ってこない? 見つかっていた筈なのですが……」


 クラレンスは空を見つめる。

 無数の吸血鬼達が、かなりの高度を維持して滞空している。まるで都市そのものを監視しているようだ。察するに、何らかの指令を与えられているのだろう。外見が皆同じということも合わせて考えると、十中八九召喚された存在だ。

 クラレンスは驚きを隠せない。

 というのも、召喚を可能とする武具は伝説の類いだからだ。あの吸血鬼の実力を知らなければ、今頃は事実をねじ曲げて解釈していたかもしれない。


「どうやら、奴らの標的は我々では無いようですね。であれば無視してしまって良いでしょう」

「……殺らないのか?」

「そんなに汗を流しながら言わないで下さい。目立つような行動は控える必要がありますからね。とにかく逃げるのが先決です」

「……冷静になったついでだ。俺の話を、最後まで聞け」


 クラレンスの瞳に信用出来るだけのものを見たのだろう、ベリオットは説明を始める。


「さっきも言った通り、まだ巻き返せる。俺達は……教国の地を踏めるんだ」


 クラレンスは余計な口を挟まずに続きを待つ。


「カロンは勅書をああいう風に使ったが……あれは本来の想定とは違った筈だ。あんな化け物がこの国に現れるなんて、台下も想定してなかっただろうからな。にもかかわらず、台下は勅書を渡した。つまりは……ぐっ。つまりは、今回の任務がそれだけ特殊だってこった」


 息を深く吐き、吸う。その動作によって痛みが抑えられたのか、ベリオットは再び口を開く。 


「蘇生は実現間近なのかもしれない。それこそ、今回の任務が成功すれば可能になる、という段階まで進んでいても不思議じゃないぞ」


 納得のいく意見だった。任務の達成によって、自分達の罪が洗い流される可能性は十分に見込める。

 しかしながら今のクラレンスにとって優先すべきなのはベリオットの命だ。だからこそ、クラレンスは真摯に問い掛ける。


「ベリオット殿、あなたはどうされたいのですか? 私の事は気にせず、あなたの心に従った考えを聞かせて下さい」

「俺は刺客に追われる人生なんてまっぴらだ」


 即答だった。

 クラレンスは負けじと自らの胸を叩く。


「承りました。私が必ずやり遂げます」

「ふっ……。さっきまでとは、別人みたいだな」


 ベリオットはぎこちなく笑う。


「なら、俺もついていくぞ。別に戦う必要は無いからな。それに……お前と一緒に行動していれば、即時離脱を図れる。嫌とは言わさんぞ」

「……分かりました。ただ、無理はしないで下さいよ」

「応。勿論だ。あとはそうだな……この都市から脱出する前にカロンは消しておこう」

「もう死んでいるでしょう?」

「曖昧なのはダメだ。確実に息の根を止めろ。俺達の目でちゃんと確かめなきゃならん。あいつが生きてたら、全部が水の泡だからな」

「そうですね。あの吸血鬼が私達を見逃した理由も不明ですし、カロンも同じように解放されたと思って行動した方が、足を掬われる結果にならない、というところですか」


 ああ、とベリオットが返事をしたのを見て、クラレンスは病院へと進路を変えた。その後に向かうのは、天子が居る聖城だ。





「天子様、どうかお逃げ下さい」


 耳を塞ぎたくなるような悲鳴が御座の間まで届く。それも一つや二つではなく、数十、数百単位で。


「もはや敵は鼻先まで迫っております! 何卒!」


 繰り返される進言に対し、御座に腰掛けた天子は疲労の色濃い動きで首を振った。


「そうしたいところではあるが、化け物どもの狙いが掴めぬ以上、私が城から離れるわけにはいくまい。仮に私を目的としているのなら、この悲劇は続いてしまう」


 天子のひび割れかけたガラス玉のような瞳には、決死の想いが宿っていた。

 先ほどから天子を説得している、国の治安維持などの内政を担う内務卿が声を荒げる。


「もはや狙いなどと言っている場合ではございません! 今が逃亡する最後の機会なのです!」


 軍は滅ぼされ、神使は未だ帰還せず、黄金の吸血鬼に聖城が攻められている。さらには同時刻に都市内で〈主の柱〉の発動が確認されたことから、黒い吸血鬼と何者かが街中で戦闘を行っているのは確定的。

 もはや収拾がつかない。

 状況の変化が早すぎる為に、教会との伝達さえ拗れている。国家の崩壊だ。もう各々が独自の判断で動くほかない。


「そうか。しかし……なればこそ、私はここを断じて動かない。化物どもの面をこの目で見るまではな」

「天子様……」

「それよりも、卿。其の方の知恵を貸してくれないか。これ以上、尊い民の命を散らせたくは無いのだ。彼らを避難させる為の時が欲しい」


 天子の意思を変えることは叶わない。それを肌で感じ取った内務卿は、沈痛な表情を浮かべると重い口を開く。


「…………聖城の地下牢に収容されている犯罪者達を解き放つべきでしょう。奴隷を使用するのもよいかもしれません。たとえ僅かでも足止めになります。それから、教会の鐘を用いて民を都市外へと誘導するのです」

「音に釣られて黒い吸血鬼が教会へ向かうのではないか? 既に教会に避難している者は数多いであろう?」

「教会が受け入れられる人数は千人にも満たないものです」

「──そうか」

「……相手は化け物。太らせなければ何をするか分かりません。もしかすると、かの忘れられた究極の魔法──【連環魔法】を都市内で発動される可能性がございます。今は……より多くの民への暴虐を防ぐことが最優先です」

「……あい分かった。速やかに卿の言った通りに手配しよう。それにしても、なぜ吸血鬼がこれほどの力を持っているのか……。卿の知識にはあるか?」


 自然な生命の在り方に逆らった吸血鬼という、邪悪なる不死者は、戦闘員のいない村落程度の規模の集まりからすれば恐ろしい存在だが、集団の最上位たる国家にとっては取るに足らない雑魚でしかない。

 ──その筈だった。

 しかし現実には一万の軍勢をたった一つの魔法の元に葬り去り、天賦の才を持った聖天国最強の神使を、推定ではあるが殺害してこの聖都まで攻め入ってきた。

 まるで予想だにしない事態であり、彼ら上層部からすれば火山の噴火のような大災害としか思えなかった。


 不運を嘆いているのか、それとも自分の対応を後悔しているのか。

 やつれた顔をした天子が再び口を開こうとしたその時。


「何を言っている!!」


 突然の大声に、天子と内務卿の視線がそちらに向かう。

 そこには、滅ぼされた一万の軍の指揮官を務めた男がいた。


「吸血鬼が強いだと? つまりは神使様が敗れたと貴様は言っているのか!」


 天子への礼儀を捨て去ったその態度は決して赦されるものではない。内務卿は鋭く叱咤する。


「口を慎め、将軍! それが天子様に対する申し立てか!」


 平常時であれば内務卿もそのような口調で宥めなかっただろう。しかしながら、命令系統の違いと天子への忠誠心の高さから、彼の言葉も自然と強くなっていた。


「規律を守れ! 軍を預かる者として恥ずかしく無いのか!」

「その軍は既に全滅している」

「──っ! 貴様!」


 内務卿のこめかみに青筋が立つ。


「本を正せば──」

「止せ。諍いなど無意味なことだ。先を読んで行動せよ。それで将軍よ、其の方はどうする? 残るか、逃げるか」

「逃げる必要など無い。見ていろ、今に神使様が駆け付けてくださる」

「左様か」


 現実逃避した将軍の発言にも動じずに天子は話を進める。内務卿に顔を向け、静かに告げる。


「では内務卿。其の方は生きろ。生きて伝えるのだ。強大で邪悪極まりない吸血鬼が人の世に現れたことを」

「であれば天子様も共に!」

「私が逃げるわけにはいかない。私の命令で数多くの兵の命が散ったのだ。その責から逃れることは、主神様への背信に等しい」

「…………」

「内務卿よ、これが最後の命令である。レリオン教国へ逃れよ。そして──これを持て」


 天子は懐から一封の封筒を取り出し、内務卿に差し出

す。


「我が国の顛末と、其の方の推薦を綴った書状だ。レリオン教国のライード殿に届けよ」


 内務卿は静かに跪く。それから恭しく封を受け取ると、顔を上げて誓いを立てる。


「天子様にお仕え出来て、私は幸せでした。いつの日にか必ず、吸血鬼どもを討ち滅ぼしてみせます。そして、再び天の国にてお会い出来る時を心待ちにしております。──主神様のお導きに」

「ああ、私もだ。──主神様のお導きに」


 二人は祈祷を捧げる。

 毎日の起床時に行うものより短い時間ではあったが、神への祈りを済ませた内務卿は、一礼して御座の間から退室した。





 城へと近づくにつれ喧騒が大きくなっていく。これは自分達を迎撃するための動きなのだろうなとレイが予測していると、ようやく聖城へと到着した。

 レイの目的の情報があるかもしれない場所だ。

 しかし──。


(誰もいない?)


 城の中は騒がしいようだが、あり得ない事に城門の守りがいない。それを認めた剣士が怪訝なものを顔に浮かべる。


「これは一体どういう事なのでしょう?」 

「俺にも分からん。だが、グズグズしてる暇はない。行くぞ」


 たとえ罠だろうと進む他ない。レイは迷わず魔法を発動させる。


「〈太古の波動〉」


 束ねられ、一つとなった衝撃波が広がると、巨大な城門が果実のように容易く砕け散る。

 レイはいの一番に侵入。辺りを見回して警戒する。


『総員、退避! 退避ぃいいい! 化け物が来るぞおおお!!』


 突如として城内から反響して聞こえてきた叫びに、レイは得心がいく。


「ああ、そうか。エストが暴れてるからか」


 話し合った通り、城を攻めてくれていたようだ。レイは一人で頷くが、とっさにそんなことを考えている場合では無いと気付く。首を巡らせ、腹から叫ぶ。


「外壁にピッタリくっつくんだ! 人が流れてくるぞ!!」


 言うが早いか、人の波がレイの前方から飛び出してきた。

 万が一に備えてレイも城門をくぐり抜けようとする。ただ、それよりも早く、波の先頭にいた者達が急激な制動をかけた。


「こ、こっちもだぁあああ!!」


 蝙蝠の翼を広げていたレイを視認し、兵士達から絶望の悲鳴が上がる。吸血鬼から追われ、逃げた先にも吸血鬼が待ち受けているという、地獄のような状況でそのまま突っ込める人間などいない。

 彼らが足を止めたのも無理からぬことだろう。そしていきなり立ち止まれば後ろの者から突き飛ばされ、前の人間は転倒し、後続もまた躓くのは免れない──と考えるのは、あまりに人間を侮りすぎている。

 先頭集団が少しだけ突出していたという事もあるが、人の波はまるで潮が引いていくように下がっていった。それはある種洗練された動きだった。


 彼らは最悪の事態を回避したのだ。


 ──そう、思われた。


 こつり、こつりと嫌に静かな靴音が響く。それはこの動乱の中にあって、耳に入ってくるとは思えないほどの静謐さ。

 兵士の集団はいつの間にか完全に足を止め、小動物のごとく身を寄せ合い、ひどく震えていた。

 次第に近づいてくる、死を告げる音。

 逃げ場がない事を察したのか、それとも無意識の内か。彼らは両膝をつくと、両手を胸の前で組んだ。それは迫りくる音が遠ざかることを願う、救済への祈りだ。

 しかし──神はいない。

 正面玄関に掛かった影で隠れていたその姿は、すぐに明るみになる。


 黄金の巨体が、牙を剥いて現れた。




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